(※映画「籠の中の乙女」に関してネタばれ☆があります。一応念のため、ご注意くださいませm(_ _)m)
先週の前文は一週間、ヨルゴス・ランティモス祭りでした♪
というのも、実は最初に見たのが「哀れなるものたち」で、感想書いてみたものの、監督自身にそもそもどういった思想があるかとか、よくわからなかったので……もしかしたら他の作品において、「フェミニズムについて実はこうした深い思想がある」であるとか、そちらと合わせて「哀れなるものたち」を見るとさらにより良く理解できる――といったことが、ないとは限らないわけですよね(^^;)
そこで、前から気になってて見てなかった「聖なる鹿殺し」や「ロブスター」を見てみることにしたというか。でも、ヨルゴス・ランティモス監督作で初めて見たのがわたし、「女王陛下のお気に入り」で、この映画、めっちゃ好きなんですよまた、「聖なる鹿殺し」も肝心の気になる謎についてははっきりしないまま終わるにしても……そうした点も含めて好きだし、そんなに理路整然となんでもわかって終わるばかりがいい映画でもないというか、そんなふうに思ってる部分もあったりはするわけです。そんで、「ロブスター」見て、まあ大体のところこの監督さんや制作スタッフさんとは笑いのツボ☆が合うと言いますか、そんなふうに妙に納得したもので、「哀れなるものたち」も「フェミニズムって、なーんかちょっと焦点ずれてんじゃないかって気がするけど」というのが、「まーいっかー。第一大体のところ面白かったとは思ったわけだし」というところに落ち着いたわけです(^^;)
で、その後わたし、「聖なる鹿殺し」と「ロブスター」に関連して、「心と体と」という映画のことをちょっと思いだしたりしました。この映画、見たの結構前なんですけど、実はすごく好きなんですよね。ええと、人によっては「えー、わたしはあんまし好きくなかったー」という方もいると思うんです。でも、夢の中でそれぞれが雄の鹿と雌の鹿で、夢の中の鹿としては両想いでついには性的な意味でも結ばれるのに――お互い、そんな結ばれる夢まで見たのに現実はうまくいかない……という、なんとなくこの映画のことをふと思いだしたというか。深い意味はないものの、「聖なる鹿殺し」と「ロブスター」の両方を見た方が「心と体と」を見てどう感じられるか、自分的にちょっと興味があったりします
それはさておき、ヨルゴス・ランティモス監督作品の最後に見たのが「籠の中の乙女」でした。>>ギリシャの郊外にある裕福な家庭。一見普通にみえるこの家には秘密があった。両親が子どもたちを外の世界の汚らわしい影響から守るために、ずっと家の中だけで育ててきたのだ……。と、天ぷら☆のあらすじにあったのと、評価してる方も結構多かったことから、あんまり期待しないで見たわけです
いえ、なんで期待しなかったかというと、「聖なる鹿殺し」と「ロブスター」はヨルゴス・ランティモス監督が脚本を書かれているわけですけど、それで☆評価が3つということは――たぶん、最初や中盤で提起された「それ、なんで?」という謎がおそらく回収されずに終わるんだろうなって、一応予測しておいたという意味で期待しなかったんですよね(^^;)
でも、自分的には面白かったですし、全体としてコメディタッチと思うのですが、それを大真面目にやるという意味でも結構くすっ☆となったりとか……まあ、もう十代後半とか、もしかして二十歳に近いのかなというくらいの姉と弟(兄かも)と妹という三人きょうだいが出てきます。それで、たとえについては忘れてしまったものの(すみません)、たとえていうならコショウについて「それはデンワだ」とか、性的な事柄というか、女性器(プッシー)について「ランプ」と違う名称について教えていたりとか、その言葉によって例文を示してみたりなど、なんかそういうおかしみのある場面があったと思います。
