27日、大原の宿を出て寂光院の近くを通って途中峠を歩く。
今回の旅は旧道を通ることも多く車道を下に見て草木の中を進む。
途中峠を越せば滋賀県に入る。
途中峠を越えても上り坂はまだまだ続く。
この花折峠、30日の木の芽峠、永平寺を目前にしての越坂峠では、
急坂なのと車がほとんど通行しないので隊列を崩して各自のペースで歩く。
友人は御頂相を背負っても一番で上り切った。
私は木の芽峠で御頂相を担当した。
花折峠を越すと鯖街道は葛川とともに下っていく。葛川は安曇川となって琵琶湖にそそぐ。
この街道沿いには、このような造りの家が多い。なんという様式だろうか。
段々畑に作物がないのがさびしい。
夕方になって朽木(くつき)の 興聖寺に着き献香を済ませた。
このお寺には足利義晴、足利義輝両将軍が落ちのびていたことがあり、
この庭園の石に座って月を眺めたこともあるらしく足利庭園と呼ばれている。
関西花の寺のひとつでもあるそうだが時期的に見るものはなかった。
ただ足利庭園でクワイの大きな葉を見られたのはよかった。
翌日、鯖街道を進む。昔は細い道で木々がうっそうとしていたのだろう。
前を歩く人は77歳。
保坂のあたり。これから水坂峠(みさか とうげ)を越えて福井県・熊川宿に向かう。
若狭の熊川宿は近江に接する国境の宿場町として大いに繁栄していた。
詳細はこちらのサイト 熊川宿 で。
道の駅で昼食のあと、しばらく自由散策で熊川宿の街並みを見る。
ここは復元された熊川番所。道標には小浜へ4里と書いてある。
両側の家々には人が住み商店もあるが、見学者以外に歩く人の姿は少ない。
宿場のはずれに孝子與七の碑があった。
江戸時代、貧しい暮しの与七とその妻は自分達は貧しいものを食べても、
父母にはご馳走を食べさせて孝行のかぎりを尽くし藩主に行いをほめられたそうだ。
三方・若狭町の円成寺は、福井県指定天然記念物の「みかえりの松」でも有名だ。
樹齢250年、樹高12m、幹周り4m、枝張りは全方向に半径15mを広げている。
この日は三方、翌日は敦賀で泊まる。
敦賀の宿は風呂が狭かったので、近所の銭湯を利用してのびのびした。
今回の旅の最大の難所、木の芽峠。
木の芽峠登山口から標高628mの頂上まで細い山道が続いた。
転んで御頂相を壊さないよう気を遣った。
この木の芽峠は平安初期に開かれて以来、多くの旅人に利用された北陸道であった。
親鸞、木曽義仲、源義経、新田義貞、蓮如など多くの歴史上の人物が越えた峠でもある。
茶屋風のこの建物は番所としての役割を果たしてきたそうで、
慶長年間から平氏を祖とする前川家が管理してこられ、現当主は46代目だそうだ。
豊臣秀吉、明治天皇も滞在された部屋がある。
道元禅師は永平寺を開山の10年後、病気療養のため京へ向かうときにこの峠を越えられた。
前川家の向かい側に道元禅師など三師の顕彰碑がある。
道元禅師をはさんで向かって左が同行の孤雲禅師、右が後を託されて永平寺に残った徹通禅師の碑だ。
31日は朝5時に出発し福井市までの46kmを歩き、御誕生寺、龍泉寺、宗生寺などで献香した。
御誕生顕彰碑
曹洞宗では道元禅師を高祖、4世瑩山禅師を太祖と呼んでいる。
瑩山禅師は武生の豪族の子として、この顕彰碑の近くで生まれた。
出家して徹通禅師のもとで修行ののち道元禅師の教えを各地で広めることにつとめ、
54歳のとき能登に総持寺を建立された。
総持寺は永平寺と並び曹洞宗の両大本山の一つであるが、
明治に入って火災にあったため横浜・鶴見に移転した。
曹洞宗管長でもあった板橋興宗師が2002年この地に小堂を建設して御誕生寺を開かれ、
今年に入って本堂も完成した。
全国から集まった十数名の僧俗が坐禅と托鉢そして作務の毎日を送っておられる。
外国人の方も見かけた。
長々とした記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。
そちらから鯖を背負った人たちが京都へ急いだのでしょうね。
今よりもっと細い道を猿や鹿、猪、熊などに出会いながら歩いたかもしれません。
今回でも猿と鹿は見かけました。
棚田は後継者の問題と生産調整のこともあるのでしょう。
大原で泊まった民宿の隣の田んぼも雑草の山でした。
同年配の方たちが歩き通されたので、その気になれば特別のことでもなさそうです。
ありがとうございました。
私は小さいころ毎夏小浜の親戚のうちに泳ぎに行くのが常でしたので、むしろむこうから京都を眺めていたような気がします。
この道を鯖を背負って・・・・・今でも十分想像出来る風景ですね。
花折峠の棚田、確かに荒れていますね。
どこの棚田もそうですが、後継者が育ってないのでしょうねぇ、寂しい限りですがしかたありません。
それにしてもよくこんな強行軍の旅に参加されましたね!さすがおーちゃんです・・・・
紛らわしい書き方ですみません。
明日で最後です。
26日からずーっと関連記事なので、そろそろ近所の様子も見たいと思っています。
