東の春日奥山は靄ってうっすらシルエットだけ、真夏の照り返しが堪えます。
10時前には30度を越え、今日も35℃越えの猛暑日になるのでしょうか。
同じような暑い75年前の広島、8時15分に原爆リトルボーイが投下されましたね。
同時刻に頭を垂れ、黙とうを捧げました。
今年で記帳されている死没者総数は32万4129人、
被爆者健康手帳を持つ被爆者は3月末時点で13万6682人(平均年齢は83.31歳)。
黒い雨も含めるべきなのに・・・高齢化がより一層進む。
核兵器は核兵器禁止条約(日本は未批准)がありながら総数は増えている。
今日の『原爆の日』平和記念式典でのこども代表の誓いを記す。 広島市HPより
平和への誓い
75年は草木も生えぬ。」と言われた広島の町。
75年が経った今、広島の町は、人々の活気に満ちあふれ、緑豊かな町になりました。
この町で、家族で笑い合い、友達と学校に行き、公園で遊ぶ。
気持ちよく明日を迎え、様々な人と会う。
当たり前の日常が広島の町には広がっています。
しかし、今年の春は違いました。
当たり前だと思っていた日常は、ウイルスの脅威によって奪われたのです。
当たり前の日常は、決して当たり前ではないことに気付かされました。
そして今、私たちはそれがどれほど幸せかを感じています。
75年前、一緒に笑い大切な人と過ごす日常が、奪われました。
昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。
目がくらむまぶしい光。耳にこびりつく大きな音。
人間が人間の姿を失い、無惨に焼け死んでいく。
町を包む魚が腐ったような何とも言い難い悪臭。
血に染まった無惨な光景の広島を、原子爆弾はつくったのです。
「あのようなことは二度と起きてはならない。」
広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます。
人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。
私たちの未来に、核兵器は必要ありません。
私たちは、互いに認め合う優しい心をもち続けます。
私たちは、相手の思いに寄り添い、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます。
被爆地広島で育つ私たちは、当時の人々があきらめずつないでくださった
希望を未来へとつないでいきます。
令和2年(2020年)8月6日 こども代表 広島市立安北小学校 6年 長倉 菜摘
広島市立矢野南小学校 6年 大森 駿佑
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平和を満喫させてもらっている戦後世代、申し訳ないが、話をうまく繋げることができない。
湯の山旅⑤、『アクアイグニス』のサーラ ビアンキ アル・ケッチァーノでディナーを
前回の湯の山旅はパラミタミュージアムで、戻れば午後5時前
今夜の宿は『アクアイグニス』内の宿泊棟で、キャッチコピーは
心なごむ木の廊下をぬけると、そこが宿泊棟
畳部屋でほっとしたい方に。8畳の和室を15室ご用意。HPより
宿泊者は営業中の好きな時間に温泉をご利用になれます。
まずはお風呂、片岡温泉で加水加温循環一切なしの源泉100%かけ流し、
微かに硫黄の香りと、ヌメリ感のある柔らかなアルカリ性の湯、すべすべになった後は
午後6時からのディナー『サーラ ビアンキ アル・ケッチァーノ』に。
「地産地消」を掲げる奥田政行シェフの本拠地山形鶴岡「アル・ケッチァーノ」には
5年前に伺っており、
弟子・鈴木信也の出来栄えは???そしてワインは3種お任せをお願いすると
San Giovanni Prosecco DOC Extra Dry (サン・ジョバンニ プロセッコ)
グレーラの葡萄を使ったヴェネト州、さっぱりした泡の後に甘みが・・・
・スイカ/生ハム
イサキ/ハーブ
パンはフォカッチャ
辛口白ワインがサーブされ、FIANO Salento IGT Wine
スズキ/オカヒジキ/ココナッツ
白身魚?記憶が/トマト/ミズナのパスタ
ピノ・ノワール種の辛口赤ワインはルイ・マックス ”オート・ヴァレ” (2018)
イタリアの赤と思いきや、フランスのラングドック地方
深みのあるレッドルビー色で、アロマが立ち上り、やや濃厚な味わい。
サルティンボッカ
チョコレート/フランボワーズ
コーヒー/紅茶
午後8時過ぎ、夜のとばりが・・・
もう一回、温泉に行くと、仕事を終えた若い方たちで賑やか、
今日は月曜日なのに、地域の社交場なのでしょうか。
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