こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

ルルとミミ。

2021年12月25日 | 日記

 ゆめ星雲、思いやり星出身の双子の宇宙人――「あ、それはキキとララ!」って話ですね(ちなみにわたし、同じサ○リオ系の口のないネコをどこかで見かけるたび、「このメス猫のビッチめ!」と褒めることにしています)。

 

 ええと、それてはさておき、『ルルとミミ』。

 

 こちらが萩尾先生のデビュー作で、まさしく「ここからすべてがはじまった!!」という、そういうことですよね♪

 

 いつも通り(?)、ひとつひとつの作品について長ったらしく書いていってもわたし自身はまったく構わないんですけど(笑)、もしまともに読んでる方がいらっしゃったら非常に苦痛かも……と思いますので、なるべく手短にと思ったり(でも、それでもこの時点で書きたいことありすぎるww)。

 

 実をいうと購入動機のほうは、天才漫画家のデビュー作がどんなものか興味があった――とかではなかったりします。なんでかっていうと、今の時代、デビュー作から「彼女はすでに天才だった」系の漫画家さんっていらっしゃると思うんですけど、電子書籍の試し読みの部分を読む限り、そんなに「面白そう♪」とも思えず、「初期の作品っていうと、まだ習作とか、そんな感じかな~」という感じで、そんなに期待せず読みはじめました。

 

 でも、すごく面白かったですし(※あくまで萩尾信者による感想です)、例の大泉問題に関しても自分的に収穫があったような気がします。

 

 ええとですね、何やら上から目線で恐縮なんですけど(汗)、『ルルとミミ』に関しては、とにかく短編として完璧と思いました(※あくまで萩尾信者による……以下略☆)。その~、ストーリーのほうは双子のルルちゃんとミミちゃんが教会のバザーに出すケーキを作るものの、それが爆発したりなんだりで大騒動が起き、最終的にドロボー四人組がこの騒ぎで捕まるという、古風なコメディ☆と思います。

 

 だから、ストーリー的に読んで今この作品を「面白い!」と思う読者さんはもしかしたらそんなに多くないかもしれません。でも、自分的にやっぱり興味深かったのが、「萩尾先生はデビュー当時から天才だったんだな」みたいのを感じたことでした。というのも、竹宮先生も御著書の中で、萩尾先生のことを>>「映像系」みたいにおっしゃってたと思うのですが、やっぱりすごく引きの絵が多いっていうんでしょうか。遠景・近景、人物の右から見た造形、左から見た造形、上や後ろから見た造形……あとは、老若男女、様々な人物の描き分けや、一つのコマに大人数の人物が出てきていたり――掲載年が1969年2月であることから、この時、萩尾先生は20歳とかそのくらいだったのではないでしょうか。

 

 とにかく、これだけ漫画家として基本が出来ていれば、「あとは数をこなすうちに大漫画家に化けるかもしれん」……きっと、見る目のある編集者だったらそんなふうに思うのではないだろうか、何かそんなふうに思いました

 

 次の『すてきな魔法』もすごく面白かったです♪主人公の女の子の名前がアン・マシューというのも個人的に壺(←?)でしたし、デビューした翌月の1969年3月掲載ということは――前もって描いておいた原稿だったかもしれませんが、これだけ質の高いものをかなり短い期間で完成させたということだと思うんですよね

 

 でもきっと、「これでデビューできた~!!」という強い喜びの気持ちから、もしかしたらそのあたりについては少しも大変とは思わなかった、若さと喜び大爆発!!のデビュー後第一作だったかもしれません

 

 次は『クールキャット』という2匹のやんちゃなにゃんちゃんが、ネリーブライス家を引っかきまわすという、最後のオチ☆に至るまでネコ好きには堪らない物語♪

 

 あと、わたしの気のせいかもしれませんが、萩尾先生のこのにゃんこちゃんの描き方は……和田慎二先生が模倣(?)されてる気がしたのですが、わたしの気のせいでしょうか(^^;)

 

 さて、続いては『爆発会社』

 

