索引 100分de名著 『善の研究』
西田幾太郎 『善の研究』
日本が欧米列強に肩を並べようと近代化に邁進していた明治時代。しかし「哲学」という言葉が翻訳されたばかりの日本では、およそ自分たち独自の哲学を構築できるなど思いもよらないことでした。
そんな時代に、禅などの東洋思想や西洋の最新思潮と格闘しながら、日本だけのオリジナルの哲学を独力で築き上げようとした人がいました。西田幾多郎(1870-1945)。彼のデビュー作にして代表作が「善の研究」です。
西田の思想的格闘が凝縮したともいえるこの名著を、現代の視点から読み解くことで、「生きるとは何か」「善とは何か」「他者とどうかかわるべきか」といった、人生の根本的な問題を深く考えていきます。
西田は、近代の西洋哲学が確立させた、認識する主体/認識される客体という二元論を乗りこえるべく、「純粋経験」という概念を考案しました。
主体と客体は抽象化の産物にすぎず、実際に我々にもともと与えらえた直接的な経験には、主体も客体もありません。
たとえば私たちが音楽に聞き入っているときには、「主体」が「対象としての音楽」を把握しているのではなく、主客未分の純粋な経験がまず根源にあるといいます。
そこからさまざまな判断や抽象化を経て、主/客の図式ができあがるのです。経験の根源である「純粋経験」に立ちもどらなければ、真理は見えてこないと西田はいいます。
この立場から世界を見つめなおすと、「善/悪」「一/多」「愛/知」「生/死」といった様々なに二項対立は、一見矛盾しているようにみえて、実は「一なるもの」の側面であり、「働き」であることがわかります。
西田哲学は、合理主義的な世界観が見失ってしまった、私たちが本来もっている豊かな経験を取り戻すために、非常に有効な手立てを与えてくれるのです。
Once upon a time in America - Yo Yo Ma plays Ennio Morricone
100分de名著 『善の研究』第一回 生きることの「問い」「26」
100分de名著 『善の研究』第二回 「善」とは何か「26」
100分de名著 『善の研究』第三回 「純粋経験」と「実在」「26」
100分de名著 『善の研究』第四回 「生」と「死」を超えて「26」
哲学の道 雪
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます