自然にみちた水辺づくりプロジェクト

自然にみちた水辺保全の活動を記録するブログ

毛馬水門から淀川大堰

2017-07-14 17:48:55 | 水辺歩き、イベント

 夏の夕暮れ、大川から淀川です。


大川から阪神高速12号守口線、正面に毛馬橋、その奥に毛馬水門。

春風橋から城北川水門、上は阪神高速12号守口線。

毛馬水門手前の造船所。

左から毛馬水門、毛馬閘門、予備閘門。

淀川大堰。水門ゲートが開いてます。

淀川。

淀川大堰。

毛馬閘門。

毛馬閘門です。


【近畿水環境交流会in宇治川オープンラボラトリー】伏見港周辺散策」

2015-07-25 09:30:23 | 水辺歩き、イベント
 近畿水環境交流会in宇治川オープンラボラトリーに参加。

 近畿水環境交流会とは、平成5年全国で活動する川や水に関わる市民団体に呼びかけ発足したNPO法人・全国水環境交流会の近畿圏ブロックの団体で、年1回近畿各河川でフォーラムを開催しています。

 今年度は京都伏見の宇治川沿い「京都大学防災研究所宇治川オープンラボラトリー」にて開催、午前中は伏見港周辺を散策、午後から京大防災研でシンポジウムです。

 

集合は京阪・中書島駅。


今回の実行委員長・澤井先生からご挨拶です。

 「中書島の弁天さん」京都ではご本尊が弁財天と言うお寺はここだけだそうで、一帯かって中書島遊郭だったそうです。

辨財天長建寺。


長建寺前、十石船の乗船場。

濠川をゆく十石船。

伏見寺田屋。

寺田屋浜。船宿・寺田屋の船着き場だったところです。

 後方は濠川、鴨川左岸を南流してきた琵琶湖疏水・鴨川運河は墨染発電所に入りいったん暗渠となり伏見郵便局の南で再び地上に現れ南下、この地点で濠川と合流。

「伏見であい橋」から、琵琶湖疎水の終点。


金井戸神社。三栖神社のお旅処だったそうですが、今は独立して金井戸神社と称します。

伏見港です。

右が三栖閘門、左が三栖排水機場。

旧三栖閘門。今は十石船の船着場、左の小さな建物は三栖閘門資料館。

三栖閘門の出口、正面は宇治川。

宇治川河川敷を京大防災研に向かいます。

途中、カワウでしょうか。

京都大学防災研究所宇治川オープンラボラトリーが見えてきました。


自然と開放感に満ちた『淀川に親しむ!環境づくり』

2015-03-15 10:10:45 | 水辺歩き、イベント
 4月から活動予定の、昨年度廃止された鶴見緑地の大阪市環境学習センター「生き生き地球館」に併設されてる自然体験観察園内ビオトープ池維持再生のイメージ作りに淀川左岸のワンド群を歩きます。

 


菅原城北大橋。昨年再整備されたワンドです。

 手前黒っぽいのがオオバン、次がマガモのつがい、後方はヒドリガモの群れ。

冬ガモも渡って行ったようで少なくなってます。


改修中の赤川鉄橋。作業車が配線作業中。

ワンドに向かいます。冬枯れで歩きやすくなってます。

水の透明度もまずまず、3年前の大水以降川砂が底に堆積してます。

冬枯れの淀川ワンド。

最近では、中之島辺りでもよく見かけるアオサギ。

昨年、ワンドに放流された天然記念物・イタセンパラの放流ワンド。

記念撮影。

千人塚


地域で考えよう防災 ~川の安全を守ろう 毛馬排水機場&史跡ツアー~

2014-12-06 13:10:14 | 水辺歩き、イベント
 毛馬排水機場の見学会、国交省・河川レンジャー崎谷さんのツアーサポートです。

 巨大なポンプ6台設置がされている毛馬排水機場は、30分で甲子園球場を満杯にできる排水能力を備へていて、大雨など大川の水量・水位が上昇したり、高潮などで安治川や木津川など下流の水門が閉鎖された場合、大川とは高度差のある新淀川へポンプにより排水を行なうための設備です。

 併設されている毛馬閘門と合わせて毛馬水門という呼び名が有りますが、地元には毛馬閘門としての方が名は通っています。

 1907年8月、内務省土木監督署の技師沖野忠雄の指導による淀川治水計画の一環として設計施行された旧第一閘門は、現在は使われておらず、貴重な産業遺産として一部が淀川河川公園の一施設として整備保存されていて、2008年6月に旧毛馬洗堰とともに国の重要文化財に指定されています。

