Sound of waves.  日々舞武両道

by 後藤宏美(Hiromi Goto)HiromiEva
カラダ教習所松戸EvaDanceStudio

三味線と日舞と武術

2023-05-21 22:44:00 | Weblog
【日本の美とご縁と】
十代の頃、本当は日舞を習いたかったのだけれど、十四で半独り立ちした自分には敷居が高く、 
背も高く…(ジブン…苦笑)







しかも当時のお目付役(笑)に
「お前みたいに大きい女が日舞をするのは、はんかくさい(←北海道弁、愚か、の意味)」と
面と向かって言われて
(面と向かっては言うなよなぁ…。)
(これが私が日本ではペアダンスにも向かなかった理由です。笑)

ガラスのハートが粉々になった過去があるので…

その後ご縁あって写真で一目惚れした恵利菊師匠の元、新内小唄三味線を通じて、日本の美に触れ、お三味線のおさらい会では毎年、舞方の踊りが見られるので、それも私には楽しみの一つでありました。

しかし私が不肖の弟子であった為、新内小唄では名取には至らず、それでも時々連絡を下さる恵利菊師匠には感謝しかないのだけれど(第二のお母さんのような人です。)昔、師匠のお教室をお借りして、随分と大人になってから、、師匠のお弟子さんで日舞の先生でもいらっしゃったお姉さんから何度か日舞の手解きを受けました。。。

《所作の全てが美しく、膨大な表現や感情が流れるような一筋の線に凝縮されている…》

日本舞踊は私にとってはとても難しく、崇高な芸術でした。

当時は大人とはいえ、私もまだ若く、仕事が人生の大半を占めていた為(芸能活動とベリーダンス…ですね)新内小唄も趣味の範疇を越えられず、日舞に至っては、子供の頃の憧れの感情を、あやす程度の…数える程の経験に留まってしまったのですが…

この歳になってようやく、

友人で人生の先輩の松尾さんからのご縁で、今日、夢に見ていた直派若柳流の麻生先生(梅京先生)の舞台を拝見させて頂くことが出来ました。(マツオさん、素晴らしいご縁を有難うございます。)

梅京先生の英執着獅子は
登場から目が覚めるほど美しく、姫の舞の部分は15分でしょうか20分でしょうか、決して短い時間では無かったはずなのに一時も目が離せないまま、時間が飛んでいってしまいました。

獅子に引き摺られて、姫が花道に入る場面は本当に圧巻でした。

その後獅子の毛振り…(石橋物)も見られて…そこだけ《ベリーダンスとの親和性…》に勝手に親近感を感じてしまい…次回のショウでは自分もまた髪を振ろう…と思ってしまったほどです。

武術の世界的な先生達を見てもそうなのですが…梅京先生の足も…凄すぎて、

拝見させて頂いて…言葉にならないほど、今日という機会を頂いたことに感謝で胸がいっぱいです。

梅京先生ありがとうございました。

帰り道には松尾さんから、善竹先生の公演も7月の後半にあり、もう皆さん観に行かれるご予定と伺って7月頭にまたもや出国してしまう自分が恨めしかった…。ぐぬぬ…

あぁ、日本にも素晴らしい文化がたくさんありますね。

古武術も三味線も…着物も、日本語も、
やっぱり大好きだなぁ。

HiromiEva

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感謝と夢の話

2023-05-19 21:26:00 | Weblog



【感謝と夢の話】
先日の長文投稿に、予想以上のご理解と励ましを頂いて…とても幸せです。
「生きてて良かった」とは軽い言葉では無いですが、何かある度に「生きてて良かった」と思えるって、大切なことだなって思います。

それと同時に、現実は…《連続性のある夢》とも
よく似ているな…と思うことがあります。

私は連続性のある夢(何日か、何週間か、何ヶ月かごとに夢の続きを見る場合のある夢、しかも、同じ夢を繰り返し見たり、その夢の続きが何年か一部ずっと欠けていたのに、何年か後にその空白の部分が埋まったりしました。)を見ることがあるのですが、

…夢の中の建物はいつも奇想天外に美しかったり変わっていたりして、見てから何年か後に、それが現実になったりすることもあって、

やっぱり私達の潜在意識はどこかでみんなと繋がっているのかしらと思ったりもします。

例えば…アートアクアリウムでは壁に金魚がいたりしますが、私の夢の中のオフィスビルでは、
床がガラス?なのかな…透明で、下を魚が泳いでいたり、オフィスの壁の一部を錦鯉が泳いでいたり、オフィスの受付前にはミニチュア太鼓橋がかかっていたりするんです。

空飛ぶタクシーはないけれど、
6〜8人乗りのミニバスは、道路ではなく空中にあって、でもランダムに飛ぶのではなく、空のそう高く無いところにケーブルがあって、
空中でもケーブルで規制されるようになっています。

大木と根を利用した栽培とオーガニックな暮らしに特化した地域では、大木の中に家があり、
家と大木が共存しています。(水も、エネルギーも大木から頂いているようです)

車で山頂へ行くと、そこで駐車券を受け取って、3〜4人のりの小さな飛行機(プライベートジェットより小さいヘリコプターより静かで最先端の戦闘機みたいな形だけど、攻撃性を感じないフォルムのもの)でみんな地方まで飛んだりします。

海辺に遊園地があったり、山間にある神社は観光地化して賑わっていたりして、美味しいものを食べたり、現実ではまだ実現出来なそうなアトラクションを楽しんだりして、目が覚めると…(また遊園地のチケット代が浮いてしまった…なんてアコギなことを考えているのは多分私くらいなんだろうか…😓)

