冬のマンハッタンは、家族ずれで遊びに行くところがあまりなさそうである。
アイススケートには何度か行った。あとが続かない。
子持ちの職場の同僚たちに、「子供を連れて遊びに行ってやりたいけど、どこかお勧めはないか。」、と聞きまくっても、ほとんどの人たちから帰ってくる答えは、「アメリカ自然史博物館 American Musieum of Natural History」ぐらいである。
もう一つは意外なことに、ミッドタウンのマディソンアベニューにある日本が誇る「Sony」のフラッグシップストア「Sony Style」であった。まだ、行ったことがないが、ここではソニーの製品が自由に触れるので子供が喜ぶであろうとのこと。
さすがに、こちらに来てソニーの店に行かなくてもということで、一月の初めに、アメリカ自然史博物館に子供二人を連れていってきた。
マンハッタンのセントラルパーク西側に接した、81丁目にあるのであるがとてつもなく大きい。
またしても、アメリカのお金持ちぶりに圧倒された。
生物、物理、地学、化学の分野のすべての歴史が学べるようになっている。
子供流にいえば、恐竜、生き物、動物、宇宙等のことが見学できるといった感じである。
本当にきっちり見学しようとすれば、1週間以上かかるで規模と思われる。
詳しくはホームページhttp://www.amnh.org/を参照。
子供たちには、圧倒的な展示場の恐竜の展示や世界の動物の剥製が印象的だったようである。
少しは教養を持ってほしいという親のひそかな願いはかなえられず、彼らは詳しい説明文なんかそっちのけで、単純におおきな恐竜の姿や動物たちを楽しんでいた。
また、宇宙旅行をしているかのような錯覚に陥る「Journey to the Stars」というプラネタリウムショーは大人にとっても感動ものであった。地球上の人間の営みなんて宇宙規模で見れば、砂の一粒ぐらいのもので、つまらないことに一喜一憂しても仕方がないと素直に思えた。
「宇宙」ということで大きく話はそれてしまうが、わが国の総理大臣が「宇宙人」と称されているが、前々から違和感を感じている。軽々しく「宇宙」などというたとえは使うべきでない。彼の奥底に、我々の想像を超えた日本の経済危機を救えるような秘策が隠されているとは到底思えない。変わり者という範疇で「宇宙人」という言葉が使われているのであろうが、それではあまりにも軽すぎる。彼は日本有数の政治家の家系でお金持ちの家に生まれたが、我々と大きくは変わらない普通の人間である。早かれ遅かれ国の借金の付けが我々国民に回ってくる。
もし可能なら、宇宙人にあってみたいが、僕らがイメージできるようなものではないだろう。
当たり前だが、宇宙は広大で得体の知れないものにちがいない。
アイススケートには何度か行った。あとが続かない。
子持ちの職場の同僚たちに、「子供を連れて遊びに行ってやりたいけど、どこかお勧めはないか。」、と聞きまくっても、ほとんどの人たちから帰ってくる答えは、「アメリカ自然史博物館 American Musieum of Natural History」ぐらいである。
もう一つは意外なことに、ミッドタウンのマディソンアベニューにある日本が誇る「Sony」のフラッグシップストア「Sony Style」であった。まだ、行ったことがないが、ここではソニーの製品が自由に触れるので子供が喜ぶであろうとのこと。
さすがに、こちらに来てソニーの店に行かなくてもということで、一月の初めに、アメリカ自然史博物館に子供二人を連れていってきた。
マンハッタンのセントラルパーク西側に接した、81丁目にあるのであるがとてつもなく大きい。
またしても、アメリカのお金持ちぶりに圧倒された。
生物、物理、地学、化学の分野のすべての歴史が学べるようになっている。
子供流にいえば、恐竜、生き物、動物、宇宙等のことが見学できるといった感じである。
本当にきっちり見学しようとすれば、1週間以上かかるで規模と思われる。
詳しくはホームページhttp://www.amnh.org/を参照。
子供たちには、圧倒的な展示場の恐竜の展示や世界の動物の剥製が印象的だったようである。
少しは教養を持ってほしいという親のひそかな願いはかなえられず、彼らは詳しい説明文なんかそっちのけで、単純におおきな恐竜の姿や動物たちを楽しんでいた。
また、宇宙旅行をしているかのような錯覚に陥る「Journey to the Stars」というプラネタリウムショーは大人にとっても感動ものであった。地球上の人間の営みなんて宇宙規模で見れば、砂の一粒ぐらいのもので、つまらないことに一喜一憂しても仕方がないと素直に思えた。
「宇宙」ということで大きく話はそれてしまうが、わが国の総理大臣が「宇宙人」と称されているが、前々から違和感を感じている。軽々しく「宇宙」などというたとえは使うべきでない。彼の奥底に、我々の想像を超えた日本の経済危機を救えるような秘策が隠されているとは到底思えない。変わり者という範疇で「宇宙人」という言葉が使われているのであろうが、それではあまりにも軽すぎる。彼は日本有数の政治家の家系でお金持ちの家に生まれたが、我々と大きくは変わらない普通の人間である。早かれ遅かれ国の借金の付けが我々国民に回ってくる。
もし可能なら、宇宙人にあってみたいが、僕らがイメージできるようなものではないだろう。
当たり前だが、宇宙は広大で得体の知れないものにちがいない。