「財団法人 淡水魚保護協会」の設立や、1970年代初頭よりイタセンパラに注目され淀川のシンボルフィッシュとしてイタセンパラの天然記念物指定と生息環境保全など淡水魚保護に尽力され、今年の3月14日に逝去された木村英造さんの功績を称えるためのシンポジウム。
冒頭のご挨拶で今回の実行委員のお一人 綾先生から「いるとうるさくて困る。しかし、いなくなるともっと困る。そういう人間でありたいと願ってきた。」との生前の木村英造さんのお言葉が紹介され、私はお会いしたことは有りませんが、今とは180度違うと云っても良い昭和時代の河川行政を向こうに回し、奮闘された当時の姿を彷彿と想像させます。
趣旨説明の後、淀川イタセンパラ保全の現状や行政の対応などの報告が続きました。
受付は、いつもイタセンネットの保全活動で見かける大阪工業大学の学生諸君が対応。
会場はギッシリ満席。大阪近辺の淡水魚関係の研究者や、河川行政のお役人が揃ってます。
本日の資料。
窓の外は、城北ワンドが一望に望めます。
1970年代の半ばから1990年代初頭にかけて発行されていた「財団法人 淡水魚保護協会」 機関誌の数々。