今日 1月11日は一粒万倍日、天赦日と甲子が重なる最強開運日ですが・・・
奈良は冷たい雨の一日、午前6時にはシャッターが開いているのだが暗く、
窓をたたく雨音で目覚めれば7時前、はやくも雨が降り出したようだ。
だが8時半ごろ一旦小止みになり、東の春日奥山が顔を出す。
8時半、7.2℃、83%
程なくしてまた冷たい雨が降り出せば、午後2時までの降水量は8.5㎜に。
雨雲が四国などに残っており、夜までには上がるらしい。
二つの低気圧は急速に発達し、東北・北海道は荒れた天候に注意が必要です。
そして日本列島には明日から一段と強い寒気が南下して、週末まで続き、
日本海側から北海道には、またしても豪雪・暴風雪の予報も。
例年より多い雪、こう続くと雪掻きは本当につらいですね。
昨年末の松阪小旅行の経路です。
松阪駅=旧伊勢街道(本居宣長からくり人形)=(和田金)=岡寺山継松寺
=三井家発祥地=旧小津清左衛門家(松阪商人の館)=阪内川=(牛銀)=
旧長谷川治郎兵衛家=松阪城跡へ、小津安二郎松阪記念館=天守閣跡
=(本居宣長記念館)=昼食「松燈庵」=御城番屋敷=原田二郎旧宅=
柳屋奉善(買物)=虎屋ういろ松阪店(買物)=松阪駅
=三井家発祥地=旧小津清左衛門家(松阪商人の館)=阪内川=(牛銀)=
旧長谷川治郎兵衛家=松阪城跡へ、小津安二郎松阪記念館=天守閣跡
=(本居宣長記念館)=昼食「松燈庵」=御城番屋敷=原田二郎旧宅=
柳屋奉善(買物)=虎屋ういろ松阪店(買物)=松阪駅
駅からの道を右折して、よいほモール。旧伊勢街道を北へ歩けば、
趣のある建物に、座敷で昼食をご用意できますと。「鯛屋旅館」さんです。
歩道に電話ボックスと思えば「本居宣長からくり人形」でした。
直ぐに駄菓子屋さん「あいや」さん、手作りの駄菓子だそうです。
和菓子屋さん「㈱柳屋奉善」、お土産を買ったので省く。
そして周りにいくつも駐車場のある「和田金」のビル、粘ったが口に入らず。
脇道に「継松寺」との案内板があり、知らずに入り込む。
脇道の途中、住宅の並びに現れたのは「普賢院」真言宗醍醐派です。
普賢菩薩さまに手を合わせて進めば・・・
日本最初の厄除観音の霊場『岡寺山継松寺』高野山 真言宗が現れる。
寺伝では、天平15年(743年)に42歳の厄年の聖武天皇の勅願で、「行基」が
「如意輪観音」を本尊として飯高郡石津郷(松阪市石津町)に創建された。
天平勝宝2年(750年)に大洪水で堂宇や本尊が流出し、二見浦の三津五郎右衛門
が海中でご本尊を見つけた。三津五郎右衛門は出家し「継松法師」と名乗り
寺を再興したとされ、この「継松法師」の法号が、寺号の由来です。
1612年に現地に移設されている。
真ん中にある「銅香炉」総高194cmは小津家の当主が安永六年(1777)に
寄進されたもので、銘文は書家韓天寿が書いている。
よく見ておけばよかったと、旧小津清左衛門家(松阪商人の館)を見て悔いた。
境内では、おばあ様二人が掃除をされているだけ。
おはようございます。ご苦労様ですね。と挨拶すると・・・、
今朝の寒さで「キタキチョウ」が亡くなっていたと見せてくれました。
見ていると、ぴくぴくと尾が動き、仮死状態から陽の光で動き出したよう、
日の当たる「クチナシ」の木に置いてあげればとお願いし、移してもらった。
本堂拝殿中央(寺号・木庵書)、障子越しに本尊「如意輪観音」さんに手を
右側には、受付があり厄除け祈祷などの受付がされるようだ。
左には三面大黒天さんがおられます。
何も知らずに、訪れましたが、古刹で静かな雰囲気に心が癒されました。