腫瘍内科医一家のニューヨーク滞在記

ニューヨーク研究留学中での出来事を感想を交えてメモ代わりにつづります。

South Street Seaportへ

2010年02月24日 06時00分00秒 | 日記
 先週末の日曜日、マンハッタンの南端部分の東側にあるSouth Street Seaport(http://www.southstreetseaport.com/)に出かけた。
  
 本当は自由の女神を見るためにリバティ島に行く予定であったが、自由の女神のクラウンの部分まで上ることができるチケットが売り切れていたために今回は断念した。

 ここは、長年さびれていた古い港を、80年代半ばに観光客向けに再開発されたところで、ショッピングモール、船のツアー、スケート場等があり、マンハッタンの観光地の一つとなっているとのこと。しかしながら、ニューヨークにしては、あまり垢ぬけていない感じで、少し古きよき!?アメリカの雰囲気が残った観光地といった趣である。
 今ひとつ冴えないところであるが、アバクロの店舗があり、やはりここも多くの客でにぎわっていた。ここは店員のルックスが、アメリカらしくなく「スタイル抜群」の人ばかりで、店内で一人、ハイレベルのモデル風の女の子がいて、家族一同、その顔の小ささとスリムさに驚愕させられた。
 
 今回はSouth Street Seaportから、Water Taxi(日本で言うところの水上バス)に乗ることにした。一時間弱で、マンハッタンの南方を周って自由の女神の前まで行くというツアーで観光客に人気があるらしい。http://www.nywatertaxi.com/tours/SOLE/
 
 South Port Streetの船着き場であるpeer17から、水上バスに搭乗、まず、マンハッタン最南端から西側のニュージャージを眺め、その後、リバティー島に接近。自由の女神像の近くで10分ほど停止し、乗客各自が記念撮影、その後、マンハッタン南方を臨みつつ、東側のブルックリンブリッジの下を通過し、出発地のpeer17に戻り終了という定番的なコースである。
 船には地方局のラジオのDJをほうふつとさせるガイドさん(星条旗のサングラス!をはめた黒人のおじさん)も同乗していて、息つく暇もなくしゃべりまくるしゃべりまくる。
 思わず子供のころよく見た、テレビ東京系の「世界のプロレス」のチープな実況を思い出した。おっと、失礼。テンションが上がってしまえば、このB級のノリを楽しむほかない。
 このガイドさんは客席を回って、次から次へと「どこから来たのか。」とワンパターンに聞きまくる聞きまくる。世界中から観光客が来ていることに今更ながらに驚いた。
 最後にラッキーなサプライズがあった。拙いながらも英語で話してみたくて仕方がない娘が喜んで手を上げてガイドさんの質問を受けたあと、うちの二人の子供たちだけを船長室にいれてくれた。一人数分ずつではあったが、船の操縦のさわりを体験させてくれた。マンハッタンにほど近い沖合で船の操縦なんて、なかなか経験できるものではない。

 子供たちは、大喜び。なぜか、妻も大喜び。
 時間の都合で、毎回一組限定なのであろうが、粋な演出である。
 
 帰り際に、このガイドさんが乗客にチップを求めていたのは御愛嬌。
 やはりここはアメリカなのである。

真冬のセントラルパーク

2010年02月22日 11時38分36秒 | 日記
 週末、家族とともにセントラルパークを散歩することになった。
 真冬のセントラルパークは、イベント等も乏しく、一般的には観光にはお薦めとされていない。
 
 しかし、日本では雪をほとんど経験しない子供たちにとっては、雪が残っているだけで楽しい場所となるようである。また、常に体を動かしていないと気が済まない「運動マニア?」の妻にとっても悪い話ではなかったようだ。
 
 気温摂氏2~3度と冷え込む中、延々と2時間程度の散策することに。
 セントラルパーク最南端の59丁目から79丁目まで、定番の「The mall」や「Bethesda Terrace(冬場のためか噴水は止まっていた。)」を継由し、その後はやや西側のアップダウンが多く、時には雪で滑りそうになりながら道を北上し、Belvedere Castle(ベルベデーレ城)という小さな石造りの砦程度の小さな城に登りパークの北側半分(今回の写真)を眺めたところで今回は終了。帰りはそこから、西側に向かい、セントラルパーク西側81丁目に接するアメリカ自然史博物館へ立ち寄り、地下鉄でアパートまで帰った。
 今回の道順は、セントラルパークの公式ホームページの地図を探していただいて参照していただくと、約縦4km幅800mのセントラルパークの下側の4割程度の範囲を歩いたに過ぎない。http://www.centralparknyc.org/site/PageNavigator/virtualpark_main