まあ、なんでそんなことしてるのか不思議でありつつ、何より一番不思議なのが、この三きょうだいが屋敷から外へ出ていくことを禁じられており、それでも塀の外のことが気になるらしく、何か物を投げてみたり……飛行機が飛んでいくのが気になるのも、空を飛ぶ飛行機が塀の向こうまで飛んでいく自由がある、外に対する強い興味を示すものでないかと思われます
三きょうだいは外へ出ていくのを禁じられつつ、唯一「大人になったら出ていってもいい」、そしてこの場合の大人になるとは「犬歯が抜けることだ」と、例によって間違ったことを教えられています。わたし最初、映画の「ヴィレッジ」みたいに、禁忌とされている外へ出た時、そこには――的な想像を多少しなくもなかったものの、全体としてコメディと思うので、三きょうだいのお母さんが「あんなひどい目に遭ったのだから仕方ない」みたいに言われていても、「聖なる鹿殺し」や「ロブスター」のことがありますから、「そのエピソードが回収されなくても不思議じゃないな」と、最初からそう予想して見てました(そして実際のとこ回収されないのですが、そこがまたこの映画の場合はイイと思います^^;)。
最初にあらすじだけ読んだ時、「大人になりきれない少女のお話」みたいに連想したのとは全然違い、結構ぼかし入りの性的なシーンもあったりする作品なのですが、個人的には色々な意味で面白かったと思います。でも、クリスティナという女性が唯一家に遊びにくるなど、多少外との接触がなくもなかったりするものの――長女の姉が最後のほうでとうとう、「大人になって外へ出たい」という欲求を抑えきれず、犬歯を無理やり抜いて血まみれとなり、お父さんの車のトランクルームへ隠れます。
それで、みんなが彼女のことを探しまくるのですが、結局見つからない。そして翌日お父さんが車で出かけていき、エンジンのかかった黒い車の後部が映って映画のほうは終わりになるというか。つまり、彼女が生きてるの死んでるのかわからない、シュレイディンガーの猫状態でお話のほうは終わる。ここに欲求不満を覚える方は当然映画の採点が辛めになるでしょうし、この長女が生きていてその後どんなふうに「外の世界」を捉えたのか、その部分が一番知りたかったといった場合も、「う゛~ん」となるかもしれません。
でも、なんででしょうね。「聖なる鹿殺し」も「ロブスター」も「籠の中の乙女」も……映像の中に間違いなく特殊な「目を離せなくなる魔術的な何か」があるんですよね。それがヨルゴス・ランティモス監督の才能ということなのかなって思うのですが、「憐れみの三章」についても、天ぷら☆あたりで無料で見られるようになったら、必ず見たいと思っています
それではまた~!!
惑星シェイクスピア-第三部【28】-
ガラハッド・カログリナントがハムレット王子軍の使節として護衛の者らとともにレティシア州へ旅立った五日後、ラングロフト州の州都ラ・ドゥアンより、フォルスタッフの仲間がある吉報を携えてやって来た。
いや、貴族たちの不幸を吉報なぞと呼ぶのは、おそらくあまりよろしくなかったに違いないが、やはりラングロフト州においても状況はクロリエンス州と似通っていたのである。ハムレット王子の軍がバロン城塞を無血開城したのみならず、現在クロリエンス州の州都グロリアスを目指しておられると聞くと民たちは奮い立った。貴族の館や城を次々襲撃すると、豪奢な品々を略奪し、男たちは貴族を殺し、同じく平民の女たちは彼らの身ぐるみを剥ぎ、喜んで自分たちのものにしていったのである。
貴族の中で、殺されもせず、比較的乱暴に扱われもしなかった者たちは、自分に任された土地において貧しい小作人たちを虐げなかった者たちだけであったろう。だがそうした者たちというのは極めて少数であり、大抵の貴族というのは大地主として容赦なく税を取り立てていたことから、農夫たちは自分のそれまでの支配者を鍬でその体を耕すようにして殺し、鉈で五体をバラバラにし、最後には熊手にその生首を刺して掲げていたものである。
