大海を泳ぐ鯨 (出典 フリー写真より)
若かりし高倉健(当時まだ20代半ば)が石巻の鮎川や石巻周辺の海を舞台に主演した「鯨と斗(たたか)う男」の映画が62年ぶりに銀幕に現れました。
上映場所は、石巻のみやぎ生協文化会館アイトピアホール(中央2丁目)です。
高倉健は、当時東映のニューフェイスとして入社したばかり、その後約1年の修行・研修の後デビューするのが普通だったようですが、高倉健は一か月半で主役デビューをしたそうで、その後の活躍を予感させるような輝きがあったのでしょうね。
1957年公開の東映映画です。当時の鮎川の捕鯨で栄えていた輝くような活気のある鮎川の姿があふれています。
私たちの白梅の鮎川出身の友だちYさんが、少し前に当時の映画の撮影中のことについてお母さまへのインタビューに訪れたことを話していました。
なんでも昔鮎川を舞台にした高倉健主演の映画を撮った時のことを聞いていたとのことでした。Yさんのお家は当時鮎川で食堂を営んでいたので関係の方々がたくさん訪れていて、撮影現場にもなったのだとか...。もちろん、高倉健もきたようです。
Yさんのお母様は、インタビューに答えて
「今でも夢に見るんですよ。高倉健、男ぶりは一番。佐野周二(主演の一人)はうちの店に一人座って、お茶のんだり、うどん食べてたんだから。」
と答えていました。当時の印象がいかに強かったかがうかがわれますね。(94歳のお母さまの記憶にしっかり良い思い出として残っているのですね。)
そのことを忘れている頃、私が車を運転している時にニュースで「鯨と斗(たたか)う男」の映画の上映会があり、関係の人々が上映会に訪れたというニュースが流れました。訪れた方へのインタビューが流れはじめました。
ある方は、
「本当に懐かしかったですね。あの時うちの家内が工場の職員のエキストラとして出演していて、当時の姿を見ることができました。とても活気のある町の様子をしっかり見ることができて本当にうれしかったです。」
と語っている年配の男性もいました。
次の女性へのインタビューを聞きながら「あっ!あの映画だ!!Yさんに教えなければ。」と思った瞬間に、目の前の信号が赤になり、ブレーキを踏んだとたん、テレビの映像にYさんがアップで映っていました。インタビューを受けて答えていたのは、Yさんだったのでした。
「とても懐かしかったです。その家も今は土台だけですから...。」というようなことを言っていたように思います。
「なあんだ!」知っていて当然ですよね。きっと、招待状が届いたことでしょう。
後日、Yさんが映画の関係の資料を送ってくれました。
その手紙の中には、
「町はあの日、ほぼすべて消えてしまいましたが6歳の頃の私の記憶に残っている当時の様子が映画の中に息づいているようで懐かしく感じられました。
当日の観客の方々も映画の中に残る町の姿に目を凝らしているように思いました。
そして、上映後、皆しばらく席を立たなかった様子から各々が感慨にふけっているのだと感じました。
震災後、初めて町を訪れた時、土台だけになった我が家しか見られませんでしたが。、これを機に当時の町に再開することもできました。
小さな町の小さなドラマにしかすぎませんけれども、人々の思いを大切に上映までこぎつけてくださった方々に皆感謝していると思います。 」
との言葉が添えられていました。
この映画の上映に尽力してくださった方は、ノンフィクション作家で「石巻学」を発行する大島幹雄さん.
(「石巻学」 https://twitter.com/hashtag/%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%AD%A6 )
震災の時まで石巻にあった映画館「岡田劇場」経営者の菅原宏さんから、この映画のことを聞きました。鮎川も津波で大きな被害を受け、街は流され多くの人が去りました。
「フィルムに残された故郷の幻像を、鮎川を離れた人たちが一緒に見る機会をつくりたい。」と考えました。
東映に問い合わせたところ、映像の原盤は残っていたが現代の上映機にかけるためにはデータの変換が必要で費用が100万円ほどかかることが分かりました。そこで寄付金を募ることにしたのです。すると、目標を上回る額が集まったのです。
鮎川や石巻出身者で昔を懐かしむ人や捕鯨船にかかわった人たちがお金を寄せてくれたのです。
そして、震災で傷ついた鯨の街のかつての姿をもう一度見たいと、市民らが奔走し、実現に至ったのでした。
そういうわけで、2019年8月2日の石巻での上映が実施されたのでした。
前売りは千円、市役所庁舎1階の石巻観光協会などで販売したようです。予約は大島さん(090-2207-8185)でと新聞には書いてあります。
今後も上映を予定しており、期日は未定ですが、必ず上映しますとのことでした。私もぜひ鑑賞してみたいと思いました。
これは、鮎川の捕鯨船ではありませんが、こんな感じだったのでしょうか? (出典 フリー写真より)
小学校時代、私たちはよく給食で鯨肉を食べたような記憶があります。とても硬かったように思います。
つい最近、日本では商業捕鯨を再開しました。世界にはいろいろな食習慣や考え方があるとは思いますが、摩擦を持たずに美味しい鯨肉が食べられるようになると良いのすが..。
ちょっと前までは鯨のベーコンというのが販売されていたと思いますが、今日スーパーに行くと、見当たりませんでした。
また、鯨肉の刺身というのも前にあったように思いますが、今日のお店にはありませんでした。
これからもっと身近になるのでしょうか?
それから、「鯨と斗う男」の映画は当時のポスターに「巨鯨を追って!!男と女・意地と恋情が火花散らす大型映画初の海洋活劇!!」とあり、なにやら一昔前の映画っぽい雰囲気が感じられますが、それとは別に、この映画には現在では目にしなくなった「捕鯨」の様子をきちんと描いているため、経済や日本の食文化を言い伝えていく意味で大変貴重な作品であるという感想を持つ方もいます。
小学校時代に担任の先生が捕鯨のモリの形について説明してくれたことがありました。一度ささると中で開いてもう抜けない仕組みになっているということでした。
今、考えてみるとやっぱり、捕鯨の街に近い地域らしいエピソードでした。
AIがすごい勢いで進歩しつつある現在、銛(もり)打ちとして精進する海の男の物語は、鮎川という舞台の風景だけでなく時代の流れをも感じさせ、郷愁を誘います。
そんな時代に私たちは育ったのだと、改めて思いを新たにさせられます。
また、商業捕鯨が始まって、少しは賑わいが戻るのでしょうか?
また、鯨肉がスーパーい並ぶのかな?
ここは3施設で構成されています。
観光物産交流施設「cottu(こっつ)」鯨料理を提供する飲食店や鯨歯工芸の土産物店等7業者が入るそうです
来春には、津波で全壊した「おしかホエールランド」が再開する予定だそうです。
エリアの指定管理者は一般社団法人鮎川街づくり協会です。これから盛り上げていこうと頑張っています。
ホエールウォッチング、できたら良いですね
ぜひ、行ってみたいですね