カメラを片手に

大渕公園入口の門松

Xmasの朝は5.4℃と暖かく東を見れば靄の中、低気圧の通過に伴う南から
湿暖な大気が入ったのが原因、雲の多い一日だが最高気温は10.2℃に。
風もなく和室の大掃除を始めた連れ合いにつられて、玄関周りの大掃除を
晴れ間の見えた11時から2時間、脚立の立てば怖さで足が震える年になり、
恐る恐るの作業で時間ばかりかかり、はかどらずに疲れだけが・・・。
                                14時
昨日午前中は「大渕池公園」の東地区付近でバードウォッチング、その
大渕池公園は昭和47年度の都市計画に基づく県設置の公園で、奈良市西部の
自然林と秋篠川の源流の一つの大渕池を中心として、東西2地区の計23.5haに
体育館、テニスコートと運動場を除き無料で、展望台や芝生の広場に遊具も
設置され、豊かな緑と水の公園として県民の憩いの場となっている。
      

訪れたのは12月24日の午前9時10分、もう小学生が数人遊具で遊んでいた。
奈良市は12月23日が終業式でした。

さて訪れた大渕池公園東地区の入り口、両サイドに既にお正月の松飾
いわゆる『門松』が置かれている。
門松は毎年お正月に来られる豊作や幸せをもたらす神様「年神様」が迷うこと
なく家に来ていただける目印や依り代として家の門の前などに立てられる松や
竹を用いた正月飾りのこと。


関西ではそで切り(斜め切)の3本組の竹(7:5:3)を中心に、前面に葉牡丹(写真では右は紅で、左が白)、後方に長めの若松を添え、下部は竹で巻いて梅老木、南天、熊笹やユズリハが添えられている。
      左側

古代中国でも「松」は常緑で生命力を現し、不老長寿、繁栄の象徴 ともされ
る」に通じるともされ、門に飾る風習が伝わった平安時代の貴族の遊び
初子の日の小松引き」があり、抜いた根付きの小松を門に飾ったことから
変化したと考えられている。

文学に登場するのは平安時代後期の『堀河百首』に藤原顕季が詠む
門松をいとなみたてるそのほどに春明がたに夜や成ぬらん」 

それよりも私にとっては、年を重ねると
室町時代の僧「一休宗純」の狂歌?が・・・
門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

ひっそりと咲く「寒ボケ」の赤い花が印象的でした。
     

ボケずにいつまで脚立に昇れるものでしょうか。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

mn1944
毎年必ず、お手製の角松絵をくださる方がおられます。
我が家には門柱が無いので、玄関ドアの左右にセロテープで貼ってます。
それだけでもキュッと身の引き締まる思いがします。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「花日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事