 以上の見学会ですが、今回で崎谷レンジャーとしての今年度活動計画は終了なのだそうで、崎谷さんお疲れさんでした。


集合場所、蕪村公園。後方に毛馬水門が見えます。


毛馬橋から毛馬水門の遠景。

淀川大堰。

赤いゲートが毛馬閘門、右側は排水口の水門。

産業遺産、旧第一閘門。

 旧第1閘門、両岸がレンガ造り、水路前後に鉄製観音開きの制水扉が設置され、両岸からハンドルを回して開け閉めしたそうです。

 


旧毛馬第1閘門。

 国交省も大阪府も排水機場と言いますが、同じ機能でも大阪市では抽水場と言います。

同じ建物ですが呼び名が違います。


巨大な6台のポンプ。

モニタールーム。24時間体制で毛馬水門の状態をチェック。

崎谷レンジャーの防災に付いての講演。

身近な物を使った簡易防水のお話。

だいぶ予定終了時間も超過。秋の日の足取りは軽く、夕暮れが迫ってる様です。

企画ツアー下見

2014-10-27 09:30:42 | 水辺歩き、イベント
 12月に催行予定、国交省・河川レンジャー崎谷さん企画ツアーの下見に来てます。




 排水場や淀川大堰の状態を絶えずモニター。危険な釣り人などに、ここから口頭で注意を促したりしてます。

モニタールーム。


 この6台のポンプがフル稼働すると甲子園球場が30分で満杯に成ります。

 この下の大川が右から左に流れていて、この建物は川の上に建ってる事に成ります。

巨大な排水ポンプ。


 通常は左・淀川から、右・大川への流れが有りますが、大雨などで大阪市内河川が満杯に成ると、水門を閉め逆にポンプで淀川に強制排水を行います。

排水口。


水都おおさか 森林の市2014

2014-10-05 08:55:12 | 水辺歩き、イベント

 

 「大阪市は、江戸時代以降「水の都」と呼ばれ、琵琶湖の水の恩恵を受けて発達した水路を利用した交易により、発展してきました。

 

 琵琶湖の豊かな水を支えてきたのは森林であり、森林は農山村地域に住む人々の手で守られてきました。

 

 「森林の市」では、森林の恵みや木に触れることで、森林と人とのつながりを実感し、森林・林業の役割と意義、農山村の現状について理解を深め、豊かな森林資源を次世代に引き継いでいくことを目指しています。

 

 そして、来場者をはじめ出展者の皆様の交流の場となり、相互に理解と連携を深めていただくことによって、森林・林業における活力の醸成の場をつくります。」

 

 以上の開催趣旨ですが、今回も森ではなく「水の都」がらみの淀川河川レンジャーブースのサポートです。



使いまわしの横断幕。今年は2014年。

河川レンジャーブース、テント2棟準備中。

今日はこのストラップを作るワークショップを行います。

準備完了。

此方はお友達のブース「大阪モツゴ物語」。

沢山のテントブースが立ち上げられてます。

こちらは「ちびっこ棟上げ体験」。

何時も来てるアライグマ(左)とタヌキ。

森林管理局通路側のブース。

どこかで良く見た「平林祭り」。大きな貯木場の有る住之江区のイベントです。

森林管理局内展示。

松ぼっくりが沢山。制作体験のアクセサリー材料。

此方もお友達の絵手紙、NPO法人コスモス。

河川レンジャーブースに人が詰まって来ました。

淀川の解説です。

ストラップづくりもたくさんの子供たちが参加してくれてます。

そろそろ材料が切れて来ました。

この日は天満音楽祭とかぶってて、森林の市もその会場の一つです。



神戸大学ボート部 競技ボート(エイト)の漕船体験会

2014-09-07 12:40:11 | 水辺歩き、イベント
 国交省淀川河川レンジャー・崎谷さん、5年越しの企画ついに実現、残念ながら企画目的の中学生参加は叶いませんでしたが、神戸大エイトの漕船体験会です。

 確か最初に崎谷さんとお会いした時の話題がこの企画のお話だったと思いますが、以前ならば気候的にも安定してる時期だったのに、最近の気候変動の影響をもろに受けて雨天中止が相次ぎ、一昨年などは事前説明が終わり淀川に出ようとした途端突然の豪雨で急遽中止と云う様な事もあり、今回も前日夜までの予報では開催が危ぶまれていましたが、夜が明けてみるとお日様が照り付け暑いくらいの水遊び日和で、水面を滑るように疾走する爽快な競技ボートのスピード感を体験出来ました。 