田舎でもそのような有様であったわけだが、城砦都市や城郭都市などでは、クロリエンス州における都市と同様の悲惨なことが起きていた。人々は殺戮と略奪の血に酔い痴れ、特段そのことに罪悪感も持たなかったということは――それだけ虐げられた期間が長く、鬱屈とした気持ちが鬱積していた結果と言えただろう。民衆たちは今まで自分たちが搾り取られてきた分のものを、今正統に取り返しているだけだとしか考えなかったのである。
「我々にしても、ハムレットさまがいかに素晴らしい方かといったことを酒場などで話し、民衆をそうした方向へ導いたことには多少は貢献したかもしれませぬが、それにしてもしかし……」と、ラ・ドゥアンより戻って来たフォルスタッフの仲間であるカレット・デルソールという男が言った。彼は王子や貴族さま方の前に出るというので、黒のダブレットに着替えており、今は口髭を生やした紳士風に見えたものの、グロリア城の城門へ辿り着いた時には――商人なのか農夫なのかもわからぬ田舎の中年にしか見えなかったものである。「まったく不思議なものでしてな、平民同士で物の取り合いには不思議とならず、そこではあまり喧嘩しないんですな。たとえば、『わたしもあんたがあの貴族の売女から奪ったみたいなドレスや宝石が欲しいっ!!』とある女がヒステリーを起こしたように地団太を踏んだとしますわな。そうしたら、『こいつはあたいが最初にめっけたんだからあたいのもんだ。けど、隣の屋敷に住む別の売女のところにまだいいものが残ってるかもしれないね。そっちで同じようなものを探せばいいじゃないか。あたいも一緒に手伝ったげるからさ』といったような、まあこういった具合なんですな。普段は仲の悪い連中までもが、貴族を殺すことでは結託し、協力しあっとるといったような具合でして……ああ、すみませんな。先ほどフォルスタッフさまにお話した通り」
自分の上司であるフォルスタッフがイライラしたオーラを出して自分を見ているのに気づき、デルソールはハッとした。そこで一番重要なことについて言及し、語りはじめる。
「ラングロフト州の領主であるラグラン=ド=ラングドックさまは御逝去されました」
デルソールの厳粛なこの一言に、軍務会議室となっている大広間は一様にざわつき、それからしーんとなった。ハムレットも驚いたが、デルソールが『続きを話してもよろしいでしょうか』というように目線で窺ってきたため、彼は首肯して承認する。
「その……なんとも痛ましいことでございますが、ラングドック侯爵はラ・ヴァルス城の大広間、玉座の後ろあたりにて首をお吊りになったらしく……と言いますのも、ラ・ドゥアンにおきましては、城下町に近隣の町々や村々から民衆が押し寄せ、そこに住む貴族たちを次々血祭りに上げていったからなのですよ。言ってみれば、裁判の行われない公開処刑のようなものでして……その阿鼻叫喚の地獄を伝え聞き、もともと優柔不断で気が弱く、自分の趣味の世界に耽溺しがちだったラグランさまは、磔にされて剣やらナイフやら鉈やらで責め苛まれることに怯えきってしまわれたのでしょう。民衆たちはどうも、ラングドック侯爵のことは生け捕りにして、ハムレット王子にお渡ししようと考えていたようなのですが、まあ無理もありません……今まで城下町にいて何不自由なく最上の贅沢な生活を送ってきた貴族たちは、一人残らず辱めを受けながら死んでいったわけですからね。そんな恐ろしいリンチを受けて時間をかけてじわじわ殺されるよりは、自ら死を選んだほうがまだしもマシと考えた侯爵のお気持ちは私にもよくわかる気がします……」
「では、そろそろ我々もラングロフト州へ進軍を開始したほうがよいのだろうな」
