一年の折り返しの日の最低気温が24.9℃とほぼ熱帯夜だった奈良、午前3時頃
網戸にしても生暖かい空気が・・・
扇風機を動かすも、睡眠の質が悪くなるばかりです。
10時、31.6℃、60%
ただこの酷暑(午後2時前に35.9℃)も今日まで、台風第4号(アイレー) が
日本列島横断コースを取るようで、来週は戻り梅雨らしく一息つきそうです。
7月2日9時、気象庁
672年の今日7月2日(新暦8月3日)、美濃に逃れた皇弟の大海人皇子(天武天皇)
が太子・大友皇子(追号:弘文天皇)に対し挙兵した。
軍勢を二手に分けて大和と近江に兵を送り、反乱者側の皇弟が勝利した古代
日本最大の内乱「壬申の乱」の始まりでした。
原因として「皇位継承紛争」と「白村江の敗戦」による近江宮遷都への不満
さらに「額田王をめぐる不和」が取り上げられている。(Wikipediaによる)
江戸時代の伴信友は『万葉集』に収録されている額田王の和歌の内容から、
額田王をめぐる争いが天智・天武間の不和の遠因ではないかと推察している
先日奈良市生涯学習センターの古典文学講座で「古代の山を詠む」を受講し
二回目が「大和三山」、このおり「額田王」に触れられていた。
講師は同志社大学 嘱託講師「中川明日佳」さんです。
専門は『万葉集』を中心とした日本上代文学。
「旅」という非日常の中で詠作された歌が持つ表現性について興味を持たれ
主に『万葉集』巻15に収められている遺新羅使人等歌群、及び狭野弟上娘子
と中臣宅守の贈答歌群について研究されている。
万葉集巻一・十三
中大兄 近江宮御宇天皇 三山歌 首
高山波 雲根火雄男志等 耳梨与 相諍競伎
神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曾
虚蝉毛 嬬乎 相格良思吉
香具山は 畝傍雄雄しと 耳梨と 相争ひき
神代より かくにあるらし 古も 然にあれこそ
うつせみも 妻を 争ふらしき
香具山は 畝傍山を雄々しく思って 耳成山と いさかった
神代の昔からして こうであるらしい 古も そうだったからこそ
今の世の人も 妻を 奪いあって争うらしい
この(大和)三山歌は、歌詞の解釈によって三山の性別が異なり、おおむね
A )香具山(女)が畝傍(男)を雄々しく思い親しかった耳梨(男)ともめる。
B)香具山(男)が畝傍(女)を「愛おし」と思って耳梨(男)と妻争いをする。
C)香具山(女)が畝傍(男)を雄々しいと思って耳梨(女)と男を取り合った。
天智天皇(中大兄皇子)と天武天皇(大海人皇子)の兄弟と「額田王」の
関係に当てはめて考えてみれば・・・・
A)か B)になるのではないでしょうかとの意見で、皆様はどちら
我は、額田王が香具山として、耳成山が天智天皇で、畝傍山は大海人皇子
*なお額田王は、最初に大海人皇子へと嫁ぎましたが、兄の中大兄皇子も彼女
の才能にほれ込み、自分の娘4人と引き換えに、妻に迎えたいと申し出る。
話は万葉集から5月5日、女性を交え野外行楽したときのこと
巻一・二十番、天皇(天智天皇)、蒲生野に遊狩する時に、額田王の作る歌
『あかねさす 紫草野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る』
意)紫草野を行き 標野を行って 野守が見ているでは
ありませんか あなたが袖をお振りになるのを」
*この恋は大っぴらになっており、知られていたことがわかる
巻一・二十一、皇太子の答える御歌
『紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも』
意)「紫草のように におうあなたを 憎いと思ったなら
人妻と知りながら 恋しく思いましょうか」
巻四・四八八番、額田王、近江天皇(天智天皇)を偲ひて作る歌一首
『君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし 秋の風吹く』
意)大君のお出ましを待って わたしが恋い慕っておりますと
わが家の戸のすだれを動かして 秋の風が吹いております」