腫瘍内科医一家のニューヨーク滞在記

ニューヨーク研究留学中での出来事を感想を交えてメモ代わりにつづります。

学校はもはや無力なのか。孤独でつらい思いをしているすべての人に、頑張れ!

2011年02月27日 01時30分32秒 | 日記

子供のことに親が口出しをすべきでないことは、もちろん原則正しいし、全く同感である。しかし、子供の心が壊れかけているときにドクターストップをかけるのは親や学校の大切な役割ではないのかと思う。たとえ故意でないにしろ、人を傷つけたことに対して素直に謝ることができない人間はたとえ子供であっても寂しい。うちの子が逆の立場なら、まずは素直に自分の子供の「無神経」「無知」について素直に相手に謝らせる。それからお互いの反省点をみつめてこれからどうやっていくか考えさせる。当方の真意が通じると思った私の判断、そして学校が人間教育の場であることを期待した自分は甘かった。調停役はあくまで、双方からリスペクトされている人にしか務まらないことを。そんな私の考え方を、親しい人は「アウトロー」と呼ぶ。(苦笑)

子供が今回のことで少し強くなってくれたこと、自分の欠点を見つめ直してくれたことが救いである。納得できなくとも吹っ切れたのか、家での表情が目に見えて明るくなってくれた。ただ、終わりよければすべてよしとは行かない展開に、後味の悪さがのこる。今回のことが、ニューヨークでの特殊な小さな「日本疎開」での出来事だと思いたいが・・・。当初、あれほど熱意を持って子供たちに自ら気づかせる場を持たせてほしいとおっしゃっていたはずの肝心の調停役が、本質を見ることなく直前で三人とも同じだけ悪かったという「結果平等」だけでお茶を濁そうとする姿勢に方向転換してしまったこともわかり、教育者としての誇り、矜持を感じることはできなかった。この人には以前から信頼して期待をしていただけにガッカリ。

こんなときはいつも、学生時代講師とお世話になった塾が思い出される。決して絵に描いたような形態ではないが、どのような生徒に対しても、塾頭はじめ講師、先輩が分け隔てなく家族のごとく遠慮なく接するあの空気は「私塾」でしか出せないのかもしれない。わたしも将来の職場のメンバーに対して、そのような雰囲気の組織作りをしたいが、それはやはり「公」の場ではなく、やはり「私」の場でしかできないのではないかと感じられる。昔、やんちゃをした時に人として「本気」でしかってくれた学校の先生は、今はもう絶滅危機にあるのか。教育の現場は子供との「真剣勝負」、出来レース、八百長などいらない。

今回の一件は、自分の判断ミスを猛省させられることになった。 もちろん、私もまた人生修行がまだまだ足りない一人である、ハイ。

 


2月22日(火)のつぶやき

2011年02月23日 01時34分04秒 | 日記

16:42 from web
Sくん、わざわざニューヨークまで訪ねてきてくれて本当にありがとう。僕は勝手に王道だと思っていたけど、君は僕の中にアウトローを感じとったからここまで来てくれたんだね。(苦笑)今日は僕の「本音」を伝えさせてもらいました。今の日本人には、僕の生き方はアウトローかもしれないね。
17:26 from web
わが家の下の息子は、嘘をついたらすぐにうつむいて黙ってしまうのでイヤでもわかってしまう(爆笑)私と一緒で嘘がつけないように生まれてきてしまったらしい。そんな我が息子がかわいくて仕方がない。親ばかです。
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母校の地域枠入試について感じたこと 複雑な心境

2011年02月22日 02時58分23秒 | 日記

昨年末から、一つの仕事をまとめに入っていたため、あっという間に一月どころか2月も終わろうとしている。今年に入って、ブログを全く書いていないことに気づく。年末から、ときどきtwitterでつぶやいていただけであった。正月の旅行の後は、家族のケアをおろそかにしがちであったことを反省。といいながら、昨日も今日も午前様(苦笑)

 

果たして18歳の時点で、自分にふさわしい職業を適切に判断できる人はどれぐらいいるのだろうか。

 

