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"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

【言葉と共感】

2020-06-08 20:19:08 | homo - 人間
人間ってどうも自分と同じ言語を話す相手に対しては
自分と同じ世界観や主観を持ってい者として共感し尊重できるけど、
自分と異なる言語を話すものやそもそも言語を話さないものに対しては
共感・尊重できない(し辛い)ようになってる気がする

今まで言葉を何も発しなかった自閉症児がある日、突然流暢にコミュニケーションを取れるようになったら、周りの人々は今までよりも多分ずっとずっとその子のことを尊重する。今までだって、その子の気持ちを想像しようとか理解しようとか努力してきたかもしれないけど、答えを確かめられないものっって、どこまで考えればいいのかわからない。言葉を話しても話さなくても、大人は子供を、強者は弱者を抑圧するけど、支配するけど。

話さない者たちの心や意思や感覚や主観は無視されがち

割といつも自分のことだけで精一杯
だから
他人の感性なんて
他者の主観なんて
そんなものわからない方が楽だろう

動物たちがもしも人間と同じ言葉を話したとしたら、動物実験とか家畜とかペットとか、そういうものもしかしたらはなくなるかな。
なくなんないかな。

言葉を話し合う人間同士でも虐待あるな


鯨の代弁をしてくれる人(代弁しようとしてくれる人、だって確かめられないもの。同じ言語を話す人間同士だって誤解だらけ、思い込みだらけ)
犬の代弁をしてくれる人
蚊やゴキブリの代弁をしてくれる人はいますか?
コモドドラゴンやムカデやなめくじの代弁をしてくれる人はいますか?

今ここで感じていることが私の感じていることの全て

明日のことは
明日のわたしは、もうそれはわたしのことではないし
明日の彼も、明日の彼女もそれもわたしのことではないし
どうせどれもわたしのことではないんだから
「明日のわたし」なんてそんなどこにもない者のことばかり心配するのはやめて
全部対等、等価
今のわたしは今で終わり
わたしは今で終わり
後は、みんな、等価

【命の重みとか、迷惑とか、の話】

2020-06-05 20:47:25 | homo - 人間
Tシャツとジーンズで富士山に登ろうとする青年がいると、周りの大人たちは「遭難したらどうするんだ!?」「迷惑だからやめなさい」とかって言う。

だけどその様にして、止めることは、その青年にとってまさに迷惑じゃないのかな。

命の重み、というのは、同じではない。
国や地域によっても違う(自然環境、労働環境などが変われば、失命リスクも変わる)し、
個人個人違うはずだ。
「死なないように生きる」ことと、「好きなことをやって生きること」その
折り合いの付け方は人それぞれ、のはずだけど、
日本では、「死なないことを最優先にする」命の重さを全員が強要されてるみたい。
命に限らず、行動倫理とか、公共の利益とか、大事なのは間違いないが、
なんだろう、「みんな同じ」に振る舞うこと、「他人に迷惑をかけないこと」、
そのようなことが異様に大事にされている。
それは、「自由!」な人にとっては、それこそが大迷惑な話、だ。
でも、出る杭を打つのが、日本の社会?
それで、今までうまくやってきた?

事なかれ

地球外の知的生命体 と 地球上の(知的)生命体

2020-06-03 10:30:47 | homo - 人間
地球の上に蔑ろにされ続けている「知的な生命体」及びあらゆる生命体
動植物

医学や生物学の実験でモノのように扱われる。
「グルメ」というなの酔狂のために無理やり食料を詰め込まれる「家畜」たち。
毒ガス・毒餌で虐殺される昆虫たち。

地球上ですでに「知的」生命体にもそうでない生命体にも出会い続けている。
そして、無視し続け、虐げ続けている。

地球外知的生命体とのコンタクト。

でもその前に、地球上の生命体を虐待・虐殺し続けている現状が改善しなければ
怖くて、宇宙人も地球にやって来られないよね。

「人生の意味」

2020-06-01 10:25:14 | homo - 人間
僕は人生に意味はないと思っています。これはネガティブなことではなくて、意味はないけど生きてることは素晴らしいと思っている。何が素晴らしいかというと、生きてる、ことがです。感じること。例えば息を吸ってお腹が膨らむときの感じとか、風が肌を触る感触とか、冷たい水の冷たさとか、あったかいお風呂のあったかさとか、ミントの香りとか、鳥の鳴き声とか。あと色んな感情や心持ち。つまりなんでも良いけど、今感じているものを感じること。

「生きがい」とか「夢」とかを追い求めることを勿論否定しないけど、俺にはそれは「人生ゲーム」とかロールプレイングゲームみたいな、ゲームをプレイする楽しさに近く感じちゃう。無理して「夢」を見つけて、その夢のために一生懸命走るのとか、え?ってなっちゃう。だって折角今、目の前にもう、素晴らしい世界が広がってて、空気がこんなに美味しいのに、ミントがこんなにいい匂いなのに(笑)、もっと強い刺激欲しい?なんか、覚醒剤にハマってるみたい。「社会的!」に「正しい」とされている基準に従って、自分の物差しもな育成に偉そうに他人を測ったりさばいたりする、ような風潮?一部の人だけかな、そうでもないかな、どうにかならんかな(俺も人のこと言えん。。。)。なんてこんなことは、平和に暮らせているから感じるんだろうなー。平和に暮らせていない人々のために、命がけで働く人々のその仕事は素晴らしいなー。あるいは、動物とか植物のために働く仕事。「ペットと仲良く」とか「家畜が家族」みたいなのじゃなくて、想像できないけど、実体験できないけど、動物の主観・「我」を、人が人を尊重するように尊重すること。人間の正しさや博愛の押し付けじゃなくて。

新しい見方を見つけるのって驚嘆で快感

2020-05-30 18:30:34 | homo - 人間
わりと最近まで勘違いしてたことは(もちろん今もたくさん勘違いしてる)、この体の感覚は自分の体そのものだと思ってたこと。右手を握ったこの感触、ここにまさに右手があると思ってたけど、それは右手そのものではなくて、その体験なんだよね。脳で起こってること。時間も空間も自分の体験も全部脳で起こってる体験(体験の外の世界がない、とは言ってない)。それが自分の体感できる全てなんだから、まあそれが世界そのものっていっていいけど。物質的な意味?で実在する世界は人間の言葉や体感では表現できないし。なんで人、というか、「我」とは思わない動物も含めて意識・体験の主の数だけ世界はあるので、それで1次元、てことはさておき。

なんで、この肉体なり自分を取り巻く環境なり脳なりを自分で制御し切れてないのだから、それら作り出す体験が世界にどんなフィルターを、感覚的にも感情的にもかけてくれてるのか分からないので、自分の感情が「正当」だったり「公正」だったり思わないようにしたいけど。自分の怒りや自分にとって都合の良いことを「正しい」って感じがちだから。

こういう、勘違いに気付いて新しいものの見方を発見して驚愕するのが楽しいのでテツガク、というか考えることが好きなんでしょう。