上の娘は小さい頃から 食事のときもちゃんと座って、食べこぼしもほとんどなく、大人と同じように食事が出来ていた。
プラスチックのコップやお皿なんて全く使わずに、最初っから、陶器のお皿。
けれど、下の息子は違った。
まずは プラスチックのお皿とコップが必要だったし、
今は 陶器やガラスを使っているとはいえ、食べ終わったあとは これでもかとばかりに食べこぼしが散乱している上に、お茶をひっくり返すことも日常茶飯事。
全くもって落ち着いた食事風景とは無縁だ。
食事支度も然り。待ってられない息子。
そんなこんなで、
いまの食器へのこだわりは 「ガンガン使えるもの」。
もちろん ある程度の好みの譲れないラインというものは持ち合わせているので、高価でなく 気に入ったものに出会うのはなかなかに難しい。
それでもまだちょっと以前は 気に入ったものに出会うと、ちょっと高いなと思いながらも エイと お皿を揃えてみたり。
けれど、結局 割れると嫌だから、食卓にはなかなか上がってこないことになる。「いやいや 食器は割れるものなんだから、がんがん使ったら良いんだよ」という気持ちはあっても、いざ、お皿を取るときに躊躇してしまい、結局 いつもの がんがん使いお皿に落ち着くのだ。
そして
使い慣れたお皿というものは、そのお皿にどれだけの分量のおかずが乗っかるとか、身体に染みているんだと思う。
忙しくご飯支度をしているなか、メニューにあったお皿をさっと手に取り、ちゃちゃと食事が出来上がっていくのだ。
欠けてしまったお皿も 手放しがたく、なんだかんだ補修して ガンガン使いお皿仲間に戻ってきて毎日の食卓にあがっている。
補修しながら強引に使い続けていたものの代表が「お茶碗」。
ついでがあるときには 新しいものを見てみたりするのだが、なかなか気に入ったものもなく、そのままやり過ごしていた。
九月ごろ、淡路島に出かけたときに 比較的安い値段で陶芸体験が出来るところを見つけた。天候もあまり良くなかったこともあって、「お茶碗を作ろう」と決めて、子供達と体験に。
形を作って、絵をひっかいて。釉薬はスタッフが掛けてくれるので、色だけ選んで、そこまで。
ひととおりやると子供達は飽きて走りまわり出す中、バタバタとなんとか形に。
「二ヶ月ほどでお届け」とのことで、焼きあがって送られてきたものがコレ。
お茶碗 四人分。
かなりの不細工ながら、意外にちゃんと出来てるやん。と、がんがん使いには文句なし。
滋賀に、自宅に陶芸焼き釜を持っている知人がいるので、この冬はぜひそこを訪れて、陶芸体験第二段を楽しみたいものだ。