 セントラルパークの中は、場所によっては手入れが不十分で自然がそっくりそのまま残されたところも多い印象を受けたが、これはこれで、この公園のスケールの大きさを感じさせるもので好感が持てた。また、私のような庶民には本来縁遠いが、冬場でもさまざまな鳥が確認でき、素人ながら「バードウォッチングもどき?」も楽しめた。
 
 冬場にセントラルパークをゆっくり歩いてみるのも意外と悪くなかった。
 ただし、治安の面から日中に限るが。

おそるべしチャイナタウン!

2010年02月16日 20時38分57秒 | 日記
 今年は2月14日は中国では旧正月のため、マンハッタンのチャイナタウンでは新年のお祝いでにぎわうと聞いた。
 
 職場には中国の人も多く、2月12日金曜日は、帰りがけに「Happy New Year!」と声を掛け合う人も多く見かけた。
 
 当日、家族4人で、チャイナタウンに出かけた。
 以前から、子供は学校の社会で習っているためか中国に関心があり、大喜びだったが、チャイナタウンにつくと、妻、子供の表情が一変した。
 ここがマンハッタンとは思えないぐらい中国の人であふれかえり、さらに、失礼は百も承知であるが、町はとても汚いし、スーパーからは異臭が放たれる。人垣の中では、隙間があれば人を押しのけてどんどん前に進もうとする。日本のように指図されずとも自然に列を作って順番に待つような習慣がないのか、とにかく平気で割り込んでくる。子供たちは、何度も背中を押され、足を踏まれたらしい。娘は「なんて失礼な人たちなんだ。後ろから押してはくるし、足を踏んだり人にぶつかっても謝らないなんて。」と憤慨していた。
 ニューヨーカーは少しでも肩に触れようものなら、「Excuse me.」と声をかけてくるが、ここはマンハッタンといえどもチャイナタウンなのである。噂には聞いていたものの、同じ東洋人でも、相当、文化、慣習が違うことを痛感させられた。
 もちろん、新年のお祝いで人が多かったことを考慮しないといけないし、自分は中国の人に悪意は全くないので誤解なきよう。
 結局、わずか一時間半ほどの滞在で、家族ともども疲れて退散することに。
 楽しみにしていた中国のお茶屋さんは、次回に持ち越しとなった。

 子供たちは、自分たちの価値観以外の世界があることを思い知らされたのではないだろうか。
 このような環境で育つ中国の子供たちは、自然とタフになるのかもしれない。
 この先、世界がますます狭くなり、世界の人々が入り混じって仕事をするようになった時、今の日本の子供たちが世界の舞台でどこまでリーダーシップを発揮できるのか。良くも悪くもアメリカ人、中国人、インド人などの「タフ」な他国の人たちに圧倒されてしまうのではないだろうか。
 日本人は概して礼儀正しく行儀が良いとされる。(最近、かなり崩れてきているようにも思うが)このことは美点であり大切に受け継いでいかなければならないが、押しが弱いというか少々大人しすぎるのかもしれない。
 他国の人たちがこちらの価値観を汲み取って合わせてくれるほど、世界は甘くない。
 帰りの道中、不機嫌な家族をよそに、今の自分の立場を顧みて一人でそんなことを考えていた。

2月10日の大雪について

2010年02月15日 14時39分43秒 | 日記
 日本からいただいた多くのメールによると、先日2月10日はこちらでは100年ぶりの大雪で、ニューヨークで公共交通機関にも影響が出ているとのことであった。
 中には安否を気遣っていただいているものもあり、不思議に思っていた。
 友人からも大雪に関するグログのリクエストもいただいたので、話題にしたい。

 1月末から2月にかけて、個人的にあまりテレビや新聞を見ていなかったためか、2月10日のこちらでの大雪のことが、日本でそれほど大きく取り上げられていたと聞き驚いた。
 
 よくよく考えてみると、前日から大雪の警告が職場やアパートの掲示板に張り出されていた。とくに、アパートの前の道路は、予想される除雪車の出動に備え、自動車の路上駐車を絶対にしないように警告されていた。子供も、前日の夜の時点から、明日は雪が降って学校が休みになるから早く寝なくていいとなかなか寝ようとせず遊んでいた。
 前日は、夜の1時半か2時までは起きていたが、眠りに就く時点ではまだ雪は降っていなかった。

