つい最近のこと。
友人がある詩を教えてくれた。
ネット検索してみると、たくさんヒットするので、既に有名なようだけれど、
私は初めて知って、
同じように
育児しているお母さんにはやっぱり心に染みると思うので
紹介しようかと。
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ニュージーランドのお母さんの詩
伊藤比呂美 訳
「今日」
今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはくちゃくちゃ
浸けといたおむつはだんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが、床の上からわたしを見ている
窓ガラスは汚れすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだとおもう
人に見られたらなんていわれるか
ひどいねぇーとか、だらしないとか
今日一日、何をしていたの?とか
わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっと抱っこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた
ほんとにいったい一日何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?
今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって。
そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ。
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そうなんだよなぁ。
長女の育児が 私の毎日の全てに等しかった時期、
懐かしい。
娘とお昼のおにぎりを持って公園に出かけ、がっつり遊んで、
買い物も済ませてから帰宅するので
朝のお皿は夕方まで洗いおけにつかったままだったり
洗った洗濯ものは洗濯機に入れっぱなしだったり・・。
テーブルの上にも下にも朝の食べこぼしが・・・。
布団だって 起きたまま・・・。
私がよく思ったのは
夕方に公園から子供達が帰りたがらないとき。
「早く帰って夕飯支度しなくっちゃいけないけれど、こんなに遊びたがっているのだから、
気が済むまで遊ばせてあげて、夕飯は手抜きでも何でも良いんじゃないか。」
そんな葛藤がいつもあったっけ。
いつも 「夫が帰宅したとき 何を言われるか」
と 気が重かったっけ。
そんなことを思ってしまうのは 今もあんまり 変わらない。
まぁ、最近は やや開き直ってきたけれど。
育児は成果がすぐに見えない。
けれど、
娘につきあった公園遊びの日々は やっぱり良かったと思う。
娘にとっては もちろんのこと。
なのに、(私が仕事を始めたので 1歳で保育園に入った)息子とは
そういう時間をあまり持っていないのが やっぱり寂しいし、残念な気もする。
休日は
子供達といっぱい公園行こう!遊びに行こう!
まぁ いつものことなんやけど、
改めて、家が片付いていなくても 大腕ふるって行くのだ!