アメリカでは、ご存知の通り、医学部は日本で言うところの4年制の大学を出てからあたらめて受験する。4年生の大学卒業後、すぐに医学部を受験する場合もあれば、数年間研究所等で働いてから、しかるべき医師や研究者の推薦状をもらってから医学部に出願するケースも多い。大学4年間に、一般教養は勿論、理科系の学問の土台を学んだうえで、さらに自然科学の延長上に医学を志望する人が改めて医学部を受験する仕組みである。日本で言えば、むしろ学士入学、社会にでてからの再受験に近いのではないだろうか。

一方、日本の母校では2年前から地域枠入試を開始して以来、入学定員の半数以上を地元出身者で確保するようになったという。「入りたい人は、試験で頑張って合格してきてください。」から「是非、地元の人は他大学に行かず地元の大学に入って、地域のために頑張ってください。」へ。独立法人化後、いよいよ日本の地方大学の凋落が始まってきているのではないだろうか。世界がグローバル化へ突き進む時代になんたる内向き思考であろうかと個人的には思う。国際競争力をつけるべく、努力している日本のトップレベルの国立大学では、少なくとも受験者全員にとって同じ条件の「フェア」なこれまで通りの学力試験による入試制度を継続している。

あえて言いたい。患者さんは重病になったときどのような医師に診てほしいと思われるのであろうか。「優秀であり、人間性も兼ね備えていること。」であって、決して「能力はほどほどだけど、人間性がよい。」ではないと少なくとも私は思っている。今後ますます大学として、入学後の教育の質が問われていくのではないだろうか。単なる、県内の医師の数合わせだけでは意味がなく、いかに優秀な医師を育てていくか、すなわち、個々の医師の「質」が肝心であることを肝に銘じなければならない。そうでなければ、真の意味の医師不足は解消されない。その覚悟があっての今回の入試制度改革でなければ、母校をはじめとする地方大学の未来は開けないのではないだろうか。医師国試に受かるぐらいの生徒がとれればいいのだ、という安直な発想ではないことを信じたい。国試合格は単なる医師になるための通過点でしかないはずだから。「楽」をして人を確保したツケは今後、大学教官、研修を受け持つ病院の医師たちに回ってくる...。

近頃は、大学の教育に関してはアメリカのシステムの方が優れているのではないかと思うようになった。フェアであることが大切とされる国にて、私の心は相当複雑なのである。

 

写真は、フロリダ・ディズニーワールドの世界をテーマにしたエプコット入り口付近にて


2月20日(日)のつぶやき

2011年02月21日 01時32分13秒 | 日記
01:23 from web
日本の国として重要な問題が山積みの状況においても権力闘争に明け暮れる政治家たち。国会議員を責めることよりも、このような方々を選んでしまった我々国民自身がもっと勉強して成長しないと。マスコミ受けやテレビ映りがよいが中身が伴わない人を見分けられない我々国民の「白痴化」は深刻。
01:40 from web
わが娘よ。おまえが今感じている学校での孤独感は、おまえが他の人と違うもの、すばらしい資質や個性を持っているから生ずること。さびしさを感じること、人が好きであることはとても大切なこと。それは、人情の機微を解することのできる人間になるためのとてもいい機会。大人になれば意味がわかるよ。
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2月17日(木)のつぶやき

2011年02月18日 01時36分48秒 | 日記
03:56 from web
一国の首相が簡単に国会答弁で自らの判断の過ちを認める。人としては好感がもてるが、これでは日本周辺の覇権国家に足下を見られてしまうのでは。表から姿を消した(ことになっている)支離滅裂発言の某スポークスマンがいまもブレーンになっているのだろうか。日本の「近い」将来が心配でならない。
16:07 from web
ニューヨーク在住40数年の人生の大先輩と話が弾む。その場限りや自分だけの利益を求めるのではなく、将来的に長く続いていくものを作っていくことにこそ意義があるという価値感で意気投合。人知れず多額の寄付をされている心ある何人かの日本の大物財界人のことも教えていただき素直に感激した。
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