 実は、わたしが『ルルとミミ』の文庫本を購入したのは、この『爆発会社』が目的でした。というのも、増山法恵さんがこの『爆発会社』の感想のお手紙をお出しになったことから、萩尾先生との間で文通が開始され、それが最終的に大泉で萩尾先生と竹宮先生が住まいを一緒にされることに繋がったということだったからなんですよね

 

 いえ、話のほうはわたし、そんなに面白いと思わなかったのですが(殴☆)、増山さんは「すっごく面白~い!!」と思ったからこそ、きっとかなり熱のこもったお手紙を萩尾先生にお出しになって、萩尾先生は自分の書いたものを「面白い」と思ってくれた読者の感想を感動して読まれたのではないか……そのように想像します。

 

 ええと、なんというかですね、その後『ポーの一族』といったヒット作が出て、山のようなファンレターを受けとるようになってからだって、読者の方のお手紙というのは宝物のようなものと思います。でも、特にデビューしてそんなに経ってなくて、漫画家としては海のものとも山のものともつかなかったこの頃に応援してくださった方というのは……その中でも特に特別といったように思ったりするわけです(=萩尾先生にとって、増山さんは最初、そのくらい大切で、素晴らしい交際関係をお持ちだったのではないかと

 

 では次!『ポーチで少女が子犬と』。

 

「ホラーか」というくらい、怖いお話ですよね

 

 他の人々と「物の感じ方が違う」というだけで、実の母親さえ含めた家族から排除され、最後には消されてしまう少女。最後のコマの、少女だけが消されて、犬だけが残る場面がなんとも言えず秀逸です。

 

 ただ、萩尾先生的に、両親から漫画を描くことについては反対され続けたことや、「他の人たちとは自分の感じ方って違うらしい。わたしは変わってるらしい」という、ある種の疎外感というのでしょうか。そのあたりがほんの数ページの物語に詰め込まれている気がして――少しだけ胸が痛みます。

 

 何故「少しだけ」かというと、まあ、芸術家とか天才というのは、その度合いが高ければ高いほど、周囲の凡人には理解されなかろうと思うからかもしれません。。。

 

 次の『モードリン』も、自分的には面白く読みましたが、今の時代の読者さんが読んだ場合には、ミステリーの展開としては「ありがち☆」かもしれません。でも、わたし的には、主人公のモードリンが慕っているウイルおじさんがクレーじいやを殺した犯人とわかっていて黙っている……そのあたりがどうなるのか気になりましたし、モードリンのような可愛い姪の少女まで容赦なくウイルおじさんが殺そうとする展開というのは、クリスティの小説などを連想するところがあったかもしれません。また、ウイルおじさんがクレーじいやを殺した動機というのが、クレーじいやの娘さんの貯金を横取りしたことが原因――という動機も面白かったです。なんというか、「ありがちやがな☆」と思われそうですが、恋愛沙汰でもめたとかいうより、自分的には妙に納得できたというか(いえ、このウイルおじさんみたいな人って、今の時代にも全然いると思う・笑)。

 

 なんにしても、漫画や小説の場合、何かの理由で登場人物の誰かが沈黙を守っているといった場合、必ず最後は明かされて読者がスッキリするというのは、素晴らしい黄金パターンと思います♪

 

 では次!『かたっぽのふるぐつ~明日のない少年たちの歌~』。

 

 秀作ですというか、自分的に大秀作といってもいいくらい。

 

 公害をテーマにした漫画って、下手をするとお説教くさいだけになってしまうけれど、萩尾先生の公害というテーマの料理の仕方(?)は流石と思いました。また、作品中に出てくる『かたっぽのふるぐつ』という劇の内容も、萩尾先生のオリジナルなのかなって思うので……この劇の内容自体とても優れていると思いました

 

 わたし、まだ萩尾先生の『なのはな』とか読んでないんですけど……放射能によって甲状腺ガンになるリスクについてなど、実はすごく身近に感じられる出来事で(あ、家系的に甲状腺の病気になりやすいらしいのです)。その、なんというか、甲状腺がどんな働きをしているかとか、普段意識する人はあまりいないと思います。でも、普段あまりその機能を胃や大腸や脳といった器官ほど意識しない、この甲状腺が病気になるとどうなるか……というのは、その機能が冒されてみて初めて、「特に意識したことなかったけれど、健康に機能してくれてる」ことがどれほど有難いかがわかるわけです。