 ところが、2月10日朝起きると、年末の雪の時と同じく一面銀世界であった。

 ルーズベルト島とマンハッタンを結ぶトラム(ロープウェー)は、さすがに強風と雪のため運休となり、子供の学校も予想通り休校にはなった。 
 当日朝、吹雪でマフラーを飛ばされそうになりながらも、地下鉄も通常通り走っていたため、いつも通り仕事に向かったが、実際、職場の半数弱は仕事を休んでいたし、午後2時ごろに早々に帰宅するものも結構いた。
 正直に言うと、こちらの人間はいい加減でやる気がないなあ、とぐらいにしか思っていなかった。個人的には呑気にやはりニューヨークの冬は厳しいとぐらいにしか思っていなかったのが実情である。

 しかし、後で聞いたところによると、除雪対策等が早くから行われたマンハッタンとその近郊は以外では、数日間公共交通機関に影響が出たところもあったようである。具体例では、大雪の2日後の時点で、研究室の仲間の夫が、単身赴任先のフィラデルフィアからニューヨークに向かう道中、大雪の影響でバスが大幅に遅れてこちらになかなか来られないと言っていた。
 
 やはり、まれにみる大雪であったことは間違いなさそうである。

 ただし、マンハッタン内では除雪作業等が予め大雪の予想のもとに計画的に実行され、トラブルは比較的少なかった印象である。
 
 自分は当日写真を撮っていなかったが、下の息子がいたずらで勝手にカメラでアパートの室内から隣のアパートを映していた。ピンボケであるが、激しい吹雪の印象は伝わるかもしれない。ビデオカメラにも、当日の吹雪の様子が多数撮影されていた。先日、出かけたとき、充電しておいたはずのカメラの電池がすぐに切れてしまった理由が分かった。
 やはり、私は鈍感のようである。

ニューヨーカーからの洗礼!

2010年02月13日 12時59分41秒 | 日記
 今日は、精神的にタフな一日であった。
 
 突然、研究室の番頭格の上司にこれまでの研究データをプレゼンするように言われ、実験を途中で中断し慌てて会議室に駆け込むと、大御所の先生はじめ、研究部所のChair Man等、恐ろしいメンバーに囲まれてしまった。さらに、自分のボスは出張中で今日は不在。
 先日の患者さんのデータを、大御所の先生と番頭さんと自分だけでディスカッションするものと思っていた自分は完全に意表をつかれた。
 
 「勘弁してくれ。」

 仲間内だけで行うような生のデータ(論文や学会に出すような整理されたデータでない。)をプレゼンしたので、細かい突っ込みが入りまくりであった。
 データのみならず、このときはどうした、あのときはどうしたといった細かい実験の手順のことまで、重箱の隅をつつかれまくるのである。
 こちらは英語がすべて聞き取れるわけでなく、右から左から、縦から横から斜めから(そんな日本語ないって!)思いつくまま口々に鉄砲玉のように質問が飛んでくる。
 チャアマンに至っては、南部訛りのハスキーボイス!のためか、何を言っているか全く聞き取れない。そういえば、一年前のインタビューの時もこの人の英語だけは全く聞き取れなかった。わかろうがわかるまいが、とにかく、この人が一番偉い。
 さらに、興味が持てなかったのか、途中で平気で抜けていく者もいる!
 非常に不愉快な気分になったが、冷静に考えれば、前置きもなく仕事中に呼び出されて、いきなり片言の英語しか話せない日本人のプレゼンを聞かされるわけだから。
 ここには、日本的な遠慮、配慮は一切ないのである。
    
 拷問のような一時間半であった。

 そういえば、こちらの人間から聞いたが、「おまえもニューヨーカーらしくなったな。」というのは、時に一級品のジョークかつ皮肉の意味で使用されるらしい。その心は、「厚かましく、図々しく、自己主張の強いやつ。」という意味が言外に込められている。
 ニューヨーク恐るべし。
 日本では京都に言葉の「表と裏」を使い分ける文化があるらしいと聞いたことがある。
 今もそのような文化が残っているのであろうか。
 自分がこのようなジョークを言われることはずっとないであろう。
 まだまだ、肩身が狭いのである。  
 
 写真は、今日使用した会議室。
 マンハッタンの景色が一望できるが、今日はとても窓の外なんて見る余裕はなかった。