【敬老の日】
敬老の日は喜ばないウチの母。(笑)
でも、敬老の日のケーキは喜ぶ可愛い母。
傍目から見れば何不自由のない官僚妻は、
実際は籠の鳥で、母には不自由しか
なかったのだと思う。
それでも私は実父に情があって
当初は二人の離婚は喜べていなかった。
あれから何年経ったのかな…
ロビーがもうすぐ5歳になる。もう5年か?
今はわかる、母が自由を得て、
そこにはお金に変えられない価値があり、
あの大事件無くして、今は無いコトも。
ただ本当は、父にも目を覚ましてほしかった。
使い捨ての、政府のコマになる人生でなく、
家庭を見て、組織の一部でなく、
一人の人間として、金看板なんて無くても
人として愛されて、世界にインパクトを、
自分の思想で与えられる世界を
見て欲しかった。
(まだ生きてるはずだけど)
人は一度三途の川を渡りかけると変わるという。(私も一度渡りかけてずいぶん変わった)
あの人も棺桶に片足突っ込んだら
変わる日が来るんだろうか…。
(憎まれっ子世に憚り続けるなら
元気に憚り続けてくれても、それも良い。)
…この世は、心の写し鏡だ。
心の中にあるものしか見えない。
…あの人の心に、まだ家族があればいいな。
この世界が、人の心から、
《他者から無条件に愛される自信》を奪わない
教育を、いつかできる日が来ますように。
敬老の日、私より1日、1時間でも長く
生きてくださった人生の先輩全てに
感謝しました。
感謝のケーキは私のお腹の中だけど。
人は、タイトルをもっているから素晴らしい
のではない。
ひとは肩書きがあるから素晴らしいのではない。
その人がその人だから大切で、
その人がその人だからこそ素晴らしい。
母へ、
あなたがしてくれた掃除、洗濯、家事、育児は、
私と弟の世界の全ての基盤で、
私達はあなたのおかげで心地よさを知り、
手料理を美味しいと感じ、アイロンのかかった
ハンカチをポケットに収めて学校に通えたんです。
外界から閉ざされて、くだらないTVとスポンサーに買収された新聞しか情報源の無い主婦界の中で、
貴女は必死に知恵を絞って、いついかなる時も、
私たちの悩みに応え、文字通り親身になって
親として、そばに居てくれた。
それだけで満足だし、それでいいんです。
物心ついたら、もうそれは個々の人生なのだから。
私が不出来だろうと、弟がどうだろうと、
それはあなたの責任ではない。
悪い事をして、悪い背中を見せたなら、
それは子供の人生の邪魔になるか、
反面教師になるかだけれど、
あの頃の母親は、
子供の拠り所になってくれて、
衣食住整えてくれたら、
それで十分だったんだよ。
だから母は立派だったと思うし、
感謝しかないよ。
私なんて共働きだから、時々掃除は手抜きをするし、手料理だって、作り立てなんて3日に一度で、ほとんど作り置きを温めるか、なんだったら夏は冷たいまま食べちゃうくらいなんだから。
親も子も、縁あって親子になったのだから、
居てくれるだけでありがたい。
もうこの歳になったら、生きていてくれるだけで、ありがたいんですよ。
母も、子も、友達も、
たなたが元気で、笑顔で、生きて目の前で
呼吸してくれるだけで
本当にありがたい。
ありがとう。
HiromiEva