おおさか東線工事中の赤川鉄橋。


神戸大ボート部クラブハウス階段の窓辺。

神戸大ボート部クラブハウス2階。女子部員たちが談笑中。

主催者・崎谷レンジャーのお話。

 この後、高橋ボート部OB、同じく高橋ボート部主務(現役)のお話の後淀川に出ます。
 
 一昨年はこの辺りで豪雨となり中止。

今回の資料。


淀川に出ます。

神戸大ボート部の諸君が午前中から準備してくれてます。

崎谷さん、淀川の解説中。

崎谷さんのお話が続きます。

訓練用のシミュレーション具でまず練習。

此方はウェイトトレーニング用ですか。

簡単なレクを受けてる間に、学生たちのボートが淀川に漕ぎ出してました。

学生たちが帰って来てさあ乗り込みます。

淀川橋梁、通称・赤川鉄橋を背景に。

真ん中3人が体験漕船、5人が神戸大生なのでかなりスピードが出ます。

オールが揃ってません。

崎谷さん練習中・・、ですが人数の関係で操船体験出来ずでした。

無事終了。ボート日和の晴天です。

コックスを入れ9人乗り、全長18m。

丁寧に手入れをして艇庫に収めます。なんでもボート1杯500万円位だそうです。

レールの上を座席が前後に移動します。

艇庫。

《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》

2014-05-18 15:51:19 | 水辺歩き、イベント
 「《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》そのⅡ」part1からの続き part2、刀工 来一族を祀る永春寺から、明治2年一時摂津県の県庁が置かれていた崇禅寺、最後は中島郷48カ村の親宮で有り明治期に近隣多くの神社を合祀した祭礼中の中島惣社を回ります。


永春寺。


鎌倉期の刀工、来 國長、國次を祀る神社のあるお寺。
 

沢山石仏が祀られてます。

凌雲山・崇禅寺。曹洞宗のお寺。

本堂。
 

東淀川区戦没者の慰霊碑。

 嘉吉の乱により放置された足利義教の首を祀っていて、この因縁により、足利義教の菩提寺の一つで、細川氏菩提寺の一つ。

 また、細川ガラシャの遺骨らしきものを収めた事から、細川ガラシャの菩提寺でも有ります。

足利義教の首塚。


明治2年には、一時 豊崎県と摂津県の県庁が置かれていたお寺でも有ります。

崇禅寺山門。崎谷さん解説中。

中島惣社。祭礼中。

 中島郷48カ村の親宮(惣社)、1908年から1909年にかけて近隣の多くの神社を合祀したので惣社とも言います。

中島惣社。


沢山の神社を合祀したので祭神の多い事。須賀神社も合祀されています。

何とステンレスパイプの鳥居。

中島惣社参道。

拝殿。

御神馬。崇禅寺から中島惣社の一帯は、崇禅寺馬場と呼ばれたそうです。

中島惣社を後に。

解散地点。遠く淀川越しに新梅田スカイビル。左の小路はおおさか新線の工事現場。

東淀川区役所に戻る途中「柴島神社」。

《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》そのⅡ part1

2014-05-18 13:20:19 | 水辺歩き、イベント
 3月に歩いた「《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》淀川右岸(東淀川区中・東部)歴史散歩」の続編、東淀川区西部を巡る国交省・淀川管内河川レンジャー 崎谷さんのまち歩きです。

 中島大水道 新太郎松樋碑~須賀神社跡・旧参道と御旅所から崇禅寺、中島総社などを巡りますが、私は2011年に西淡路を中心に旧高射砲陣地などを廻るまち歩きを行って居まして、大変懐かしい道程でも有りました。

 「淀川下流域右岸、東淀川区の地勢は新淀川と神崎川に挟まれた長方形の底質地であって、かつてから川の豊かな恵みを得るのと引き換えに、度重なる水難を被ることが避けられない地域でした。 近年は治水工事の努力で漸く災害から免れたかの状況に至りましたが、自然はあなどれません。普段からの気配りが減災の一助となることを願って、この度の催しを企画しました。」

