加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



帰厚橋横にバス通りに上がる階段がある、ここを登ると正面に日差しが差し込む明るい木立がありそこに金沢の三文豪の一人・泉鏡花の文学碑。登り口の脇にひっそりと建っている。

この碑には、幼い頃母を失った鏡花の心情が伝わる「はゝこひし 夕山桜 峰の松」の句が刻まれている。

またその横手には、意識してか目立たないように「比翼塚」が佇む。

車で卯辰山を巡ったのではなかなかここまでは見ることができないので、花ショウブを見た後にでも立ち寄っては!

橋の上から浅野川方面を見る、

木々が生い茂り浅野川を見ることはできない。

坂の登り口で見かけた花々 

アジサイ、ドクダミ 二枚目のアジサイには墨田の花火(アジサイ)と札がついていました。これらは誰が植えたのか、ほかにも多くの花々が植えてありましす。



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卯辰山花菖蒲園に登る道は幾本もある、わたくしはよく帰厚坂を利用する。

天神橋を渡り50メートル程度登ると左手に坂道が見えてくる、これが帰厚坂だ。坂右手には道標がありそれには

”十四代の藩侯前田慶寧が卯辰山を開発する時に造られた坂で、「藩主の厚き徳に帰する意味で」、帰厚坂と名付けられたとある。”

卯辰山の開発は慶応三年、今から百二十六年前(出版当時現在では百五十六年前)に始められ、わずか数年で中止された。ようだ。

卯辰山と浅野川 平澤 一発行より引用

帰厚坂は、昔は樹木が生い茂り、人も通らぬ深谷であった。坂は途中の陸橋までの下の坂と、そこから新観音坂との合流点までの最も急な中の坂と、合流点から紅葉谷までの上の坂の三つに分かれる。‥‥

 

帰厚坂を実に的確に表現している

 
陸橋までの下の坂、坂右手の道標

 

左;新観音坂との合流点までの最も急な中の坂、陸橋を過ぎた地点から撮影
右;新観音坂との分岐点より下方を撮影


新観音坂との合流点


新観音坂との合流点より上方を見る


登りつくとバス通りに出る正面が花菖蒲園だ。

ここは、紅葉谷ともいわれる所で菖蒲園奥には紅葉が生い茂る。今は青紅葉が目を癒してくれる。

菖蒲、アジサイは6月4日とくらべると、ずいぶんと開花したような気がする。

帰厚坂の写真は6月4日、菖蒲園の写真は6月7日撮影

帰りも帰厚坂を下る、陸橋下から眺望が開ける。



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