【かいじの窓から】我について〈長文…〉
かいじに初めて乗りました❣️
新宿までの快適な旅でした。
頼れる先輩と、切磋琢磨できるクラスメイトがいて、新しい仲間に出会えて、一緒に過ごさせてもらえる…
そういうチャンスと環境を与えてくださる先生、先輩方に感謝でいっぱいで…
だからこそ、
スタジオに帰ったら…私も、そういう場所とチャンスを生徒や仲間にプレゼント出来る存在でありたいとあらためて思いました。
が…
生徒、学生としては、毎回情けなくて泣けてきます。(っていうか、いい歳したオバちゃんが悔し泣きしてる図を自分で想像すると、その図が笑えるやら恥ずかしいやら、やっぱり情けないやらで、笑えて泣けてきます。苦笑)
誤解のないように書いておきます…先生は、めちゃくちゃ優しいです。
(必要な部分はもちろん厳しく指導してくださるお方ですが、めちゃくちゃ優しいです。稀有な方だと思います。)
なので、…泣きたくなるのは…自分の何かが、
まだすごく欠けているのに、その部分の存在を、感じてはいるのに…そこがどこなのかまだ掴めていなくて、
欠けている部分、できてない部分を確かに感じながらも、そこに照準を合わせて認識できない自分が悔しいし、残念だし、
しかも…まだ掴める自信がないから、
不安で悲しいような、複雑な感覚です。
ただ、オトナになってもBBA or GGE or その他になっても…ある一定まで放置されると、今度は年齢のせいで誰からも指摘してもらえずに、
そのまま老害になっていってしまうパターンが多いはずなので…
ココで、本気で社会に優しい頼れるBBA…
ロビーに嫌われないBBAを目指していきたい
今です。
…自分の出来なさ加減に泣くなんてそもそも身勝手な話だと思います😑(出来の悪い学生に泣きそうなのは指導者の方ではあるまいか…。)
そしてどうやら、
一部の私の観察不足、認識不足、思慮の浅さは自分の過去と習慣にも関係がありそうなので。。。
ちょっと掘ってみようと思います。
っとその前に、11/22.23.24.25日と武術のお稽古をご一緒してくださった皆様、本当にありがとうございました。
初めて参加した《大磯クラス》のクラスメイトの皆さん、山梨の旅館で学生試験合格を一番に「おめでとう」と祝福してくださった森本先輩、奇跡のゴッドハンド(&ボイス)を体感させてくださった安藤先生、出稽古に来てくださった二戸選手、みっちり教えてくださった小畑先輩、眞田先輩🙏
そして同室で楽しい時間を共有してくれてチームEvaスタ女子の若林さん、深谷さん、駅まで送ってくださった鈴木さん、
極峰拳社の2代目(現)主宰師範の竹村師範、
ご参加の皆々様、お世話になりました。
またどうぞよろしくお願い申し上げます。
そして…またしても長文になりそうな予感…。
でもいい、これはワタシのタイムライン!
私は今だに【我】が強すぎる部分が、なおっていないようで…、根本原因を探っています。
環境が人を作るというので…父と母がファンキーだった為、14歳の時に家庭環境等々、自ら不安になり😅自己啓発に励んできたのですが、
独学の期間が長かったのと、
10代20代の頃には周りに意見を仰げるオトナがおらず…14歳から一人暮らしだったので、学校では聞き分けの良い生徒を演じ、
仕事場では、一端のオトナ扱いをされていたと思います。
〈自分を信じること〉と〈我を出すこと〉の境界線は、オトナになってから…
スタジオを構える前後、大きな事件があった頃…27歳くらい?に、自分では書き換えたつもりでしたが…、残念ながら未だに出来ていませんでした。
加えて注意力が散漫になったり、集中しているつもりでも盲点があるようで……
うっかりミスや、…慮ったつもりがその思慮が浅く、足りない時もたくさんあって
(これは妊娠、出産、授乳中には強く感じていましたが、今回の問題点は、前述したような一時的なモノではなくて、根本的に改善しなければならない、〈モノの見方・捉え方〉なのかな、と、自分の悪習性を探っています。)…
特に悪い【我】の強さについては、
それらが、いつ生まれてしまったのか…
根本から理解して、解消したい今です。