その場にいた全員の視線が自分に集中した気がして、ハムレットはそう答えていた。だが、デヴォン=デュ=ヴォロニアック準男爵やフォルスタッフの話によれば、アデライール州のアグラヴェイン公爵やモンテヴェール州のモルドレッド公爵は、「絶対に自ら降伏するということはないでしょうな」ということだったから、そののちは内苑州へ進軍後、初めての激しい戦闘ということになるに違いなかった。
「そうと決まれば、なるべく早く兵士らに準備をさせたほうがよろしいでしょうな」
そう言ったのはデヴォン準男爵だった。
「アグラヴェイン公爵やモルドレッド公爵の耳にラングドック侯爵がお亡くなりになったことが知らされたら、ふたりともすぐにもラングロフト州へ進軍し、そこを力によって占拠しようとするでしょう。その前に、ここクロリエンス州と同じく、州都ラ・ドゥアンへと向かい、ハムレット王軍の御旗を城に立てるべきかと存じます」
ヴォロニアックのこの言葉によって、軍務会議室となっている大広間は沸き立った。下座のほうに着いていた歩兵連隊の大隊長が、「ハムレット王、どうか何卒、進軍準備の命を我らにお下しください。我々のような有志の寄せ集めの末端の軍は、ただ騎士さま方や元帥さまなどの命令を信じて従うのみですから……それに、この朗報を早く仲間たちにも知らせてやりたいというのがありますゆえ」と、挙手すると同時、立ち上がって言った。その顔は未来の平和で豊かな王朝の建設へ向け、すでに希望で輝いている。
「わかった、許可しよう。鎧の留め具に通した紐をしっかりと締め直し、兜の緒もしっかり結ぶようにな。防具や武器、あるいは手入れが必要な品で不足した物があれば、鍛冶屋や他の担当の者に頼むといい。長弓や弩(いしゆみ)については、ニムロッド・ニーウッドや彼らの弓兵団がいくらでも手入れしてくれたり、新しい矢をえびらに満たしてくれよう。他にも何かあればなんでも言って欲しい。自分たちは末端の兵だからなどと、遠慮などせずにな。エンプルトン第一歩兵大隊長、頼りにしているぞ」
フィクス・エンプルトンは、ハムレット王子が自分の名と所属を覚えていてくださったことに感動を覚えつつ、「ははっ!!」と胸をひとつ叩き、敬礼して退室していった。他の歩兵連隊大隊長らも同じようにして続いていき、重騎馬連隊の副隊長らも、「では、我々も……」と、順に辞去してゆく。こののちの具体的な作戦等については、騎馬隊長からどういった話運びになったかを後で聞けば良いと判断してのことである。
「明日にも進軍する準備が整ったとしても、ここからラ・ドゥアンへ到着するまでに、軽く数日はかかりますからな」と、ヴォロニアック卿が厳しい顔つきのまま言った。彼はラングドック侯爵のことをよく知っていたが、ラグランの自殺のことでは眉ひとつ動かすことはなかったものである。「それよりも、アグラヴェイン公爵やモルドレッド公爵の領地側からラ・ドゥアン入りするほうが、我々よりも距離的にはより近い……さて、どうしたものか」
暫し、ロットバルト伯爵、メレアガンス子爵、ローゼンクランツ公爵、ギルデンスターン侯爵、ライオネス伯爵、それに各々の騎士団の騎士団長や重騎馬隊の大隊長らの間で、内苑州の地図を中心にし、全員で沈思黙考するということになった。なんと言ってもラングロフト州は、西をレティシア州、南や南東部をクロリエンス州、それに北東部をアデライール州、北西部をモンテヴェール州に囲まれているという関係性から、ちょうど内苑州の中央部に位置していたと言えたに違いない(王州テセリオンは、アデライール州やモンテヴェール州よりさらに北に位置している)。
「ラングロフト州の状態やラングドック侯爵の死について、アグラヴェイン公爵やモルドレッド公爵の耳に入るまでどのくらいかかるものだろうか?」
タイスがそう聞くと、「使者の行き来があったとして、最短で二、三日ほどでないかと」と、ヴォロニアック卿が答える。「だが」とカドール。「ふたりの公爵にしても、使者が到着し、軍備を整えて出撃してくるまでにはそれ以上に時間がかかるのではないか?」
