古くより瀬戸内海は交通の大動脈として機能した。
そのことは『魏志倭人伝』の記述や『日本書紀』の国産みの段でイザナミの産んだ島が瀬戸内航路沿いに並んでいることから推察できる。
古代においては、摂津国の住吉大社の管轄した古代港の住吉津を出発地とした遣隋使、遣唐使の航路であったことから、
瀬戸内海は、海の神である住吉大神を祀る住吉大社の影響下に置かれ各地に住吉神を祀る住吉神社が建てられた。
またこの頃既に鞆の浦は瀬戸内海の中央に位置するため汐待ちの港町として栄えていた。
奈良時代には陸上の交通路(山陽道や南海道)が整備されたが、外国使節が瀬戸内海を通った記録が残っており、瀬戸内航路も引き続いて利用されていたと見られる。
平安時代中期は、嵯峨源氏の渡辺綱を棟梁とする摂津国の渡辺党が瀬戸内海の水軍系氏族の棟梁となり、渡辺氏の庶流である肥前国の松浦氏が九州の水軍松浦党の惣領となる。
藤原純友が瀬戸内海の海賊の棟梁として反乱を起こし(承平天慶の乱)、瀬戸内海は、純友の活動舞台となる。伊予国の警固使の橘遠保が純友を捕らえる。
平安時代末期には平清盛が瀬戸内航路を整備し、音戸の瀬戸開削事業を行ったり、厳島神社の整備を進めたりした。
歴史 索引 5 日本古代史
① 年表
② 古今あちこち
③ チンバレン首相 1937
④ 松尾芭蕉
⑤ エピソード記憶こそが 人格の芯
⑥ 聚楽園のスイレン
⑦ 漏刻祭
⑧ 日本に浸透する中国の世論戦
⑨ ネツトアセスメントに注目せよ
⑩ 大日本帝国のぜいたく品
読書記事 2015.06.07~06.13
⑪ G7首脳の顔ぶれ
⑫ 中ロの領土変更批判
⑬ 国鉄の5大事故
⑭ メンケル首相
⑮ 梅雨 ⑯ 正論 ⑰ G7 ⑱ みはらし温泉
⑲ マネジメントの父 ⑳ 大鵬 21 渡辺和子
読書記事 索引 1