 

 個人的な感想ですが、公害の問題による健康被害にも共通するところがあると思います。登場人物のひとりのヨーコちゃんは言います。>>「町の発展のためには石油コンビナートは必要なのよ。人間は石油から離れたら生きていけないわ。生活のどれほどを石油に頼っているか――公害は必要悪よ」と。これ、今の時代だと原発にも大体当てはまるというあたり……すごく考えさせられるところがあると思いました。

 

 さよなら会の劇、『かたっぽのふるぐつ』で、ふるぐつその2を演じる予定だった渡辺悠くんは、劇の練習の途中で公害が原因と思われる病気で倒れ、救急車で搬送されるものの、病院のほうで亡くなってしまいますそして今も……公害の問題も原発の問題も、解決にはほど遠い途上にあるのではないでしょうか。。。

 

 では次は『花嫁をひろった男』ですが、結婚した12時間以内に旦那さんが死んでしまい、それが三度目にもなるというキャンディ・エジソンちゃん(18歳)。そして、主人公のオスカー(もしかして、この漫画が初登場!?)は自分がキャンディの4人目の夫になることで、一体キャンディちゃんの周囲で何が起きているかを確かめようとしますが!?

 

 たぶん、今時の読者さん的にはこちらのお話の展開も「ありがち☆」なものかもしれませんが、犯人がキャンディちゃんの養父マックスマンさんで、彼女が40万ドルもの遺産の相続人だったから……というのも、わたし的にはあんまり予測できず、面白い展開でした♪(^^)

 

 では次は『小夜の縫うゆかた』。

 

 このお話、萩尾先生の初期の作品の中でも、すごく評価が高いそうなのですが、自分的にはそう評価する方が多い気持ちがわかりつつ……昭和の昔の一時代を切り取った名作とも思うものの、「まあ、まあまあかなあ☆」といったくらいで読み終わりました(すみませんww殴

 

 ただ、『ここではない★どこか』シリーズの、『春の小川』といった作品とも通じるテーマ性があって、すごくいいお話だなとは、わたしにしても本当に思ってはいるのです。。。

 

 では次!『ケネスおじさんとふたご』。

 

 わたし的に、『赤毛のアン』シリーズに出てくるデイビーとドーラという男の子と女の子の双子のエピソードをなんとなく思い出しました♪

 

 なんにしても、両親を亡くしてブラボー・タウンで保安官をしているケネスおじさんの元へ引きとられることになった双子のミシェルとボニー。西部のブラボー・タウンへやって来た翌日、まだ六つだというのに、ミシェルが間違ってお酒を一瓶飲んで眠りこんでしまうエピソードは……こちらも、マリラの作ったスグリ酒をアンに勧められ、酔っ払ってしまうダイアナのエピソードを思いださせます(いえ、だからそれがどーした☆という話ではあるのですが・笑)。

 

 物語の途中で、リトル・ベンとビッグ・ベンというある丘を巡って長く対立しているじさまふたりの土地争いの話が出てきて、最終的にこの問題は、ミシェルとボニーの大活躍(?)によって解決を見ることになります。まあ、簡単にいえば大団円ということですが、このお話についても、今の時代の読者さんというのは「ま、フツー☆」くらいの感覚やもしれませぬ。でも、自分的にはよく考えられ、練られているといった印象でした。と、同時に「漫画を描くのってほんと大変だなあ」とも思ったり。いえ、そうした苦労の跡が見えるとか、そうしたことではないのですけれども(^^;)

 

 ええとですね、残りの最後の2話、『ごめんあそばせ!』と『毛糸玉にじゃれないで』は、個人的な憶測から、ふたつ一緒に語りたいと思いますm(_ _)m

 

『ごめんあそばせ!』は、1972年1月掲載で、『毛糸玉にじゃれないで!』は、1971年12月掲載のようです。『ごめんあそばせ!』は、最初のページに>>「チャームなプレイガールにひっかきまわされた、グループサウンズのおそまつな話」とあり……正直、自分的にまったく期待せずに読みはじめた気がします(いえ、この手の短編集っていうのは、大体最低でも1~2編くらいは大して面白くないのが混ざっているものだよね……という思い込みから^^;)。

