日本で、あるお笑い芸人の方の母親が、息子が売れっ子になって数千万円の年収になってからも生活保護を受け続けていた事が大ニュースになっているとのことです。
私自身は、この芸人さんを公共の電波で糾弾することには全く興味がありません。一個人を国会やマスコミ媒体で個人攻撃する事は見せしめ的な意味合いがあるのでしょうが、いち日本国民としては品がなくあまりいい気持ちはしません。必要であれば、役所がご本人に直接返金を請求すれば良い話だと思います。
生活保護に関しては、もっと本質的な問題点があると感じております。
この一件をインターネットで見て、今から10年ほど前の個人的な経験を思い出しました。
私が某市民病院勤務時代に、ある患者さんについて腹立たしい受給の実態に直面し、生活保護を審査する立場の市の職員の方にクレームをつけた事があります。「医師としてこの方の病気と症状(生活習慣病で無症状!)なら十分に仕事ができると考えます。20代の若くて元気な人に生活保護を継続する事と、もう一度社会復帰して働く事ができるように支援していくことのどちらがこの方の将来のためになりますか。あなたは信念や誇りをもってこの仕事をしているのですか。」などとその患者さんの前で、担当の市の職員の人に若気の至りで熱く語ってしまった事が懐かしくも、少々恥ずかしく思い出されます。
そのとき、私に生活保護申請の診断書を書いてもらえなかった市の担当の職員の人は、私の上司の科長に泣きついて!継続申請の書類を書いてもらったと後で聞かされ、悲しさとやり場のない怒りがこみ上げましたが、どうしようもなく無力感とともにあきれはててしまいました。その市の職員さんは、生活保護の受給を断るとあとで嫌がらせを受ける等の問題から逃げるために、あとでややこしくなりそうな人たちには基準を故意に緩めて生活保護の支給と継続をしているのだと聞かされました。
個人的には、生活保護制度そのものは弱者救済の意味合いからは絶対に必要なものであると思いますが、その審査基準と継続基準と運用方法の矛盾の背景には、我が国の先の大戦での敗戦による負の遺産も複雑に絡み合った根深い問題が内在していると感じております。確信犯的に生活保護を受給している人たちの影で、本当に受給が必要な人が必要以上の負い目を感じることなく受給ができるように、政治家、役人の方々も、表層的なことではなくもっと本質的な問題に踏み込んで、真の「公平」(人間社会に平等は困難!)な社会を作っていくためにこの制度を改善するときではないでしょうか。マスコミの方々にも、一人の芸人のニュースでお茶を濁すのではなくて、我々国民の目を覚まさせるような報道を期待したいです。
情報の隠蔽ではなく、開示(disclosure)こそが社会を良くするものだと固く信じます。