「お言葉ながらカドールさま」と、ヴォロニアックは恐縮したように言った。「戦争というものは、常に最悪の事態……いえ、不測の事態を想定しておかねばなりませぬ。アグラヴェイン公爵とモルドレッド公爵がすっかり油断しておられ、我々がラ・ドゥアンを占拠したあとに軍を進めて来られたのだとすれば僥倖。もしこの二公爵が北から順に主要な城砦都市を落として来られ――この場合は、ラ・トゥース城砦、ラ・ヴリント城砦、ライルフィリー城砦などですかな――そこを拠点に最悪ラ・ドゥアンをも我がものとしたとします。我々はその反対にラヴェリン城砦、ラ・ヴォンヌ城砦、ラ・グリフォン城砦などを通ってラ・ドゥアンへと向かうとします。兵力の数としては我々のほうが上であるにしても……あの公爵殿ふたりのご性格からいって、この戦争は厳しいものとなりましょうな。バロン城塞の無血開城については、誠、見事でございました。ですが、攻城戦を行う場合、基本的に優位なのは籠城軍側ですから。籠城軍側が一番恐れねばならぬのが、飢餓と飲み水を断たれることです。私も、ラ・ドゥアンへは何度か行ったことがありますが、何分城のほうについては広すぎて、極一部についてしか覚えておりませぬゆえ……」
ここでフォルスタッフが、カレット・デルソールに向かって頷いてみせると、彼はダブレットの懐からラ・ドゥアンの城下町の地図、それにラ・ヴァルス城の見取り図を取り出していた。これは、アデライールの州都アディル城砦についても、モンテヴェール州の州都モルディラ城砦についても同様のものがある。さらに、王都テセウスについては言うまでもないことであったろう。
「その……全然関係ないことを言うようで申し訳ないのだが」と、普段はあまり会議において発言することのないエレアガンス子爵が言った。テーブルの中央にその地図や見取り図を置いて全員で見れるほどそれは大きくなかったため、全員で回して順に閲覧していた時のことである。「以前、我がメルガレス城砦にて、真の聖女ウルスラを赤ん坊の頃に排斥し、自分の娘を権力のためにその座に据えたセスラン=ウリエール卿という男がいたのだが、彼はその後親戚筋を頼ってラ・ドゥアンにいるのではないかと目されている。というのも、娘のひとりがラングドックの跡取り息子と結婚しておるのでな。王都に潜伏している可能性もあるだろうが、クローディアス王が本物の聖女ウルスラと自分の娘をすげ替えたと聞いた場合、逮捕されて拷問部屋行きとなる可能性もあることから……あの男はそのような危険を冒すまい。いや、おそらくここクロリエンス州とラングロフト州の状況が同じであったとすれば、ウリエール卿とその一族もまた死亡している可能性が高いとはいえ……」
「ええ、確かにセスラン=ウリエール卿は、ラ・ドゥアンにある豪華な城館でお暮らしになっておられましたよ」と、なんでもないことのようにデルソールが答える。「ですが、その安否についてまではわかりませぬ。貴族たちの中にはおそらく、ラングドック侯爵では頼りにならないとして、クローディアス王の庇護を求め、王都テセウスを目指した者が何人もおりましょうな。とにかく、ラ・ヴァルス城は今、城主不在の無政府状態に等しいのです。二羽の図々しいカッコーがやって来て、自分たちの卵を置いていく前に我々はその巣穴を綺麗に掃除しなければなりませぬ」
「そ、そうなのだ。私が言いたかったのは、その点なのだ」と、白い頬を紅潮させつつ、エレアガンスは言った。「つまり……民衆たちの虐殺を恐れた貴族たちは、北へ北へと逃げようと必死だろう。そのためには、この場合農婦や職人や、平民の格好に身をやつすことまでして旅を続けているに違いない。命が懸かっているとなれば、誰しもこの上もなく必死になる。そして、その必死になった速い足によって逃げおおせた場合――もう今ごろは、そうした者たちが庇護を受けるかわりにモルドレッド公爵なり、アグラヴェイン公爵なりの元へ行き着いており、ラングドック侯爵の死を知らせていてもまったく不思議はないのではないだろうか?」
