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"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

コロナの騒ぎ

2020-04-16 21:54:20 | homo - 人間
自分に直接関わるからなのか、自分の身内に関わるかもしれないからなのか、ニュースが「大変だ!」と言ってるからなのか、なんとなく周りがそういう雰囲気だからなのか、わからないけど、こんなにも人の言葉や振る舞いは変わるものなんだな。変わることはできるんだなー、と、初めて知った。良い変化なのかどうかは、まだ、わからないけど。

いわゆる「コロナ」が収束した後に、というか今すぐにでもだけど、自分や目の前の我が子にだけでなく「目に見えるほど自分に関わる」こと以外の問題にも人が時間やエネルギーを注ぐように人が変わらないのなら、人類はもう絶滅する、という、ルールになっているらしい。神様の間では。巨大化しすぎた恐竜が絶滅したように、牙が伸びすぎたサーベルタイガーが絶滅したように、頭がでっかくなりすぎた人類もきっと絶滅するんだ。

という未来じゃなくて、人も動物もお互いに支配も侵略もせず、仲良くはなくとも、搾取しない世界、だと、良いなあ!

何を食べるのか、着るのか、使うのか、どこに住むのか、何を買うのか、は搾取するかしないかの、分岐点かも知れない。

耕すということ

2020-04-08 08:40:27 | biota
想像してみてください。

あなたは平和で暖かい暮らしをしている。ある日 突然、空から、あなたの体の何百倍も何万倍もの大きさの固い大きなスコップが降ってくる。ザックザックと大地を切り裂きひっくり返しあなたの暮らしをめちゃくちゃにする。家も身体もバラバラに引きちぎられる。家族と引き離され、熱い熱い灼熱の太陽に晒されて、住処も身体も焼き尽くされて干からびてしまう。。。。


庭を開墾した。元はフキや野ユリが生い茂っていたけど、ジャガイモを育てたいと思い、耕した。そのフキやら野ユリやらの球根や茎を取り払いながら。その罪悪感。見れば、何十、何百の虫たちが土のなかで慌て逃げ惑っている。その罪悪感。

すごく後味の悪い、開墾。
開墾とは、侵略だ。

耕すとはこういうことか。
俺の耕しかたが、悪いのか、優しくなかったのか。

「自然農法」とか「不耕起」とか最近はやってるのかな。

草木も虫も、元々、暮らしていた生き物たちをほぼ根こそぎ
文字通り根こそぎ、蹴散らしてしまった。
のたうちまわるミミズ。

元々、暮らしていた生き物たち

ベジタリアンでもビーガンでも。

殺生は避けられないのか。

だから、忘れないように、
自分の手で、育てて食べたい。

それとも育てて取るじゃない、何かがあるかな。
恵を、慎ましくいただくような形が。

森の海、海の森、エネルギーの海の宇宙

2020-04-08 08:39:38 | universum - 宇宙
森にずっと座ってると、色んな生き物が関係しあって繋がってるのかなー、ってなんとなく感じる。それぞれが勝手に生きつつも。食って食われて。動物の腸を通過することで発芽生育に適した状態になる種子もあるとかと聞く。色んな鳥虫獣の鳴き声が入り混じる、アリが木の幹を這う、毛虫や蜘蛛が糸でぶら下がっている、ちょっと物音を立ててしまうと巣でくつろいでいるトビがびっくりして飛び立ってしまう、カラスとトビが喧嘩をする、森を縦横無尽に走り回って食べまくっているリス、枯れた木の幹の根本から生えてくる新芽。太陽光をエネルギー源にする者、その植物を食べる者、動物を捕らえて食べる者、動植物の死骸をエネルギー源にしつつ分解して結果的に土に還していく者。それぞれがたぶん好き勝手に本能のままに生きていながらも、繋がって揺らめきつつも安定しているのかな、とか、思う。

海は一つの液体を共有してすごい交じりあった生き物の世界と感じるけど、土もまた海のようだなぁ。獣も虫も菌も栄養も土の中にたくさんいる。そもそもこの宇宙が揺らめくひとつながりのエネルギーの海の中かな。

自らの力では増殖できずに、他の生物の力をかりて遺伝子を増やしていく者たちもいる。他のすべての生物もそもそも「自らの力」だけで生きてはいないけど。自らの力で完結して生きていく形と互いに頼りあいながら生きていく形、後者の方がこの世界にふさわしい形であって、自然とそういう世界に淘汰されていくならいいなーとか思う。いや努力しなきゃかな

