加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



金名橋」(北鉄 手取川橋梁跡)

その昔、電車が走った軌道橋梁(手取川橋梁)が架けられていた場所に新たに懸けられた橋梁「金名橋」として現在、手取キャニオンロード自転車歩行者専用道路として利用されている。

架橋にかかる部材のほとんどがかつて金沢の犀川に架けられていた御影大橋の鋼材が使用されている。

かつて幾度となく渡った橋がこんな形で利用されているとは驚きだ、それにもっと驚いたのは、加賀一の宮から石川郡鳥越村河原山(現在の白山市河原山町)に電車が走っていたことだ。1984年(昭和59年)休止、1987年廃線と言うことだから金名線が運行しているときに加賀一の宮まで乗車した記憶がある。それなのに、今日まで知らなかった。石川県民なのに能登と、加賀のこの温度差は何なのだろうか。

穴水ー蛸島間が廃線になるときには最終日間際には乗りに行ったのに・・・・・。

話題がずれてしまったようだ。

 
左:下流側を見る、下流にかかる橋は鳥越大橋、右:上流側、橋は広瀬大橋


左岸側の岩に丸くあいた穴は、ポットホールだろうか?

 

「広瀬大橋」

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「福岡橋」


福岡橋より下流を望む


上流側下流側とは対照的なゆったり流れる淵だが右先には瀬があり流れが速くなっている

「江津橋」(ごうづばし)

新旧日本の橋が架かる江津橋、普通はしと濁点を打たないそうだがこの橋は濁点がいっぱい。

旧江津橋は昭和29(1954)年架橋、同38(1963)年に修復、架橋からもはや70年近い歳月がたつがいまだに健在だ。

新江津橋は昭和50 (1975) 年架橋、20年の間に技術が進歩したというのか、シンプルンにして工事金額を抑えた架橋なのだろうか。少し味気ない気がする。これも時代の流れなのだろうか。

下流側に目を向けると大きな岩が浸食に耐えて残っている。これがめおと岩と呼ばれている。ちなみに日本の岩の下流に浸食された丈の低い岩が見えるが、めおと岩も同じように浸食されていくのだろうか。

橋の上流には左岸方向から大日川が流れ込んでいる。(源の大日山は石川県と福井県の県境にあり、手取川との合流地点までの総延長は34.9kmの清流)


大日川


新神津橋より上流側を望む

この辺りは河床までそれほど高さもなく、橋の袂から容易に降りることができる。

浅瀬もあったりして、子どもたちなら喜んで川遊びをすることだろう。

なかなか先に進まない。それにもう一つ魅力的な、大日川が加わってしまった。まだまだ手取川水の旅は続きそうだ・・・・・。



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