(もちろん、〈自愛〉することが大切だよと言って頂いているし、自分を蔑ろにするつもりも卑下するつもりもないです。また、度々出る【我】や【お節介BBA】が、不安感や、焦りから来るのだろうと言うところまではなんとなく突き止め…
だからこそ【自愛】という言葉を頂いたのではないか、ということも、分かってきました。
ただ、〈芯がある〉とか〈軸がある〉ということと【我が強い】というのは…
似ているようで違うと感じているから、
その違いをもっと良く理解して、
悪い所をなおしたいんです。)
個性があるのは悪いことではないと人は言うし、
個性については私もそう思いますが、
我と個性は違うと思うし、
自分なりに精一杯、状況と周りの人のことを、《考えているつもり》でいて、
それが《ただのつもり》にすぎなくて、
出来ていないのは致命的ですし…
薄々…
…いや、結構濃いめ…で気付いていたのですが
女性同士では《小さな親切小さな愛情表現》
で捉えられていく部分が、
【武道家】としては
《小さな親切、余計なお世話、
暇があるなら非常時に備えろ》は
当たり前だし、
気を配る部分がそもそもズレていて、、
職場(Eva united kingdom)では
国の女王達(女性講師達)がハイスペック過ぎて…
(優しい、キャパが広い、心が広い、そしてワタシのダメさ加減を理解してくれまくっている…)
私はぬるま湯に浸かっています。
(いい湯加減すぎて、出たく無い…)
でも、
いくつになっても、信頼できる人から指摘してもらえる部分があるなら
《改善》して《成長》したい!
(これからも、美男美女にモテ続け(笑)
ロビーに人気のママで〈人たらし〉
である為にも!)
と思うからです。
…早く自分でその《盲点》なのか、
〈自ら目を瞑ってしまっているのか〉…を、
見つけて改善することが出来たら良いのですが、
ここ数日では…認識が出来なかったため…
過去の原因や不安要素を洗ってみようと思ったのです。(「読みたくもねぇ」ってヤツはもー、読まないで〜…っていうコレもワレ😗)
(長文すぎて投稿出来ないとか、あったら笑える。)
さて、
今でこそ、スタジオを構えて、夫人達
(我らがEvaスタには①正妻Ozma、②愛人mimi,③第二夫人Ayishah,④愛娘Jnana,⑤⑥⑦妹3人Jasmine&Sayaka&Guli,⑧Eva王国の国民的アイドルTOMOKAと⑨ほっておけない研修生Lily35という
《9人の美女》が主力で活躍しております。)
に愛されまくってる私ですが😏
(ええ、軽く自慢してます。)
美女達に愛されるようになるまでには、
もちろんそれなりの経緯がありました。
そして、私が、
もしも初めから…
自分に〈自信〉があって…なんでも〈器用〉に
こなせるタイプだったら、
先生業は選んでいないか、、
選んでも続けるのが難しかっただろうし、、、
…多分我が強くなければ…
まだ芸能界でやっていたかもねぇ…っとも
思います😅
「ブス!」「死ね!」っと言われて育ち🫤
なのに年頃になると今度は男子には
〈許容範囲の異性〉として見られ…
(え?数年前までお前ら私に「ブス死ね」って
言ってたよな⁉️)
混乱して行った先の女子校でも
壮絶なイジメに会い
(おー、ひさびさにまた来たぞ「ブス、死ね」
攻撃が…マジか?同性から見ても、
私ってそんなに不細工なん?じゃあ、
より女やめよーっと)
で、
【ベル薔薇】を読む前に、
(家でも「女なんて役にたたん」っと言われるし、男子がイヤで女子校に来ちゃったから
ココならオトコいないし、
男役で生きよーっと👍)
っとそっち方面でがんばったら同性に告白
されて…バレンタインにお返しをしなかったら
ブチ切れられ…
(いや、自分、男も女も、いや、っていうか
オラはニンゲンが、親も含め…
ワカラナイカモシレナイ🤖)
っとなった矢先に、パッカーンと芸能界の門が
開き…
(イマイルセカイニ イキルバショガナイナラ カクウノセカイデ イキレバイイカモシレナイ👍)
っとその選択肢のおかげで今度は私立女子校
(別に問題児で有名な学校とかじゃなく
普通に日大の附属…)にもかかわらず
集団リンチに遭い…(そんな言葉、あったしょ?)
