カメラを片手に

秋篠寺にてお薬師様と伎芸天様にも

今朝も一桁代9.7℃の最低気温で良く晴れ渡りましたが、午後から雲が増え、
明日は雨と。周期的で典型的な秋の気候、良い季節になりました。
9時

先月、所用で秋篠の里を訪れたついでに寄った「秋篠寺」、家を出た時間が遅くなり、
時間がなく東門付近だけでしたが、萩の花が迎えてくれていましたね。

先週末も同じ所用があり、その前にと余裕を持って秋篠川沿いを進み、バス道


そして秋篠寺・東門に至ると、門の紅葉は少し進んだみたい。


この秋篠寺は、奈良時代末期776年、光仁天皇の勅願により薬師如来を御本尊として
法相宗僧正善珠大徳の開基になるが、次代桓武天皇に引き継がれ平安遷都時に七堂伽藍が
完成した。でも詳細は不明で、井上内親王と他戸親王の怨霊を鎮めるためともいわれており、
脇にある元鎮守神『八所御霊神社』の御祭神は早良親王(追称は崇道天皇)、伊豫親王、
藤原吉子、橘逸勢、文屋宮田麻呂、藤原広嗣、吉備大臣、火雷神の八神である。
また別尊大元帥明王の霊地として真言密教道場として栄えたが、平安時代末期に戦火により
七堂伽藍の大部分が焼失、鎌倉時代に現本堂(国宝)が講堂の跡に再興されたが、金堂や東西
両塔の跡は雑木林に。

今回は正門となる南門から伺うことに。

ぐるっと細い村道を進むと、赤い鳥居の秋篠寺の元鎮守神「八所御霊神社』がみえ、
その前にひっそりと訪れる人もなく、佇んでおり、参道が伸びています。


両側は苔むす雑木林、奈良では数少ない苔の名所、あと依水苑ぐらいかな。
左側に建つ会津八一の歌碑を通り過ぎると
 八一の歌碑

右側に竹の枝で作られた道が・・・東塔跡へと
 東塔跡

ここが東塔跡、参道の向こう側に西塔跡があるはず、林で見通しが・・・
後で判ったのですが、庫裡側の道からは見えたよう。

拝観するにはこのT字路を西に向かいます。
南門へ 拝観受付へ 東門へ

この受付への右側は金堂跡で、数個の石だけが雑木林に
 

受付で拝観料500円を支払いますと、若い御坊様が丁寧にお教えくださいました。
国宝の本堂は元講堂、素朴で単純な中に均整と落ち着きを見せる奈良時代の伝統を
生かした鎌倉時代の建物で、


   

向って右側には菩提樹が植えられ、実も
菩提樹の実

本堂内部に入らせていただくと、25体の仏像が安置され、目を奪われました。
ご本尊は薬師三尊像、薬師如来様(重文、鎌倉後期、木目が美しい素色の寄木造り)
脇侍仏は重文で平安初期の日光如来と月光如来、御手の鏡は太陽と月を表す。
さらに左右に六体ずつの十二神将、不動明王と地蔵菩薩(重文)
台座の両端、右端は帝釈天(重文)、左端に諸技諸芸の守護神の伎芸天(重文)は、
我が国唯一、また堀辰雄の″・・・このミュウズの像・・・″との名文でも著名ですね。
頭部は天平時代の乾漆造りで造形の優美さと写実性は素晴らしいですね。
  JR東海より
秋篠寺のパンフレットによれば、
”帝釈天、他二体を含め四体とも天平時代に造顕され、後災禍のため胴体以下を破損し
鎌倉時代に体部を木彫で補われたと考えられ・・・現在鬘部の宝冠及び両肩より垂れる
天衣の一部が決失し単純な形であるが、時代を隔て、なお保たれる調和と写実的作風は
限り無い人間味を湛える。”と

さらに両端の梁の間には、右に愛染明王、左に五大力菩薩(5体)さまも・・・・

蝋燭と線香をお供えして、堂内の椅子に座り只々見つめているだけで、
心が洗われ、人に気配で気付くまで時を忘れてしまいました。
                            (続く)

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