自分のことを大事にしすぎると窮屈になるかも「幸せにならなきゃ」「有用にならなきゃ」「安全でいなきゃ」・・・などなど。人類のことを大事にしすぎても同じように窮屈になるかも。「大事にする」ということは、逆に他者も含めて、すべての生き物や地球・宇宙も含めて、全体的に幸せ、みんなが幸せならいいや、って思えたほうが楽かもしれない。無理してるんじゃない、その方が本当に簡単で開放的。自由。「自分が死なないこと」にこだわるよりも、地球の命が豊かに循環して巡り行く姿の壮大さや美しさ奔放さを感じている方が楽しい。その方が「大事にする」をしてるかも。
殺虫剤・農薬・ホウ酸団子・・・・・地球は繋がってる一つだと思うけど、土・空気・水・・・・自分が体に入れる水・食べ物・空気はこの地球の生態系からやってくる。そのひと繋がりの一つを自分で汚染しまくっている。俺は時々怖いけど。その辺に生えている野草をなんの憂いもなくたべたいじゃん。誰かが殺虫剤をまいたかも、なんて心配せずに。誰かが何処かで道端に捨てた乾電池とか変な液体とかガスとか、そういうものが土を巡って空気を巡って自分のところに戻ってくると思ったら、怖いじゃん。
すべてのものは ひとつのエネルギー、つまり同じものから出来ている、とは思いつつも。だから心をいつも元気に健康にしていたいけど。
目の前に現れた敵を、即効性のある「除菌スプレー」「洗剤」とかで消滅(?)させるよりも、受け入れて混じり合って変化していった方が楽しかったりして。
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人間は便利さ快適さを求めて自然をコントロール、いやコントロールなんて出来ていない、ただ形を歪めまくって、無理やりに快適な生活空間・都市空間を作りまくっている。そんな人間は衰退するなり絶滅するなりしたほうが地球全体にとっては幸せだとしたら悲しい?正直あまり悲しくもない。どの生命も各々それ自体が「自分自身」「我」であるし、今を生きる主体・意識・感覚・・・・だと思う。
等価!!
だと思うのです。
時間軸をみても同じこと。
十年前の自分・今日の自分・十年後の自分、それぞれに「今を生きる我」である。その瞬間に完結する生命の燃焼・現象かな。体験は完結しつつも、この社会においては「濱口悠介」で識別される生物個体をとおしてつながってる、他の生き物ともつながってる。
と言いつつ、各々の生物種が個体が「己の利益!」だけを純粋に追い求めてみても、それで「自然と!」ばらんす・循環が保たれてきたのがこの生態系かもしれない、と、思ったりもする。
殺虫剤・農薬・ホウ酸団子・・・・・地球は繋がってる一つだと思うけど、土・空気・水・・・・自分が体に入れる水・食べ物・空気はこの地球の生態系からやってくる。そのひと繋がりの一つを自分で汚染しまくっている。俺は時々怖いけど。その辺に生えている野草をなんの憂いもなくたべたいじゃん。誰かが殺虫剤をまいたかも、なんて心配せずに。誰かが何処かで道端に捨てた乾電池とか変な液体とかガスとか、そういうものが土を巡って空気を巡って自分のところに戻ってくると思ったら、怖いじゃん。
すべてのものは ひとつのエネルギー、つまり同じものから出来ている、とは思いつつも。だから心をいつも元気に健康にしていたいけど。
目の前に現れた敵を、即効性のある「除菌スプレー」「洗剤」とかで消滅(?)させるよりも、受け入れて混じり合って変化していった方が楽しかったりして。
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人間は便利さ快適さを求めて自然をコントロール、いやコントロールなんて出来ていない、ただ形を歪めまくって、無理やりに快適な生活空間・都市空間を作りまくっている。そんな人間は衰退するなり絶滅するなりしたほうが地球全体にとっては幸せだとしたら悲しい?正直あまり悲しくもない。どの生命も各々それ自体が「自分自身」「我」であるし、今を生きる主体・意識・感覚・・・・だと思う。
等価!!
だと思うのです。
時間軸をみても同じこと。
十年前の自分・今日の自分・十年後の自分、それぞれに「今を生きる我」である。その瞬間に完結する生命の燃焼・現象かな。体験は完結しつつも、この社会においては「濱口悠介」で識別される生物個体をとおしてつながってる、他の生き物ともつながってる。
と言いつつ、各々の生物種が個体が「己の利益!」だけを純粋に追い求めてみても、それで「自然と!」ばらんす・循環が保たれてきたのがこの生態系かもしれない、と、思ったりもする。
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