先日、こちらの新聞報道で、ニューヨーク市のフラッシング地区(中国系、韓国系のコミュニティが形成)を地元とする、中国系アメリカ人と思しき名前の政治家が、従軍慰安婦を追悼する通りを作ろうと動いているという記事を見て、国民性というか民族性のあまりの違いにがっかりしました。
以下の文章は少し前に書いたものであることをご了承ください。
娘が学校で歴史を学ぶ年齢になりました。
「なぜ、人類はいつの時代も戦争を繰り返してしまうのか。」
娘にはどうしてもすっきりしない問題のようです。
歴史の授業も、第二次世界大戦の敗戦、戦後となり、ついに公民の授業が始まったようです。
この時代の歴史を学ぶことは、我々日本人にとっては非常につらいことと同時に、「奇妙な違和感」を覚えるものでもあります。
なぜ、勝算がほとんど見込めないアメリカとの全面戦争を回避できなかったのか。
大東亜共栄圏というスローガンを掲げ欧米列強からのアジア諸国を解放するはずが、現実には中国や朝鮮半島等の人々の激しい抵抗にあっていたという矛盾。
強制連行されたと主張される朝鮮半島出身の方々の多くが、実は自ら日本に渡ったという事実。(直接、韓国人の友人から「自分の先祖も含め大半の韓国人は自らの意思で日本に渡ってきた。祖父母からは日本の方が暮らしやすかったからと聞いている。」と聞かされたこともあります。)
沖縄戦における一般市民をも巻き込んだ多大な犠牲。
アメリカによる一般国民をも巻き込んだ非人道的な広島、長崎の原爆投下。
勝者側が敗者側を一方的に裁いた、極東国際軍事裁判の存在自体の矛盾。
日本国民の意志でなく、アメリカに強制される形で定められた日本国憲法の不幸な出自。
日本「だけ」が永遠に戦争を放棄させられたことが、果たして今日の世界の平和にどれほど貢献できているのでしょうか。
当時、日本も悪いこともたくさんしたことは間違いありません。しかし、同時に、日本もひどい目に遭わされましたし、未だに、敗戦国として根拠の乏しいつけを払わされ続けている部分があると思えてなりません。
平和に対する罪(!?)は、敗戦国だけが一方的に負わされるべきものなのでしょうか。そして、このような発言すると、なぜか、感情的になり右寄り思想とか軍国主義者などという決めつけをする人が出てきます。日本人として、このような人たちに違和感を覚えざるをえません。
家庭でも、学校でも、マスコミ報道であろうとも、一方的な意見を押しつけるのではなく、様々な見地から冷静に戦争というものを子供たちに伝えていかないと、世界平和を達成する叡智など、この先、それこそ人類が滅びるまで生まれてこないのではないでしょうか。
次世代を担う子供たちには、いいことも悪いことも含めて、なるべく詳細に我が国の歴史、世界の歴史、そして大人たちの本当の姿を知ってほしいと思います。そして、次の時代あり方を自分自身で考えて欲しいものです。ニューヨークで暮らして、子供達の中に、外国人に対する偏見が薄れてきているように感じています。