「まったくその通りです、子爵殿」と、カドールがいつものように、すかさず感嘆するように言った。彼はそんなふうにして人と人の間を取り持つのが非常にうまかった。「近ごろ……俺などはすっかり祝祭ムードに酔っていて、少々気持ちがたるんでおりました。ハムレット王がすでに王都テセウスにてその頭上に王冠を戴く夢まで見る始末でしてな。その夢のせいで、ハムレットさまがもう王となられたように錯覚しているところさえありましたが、ここはひとつあらためて気持ちを引き締める必要がありましょうな。今のメレアガンス子爵の御指摘、まったくその通りでございます」
「まったくだ」と、ギルデンスターン侯爵も重々しく頷いて言った。「アグラヴェイン公爵もモルドレッド公爵も、戦争経験こそないにせよ、おふたりとも戦争の模擬戦が大好きであられるから、日頃から兵の鍛錬については死者が出るくらいの激しさで行っていたものだ。また、貴族が民衆に虐殺されるという罪についても、あのふたりであれば決して許せはすまい。怒り狂ったその勢いのままに、貴族を虐殺した民衆のことは皆殺しにしていたとしてもまったくおかしくはない。ここにいる者たちにそのような説明は必要ないとは思うが、訓練された騎馬隊の前には一般市民が蹴散らされるのなど、あっという間のことだからな……」
「いや、それと同時に私にも言わせてくれ」と、ロドリゴ伯爵が言った。彼は外苑州の同盟軍が勢揃いしたというだけで嬉しくてならなかった。そして彼もまたやはり、勝利はすでに星神・星母のお導きにより、自分たちの手の内にあると信じて疑わなかったのである。「とはいえ、私の意見は少々楽観的なものかもしれない。アグラヴェイン公爵とモルドレッド公爵は、ご自慢の兵を率いてくるにしても……それでも、そのように力で城砦都市のひとつひとつを制圧するとなったら時間がかかると思うのだ。一方、ラングロフト州の民衆がここクロリエンス州の民と同じく、ハムレット王子にはただ無条件で降伏してくれるとしたら、我々はその分早くラ・ヴァルス城へ辿り着けようというものではないだろうか?」
「確かに、ラングロフト州のいくつもの城砦都市の雰囲気から感じ取るに……民衆たちは、これからは自治を確立して自分たちでやって行きたいというほどには、なんと言いますかな。ようするにそこまでの指導者もなく、思想についても熟しておらないわけです。また彼らが奮い立ったのは、ハムレット王子がバロン城塞を無血開城し、クロリエンス州で何が起きているかの噂を耳にしたからです。そうした意味でも、おそらくは快く迎え入れてもらえましょうとは思いますが……」
その後も、軍事会議はえんえんと長く続いていった。夕食が終わってからも会議は続き、今後起こりうるありとあらゆるシチュエーションについてシミュレーションが繰り返された。そんな中、ある程度方針のほうが定まると、ギべルネスは軍務会議室となっている大広間から一度離れることにしていた。みな、熱弁を交わすことに夢中になっており、<神の人>がそっと退室しても――まったく気づかないか、小用を足しにいったくらいにしか思わなかったことだろう。
「私と一緒に今の話を大体聞いていたのなら、ユベール、賢い君のことだから私が何を言いたいか、すでにわかっていることと思う」
