"bokuttenani - ぼくってなに" هيا بنا إلى الاحلامات

"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

生きる

2020-11-18 07:21:09 | homo - 人間
生きるということ

生きることについて考えてみた

人生・仕事・社会・地球・生命・動物・・・・・・

いろんなキーワードがあるし、いろんな人が今まで考えてきて今も考えていることだけれど、今 日は、今自分が感じていることから出発してみたい



今この瞬間に自分が感じていること
今この瞬間に自分の意識にあるもの
今この瞬間の自分の体験・世界


雨の音

お腹が気持ち悪い(昨日の夕食を食べすぎたから)

ちょっと眠い

頭がかゆい

腰がちょっと痛い

手が冷たい

煙の香りがする

あ、鶏が鳴いた

(今は朝の5時、十一月の北海道、薪ストーブからやってくる煙がいい香り。そんで外には鶏小屋がある。もうすぐ羊もご飯を要求して鳴き出すかもしれない)

ちょっとお腹が空いてきた

もっと体の細かい部分に注意してみると、
風が鼻の穴を、唇の上の方を通り過ぎるのに気づくかもしれない
息をしているから

胸の鼓動にも気づくかもしれない


・・・・・もっともっといっぱいあるけれど


「雨の音」とか「呼吸」とか「煙の香り」とかって、言葉で世界を区切らなくてもいい。自分が感じている感覚に名前をつけずに、ただ感じることを味わってみるのもいい。鼻の下を通り過ぎる風を「風」とも「息」とも思わずにその肌触りを感じてみる。外から聞こえる「ぽつぽつぽちゃぽちゃ」を「雨」だなんて呼ばないで、ただその音を感じてみる。感じ続けてみる。「これは雨で、あれは雪で、あっちはみぞれで、空には真っ黒な雲が広がってる」とかそんな風に整理しないで。

手が冷たくて「寒いなー辛いなー痛いなー」なんて思うけど、ちょっとこの感覚をじっくり味わってみよう。そんでまた薪ストーブの前に行って みる。体の外側から、顔の表面から段々暖かくなってくる。ぱちぱち薪の燃える音もする。頭を空っぽにしてじっくり感じてみよう。体に起こる変化を。

目を閉じて

感じいってみよう

僕は今、何を感じているのかな

自分が感じていることに意味なんてなくてもいい。
自分が感じていることの全てが生きていることそのものだ。
生きることに意味なんてなくていいけれど、意味と言いたければ、僕が感じていることの全てが生きていることの意味だし、僕と関わり合って変わって行く世界や、世界と関わり合って変わって行く僕の全てが生きることの意味だ

今自分が感じている感覚や、自分の周りで起こっていることの全ては別に何かのための手段じゃない。目に見えるものや聞こえる音や肌で感じるもの、それらは例えば、「人生」「役割」「夢」「目標」「意義」「発展」・・・・とかっていう「立派!」な物事を実現するための道具ではなくて、それ自体が意味なんだ。

「社会」とか「文化」とか「文明」とかって、人間が作った意味の世界・物差しのある世界・方向性のある世界観はただの物語の一つにすぎず、そんな中で人生ゲームみたいに、ロールプレイングゲームみたいに、ゴールに向かって進んでいくことだけが生きるってことじゃない。

「社会的!」に認められるような意味を求める前に、自分が感じている感覚そのものを、体験そのものを大切にしてみよう。

例えば・・・
裸足で森の中を歩いてみる
例えば裸で海や川に入ってみる(気をつけて!いろんな意味で 笑)
素手で土に触ってみる
気を抱きしめてみる
名前も知らない草花の匂いを嗅いでみる

全然言葉で伝えられる自信がないけど(汗)、「意味」以前の感覚・体験・意識の世界ってすごい豊かだと思う。それを感じていることに気付こうともせずに、気づいていても感じようともせずに、つい、意味とか目標とか社会とかってやつに向かってしまいがちだけど。




言葉も 意味も自分の名前も人や社会との関係も全部忘れて
自分が「日本人」だとか「人間」だとか「動物」だとか思わずに
ここが「日本」だとか「地球」だとか「宇宙」だとかって区切らずに
何者でもない自分でこの世界に向き合ってみよう








