右のイラストは按針(あんじん)さんです。
どんぐりさんに期待されているので、少しでも早くと思い、続きを紹介します。
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前回は確か
彼らを帰国させるためにガレオン船を作ろうと考えた家康公は、ポルトガル人やスペイン人に頼むのですが、一向に聞き入れてもらえませんでした。
そこでウィリアム・アダムスに頼んだところ、快く引き受けてくれて、ガレオン船はすぐに出来上がりました。
というところまででしたね。
ではその続きをどうぞ!
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翌年、スペイン人とメキシコ人を帰国させる時に、家康はスペインとの貿易とメキシコとの通商を求めて、京都の商人田中勝介を派遣しました。
とても喜んだ家康はウィリアム・アダムスに三浦按針(みうらあんじん)と言う日本名を与えて召し抱え、外交と貿易の顧問としました。領地も与えました。
按針は日本人の妻をめとり、娘が生まれました。
諸々の情報が早馬によって仙台藩の伊達政宗公に伝わりました。政宗公も東北では一番の武将です。それを見て聞いて、自分もガレオン船を造ろうと考えました。そして友人であるソテロの言う外交と貿易に胸を躍らせました。
こうして僕が生まれるキッカケになりました。
ところが、サンファン建造に夢中になっていたその時に、仙台藩を巨大な津波が襲いました。
それはそれは大きな打撃でした。が、しかし、その復興財源を作る為もあり、2年後には使節団をヨーロッパへと向かわせます。
既に幕府から正式な許可を取ってあります。
さあ、いよいよ出発です。
(按針さんの銅像の写真です。)
サンファン号には大使として家臣の支倉常長が乗り、その他宣教師ソテロ、メキシコ大使ビスカイノ、スペイン人船乗りたち、日本人のキリスト教徒や商人など総勢180人が乗り組みました。
政宗は常長に3通の手紙を持たせました。
1通はローマ教皇パウロ5世宛てに、仙台藩へキリスト教布教の為に宣教師派遣とメキシコとの貿易に関してスペインへの仲立ちをお願いする旨、2通目はスペイン国王フィリペ3世宛てにメキシコとの貿易を希望する旨、3通目はソテロの出身地セビリア市宛てに、市との友好親善を図りたい旨でした。
その頃はメキシコはスペインの植民地でした。
僕サンファンは常長さんを乗せて石巻の月ノ浦を出帆してからわずか3ヶ月でメキシコのアカプルコに着きました。
常長はそこで降帆します。
ところがその頃、日本では大きな変化が起こっていました。
家康の家臣になっていた按針はポルトガルやスペインが日本を植民地化しようとしている事に気付き、家康に強く進言しました。
キリスト教布教は日本人の心を奪う為のもの、測量は植民地化する為のもの。
驚いた家康はすぐに決断を下します。
キリスト教禁止令を出し、鎖国を進める事としました。
日本を守ること。せっかく築いた幕府の封建体制を守ること。これが大切です。
今までは自由貿易でしたが、これからは貿易を幕府の統制下に置く事としました。
常長がメキシコのアカプルコに着く頃には、日本では全国にキリスト教禁止令が出ていたのです。
でも、常長は政宗公の命令に忠実でした。
そのまま命令の遂行を続けるのです。
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今日は、ここまでです。続きは次回に!!