 

 でも、この『ごめんあそばせ!』、自分的にはすごく面白く読みました簡単にいえばバンドもので、キーロックスというバンドのプレイボーイ・ドラマーがガールフレンドを乗せた車で事故ってしまい……負傷してドラムを叩けなくなったところ、「ドラマー募集!」の貼り紙を見て応募してきたのが、エマちゃんという背の小さな女の子。

 

 で、作中にそうした描写はないのですが、おそらくビートルズあたりにでも憧れてバンドをはじめたっぽいキーロックスの面々ですが、エマを迎えてバンドのコンクールで入賞を目指そうとするものの……!?といったよーなお話。

 

 いえ、今の時代はもうバンドものって珍しくないというか、漫画の売れ筋ジャンルのひとつとも思うのですが、実際のところ、登場人物にギター持たせて弾かせるとか、ドラムを叩く描写とか……描く側としてはかなりのとこ面倒くさいんじゃないかと思うわけです(^^;)

 

 でもやっぱり、萩尾先生はこのあたりも難なくこなしてしまう……という軽い感じで描いているように思えるところがすごいと思います!なんにしても、わたし好みのドタバタ・ラブコメでした

 

 で、最後の『毛糸玉にじゃれないで』は、この頃のことが『一度きりの大泉の話』の中にも出てきます。簡単にいえば、受験を控えた中学三年生の女の子のお話で、作中に出てくるにゃんこのバターちゃんは、実際に萩尾先生が大泉のキャベツ畑で拾って育てた子猫

 

 萩尾先生自身、受験のことでは大変だったみたいで、その頃のことを思い出してしまい、描いていて辛かった……的なことを『一度きりの大泉の話』の中で書いておられます

 

 それで、『毛糸玉にじゃれないで』の主人公むつきちゃんは、倍率の高い高校ではなく、そこよりもランクを落とした学校を受験し、そのかわり「自分にとってやりたいことをその高校でのびのびやりたい」といったようにお母さんに言います。これ、漫画として読む分には「ま、本人が決めたことなんだし」とか、「それもいーんでないかーい?」くらいに思われるかもしれません。でも、現実的な問題としては――大抵の子はまあ、むつきちゃんみたいに「自分はこうしたい」と両親に自己主張するのも難しいでしょうし、受験期に「それが自分にとって一番の道で、後悔なんて絶対しない」といったように決断したりもできないと思うわけです(^^;)

 

 でも、自分的にはそこにこそ漫画の役割はあるのかもしれない……と思ったりします。「そんなに受験受験で脇目もふらず死ぬほど勉強して知識を詰め込むよりも……世界にはもっと素晴らしいことがたくさんあるよ」と、そうしたことを考える一助になることでもあると思うからです

 

 それはさておき、竹宮先生は萩尾先生が『11月のギムナジウム』を描いて発表した時点で切れそうになっていた……というか、何かそうしたことであったらしいというように、前にどこかに書きました。それで、『11月のギムナジウム』の発表月が、1971年の11月くらいなわけですよね。それで、『毛糸玉にじゃれないで』がその翌月の1971年12月――たぶん、お話の雰囲気が暗いのは、萩尾先生がご自身の受験期のことを思い出して描いたから、と考えるのが自然と思います。でも、自分的に実は『11月のギムナジウム』発表後、「何かあったのでは……?」と、今回漫画のほうを読んでいて思ったというか。

 

 その~、『毛糸玉にじゃれないで』のむつきちゃんの机の横あたりに、小さく>>「KONOKONOKONOKONOMINNASINE!!」とあるんですよ(^^;)

 

「このこのこのこの、みんな死ね」……いえ、話の流れ的に、主人公のむつきちゃんが受験疲れのあまり、そんなふうに気持ちが荒んでいたとか、そういうことではまったくないと思います。そして、ここから『ごめんあそばせ!』のほうに話飛びますが、こちらの壁のほうには、「ドラマー募集!」といった貼り紙の下あたりに>>「ここはあしべつ北国の町のササヤナナエターンのおうちでしこしこおしごとしてんの……ナナエタン、カゼヒイタッテ」とか「ほっかいろーのななえたーん」、「ここはあしべつ、ほっかいろー」といったように書いてあったりします。

