「このときの世論の沸騰ぶりはただならぬものだった。「もはや躊躇(ちゅうちょ)する猶予なしに徹底的にガンとやってもらうことです」「徹底的に支那軍を膺懲の要あり」「この際、行くところまで行ってもらわぬと困る」「皇軍の精鋭よ、徹底的に東亜の禍根を一掃せられよ」
文芸春秋社が発行していた雑誌「話」の同年10月号の記事「日支事変に際し政府に望む」に並んだ読者の声である。「膺懲」という言葉が世に躍り、さかんに国民大会が開かれ、戦勝の報が届くたびに提灯行列が街を埋めた。(中略)
文化人も積極的に戦争に加わっている。例を挙げれば林芙美子の従軍記「戦線」は、歌い上げるような戦争礼賛ぶりだ。かつての「放浪記」の作家は時局に大いに感じ入って従軍し、中国の国民政府が逃れていた新首都、漢口への「一番乗り」をやってのけた。「戦線は美しい」と芙美子は称揚する。敵兵を「堂々たる一刀のもとに」斬り殺す場面にも「こんなことは少しも残酷なことだとは思いません」とつづる。従軍は朝日新聞社が全面的にバックアップ、芙美子は帰国するや講演に飛び回った。大ベストセラーになった「戦線」は戦後、封印された。
庶民も文化人も、熱に浮かされていたといえばそれまでだが、なんと熱狂しやすい国民性だろう。もちろん、それをあおったメディアの責任もきわめて大きい。前線と銃後それぞれの、おびただしい数の「美談」が紹介され、人々は物語に酔ったのである。
こんな日常のなかで、戦争は泥沼化していった。戦争とはある日突然始まるのではなく、日常と重なりつつ進んでいくものだということがわかる。行きづまりを打開しようと日本は対米英戦に突入し、またも世間は大いに留飲を下げるのである。「この日世界の歴史あらたまる。/アングロサクソンの主権、/この日東亜の陸と海とに否定さる」。開戦を知り、高村光太郎が残した詩だ。ほとんどの国民が大本営発表に浮き立ち、勝った勝ったと興奮した。
そして、やがて迎えた「8.15」。こちらののぞき窓から眺める戦争は、ただただ悲しい。「暴支膺懲」の熱狂から8年、無一物となった日本人はようやく正気に戻るのである。熱狂の代償の大きさを思わざるを得ない。(中略)
当時も、冷静な人はいた。日中戦争勃発時の外務省東亜局長、石射猪太郎は「暴支膺懲」声明について、「独りよがりの声明。日本人以外には誰も尤(もっと)もと云ふものはあるまい」と日記に書きとめた。近衛文麿首相を指していわく「彼は日本をどこへ持つて行くと云ふのか。アキレ果てた非常時首相だ。彼はダメダ」。
熱狂と歓呼は、しかし、そういう思いを押し流していった。さまざまなのぞき窓から歴史を眺めることで、教訓を深く胸に刻まなければならない。」8/15 2:00付け日経電子版「「8.15」の落とし穴 悲しみの前には熱狂があった」より
戦争を自らの経験として知らない世代が大半となる今、外国との確執を切っ掛けに80年前と同じような”熱狂に陥る”とすればあまりに歴史に学ばない愚かさを繰り返す事になります。
これまでどんな歴史を歩んできたのか?どんな分岐点においても冷静に自分の思いは本当に独りよがりではないのか?よ~く思い直す必要がありそうです。
HIT(4.2kW)の発電データ
8月14日(水)雨のち晴れ
太陽光発電量 16.7kWh
エネファーム発電量(おまかせ) 4.2kWh
W発電量 20.9kWh
売電量 10.2kWh
買電量 7.9kWh
W発電自給率 112.4%
W発電設備利用率 17.8%
日照時間 6.3h
連系以来 3653日(10年と1日)