感じていることを
ただ感じてみよう








なんの道しるべもなくて
どんなゴールもなくて
右も左も上も下もない

自由すぎてとても不安だけど
不安から目をそらして意味を無理やり求めるよりも僕はいいかな

感じることの全て
周りにあるもの全て
起こることの全て

関わり合うものの全てと
感じあって、反応しあって生きて行く



そんな風に僕は生きていきたいです

机の上に広げた地図の上で生きるのか自分の体の感覚から始まる体験の中で生きるのか

2020-07-30 11:54:21 | homo - 人間
机の上に地図を広げれば平坦な世界の上に名前や国境で区切られた世界が頭の中に自分の中にも広がる

地球儀を掲げれば丸い球体の上に海や山や砂漠や都市で埋め尽くされる世界が自分の中に広がる

目を瞑ってみたら、なんか音が聞こえたり、頭が痒く感じたり、足が痺れてるなーって感じたり、お腹が減ったり、なんか香ってきたり。。。。
感覚や感情や思念で満たされた世界が広がる

・・・・・・

なんて言葉で区切って積み上げたり築きあげたり連ねたりした世界を今日も窮屈に生きていたりする

こともあれば

頭空っぽになってただ

ただ

生きていることもできる

素肌で感じる

2020-07-17 15:21:23 | homo - 人間
裸足で、森の中を歩きまわったり
素手で、庭で土や枯れ葉を触って作業したり
雨が降ってても、傘を刺さず、ヤッケも着ず、薄着で、雨も風もそのまま感じる

そうすると
今まで心配してたこと、怖がってたこと

汚れる
汚す
濡れる
風邪をひく
お腹を壊す
怪我をする
虫に刺される

などなど・・・・・




気にならなくなってきた

時々は怪我もするし、風邪も引くし、お腹も壊すだろうけど
虫にはしょっちゅう刺されるけれど


「大丈夫」

って思える

変化や、わからないもの、わからないことに対してもm

何かは起こるだろう
何かは変わるだろう
困るかもしれない

でも

大丈夫

その時、対処すればいいし
その時、対処しなくてもいい

虫に刺されないように注意して生きるよりも
ふわーっと自由に生きて時々虫に刺されて
痒いなー、痛いなー、
って方が
楽だ

足の爪の間に泥が入り込んだり
服がびしょびしょで泥だらけになったり
顔に土とか枯葉とか小さい虫とががいっぱいついてたり
もちろん蜘蛛の巣塗れ

でも大丈夫

意外と大丈夫
自分の中に変なルールをたくさん作って
窮屈になってただけだ

決まりはない
枠はない
行き先はない
意味はない

意味がないことは悲しいことや虚しいことではない

自由だということだ

何か感じていることがあるならばそれがまあ
意味だし

何も感じていないならばそれもまあ
意味だし

今を生きていて
感じることとの全てや
感じないことの全てが
まあ
意味だろう


そんなことはどうでもいいんだ!!!!!!!

自分は鯨だと思えば良い

2020-07-05 14:08:09 | homo - 人間
何も持っていなくても良い
何も心配しなくても良い
ただ息を吸って吐いて
食べて
眠って
ただ生きていれば良い

世の中で生きるのが辛かったら
社会生活をこなすのが苦しかったら

自分は鯨だと思えば良い
鯨はだって
何も持ってないだろう
お金も道具も何も持っていないだろう

生きていけるかもしれないし
死んでしまうかもしれないけれど
心配するよりは楽なんじゃないか
幸せなんじゃないか
いつか困ってしまうことよりも
困ることを心配するほうが辛いんじゃないか
困ったら困れば良い

多分大丈夫じゃないかな
何も持っていかなくて良い
何も心配しなくて良い
ただ、出かければ良い
何者でなくても良い

鳥だって、虫だって、獣だって
みんな自由に生きている
それは「自由」なんて言葉と違うかもしれないけれど
何者でなくても良いんだ
生きていれば良いんだ

自分は鯨だと思えば良い