生物種が自然淘汰されていくならば、生態系の形もまた自然淘汰されていくのかな。この土地の天候や時代にふさわしい生態系として安定していく、環境が変われば生態系の姿も変わっていく。

耕す私と耕される彼ら

2020-04-06 20:03:45 | homo - 人間
想像してみてください。

あなたは平和で暖かい暮らしをしている。ある日 突然、空から、あなたの体の何百倍も何万倍もの大きさの固い大きなスコップが降ってくる。ザックザックと大地を切り裂きひっくり返しあなたの暮らしをめちゃくちゃにする。家も身体もバラバラに引きちぎられる。家族と引き離され、熱い熱い灼熱の太陽に晒されて、住処も身体も焼き尽くされて干からびてしまう。。。。


庭を開墾した。元はフキや野ユリが生い茂っていたけど、ジャガイモを育てたいと思い、耕した。そのフキやら野ユリやらの球根や茎を取り払いながら。その罪悪感。見れば、何十、何百の虫たちが土のなかで慌て逃げ惑っている。その罪悪感。

すごく後味の悪い、開墾。
開墾とは、侵略だ。

耕すとはこういうことか。
俺の耕しかたが、悪いのか、優しくなかったのか。

「自然農法」とか「不耕起」とか最近はやってるのかな。

草木も虫も、元々、暮らしていた生き物たちをほぼ根こそぎ
文字通り根こそぎ、蹴散らしてしまった。
のたうちまわるミミズ。

元々、暮らしていた生き物たち

ベジタリアンでもビーガンでも。

殺生は避けられないのか。

だから、忘れないように、
自分の手で、育てて食べたい。

それとも育てて取るじゃない、何かがあるかな。
恵を、慎ましくいただくような形が。

「自分」と「世界」 : 「自分」てそんなに大事?

2020-04-01 07:19:27 | homo - 人間
自分のことを大事にしすぎると窮屈になるかも「幸せにならなきゃ」「有用にならなきゃ」「安全でいなきゃ」・・・などなど。人類のことを大事にしすぎても同じように窮屈になるかも。「大事にする」ということは、逆に他者も含めて、すべての生き物や地球・宇宙も含めて、全体的に幸せ、みんなが幸せならいいや、って思えたほうが楽かもしれない。無理してるんじゃない、その方が本当に簡単で開放的。自由。「自分が死なないこと」にこだわるよりも、地球の命が豊かに循環して巡り行く姿の壮大さや美しさ奔放さを感じている方が楽しい。その方が「大事にする」をしてるかも。

殺虫剤・農薬・ホウ酸団子・・・・・地球は繋がってる一つだと思うけど、土・空気・水・・・・自分が体に入れる水・食べ物・空気はこの地球の生態系からやってくる。そのひと繋がりの一つを自分で汚染しまくっている。俺は時々怖いけど。その辺に生えている野草をなんの憂いもなくたべたいじゃん。誰かが殺虫剤をまいたかも、なんて心配せずに。誰かが何処かで道端に捨てた乾電池とか変な液体とかガスとか、そういうものが土を巡って空気を巡って自分のところに戻ってくると思ったら、怖いじゃん。

すべてのものは ひとつのエネルギー、つまり同じものから出来ている、とは思いつつも。だから心をいつも元気に健康にしていたいけど。

目の前に現れた敵を、即効性のある「除菌スプレー」「洗剤」とかで消滅(?)させるよりも、受け入れて混じり合って変化していった方が楽しかったりして。

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人間は便利さ快適さを求めて自然をコントロール、いやコントロールなんて出来ていない、ただ形を歪めまくって、無理やりに快適な生活空間・都市空間を作りまくっている。そんな人間は衰退するなり絶滅するなりしたほうが地球全体にとっては幸せだとしたら悲しい?正直あまり悲しくもない。どの生命も各々それ自体が「自分自身」「我」であるし、今を生きる主体・意識・感覚・・・・だと思う。

等価!!

だと思うのです。

時間軸をみても同じこと。
十年前の自分・今日の自分・十年後の自分、それぞれに「今を生きる我」である。その瞬間に完結する生命の燃焼・現象かな。体験は完結しつつも、この社会においては「濱口悠介」で識別される生物個体をとおしてつながってる、他の生き物ともつながってる。

と言いつつ、各々の生物種が個体が「己の利益!」だけを純粋に追い求めてみても、それで「自然と!」ばらんす・循環が保たれてきたのがこの生態系かもしれない、と、思ったりもする。