 

 確かに、『一度きりの大泉の話』にも、この頃北海道の池田いくみさんやささやななえさんを訪ねた――といったエピソードが出てきます。でも、何故突然「遠い北海道まで行こうと思ったか」といった、動機については書いてありません(もちろん、池田いくみさんに「遊びにおいでよ」と言われていたとか、ささやななえさんの『かもめ』というお話を読んで素敵と思った……といったように書いてはあるのですが、そもそも池田いくみさんの住む野幌と芦別は、北海道出身のわたしの感覚としてはかなり遠いです。しかもこの時代であればなおのこと、芦別のような田舎……いや、好きなんだ、わたしだって芦別。でも、今のわたしの周囲の感覚ですら、「週末に芦別行く」なんて言ったら、「何?誰か親戚でもいんの、あの田舎に」的感覚なんですよ。ですから、北海道出身でもなく、土地勘ないであろう萩尾先生が突然やって来て、北海道の人が一般に「田舎」と呼ぶ場所へ訪ねていったこと自体、かなり異常だと思います。もちろん、池田いくみさんはきっと、そんな萩尾先生を心配して、ここから電車乗ればいいよとか、バス乗ればいいよとか、困ったらすぐ電話でなんでも聞いてとか……きっと色々親切にしてくださったのだろうと想像されるのですけれども^^;)。その上ですね、この時点で萩尾先生はささやさんと面識があったり、お電話で話したとか、手紙のやりとりがあったなど、一切そうしたラインのない状態で突然訪ねていったと、そう『一度きりの大泉の話』には書いてあるのです(ただ、同じ漫画家の坂田靖子さんを通して住所と電話番号は知っていた、そしてささやさんのほうでは萩尾先生の住んでる場所のみ知っていたらしい……みたいに書いてあります^^;)。

 

 そのですね、見当違いも甚だしいかもしれませんが、わたし的には『11月のギムナジウム』発表後、大泉の萩尾先生と竹宮先生がお住まいの場所では……「何かあった」のではないかと想像されるのです。もっとも、ちょうど『11月のギムナジウム』を発表したそのあとくらいに、現在萩尾先生のマネージャーをしておられる城章子さんが初めてやって来られた――みたいに書いてあって、その城さんの証言によると、その後二度目に訪ねた時にはまだわいわい楽しい雰囲気も残っていたけれど、その後、三度目くらいに訪ねていった時には、萩尾先生がぽつーんと独りぼっちでいて、なんだろうこれは……と思っているうちに、大泉は解散ということになった、といったように『一度きりの大泉の話』の巻末にあります。

 

 そうなんですよね。こののち、ささやななえさんが大泉にやって来られるようになり、ここから残りの大泉が解散となる1年ほどの間、萩尾先生と竹宮先生はあまり話もしない関係性になっていったらしいのに……(何も知らない)ささやななえさんが大泉の明るく楽しいお客さまになったことで、萩尾先生自身、残りの1年についてはささやさんの記憶が大きくて、竹宮先生が増山さんの家に入り浸りでもそんなに気にしてなかった――といったように、『一度きりの大泉の話』には書いてあります(また、『少年の名はジルベール』にも、ささやななえさんを交えた、大泉のみなさんの楽しい交流……といった場面が描写されています)。

 

 でも、わたし的には「実はこういうことだったのではないか?」との疑いを持ちました。『11月のギムナジウム』発表後、たぶん竹宮先生と萩尾先生がお住まいの大泉サロンでは「何かあった」。そこでちょっと空気的に居づらいものを感じた萩尾先生は、北海道へと旅立ち、池田いくみさんをまず訪ねた。ええとですね、前から北海道へ行ってみたいと思ってたとか、理由はいくらもあるとは思います。でも、季節的に東京の人がスキーといった目的もなく、わざわざこんな一等寒い時期を選んで北海道までわざわざ来るものだろうか(しかも、初めて北海道を訪ねるにしては、おそろしく田舎と呼べる場所へ)……そう思いますし、一度、北海道の雪を見たかったという酔狂な理由からでも――わざわざ原稿まで持って出かけていくものだろうか……そんなふうに思ったりするわけです(これでもし、北海道を舞台にした漫画を描く予定があって、それで取材しに来たとかなら、まだ少しはわかるんですよ^^;)。

