夏の夕暮れ、大川から淀川です。
大川から阪神高速12号守口線、正面に毛馬橋、その奥に毛馬水門。
春風橋から城北川水門、上は阪神高速12号守口線。
毛馬水門手前の造船所。
左から毛馬水門、毛馬閘門、予備閘門。
淀川大堰。水門ゲートが開いてます。
淀川。
淀川大堰。
毛馬閘門。
毛馬閘門です。
夏の夕暮れ、大川から淀川です。
大川から阪神高速12号守口線、正面に毛馬橋、その奥に毛馬水門。
春風橋から城北川水門、上は阪神高速12号守口線。
毛馬水門手前の造船所。
左から毛馬水門、毛馬閘門、予備閘門。
淀川大堰。水門ゲートが開いてます。
淀川。
淀川大堰。
毛馬閘門。
毛馬閘門です。
近畿水環境交流会とは、平成5年全国で活動する川や水に関わる市民団体に呼びかけ発足したNPO法人・全国水環境交流会の近畿圏ブロックの団体で、年1回近畿各河川でフォーラムを開催しています。
今年度は京都伏見の宇治川沿い「京都大学防災研究所宇治川オープンラボラトリー」にて開催、午前中は伏見港周辺を散策、午後から京大防災研でシンポジウムです。
集合は京阪・中書島駅。
辨財天長建寺。
「伏見であい橋」から、琵琶湖疎水の終点。
冬ガモも渡って行ったようで少なくなってます。
巨大なポンプ6台設置がされている毛馬排水機場は、30分で甲子園球場を満杯にできる排水能力を備へていて、大雨など大川の水量・水位が上昇したり、高潮などで安治川や木津川など下流の水門が閉鎖された場合、大川とは高度差のある新淀川へポンプにより排水を行なうための設備です。
併設されている毛馬閘門と合わせて毛馬水門という呼び名が有りますが、地元には毛馬閘門としての方が名は通っています。
1907年8月、内務省土木監督署の技師沖野忠雄の指導による淀川治水計画の一環として設計施行された旧第一閘門は、現在は使われておらず、貴重な産業遺産として一部が淀川河川公園の一施設として整備保存されていて、2008年6月に旧毛馬洗堰とともに国の重要文化財に指定されています。
以上の見学会ですが、今回で崎谷レンジャーとしての今年度活動計画は終了なのだそうで、崎谷さんお疲れさんでした。
集合場所、蕪村公園。後方に毛馬水門が見えます。
同じ建物ですが呼び名が違います。
確か最初に崎谷さんとお会いした時の話題がこの企画のお話だったと思いますが、以前ならば気候的にも安定してる時期だったのに、最近の気候変動の影響をもろに受けて雨天中止が相次ぎ、一昨年などは事前説明が終わり淀川に出ようとした途端突然の豪雨で急遽中止と云う様な事もあり、今回も前日夜までの予報では開催が危ぶまれていましたが、夜が明けてみるとお日様が照り付け暑いくらいの水遊び日和で、水面を滑るように疾走する爽快な競技ボートのスピード感を体験出来ました。
おおさか東線工事中の赤川鉄橋。
今回の資料。
永春寺。
また、細川ガラシャの遺骨らしきものを収めた事から、細川ガラシャの菩提寺でも有ります。
足利義教の首塚。
中島惣社。
中島大水道 新太郎松樋碑~須賀神社跡・旧参道と御旅所から崇禅寺、中島総社などを巡りますが、私は2011年に西淡路を中心に旧高射砲陣地などを廻るまち歩きを行って居まして、大変懐かしい道程でも有りました。
「淀川下流域右岸、東淀川区の地勢は新淀川と神崎川に挟まれた長方形の底質地であって、かつてから川の豊かな恵みを得るのと引き換えに、度重なる水難を被ることが避けられない地域でした。 近年は治水工事の努力で漸く災害から免れたかの状況に至りましたが、自然はあなどれません。普段からの気配りが減災の一助となることを願って、この度の催しを企画しました。」
と崎谷さんのコメント、「一望千里、五穀豊穣の地」と、かつて言われた----- 淀川右岸(東淀川区 中・西部)歴史散歩、これで完結です。
3月と同じく東淀川区役所前集合。
菅原天満宮。
ここは駅舎が出来る様です。
以前来た時は道路標識は有りませんでしたが、交差点ごとに歩行者専用道の標識が建てられてました。
「須賀神社」参道横の古民家。
とてつもなく大きな楠の木。
崎谷さんから、「この度の散策は今日の都市的発展の陰で、幾多淀川・氾濫の試練をなめ起状盛衰があった事実を振り返り、先人が多事多難に立ち向かった痕跡を確かめることで現在私たちが生活の基盤としている郷土の現情を把握することを目的にしています。そして将来にも予測される地震津波の、減災手がかりになればと思う次第です。」
東淀川区役所→旧亀岡街道→菅原町(旧新家村)→菅原神社→豊里町(旧三番、草刈の庄・天王寺庄)→豊里郷土資料館→大道南町(大宮)・大桐町(せせらぎの遊歩道、乳牛牧庄の碑)→大隅神社、8km。
以上のコースを歩きますが、かって「難波の八十島」と云われた東淀川区、現在では伺えませんが巡るポイントは島伝いに存在したので、ポイント間の距離が通常のまち歩きより開き気味で、以上廻り切れるか気に成ってましてやはり後半は端折り気味でしたが、やはり大隈神社まで来たら江口の君堂までは行きたかったですね。
淀川左岸・城北わんど。水を抜いて水生生物の調査やお掃除、クリーン大作戦中。
一柳家。
菅原町(旧國次村)。
農機具や水防道具などの生活雑器が展示されています。
淀川の開削などで村が無く成り、大正12年現在地に移転しました。
逆巻の地蔵尊。
ここで解散