曇り空で暖かな朝、最低気温は6.5℃と春を思わせ、今日は立春ですね。
「暦の上で春が始まる日」で「春の訪れを感じる日」という意味もあると。
気温は12時半前の11.4℃と春なのですが、陽射しがなく疎ましい天候です。
西からの今シーズン最強寒波の先駆、夕方から気温は一気に下がり始めて、
来週過ぎまで極寒の日々が続くという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/3c/710eddb58b09b9116221bb2fff5d70b7.jpg)
サクラには真冬の寒さによって休眠から目覚める「休眠打破」が必要ですし、
日本海側の大雪には困ったものだが、これもコメなど植物には必要ですから。
「登大路ホテル奈良」の入り口前の季節外れのサクラもそろそろ終わり?
ホテルによれば、毎年秋~冬にかけてゆっくりと花を開く「冬桜」に近い種、
そして下の方に、昨年東大寺お水取り(修二会)で用いられた松明を見て、
今年の練行衆の方々も、そろそろ潔斎に入られる時期になりました。
この2月20日から前行の別火(べっか)に入り、3月1日から本行です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/e6/868820ca6c4ee7f97af398cd91d1961d.jpg)
さて昨年の12月16日に開山堂で行われた発表によると
四職
和上(戒を授ける) 上司永照・持宝院院住職
大導師(法会全体を統括 )森本公穣・清凉院住職
咒師(香水と結界) 上野周真・真言院住職
堂司(行法の進行) 池田圭誠・元興寺住職
平衆
北座衆之一(平衆の長) 佐保山暁祥・宝珠院住職
南座衆之一 筒井英賢・龍松院住職
北座衆之二 上之坊・平岡慎紹住職
南座衆之二 清水公仁・宝厳院住職
中灯(過去帳の奉読書記 )望月大仙・普賢光明寺住職 5回目
権処世界(処世界の補佐)上司永観・総持院住職
処世界(掃除等万端) 森川真雅・空海寺徒弟
先日のなら・きたまち巡りの続き
般若寺から道を下れば、一筋西側ですが、右側に「旧奈良監獄」のレンガ造り
洋風の建物が見えてくる。
1909年に開設された「明治五大監獄」の一つ、唯一残り2017年に重要文化財
に指定され、2026年には星野リゾート系の超高級ホテルとして新しく生まれ
変わります。
高い塀に囲まれ、工事の様子など詳細は見えないが、きれいになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/81/a40eacee47529d358960eefe46f232e8.jpg)
興善院町に入り道が交差の高台に、浄土宗・光明山 興善院 賢故坊「浄福寺」
がるのだが、その道の途中に「夕日地蔵」様がおられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/62/3a829394b9e1ba8ea9043168318d67f9.jpg)
そしてこの石段から上がれば「浄福寺」の境内で、本堂にお参りを。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/10/9cd58f35c4bb338118b17608ae2b8df9.jpg)
旧奈良監獄へ 奈良街道
寺伝で奈良時代光明皇后が困窮者や病人を救済されたとき「阿閦あしゅく如来」
が出現したので喜悦し本堂を建立したという阿閦寺の故事を引いている。
現在の堂宇は1666年に賢故坊が建立し現在の寺容になり「賢故坊」とも呼ぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/fc/8c3c58de0fc2766f9beb44275148600b.jpg)
ご本尊の阿弥陀如来様がお出でで、宗祖善導大師と法然上人両坐像、開山の
賢故上人坐像、小さな阿弥陀如来立像や地蔵菩薩立像が安置されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/f3/522b6af652ec7c874c5f0dae043cb00b.jpg)
境内端から南側の奈良市内が一望でき、なかなかのview、若草山から・・・
本堂の縁側からの方が良かったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/04/f3ecbbe5f4361f720e9a477dfa5259a7.jpg)
麓の東大寺大仏殿も、二月堂は建物でこの位置からはよく判らない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/5d/b7bc576a623d1ea8ef1671319953c986.jpg)
上の写真の屋根は「北山十八間戸」、ハンセン病のためといわれ、一つには
光明皇后の病人救済事業ともされるが、1243年西大寺の僧「忍性上人」が、
ハンセン病患者を生活のため町へ送り届け、そして迎えに行くという大乗仏教
の菩薩道である利他行を実践されたという説が有力です。
当初は般若寺の北東にあったが、三好と松永の1567年の東大寺大仏殿の戦いで焼け、1661~1672年に現在地に移り、1693年に修築された。
間口約38m、奥行き約3.9mの細長い棟割長屋で、約2畳程度の病室が18戸
(一戸は仏間)に細かく区切られている。
建築年代は、鎌倉時代の様式を踏襲するも、江戸時代の再建で、第二次大戦後
の一時期、大阪空襲の被災者や大陸からの引揚者が住まれたこともある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/c3/e07d35d7ce8332c26b47b10722870f92.jpg)
そして反対側にはレンガ造りの「旧奈良市水道 奈良阪水道計量器室」、
1922年に奈良市の水道、創設れた際に建てられ、2017年に土木学会選奨土木
遺産に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/a3/70132553f5ae72d47d70ae080ed8cfab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/d7/b87a40730474e53ef300e72eee3f0213.jpg)
奈良街道を下れば、佐保川にぶつかり旧国道24号に合流する。
この川を渡る橋は、元は石橋でその上に築かれている。⇧
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/67/5515a8580db7c59673c660bbc50951c8.jpg)
江戸期の再建された東大寺大仏殿の屋根を支える2本の「虹梁・こうりょう」、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/79/3c9726551c6153aad472b24ea9d44dd0.png)
それぞれ長さ23.5mのアカマツが、1704年日向国の白鳥神社から東大寺まで
延べ10数万人が参加し9ヶ月をかけて運ばれている。
瀬戸内海から大阪へ。淀川を上り木津川に入り木津から奈良街道を登り詰め
奈良坂を下りこの石橋に。
橋の上には緩衝材として砂を乗せ、その上を曳いて越え東大寺に運ばれた。
「大仏殿虹梁木曳図」(明誉古磵筆、東大寺蔵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/ee/452db60ef7b28ab0341c3521db0c6fb1.jpg)
このあと、道路を渡り東へと進み「五劫院」に。