 

 ですから、わたし個人の勝手な憶測としては、『11月のギムナジウム』発表後、おそらくは「何かがあって、大泉サロンはギクシャクした」、でもその後、ささやななえさんが大泉へ来られたことによって――そのあたりは何かうやむやとなり、再びみんな仲良くするというか、そんなふうになったのでは……?と、何かこうしたことがぼんやり連想されるわけです(^^;)

 

 その~、『一度きりの大泉の話』の最後のほうには、>>「もしかして、お忘れになっておいでなのかもしれませんね。何せ、お別れしましたのはもう、50年ぐらい前のこと。半世紀ですよ。半世紀も経てば、遠い思い出が美しく見えてしまい、過去を懐かしむこともできるのかもしれませんね。遠くから見れば美しい部分もあるのでしょうね」、>>「私は酷いことをしているのかもしれません。昔の記憶を美しくしておきたいらしい竹宮先生に向かって、私の記憶ではこうでしたと違うことを言っているのですから。そうですね。体験をどう読み取るかは個々人の問題でしょう」……といった萩尾先生の文章があります。ここを読んだ時、ある方はもしかしたら、「竹宮先生はそもそも自著の中で自分の非を潔く認めてるじゃねーか。それをそんなふうに言うなよ」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。でも自分的にはそれだけではなく――間違いなく他にも「何かあった」のだろうと考えたほうが自然なのではないかと思ったわけです。

 

 それは簡単にいえば、次のようなこととも言えます。竹宮先生は確かに素晴らしい漫画家としての才能をお持ちなだけでなく、人間としても素晴らしい方なのだと思う。でも、萩尾先生が並でない才能の持ち主であったからこそ、この時もこれからのちも「潰されないですんだ」のであって……普通の並程度の漫画家さんであったとしたら、潰されて終わった可能性もあった……そうとも言えると思うわけです(^^;)

 

 ただ、例の手紙についてはクロッキーブックの間に挟んだ証拠があったり、「こんなふうに言われたことは確かだ」という事実があることから――そこは「間違いない」こととして、『一度きりの大泉の話』の中で、一番大きな問題点となってもいる。でもおそらくはそれ以外にも……明文化することの出来ない曖昧な空気感として、こんなことをされたとか、あんなことがあったとか、それ以外にも間違いなく「何かあった」のだろうと、『ルルとミミ』に収録された最後の2編を読み、そう思ったといった次第ですm(_ _)m

 

 それではまた~!!

 

 

P.S.ここ書いてから最後に「念のため……」と思い確認してみたところ、増山さんが『爆発会社』の感想の手紙を書いて萩尾先生と文通を開始した――みたいにあるのは、『少年の名はジルベール』のほうでしたm(_ _)m『一度きりの大泉の話』のほうでは、同じ手塚治虫先生の大ファンだった原田さんが増山さんのことを紹介してくれて文通をはじめられた……といったようにありますこの場合、正しいのは萩尾先生の記憶のほうと思うのですが、竹宮先生のほうでも増山さんに確認しなかったのかなと思ったり。いえ、山岸涼子先生その他、本に名前の出てくる方には当然、「こういう本を書いて出版したいんだけど、いいかな?」みたいに、確認してるはずと思うんですよね。小さな細かいことかもしれませんし、『少年の名はジルベール』の中の萩尾先生も好意的な感じで描かれているとも思います。でも、お互いに「あ、それ違うのよん。ノンたんと知り合ったのはわたしの記憶ではあーでこーでそーで……ええ?でもノンたんはそう言ってるんだあ。じゃ、わたしの記憶違いかな。まあべつにそーゆーことでも全然よくはあるんだけど。つまんない小さいことだし」みたいにやりとり出来ない相手のことを本に書いてはいけないんだなと、あらためてそう思ったというか(^^;)

 

 

 


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