腫瘍内科医一家のニューヨーク滞在記

ニューヨーク研究留学中での出来事を感想を交えてメモ代わりにつづります。

医師になったときのことを思い出す。

2011年07月31日 03時30分48秒 | 日記

 春まで仕事を少し手伝ってくれた「新米」のミャンマー系アメリカ人の女医さんが、お隣のコーネル大学で研修医として働き始めたとのことで、挨拶に来てくれた。からかいがてら、"Hello, Dr.OOO!"と大先生の物まねで呼びかけると、満面の笑みでこたえる彼女の姿に久々に新鮮な気分になった。アメリカでは今も医師はステータスのある職業と認知されている。

 日本では努力すればするほど、医師は待遇的に恵まれない職業ではなくなってしまうところがある。その状況を、そのまま受け入れている我々にもプロ意識が足りないのではないだろうか。医師免許を経済的に安定した資格として、その取得をゴールにしてしまっているように感じさせる人も多い。たしかに、努力しようがしまいが、臨床医として勤めれば、キャリアに関係なく待遇面ではどこでも大差がないのも事実である。免許など単に出発点でしかない。

 医師に限らず、どのような道を選ぶにせよ、なってからの生き方が問われているのではないだろうか。

 約二年ぶりに日本に出張で帰国する。講演を依頼されたが、直前になり若い医者に夢を与える話をして欲しいとのリクエストに戸惑うばかりである。私はまだまだ学ぶ立場の人間で、立派なことなんて言える立場ではない。ホラ吹きにだけはなりたくないので、等身大のお話をするだけである。

 世の中よくなったといっても、やるべき事、矛盾点、未解決のことだらけである。目標や夢などは、日常に数え切れないほどあふれている...。信じたくはないが、本当に近頃の日本には夢のない若者があふれていることが本当だとすれば、教育制度や上の世代の生き様に問題があるのではないだろうか。 

 

 

 


やっぱり、松井秀喜選手

2011年07月26日 02時28分28秒 | 日記

 家族の一時帰国前の最後の日曜日、子供達をヤンキースタジアムに連れて行った。松井選手の所属するアスレチックスとの対戦である。

   今年は調子の悪い松井選手がどのようなプレーを見せるか少し気になっていたが、この日は何と5打数5安打1打点(2塁打2本)の大活躍であった。松井選手が打って、ヤンキースが守護神リベラで締めて勝つという最高のパターンの試合展開となり子供達も納得の試合であった。

 ヤンキースを離れて早くも2シーズン目の松井選手だが、未だに彼の名前がコールされると大きな声援が送られる。私だけでなく、子供たちもこのことをとても喜んでいた。彼の2009年のワールドシリーズ第6戦での彼の神がかりともいえるここ一番での勝負強いバッティングは、かの「月に向かって打て」ことレジージャクソンの1977年のワールドシリーズ第6戦での3打席連続本塁打以来の快挙としてヤンキースの歴史に永遠に語り継がれるべきだ。ヤンキースを離れてからの松井選手の成績は、非礼ともいえる契約の終了をしたヤンキースを見返したとはとても言えないのが残念ではあるが、苦しみながらも打席に立ち続ける姿は我々に大きな勇気を与えてくれる。

 ヤンキースは、弱点補強のために、全盛期を過ぎたベテランの名選手を準レギュラーとして取ることが多い。かつてのティノ・マルティネスしかり、この日試合に出ていたアンドリュー・ジョーンズしかり。現役の最後にもう一度、彼がヤンキースに戻ってきて勝負強いバッティングをする姿が見たくなった。

 彼のプレーは、私のような一般庶民にさえも、「さあ、明日も頑張ろう。」と素直に思わせる力がある。