その中の過激派
(当時アジャコングに似ているとの理由でアジャと呼ばれていたクラスメイトを筆頭にした4人)と4対1で戦い
(ちなみにアジャの右腕?がテコンドーをやっていて蹴りは速かったけど威力は所詮高校生の女の子😮💨)父上の鉄拳に比べたら余裕…っと思うも結局多勢に無勢で後半戦は防戦一方…になった所を…
通りかかった女教師は止めもせず
(その時に知った🤖オトナニモワルイヤツハイルト)、
数学の教師がやっと止めるも、後日、学校の教師達は「あなたの方がオトナなんだからわかってあげて、あの子は今家庭にかかえている問題があってね。」と言い…
(テンテー、オラはあのチトと同じトチデツガ…何故ワタチのホウがオトナとイフノデセウ?…オラのイエも、チホウショウの祖母がいて、チチと、ワタチが乱闘するとハハが消耗するから…オラはイマ…一人暮らしだよ…っと心の声…)
…っと、家と学校はとりあえず話が通じるのが
弟と親友2人の計3人しかいなかったので…
《お話しの世界(芸能界)》の住人に〈成り切る戦法〉を使ったら…それなりに食べていけて…
高校生でも一人暮らしを続けられるくらいにはなり😗
この頃は、ちょっと個性的じゃないと仕事にならなかったり、我が強めだった時期があっただろうことは否めません…。
(…対孤独、対不安…その辺りが今の我の根源なんだろうか⁉️)
現実世界の人達が、怖かったので
(私に対して「ブス死ね」と言うか
「女は使えん」と言うか《商材?部品》として
見られるか、〈聞き分けの良いコ〉のレッテルを貼るか…その上…「ブス、死ね!」と男子にも女子にも言われたワタシが《国民的【美少女】コンテスト》あがりです。
「え?ブスと【美少女】って同意語だったの?
へぇー、知らなかった。」
という感じです。当時はガリ勉気質だった為グレるという選択肢もまったく見えませんでした…。)
台本さえ覚えて成り切れば😳とりあえず生きていけるっ⁈と若干、やりがいと居心地が…
「多少は良いか?」っと思いだした矢先に
…(ジブン漢ですから、役以外でオンナなんかはやりませんぜ😏)と思っているジブンに
《グラビア》話が持ち上がり
(でもまぁ、当時のグラビアなんて可愛いもんでスクール水着だったけど無理だった。)
…(😭な〜ぜ〜😱)…っとあえなく撤退(エリート路線から外れまちた。)したり…、
…この頃は、
人に好かれようとか、
ニンゲンと愛し合おうとか…
思える余裕なんて皆無で…😑
世界に対して思っていたのは、
(ジブンハ、ダレノコトモ キズツケルツモリハナイノデ デキレバキズツケナイデクダサイ)
がその①で、
次が
(カラダヲウルコトト、ココロヲウルコトト、ダレカヲキズツケルコトイガイハ ナンデモデキマス、シゴトヲクダサイ)だったと思います。
そして、これよりもっと遥か前から、
…物心ついた時から武術への関心はありました。(それは父と祖父の影響です。)
…周りからは「若いのに気が利く」とか
「しっかりしてる」とか「頼り甲斐がある」
って言われていたから…
自分では我が強いどころか、なるべく我を見せず、色のついた空気みたいな便利屋を目指していたんだけど…、
(この頃の〈便利屋気質〉が〈お節介気質〉にいらん進化をして最悪なお母さん気質になっているとしたら?と一度、ここも別で深掘りせんと…いけんかもしれん…。)
思い出してみると、
周りには今以上にたくさんの人がいて…
(ゴッチャリした業界だよ)物理的にはすごく
人が多いところに居たのに、
【孤独】だったのかな、と感じます。
(毎回、関係者の皆さんには感謝していたし、
生きていること、生かされていることを、ありがたいと思って…頂いた仕事は精一杯やっていたけど…自分の担っている〈パートの必要性〉は感じても、私が私でいることや、
〈私という存在の必要性〉を感じたことは皆無で、空虚だったのかもしれません。
だから誰かに「好き」と言われても、
なんのことなのかぶっちゃけサッパリわからなかったのです。「は?何が?誰を?」…っという感じです。)
そして、【孤独】なせいで、
意識していなくても《強がる》必要もあったのかもしれないし(そういう癖がついた?)