 と崎谷さんのコメント、「一望千里、五穀豊穣の地」と、かつて言われた----- 淀川右岸(東淀川区 中・西部)歴史散歩、これで完結です。


3月と同じく東淀川区役所前集合。


 前回に告知されていたので、参加者の大半がリピーターです。

菅原天満宮。


この辺りのお屋敷に多い石垣で嵩上したお屋敷。

菅原町(旧國次村)。大阪府保存樹の大楠の木。

 城東貨物線を改良し、大阪市淀川区の新大阪駅から八尾市久宝寺駅間で旅客営業する計画のJR西日本の鉄道路線の「おおさか東線」、工事が進んでます。

ここは駅舎が出来る様です。


工事中のおおさか東線ガード潜ります。

何とも意味不明のオブジェ。

阪急淡路駅沿いの半地下駐輪場。

 この道は、元井路川水路跡で道路指定を受けていない為、駐車問題など度々地元で問題になる道です。

 以前来た時は道路標識は有りませんでしたが、交差点ごとに歩行者専用道の標識が建てられてました。


今回の目的地の一つ「中島大水道顕彰碑」。

「新太郎松樋」 「樋」とは水門の事です。

崎谷レンジャーの解説も力が入ってます。

 以前来た時は政党のポスターだらけで見苦しかったですが、すべて外されていました。

「須賀神社」参道横の古民家。  


先程の古民家。裏道が拡幅された為か、こちらに門を建築中。

須賀神社跡、須賀森公園。以前来た時には建て上げ中の掲示板。表示も色あせてます。

須賀神社跡、須賀森公園。崎谷レンジャー解説中。

須賀神社跡碑。

 幹周5m、樹高30m、樹齢/約600年。写真では大きさがわかりにくい。

とてつもなく大きな楠の木。


須賀神社参道の灯篭を撮影中の中村さんと松川さん。

教会に鳥井が・・・。じゃあなくて隣りです。part2へ続く

《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》淀川右岸(東淀川区中・東部)歴史散歩

2014-03-09 13:22:34 | 水辺歩き、イベント
 「《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》淀川右岸(東淀川区中・東部)歴史散歩」国交省・淀川管内河川レンジャー 崎谷さんのまち歩きです。

 崎谷さんから、「この度の散策は今日の都市的発展の陰で、幾多淀川・氾濫の試練をなめ起状盛衰があった事実を振り返り、先人が多事多難に立ち向かった痕跡を確かめることで現在私たちが生活の基盤としている郷土の現情を把握することを目的にしています。そして将来にも予測される地震津波の、減災手がかりになればと思う次第です。」

 東淀川区役所→旧亀岡街道→菅原町(旧新家村)→菅原神社→豊里町(旧三番、草刈の庄・天王寺庄)→豊里郷土資料館→大道南町(大宮)・大桐町(せせらぎの遊歩道、乳牛牧庄の碑)→大隅神社、8km。

 以上のコースを歩きますが、かって「難波の八十島」と云われた東淀川区、現在では伺えませんが巡るポイントは島伝いに存在したので、ポイント間の距離が通常のまち歩きより開き気味で、以上廻り切れるか気に成ってましてやはり後半は端折り気味でしたが、やはり大隈神社まで来たら江口の君堂までは行きたかったですね。


淀川左岸・城北わんど。水を抜いて水生生物の調査やお掃除、クリーン大作戦中。


集合地点、東淀川区役所。地元の方が多い様です。

亀岡街道碑と橋柱。

道路を渡り向いの亀岡街道碑。高麗橋から6.14㎞。

度々水害に襲われる土地柄で、石積みの上に家を建ててます。

瓦を積み上げた塀。石碑には「吹田 富田 茨木」道、と在ります。

 次回東淀川区西部のまち歩きを計画中だそうで、「中島大水道」をメインテーマに据え、その為に「一柳太郎兵衛」さんの一柳家の見学でしょうか。

一柳家。


 大阪府保存樹。大きなお屋敷ですが、左の柵の中に國次村碑が残ってます。

菅原町(旧國次村)。


豊里町の古い町並み。

石碑が点在。

また石碑。

私の地元城東区の旧家もこのように石積みで嵩上して在りますが2段位高い様です。

石積みの板塀。板塀は農家の特徴で、武家だと塗塀に成ります。

菅原天満宮。人の背丈以上の高さの石積み上に鎮座してます。

ここにも大阪府保存樹。

菅原天満宮から少し距離を歩き「豊里郷土資料館」。

 昭和35年から始まった区画整理事業の結果の過剰地に建てられた様です。

農機具や水防道具などの生活雑器が展示されています。


東淀川区「大宮」。

 第27代安閑天皇を主祭神として祀られた神社で、安閑天皇はこの地を度々訪れ、放牧の適地として奨励されたそうです。


大宮 拝殿。

本殿裏に「聖徳太子社」が在ります。

拝殿から大鳥居。

せせらぎの遊歩道。

ここにも橋柱。

乳牛牧跡。「ちゅうしまき」と読みます。

せせらぎの遊歩道が続きます。

 もと豊里大橋付近の阪巻村(現在淀川河川敷)に在り、付近は淀川でも水流の激しいところで、船は帆を逆に巻かねば転覆するほとで、多くの犠牲者が出たのでその冥福を祈って建立したといいます。

 淀川の開削などで村が無く成り、大正12年現在地に移転しました。

逆巻の地蔵尊。


大隈神社。

応神天皇(大隅宮)をお祀りしています。

拝殿。

菅原道真が大宰府に赴く道すがら立ち寄ったとされ、ここにも天満宮。

 私は自転車を取りに何人かと出発点の東淀川区役所に戻りますが、しかしよく歩きました。

ここで解散