今回で第3回目
今回は石岡方面の遺跡(愛宕山古墳、舟塚山古墳、常陸国府跡、
府中城陣屋跡、常陸国分寺跡と常陸国分寺尼寺跡)を散策した
「愛宕山古墳」と「舟塚山古墳」はすぐそばで
特に舟塚山古墳は県内最大の前方後円墳
全長は186m、幅99mで高さは11m
仁徳天皇陵と同じような特徴を持ち、6世紀のものと推定
できるとのこと
「常陸国府跡」は現在は石岡小学校の敷地
校庭では国庁跡の発掘調査が行われたが、現在は埋め戻され
その姿を見ることはできない
また、ここはその敷地は府中城として使われた
その後、すぐ脇の総社宮を散策
その後は郊外の「ふれあいの里 石岡」で昼食
食後は近くの「風土記の丘」を散策
市内の戻り、「常陸国分寺跡」へ
常陸国分寺は天平勝宝4年(752)の完成と言われていて
残念ながら何度かの焼失により建物は残っていない
江戸時代に真言宗の寺として現在に至っている
次に府中小学校脇の「常陸国分寺尼寺跡」へ
常陸国分寺尼寺は発掘調査の結果、一辺が164mの
四方形で、当時は南大門、中門、金堂、講堂などの
礎石が残っている
国分寺とともに天正18年(1590)に焼失したと
伝えられている
近くにいても講師の方の説明を聞きながら
ゆっくりと散策することがなかったので
また新たに歴史を実感した一日でした
今回は石岡方面の遺跡(愛宕山古墳、舟塚山古墳、常陸国府跡、
府中城陣屋跡、常陸国分寺跡と常陸国分寺尼寺跡)を散策した
「愛宕山古墳」と「舟塚山古墳」はすぐそばで
特に舟塚山古墳は県内最大の前方後円墳
全長は186m、幅99mで高さは11m
仁徳天皇陵と同じような特徴を持ち、6世紀のものと推定
できるとのこと
「常陸国府跡」は現在は石岡小学校の敷地
校庭では国庁跡の発掘調査が行われたが、現在は埋め戻され
その姿を見ることはできない
また、ここはその敷地は府中城として使われた
その後、すぐ脇の総社宮を散策
その後は郊外の「ふれあいの里 石岡」で昼食
食後は近くの「風土記の丘」を散策
市内の戻り、「常陸国分寺跡」へ
常陸国分寺は天平勝宝4年(752)の完成と言われていて
残念ながら何度かの焼失により建物は残っていない
江戸時代に真言宗の寺として現在に至っている
次に府中小学校脇の「常陸国分寺尼寺跡」へ
常陸国分寺尼寺は発掘調査の結果、一辺が164mの
四方形で、当時は南大門、中門、金堂、講堂などの
礎石が残っている
国分寺とともに天正18年(1590)に焼失したと
伝えられている
近くにいても講師の方の説明を聞きながら
ゆっくりと散策することがなかったので
また新たに歴史を実感した一日でした