学業、家庭のゴタゴタ、学校のゴタゴタ、とプロとしての仕事+バイト…ってなると、《無理をしないと生き残れない》時期もあって…
(とくに中間、期末試験中は、ファンキーファーザーを家庭内で暴走させないために、ミュージカルをかかえていようと、映画の撮影が同時進行だろうと、ガリ勉して、その合間にバイトもして…疲労困憊で家で気絶したりしていましたから…それで柱に顔面から倒れて歯が折れた。笑)
ギリギリで生きることがフツーというより…
「身を削らないと自分は認めてもらえないんだ」と不思議な《方程式》を自分で決めつけていたのかもしれません。
寂しい事ですが、当時は今のレベルで本心から想える存在が1人も居なかったので
(弟以下は…親友のことすら、感謝はして居たけど、それ以上は人と深くかかわることすら怖かった小心者だったから…彼女達には、精一杯の《想像と妄想の優しさ》しか、あげられなかった気がしてきた…。ごめん。)
…この頃の名残りなんだろうか…
なんかまだ表現が薄っぺらく、
考えが浅くなるのは…
…派手なわりに《内容がナイ》
(ナイヨウガナイ…ってオヤジギャグじゃないよ😑)業界で育てていただいたおかげで…
女の子を喜ばせるような【演出】は得意になりましたが(←オンナのアタシにゃ役にゃたたん…っと思っていたけど、…オトナになったら、それも役には立っているが…)
…〈やることなす事派手〉と思われる…
言うことが〈クサイ〉と思われる…のは、
〈思われてるだけ〉っと思ってたけど…
人からそう思われてるんじゃなくて、
実際に私が【そうだった】のかも…
😑😬😶🫥
…今はココロが無いわけじゃ無いから、
本心でやって、本心で言っているんだけど…
「伝わらないときがある」のは、
私のやり方が悪かったんだな…。
10代〜20代は、人の心理を《生》ではわかる経験が乏しかったので(深く関わるのが怖かったので、浅い関係ばかりだった、というか家族と深く関われずに家を出てしまったので深く関わるというのがどうすれば良いかもわからかった。)
とりあえず心理学書を読み漁り…開業カウンセラーを泣かし…(←多分コレも、我が強くて自論で論破してしまったパターン…でも先生、泣きたいのはコッチだったよ…)、
未熟ながらも真摯に尊敬した同じ事務所の先輩の為に、自殺未遂止めに行ったり、摂食障害を一緒に克服しようとしたり、、
その時から誰かのヒーローでありたい願望はあったけど…
【自分を愛せない人には誰も愛せない】
【自分のことすら救えない人には誰も救えない】
まさに、その通りだな、と思います。
…ハッ、すでに長文…な、、長い。
…しかし、そんなことは知ったことか。ココはワタシのタイムライン(笑)
人間は、《恐怖》を感じると足がすくみ、
腰が引けて…
《不安》に心を乗っ取られると、見えるはずのものが見えなくなり、
《焦り》を感じると、冷静な判断が出来なくなって、ミスを犯すのですよね。。。
私が武道家として向き合うべき感情は、
恐怖、不安、焦り…と
長らく解消できなかった【孤独】なんでしょうか。
…よく、大人になっても自分の
《育ち》や《親》のせいにして、自分の出来なさ加減を言い訳する人に対して、
私も幾度となく、
「もうオトナなんだから、育ちや親は関係ない、アナタがどうするかは、今のアナタが決めることでしょーが❗️」
と叱咤してきましたが…
ワタシの中にもまだそれがあるのかなぁ。。
「可愛いね」とか「よく出来たね」とか、
《言われないで育った子供》達の中には…
私みたいに、自分のことを
「可愛いはずがない」
「ボロボロになるまでやらないと認めてもらえない」と、
《恐怖由来》の努力を
先に覚えてしまう人間もいます。
《恐怖由来》《不安由来》で動いている人間は
《希望由来》《勇気由来》で行動できる人に勝てることは滅多にありません。
(勝ち負けの話ではないのですが、分かりやすく表現すると、そんな感じ。)
それをわかって、
誰よりもポジティブに、
誰よりも勇気をもって進んできたと思っていたけど(つもりだったけど)
40年以上生きてきて、また、
ハードルが見つかりました。
私は今度こそ、これを、勇気と希望をもって
超えたいな。
そして、
親に愛されなかったとか、
愛され方も愛し方もわからなかったとか、
そういう過去の全てを
家族と仲間とちゃんと乗り越えて、
今、最高の仲間がいるのに【孤独】とか、
信じるべきものがあって、信じられるヒトが
いてくれるのに【不安】なんて、
それは【疑っている】と思われても仕方がないことになってしまうもの…
ごめんなさい。
早く、
でも焦らずに、自愛しながら、
解消して、進んでいきたいです。
宏美(HiromiEva )