"bokuttenani - ぼくってなに" هيا بنا إلى الاحلامات

"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

kiss your past goodbye, hello world, maybe again, i am so fucking glad to meet you.

2013-06-06 10:38:59 | energeia - 現実態 (現出)
久しぶりに、学生時代のピアノサークルの批評会でもらったコメントを読んでみて、
自分がどんな風にピアノを弾いていたのか、を、ちょっと思い出したような。
ま、自分の演奏はちゃんと聞いたことがないんだけど。
最近は、鍵盤、ひっぱたいてるからな。。。。ごめん。。。仲良くしよう。。

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それはそれとして、
過ぎ去る過去には景気よくさようなら。
思い出は心のすみっこに残るでしょう。残らないものもあるでしょう。刻まれた傷もあるでしょう。

過去は、今この身体のどこかで眠っています。くすぶっています。
未来は、今この瞬間に私が感じる、不安と希望の全てです。
だから、今この瞬間を永遠と言うのです。
時の流れは今この瞬間の中にあります。


すれ違う一瞬の出会いを、今この瞬間の世界を、
全力で、全身で、全霊で
抱きしめよう。

裏道再発見

2011-09-09 23:30:45 | energeia - 現実態 (現出)
子供の頃に通っていた裏道を久しぶりに見つけました。

登り坂のてっぺんの地平の向こうは陽の光でいっぱいすぎて見通せません。
登りきってみると、向こうには海が見えます。
海に向かって降りていく細道。

あまりにも長い間、通ってなかったからもう、夢の中で通った道なんじゃないかと思っちゃってたけど、
夢じゃなかった。



よく通る、通りと通りの間にもやっぱり
道もあって家があって人が住んでいて、
公園とか商店とかコンビニとか学校とか公民館とかもあるんだよね、
ちょっと不思議。
自分の地図には存在しない町なのでーす。

戦うということ 限界に挑戦して超えるために

2011-07-25 19:56:11 | energeia - 現実態 (現出)
自分との闘い、とかって言うけど
自分一人で自分の限界と闘うのは結構難しい。
よほどの自律がなければ、自分を甘やかしてしまうからだ。

例えば、坂ダッシュしてて
「可能な限りのハイペースで走ろう」とか
「体力限界で動けなくなるまで走ろう」とかいってみても
目印のペースメーカーとか具体的な目標回数とかがなかったら甘やかしちゃう。
疲れたからちょっとペース落とそうとか、もうちょっと休もうとか。
「できる限りでいいから頑張ろう」は、私の場合ちょっと信用できない。

緊張感とか、深刻さとか、切実さが必要。

だから、自分以外に、自分とは異なる意思のもとに動いている誰かと競い合うことは
自分の限界と闘う良い手段になる。
便利な方法。
自分の裁量でどうにもならない門度無用で示された目標(速度、難易度。。。)があれば、
そいつに追いつこう追い抜こうと必死こくことは、やりやすくなる
「そこまでやればよい」っていう具体的な目標がないと、
途方も無さすぎて意気消沈しちゃう?
甘えちゃう?



コンピュータでも、人でも、前を走る幻影でもなんでもいいんだけど。
限界を超えた目標を押しつけてくれるならば。

ハタラクワタシタチ

2010-03-28 12:17:27 | energeia - 現実態 (現出)
目に見えるものをつくるだけがものづくりじゃないってさ。
目に見えるものをつくってても、実は型にはめて作業してるだけで何も創造していないこともある。

ソフトウェア開発だろうが事務処理だろうがあるのはあるのは目的と手段。
目的:課せられたもの、あるいは、自分で創出したもの
手段:自由
(ちなみに、手段としての無意識ではなく文字通り完全に無意識でする何かは仕事ではない、ってことにしとこう)

ものの価値が相対的ならば、作るものの違い(職業の違いとか)は表面的なものだ。

創造的に目的を達成することを楽しむだけか、
ついでに創造の対象にもこだわるか。

あとは、(あるとして)私の力ではどうにでも出来ない外界からのよろしくない干渉をどう回避するか。