腫瘍内科医一家のニューヨーク滞在記

ニューヨーク研究留学中での出来事を感想を交えてメモ代わりにつづります。

恩返しの方法

2014年07月26日 15時54分39秒 | 日記

 師匠が班長をつとめる厚労省班会議に出席した後、師匠とその門下生である先輩の先生方(不肖私以外は皆さん教授)と久しぶりに飲みにいきました。

 久しぶりだったので懐かしい話題で大いに盛り上がりました。

 随分とお酒が入ってきたところで、唐突に師匠がにやりと笑って(目は笑っていない)、「そういや、お前は一生俺についてくると言っていたよな。」

 弟子曰く、「僕は今も先生についていっております。自分は私利私欲を捨てて、先生のシーズも含めた日本発の新しい新薬の臨床試験を一日でも早く白黒の決着をつけるためにここにきたのです。それこそが本当の恩返しではないでしょうか。たとえ、先生のそばにいなくても、いや、そばにいないからこそ、より大きな貢献ができるはずです。」

 周りの先輩方は納得されたご様子。

 師匠は何も答えられなかったが、すべてわかっておられるはず。

 帰り際、名古屋駅で師匠といつになく固い握手をしてわかれた。

 

 周りの景色は変わっても、自分自身は昔から全くぶれておりません。

 


4月10日(木)のつぶやき

2014年04月11日 05時13分31秒 | 日記

小保方さんの会見をみて、、、

2014年04月10日 23時41分10秒 | 日記

個人的には違和感を感じた会見でした。

小保方さんがSTAP細胞の存在があると言いきるためには、やはり科学者として客観的なデータで証明すべきです。

それがサイエンスのルールです。

彼女は日本を代表する研究機関で若くしてユニットリーダーにまでなっている方です、、、。

現時点で、彼女がSTAP細胞の存在は真実であるといくら主張しても、客観的な視点から見ると「私はSTAP細胞の存在を信じています。』と言っているとしか聞こえません、、、。

そういう意味では理研の野依理事長の会見での言葉は婉曲表現ながらも彼女の研究者としての未熟さを的確に言い当てていたと思います。

信じるだけではせいぜい仮説を立てたレベルと変わりありませんから、、、。

今回の会見内容が、彼女が世間に対してもっとも言いたいことだったとすれば、彼女は科学者ではなく「別の才能」でここまで出世してきたのではないかなどと穿った見方さえ浮かび上がってきます。

今回の会見によって世間の同情は一定割合で集めることができたかもしれませんが、今後彼女がどのように生きて行くか、すなわち、ご自身の手でSTAP細胞の存在を証明できる否か静かに見守って行きたいと思います。

それが小保方さんの本当の姿、「真実」を表すものだと感じます。

数年後の彼女がSTAP細胞の存在を証明して今回の騒動をバネに真の科学者になっているのか、それとも、「別の才能」を使って異なる世界で生きておられるかが答えでしょう、、、。

今はせめて心のどこかで前者の結末であることを願いたいと思います、、、。

なんだか悲しい世の中ですね、、、。


3月31日(月)のつぶやき

2014年04月01日 05時18分37秒 | 日記

法律や倫理は人々を幸せにするものであってほしい。 goo.gl/e1dHIi



法律や倫理は人々を幸せにするものであってほしい。

2014年03月31日 00時16分25秒 | 日記

 平成25年3月31日、、、日本では年度末です。帰国してほぼ一年、都会に来たこともあり多くの方々との出会いがあり、そして、その分、多くの方々とのお別れもありました。

 世の中にあるさまざなま法律や倫理指針といった類いのものは、全体的には過去の歴史や経過の反省から年々より良いものになってきていることは間違いないでしょう。

 問題は、本来は世の中を良くするために用いられるはずの法律や倫理を政争の具にしたり、人の揚げ足取りにしようとするために利用する輩が多いことです。

 本当に悪い人間は、法律や倫理の網の目をくぐり抜ける「悪知恵」が身に付いているものです。

 公正な国際紛争解決能力を持たない国連自体の矛盾はいうまでもなく、東アジアの一部の国による捏造を鵜呑みにした我が国に対するアンフェアな歴史解釈の要求とプロパガンダ、、、政争目的によるマスコミへのリーク合戦、、、ブラック企業といわれる悪徳経営者による人権蹂躙といえる雇用方法、、、環境問題にたいする対応にもあてはまることでしょう。

 ロシアによるクリミア介入の背景を公平に伝えている大手マスメディアも皆無といっていいでしょう。マスコミの方々が無知なのか(信じたくはありませんが)、故意に情報を操作しているのか、、、人間の「悪意(意地悪、嫉妬等)」を数えはじめるときりがありません。やはり、教育が大切なのだと思います。

 我々にとって必要なのは、法律の網の目をくぐりぬける誤ちを正しい方向に導く倫理「感」なのではないのでしょうか。それは、文章化にするだけでは不十分で我々一人一人の心の中に「生きて」いないと意味がありません。

 子供の世界、大人社会にも存在するいじめの構造にも通じるものを感じます。身近なところでは、辛そうな、悲しそうな、そんな人を見て見ぬ振りをしていないでしょうか。それにすら気づかない感性の人間が世の中に増えているのなら、もはや救いようがないのかもしれませんが、、、。

 世の中を進歩させるべく新しいことにチャレンジする人間が法律や倫理の壁(悪意による)で脱落し、ほとんど何もしない評論家的な人間が回り回って最後に生き残ってリーダーになってしまうような国、社会、組織には決して明るい未来は来ないことでしょう。

 厭世観をもつ人々が増えないこと願わずにはいられません。

 微力ではありますが、自分自身も含めた!人々を幸せにするために生きていきたいと思います。笑