木の芽峠は自分から申し出ませんが、あいつなら大丈夫と考慮されたようです。
かなりきつくて先頭から4人目で着きました。
歩いている間は、コンデジで歩きながら撮る形なので、ブレたものも多く撮れなかったものもありました。
はじめての場所ばかりなので撮るポイントが分からないという面もありました。
次回があれば、もう少し要領よく文章より画像で楽しんでいただけるようにしたいものです。
ありがとうございました。
班の中では30分ぐらいで交代しますので、1日に2回ぐらい背負ったり幟を持ったりすることになります。
陽射しがなくて平地を歩いていても汗ぐっしょりになります。
歩いている途中はゆっくりできませんが、周りの風景が変わっていくのも楽しみでした。
ありがとうございました。
一日平均30km程度でしょうか。
行く前に炎天下を歩くと言われていたのですが、今年は曇りが多く涼風も吹いたので、さほどでもありませんでした。
暑さを経験したければ来年も参加白といわれました。
高台寺の近くも歩きましたよ。
シクラメンさんはこのあたりの地理にもお詳しいのでしょうね。
宇治の興聖寺は、道元禅師が伏見に開かれたのがのちに移されたそうです。
そして朽木を通られた時にお寺を建立の相談を受けられ、伏見の興聖寺と地形が似ているので朽木も興聖寺という名前にするよう勧められたそうです。
あったので、早とちりの私は、え!もう終わりなの~って。
いまゆっくり読んで、大丈夫、明日もあるのねって
木の芽峠の登りで御頂相を背負う番がきたんですね。
おーちゃんさんのことだから自分から申し出たのではないですか?
お疲れさまでした。
単純明快な文章で纏められた慕古の旅日記、
とても解りやすく、道程を想像させてくれる写真に感心させられました。
古道や古い町並みも往時を忍ばせてくれますね。
鶴見総持寺のお話など、とても興味深かったです。
有難うございました。
今頃じわじわとお疲れと共に、達成感の喜びが湧いてくるのではないでしょうか。
転んだりしたらそれこそたいへんですよね。
まだまだ残暑が厳しい中を 長い長い行程歩かれて 宿に到着された頃は汗ぐっしょりでしょうね~
お風呂で汗を流すと1日の疲れも吹き飛びますね。
藁葺き屋根の民家 立派な屋根ですね~~
見返りの松もすごいです~
熊川宿の町並みも昔を思い出させてくれますね。
いろんなところを歩かれてお疲れ様でした。
非日常の生活から離れてこう言う旅もいいものなんでしょうね。
驚くことばかり。60~70代皆さんお元気です。
一日平均何㌔歩かれたのですか?
八坂は懐かしく?拝見させて頂きました^^
歩く事は大事なことです。頭ではわかっています。
(継続は力なり)きっと参加された皆さんは毎日歩いておられるのでしょう。
私は・・・恥ずかしいです。近くてもすぐ、車!
今朝からまた歩かれたのですね。
写真を整理して記事を作ったりしている間に3日たち、
多少むくんでいた足がようやく平常に戻りました。
けさは近所の畑・野原を歩き、平常に戻りました。
今回教えてもらったり調べたりして、いろんなことを知りました。
参加者の年齢はよく分かりませんが、僧侶の方は別にして60歳代が多かったと思います。
70歳代の方も数人おられました。
途中の出入りがありましたが歩き通した方は女性が6名男性が11名でした。
峠は8ヶ所だったと思います。
萱ぶき屋根に金属ですか。
古い建物を残す良い案ですね。
京都からだと朽木から熊川宿へ1泊で出かけるのがいいかもしれませんね。
新聞も切り抜きを持って帰ったのですが、ウエブ版はカラーで比較的鮮明な写真なので嬉しかったです。
ふり返え見れば道元を背に
7日間の歩程、思い出深いものが有ったでしょう。
2~3日過ぎ今頃になりて、歩いて本当によかった・・・と心境に浸かっていることでしょう。
山の縦走など・・・・行く前は不安がいっぱいですが歩き終えたときの爽快感・達成感がジワ~・・・・と湧いてくるものです。
じっくり達成感に浸かってください。
日本の原点を見落としているのかもしれません。
今回の行脚に参加された人たちは何歳くらいの方が多いのでしょうか?
また男女比も教えてください。皆さん健脚ばかりのようですね。
御頂相を背負ったおーちゃんを拝見したいですね。
そうそうそれと越えた峠はいくつでしたか?
質問ばかりで済みません。
やっぱり 大変な難所もあり、凄い!なんて平凡な表現では追いつきませんね・・・
あの御頂相を背負ってられるのが彼でしたか?
タクラマカンにも行ってられるとか、健脚なんですね!
葛川の民家は 多分昔は茅葺だった屋根の上に
金属製のもので覆ったのではないでしょうか?
雲ヶ畑のお婆さんが、そう言ってましたが・・・
熊川宿の町並みに 惹かれました。
まだ見ぬ朽木村は バスでも二時間以上かかりますので その遠さが偲ばれます。
興聖寺の庭、見てみたいです。
新聞の京日記と違ってカラーなのに驚きました。
「あれ? 青いシャツやったかなあ?」と・・・
御頂相を背負う緊張とお茶当番、銭湯での入浴・・・
お疲れ様でした。