カメラを片手に

②葉桜の吉野山、金峯山寺蔵王堂へ

15.8℃と少し冷っとした奈良の朝、6時に開いたシャッターで東窓からの日差
しと、明けておいた窓からの冷気で起こされるも、布団にもぐり込む始末。
規則正しい生活が健康のもと、我が一日の始まりは血圧測定からです。
朝のうち順調に気温が上がるも、昼過ぎ25.0℃から空気が冷たく感じる。
予報によれば今後上空に寒気が入り不安定な天候で突風や雷に注意が必要で、
さらに黄砂まで飛来するらしい。
マスクなしで庭に出ていると鼻水が・・・私にはもう来ているのでは思える。
     11時

明日の夜、東の春日奥山の上空、東南東から南東で今年一番大きな月、所謂
赤銅色の「レッドスパームーン」と「皆既月食」の天体ショーがある。
午後7時前「月出帯食」という欠けた月が昇り、午後8時9分から20分間の皆既
月食に。晴れてくれればよいのだが・・・
天候は西から下り坂で曇りの予報、次回は13年後、先のことはわからないが、
気持ちだけは強く持ちたいもの。

国を率いる指導者の言葉は礎そのもの。(わが日本は・・・)
というのも60年前の今日(1961年)、JFケネディ米大統領がアポロ計画で
10年以内に人間を月に到達させる」と声明した日です。
1969年7月20日にはアポロ11号で月面着陸を成し遂げましたね。

その月は地球の衛星ですが、地球は太陽系の惑星の一つです。
1935年の今日、7曲から成る大管弦楽のための組曲『惑星』を作曲した
イギリスの「グスターヴ・ホルスト」が享年60歳で亡くなっている。

なお「木星」第4主題は作者自身によって管弦楽付きコラールに改作編曲され
我は汝に誓う、我が祖国よ」英の愛国歌やイングランド国教会の聖歌に。

日本では「平原綾香」のデビュー曲『Jupiter』2003.12.17、吉元由美さんが
歌詞をつけられている。

私的に惑星は、新型コロナワクチン大阪の大規模接種会場・国際会議場グラン
キューブ大阪の横、リーガロイヤルホテル大阪・ショコラブティック レクラ
の「惑星ショコラ」を思い出しますね。
      HPより

話は変わって、昨日からは吉野山の話でしたね。
吉野駅を11時半に出発して3分で、青モミジの中に入れば「千本口」という
ロープウェイの駅があり、日本最古のケーブルカーで高低差103m、吉野山駅
との間を3分(大人450円)で結んでいる。


「下の千本」と呼ばれる一帯を桜を見ながらケーブルで上がるのも一興だが、
ケーブル横を抜け、七曲りという車道をショートカットして急坂を上ります。
葉桜で慰めは、西行法師の歌とスミレや、ヘビイチゴ、ユキノシタの花々も。
花を見し昔の心あらためて 吉野の里に住まんとぞ思う』西行法師
       

吉野山の入る最初の幣掛神社(シデカケジンジャ)、ここで身を浄めて入山すると。
大輪の一重と花弁6~8枚の花が同時に咲く桜で「御車返し」、幣掛桜と呼ぶ。
幣掛の花やまことの御神木』直房
      

途中息が切れるが葉が白くなった木、ヤマボウシではなく『マタタビ』が目に
      

最後に高野街道や伊勢街道への分かれ道の前の地蔵様の前に出られた。
      

蔵王堂へと上がる道に突如、朱色の「大橋」が現れる。この橋にまつわる話は
700年前、大塔宮護良親王が鎌倉幕府討幕のため、吉野山で挙兵された。
ここを城の堀として、一万の敵の軍勢を3000人で一週間持ちこたえたが・・
蔵王堂前で落城前の最後の宴会を開かれ、高野山へ落ち延びられたと。
その後鎌倉幕府を倒幕も足利尊氏の勢力に負け、鎌倉流罪の後28歳で殺害に。
      

ロープウェイ吉野山駅を過ぎて上がれば、金峯山寺の総門『黒門』で高麗門
様式で、公家大名でも槍を伏せ馬を下りて通ったとされる。
      

土産物店前を行けば、石段の上に重要文化財の『銅の鳥居』、帽子を取り通る
というのも山上ヶ岳までの間に発心・修行・等覚・妙覚の四門があり、これが
最初の門の「発心門」に当たります。
      

目の前の石段の上に現れたのは吉野山で一番古い国宝の『仁王門』は閉まる。
仁王門は縦走入母屋造り、高さ20.3m。左右の檜材の寄せ木造の「仁王像」
(重文)は日本で二番目の大きさは、現在解体修理中で令和10年に出来上がる。
現在は「奈良国立博物館・なら仏像館」でお会いできますよ。

ぐるっと回り込み、南から世界遺産の一つ「金剛峯寺(キンプセンジ)蔵王堂」へ
      

石柵内は四方桜と「銅燈籠」重文は文明3年(14719)の作があるが、大塔宮
が吉野落城の際の酒宴の席を現すと・・・。

吉野山のシンボルで“金のみたけ”という修験道の総本山の『金峯山寺』ですが
創立年代は不明、役行者が金峯山を開き平安時代に聖宝理源大師が蔵王権現像を安置したといわれている。
国宝「蔵王堂」1592年に再建され正面5間、側面6間、四方36m、高さ34m、
単層裳階付入母屋造りの檜皮葺き。東大寺大仏殿に次ぐ木造建築で、松や
チャンチン(ツツジの1種)など自然木を素材のまま使った柱68本が林立するさ
まは豪壮、よく見れば絵や字が書かれていた。

堂内の内陣は2本の金箔張りの化粧柱や須弥壇は太閤秀吉が花見の際に寄進さ
れた桃山様式、その中に、魔を破る、青き異形の秘仏「蔵王権現立像」重文の
3体がおられる。中尊は7・28m、向かって右側6・15m、左側5・92m大。
インドに起源をもたない日本独自の仏様で、究極不滅の真理を体現し、あらゆ
るものを司る王が権(かり)の姿で現れた神仏とされ、国土安穏、鎮護国家、
悪魔降伏、三世救済の御仏です。
ご本尊特別ご開帳(1600円)は5月5日に終わった後、次回は秋の予定です。
      吉野町のHPより

今回は800円で入堂すれば、アルコール消毒と体温測定をして内陣の回りには
重要文化財の「木造童子立像」、「木造聖徳太子立像」、「金銅装笈」、
「梵鐘」、「金銅五鈷鈴」、「木造釈迦如来坐像」・・・、もちろん開祖
「役行者」像も拝観し、最後に内陣前でお祈りを捧げました。
      

直射日光で、暑い最中の12時50分には吉野水分神社に向け歩き始めた。
                       (次回に続く)

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