現実にもあったら絶対みんなを連れて行きたいのは、山を丸っと一つ使った天然のお水のウォーターパークです。(ウォーターパークっていうか、ウォーターマウンテンなのかもしれませんが)いわゆるチューブと呼ばれる滑り台が、途中途中に壮大な休憩地点を設けながら連続していて、途中で何度も、急降下的な激しいバージョンなのか、子連れやカップル向けのゆるいバージョンなのか、いわゆる走り屋さんたちが通りたがる山のクネクネ道で山肌を絶景を見ながら流れるバージョンなのか無数に選択でき、階段でもう一度登るルートや、エスカレーター、足湯やサウナ、日光浴しながらの売店や休憩スペースもあって、
とにかく楽しいんです。(好きすぎてもう何回同じ場所に夢で行ったかわからないです。)

…って、夢の話ってあまり人にしたことが無いな、と思って書いてみました。

実は、「これって私とロブの過去世からインスピレーションを見てみているのかなぁ?」と思った連続性のある夢も…見たことがあります。
(これは、現実世界で太陽に虹がかかった日、沖縄で、御嶽に偶然連れて行って頂いた後、ずっと見ることの出来ないかった抜けていた部分を見て…さすがに…「人間ってやっぱりスピリチュアルな生き物なのかもねぇ」と思ったものです。)

夢がどんなに楽しくて素敵で自由でも、
今は目覚める度に

ありがとう、ただいま、と思います。
みんながいる現世が好きです。

と、まとまりない投稿になってしまったが、
こんな長文も…誰かが読んで、何かの感情をシェアできたら嬉しいな。

See you!

HiromiEva 宏美

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鉄扇とワタシと父への手紙

2023-05-18 14:28:00 | Weblog
【鉄扇と私と父への手紙】

鉄扇のズッシリとした重さに
実戦を実感しつつ…

母と別れ、寂しくなった父からの
一方的なメッセージを 

まとめて開封しました。

実父の手紙の内容はいつも同じです…
彼がいかに優秀で、何度国から表彰され、
誰に助言をし、誰が頭を下げに来て、
自分が如何に苦労し、
それに比べて
私と弟がどれほど愚鈍で残念であるか…
が書かれています。

今回初めて私は、実父に〈偉そうなこと〉を
返信しました。

下記を書き終えて、

これは私の人生でこれから絶対に
【忘れてはならないことだ】
〈自分の為の教訓なのだ〉と思ったので、

ここに残すと共に、

同じ人間として、
〈言葉に出来てなかったけれど知っていた〉
誰かの為のメモにもなればいいな。
と思った次第です。

〜手紙〜

「…あなたがこの世を去る時、賞状と札束は全て、ただの紙切れになり、あなたがもらったメダルと硬貨の全ては、ただの金属片になります。

人の価値は、もらった賞状の多さや、稼いだ金額ではなく、

どれだけ周りの人を愛して、愛されて、人と協力して、次世代のために何を成し遂げたのであるか?と私は考えます。

愛することを真摯に学ぶために、家庭というのは素晴らしい学舎であり、生まれたての赤ん坊から学ぶことは本当に多いです。

彼らは言葉も使わずに、私たちに無条件の愛を与えて、人間がSOSを出すことは双方にとって必要で、支え合うことの素晴らしさを教えてくれます。

母になった時、
私はこの子を失いたくないと思いました。

その日から彼が泣くのは私の為でもありました。

私に何をすべきか考えさせ、母になる為の学びを与え、私が※彼を失わないために※ミルクを与えさせる…

私の方が〈与えさせて頂いている〉のです。

なぜなら私こそが、
彼を失いたくないと思っているのだから。

私は息子の存在のおかげで、
そういう愛を知りました。

私は、愛されたければ、
〈自分が先に愛を示すこと〉を
社会から教わりました。

父は、「愛そう」「愛を伝えよう」「感謝できるところを探そう」という愛の交流を
最近も…試みたでしょうか?

そして、愛された時に、それを
〈受け止める器〉を、

ちゃんと心に魂に、育てているでしょうか?

私がどんな形で愛を表現しても…

自分の意に沿わないカタチであれば
捨て置かれてしまう…

何千回、何万回と心を込めて贈り物(行動、言葉、物、人)をしても

受け取る側に準備がなければ

見えない、聞こえない、覚えがない、と
言われてしまう…

相手の気持ちを考えたことはありますか?

父に「ダメだ」「残念だ」と言われた時の
私や弟や、母の気持ちを想像してみたら、
何か気づくかもしれません…。

〈罵倒に耐えられる人だけが自分を愛している〉と言うのは、それは愛でしょうか?

期待に応えられなければ
「だからお前はダメだ」と言われて…

弟が、母が、友人が…

距離を置くのは、当然のことであると
私には理解ができます。

『人に求める前に、自分から差し出して、
愛されようとする前に、愛せる人であろうとすること』を努力し

『一つでも二つでも、良いことに目を向けて、
感謝できる事を探せば』

今日が最後の日でも、良い人生だったと思えると思います。

寂しいのは、人のせいではありません。

なぜなら自分の人生のハンドルは、いつだって自分しか握り得ないからです。

これまで、数々の武勇伝を残した父だからこそ、
残りの人生を、悔いなく生きるために、
人を愛せるエキスパートになって欲しいと思います。

お身体お気をつけて。

(↑書きながら自分にも言い聞かせていました、死んだ後、自分の存在は、人の記憶の中にしか残らない、だから、私は、多くの人に、宏美は自分を愛してくれたな、と思い出すたびに、元気が出たり、幸せを感じられる存在になりたいと思います。)

宏美




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