『モチのロンさ、ギべルネ先生!!』と、ギべルネスのローブのフードに隠れていた羽アリは、合点承知の助、とばかり明るく頷く。『つか、あんたらの話を聞きながら、同時に色々調べたぜえ。ハハッ、よもやあのシャレオツ子爵さまに精霊型人類殿からインスピレーションが与えられたってこともあんめえが、実はドンのピシャリなのよ、ギべルネ先生!!まあ、おったまげーのびっくりくりーの栗まんじゅうどうでっしゃろ?って話ではないんだが、例のウリエール卿な、自分の娘やその旦那と農夫のカッコして平民に化けて逃げたらしいのな、ラ・ドゥアンから……で、今どこにいるかってえと、進軍してきたアグラヴェイン公爵のとこさいんのよ』
「本当ですか!?で、では……」
(もっと早くに会議を抜け出し、ユベールと連絡を取れば良かった)そう思い、ギべルネスは後悔する。とはいえ、明日の早朝に軍は出発することに決まっていることを思えば――それ以上に早くすることもまた難しかったことから、(これはこれでいいのだろう)と思いもする。
『そうなのよ、ギべルネたん!!あのアグラヴェイン公爵とモルドレッド公爵ってのは……まあ、どんな人物なのかは、もっと深く時間をかけて探っていかねえことには俺にもわからんが、とにかく顔つきと話振り、それに民衆のことは虫けらとしか思ってねえような殺しっぷりからしてみても――とにかくただもんじゃねえって雰囲気だ。いともあっさりラ・トゥール城砦とラ・ヴリント城砦を征服しちまって、今はそっちについては部下たちに任せてあるが、この騎馬兵たちってのが、民のことはどうにでもしていいとでも言われたのか、まあ扱いのほうがひでえのなんの……それで、アグラヴェインとモルドレッドのふたりは、それぞれの軍を率いて今はライルフィリー城砦のほうにいる。ようするにもうそこも制圧しちまって、その中で一番いい城館のほうで羽を休めてるといったところかな。奴さん方も、ラングドック侯爵が自分で首括って落っ死んだと聞いて……ようするにまあ、血相を変えて強行軍でここまで急いでやって来たわけだ。彼らはもう三日とかからずしてラ・ドゥアンのほうも落としちまうだろうな。というのも、ラ・ドゥアンを守ってた守備兵なんかも民衆の襲撃を恐れ、一番近い位置にある城砦都市であるライルフィリーに逃げ込んできたからなんだよ』
「なるほど。では……ハムレット王子たちが明日、どんなに急いでラ・ドゥアンを目指そうとも、すでに手遅れということになりますね」
『そういうこった』
羽アリは器用に前脚で肩を竦めるようなポーズを取ってみせている。今ひとりと一匹は、ギべルネスに仮の寝室として与えられた場所で、ドアと窓をぴったり閉め切り、鍵もかけた状態で話していた。元は誰の部屋だったものか、それとも客室ということだったのかもわからないが、贅沢すぎるほど贅沢なしつらえの部屋であり、ベッドに使われている枕やシーツ類はすべて最上のもの、壁にはうるさいくらいに浮彫りが施されており、夜中にあまり目が合いたくないタイプの大蛇に巻きつかれた男の像や、田園風景の描かれた絵画、それにユニコーンに乗った剣を持つ乙女のタペストリーなどがある。
とにかく、他の三百余りある部屋のどれもここと同じかそれ以上に上質なホテルの客室といった風情であり――ギべルネスがここ、グロリア城を一渡り見学してみて感じたのは、(こんな贅を凝らした場所で、最上の衣服を着て最上の食べ物を当たり前のように毎日食べていたのだとしたら……ある日突然終わりが来たとしても不思議はないのかもしれないな)ということだったかもしれない。無論、だからといって民衆たちの貴族に対する虐殺行為を、決して正しいと彼は思っていたわけではないが。
『なあ、ギべルネ先生。そろそろこっちに帰ってくる気はねえかい?』
「ええ……私もそのことについては、毎日考えています」
何より、今日の軍事会議にしてもそうだが、彼らにはすでに<神の人>などという象徴は必要ないのではないかとギべルネスは思っていた。自分がいなくても今後は、ひとつの目的に向かって心をひとつにしている彼の軍が、ハムレットを名もなき王子から、正統な王の地位へ昇る階段を順に示していってくれることだろう。
『じゃあ、とうとうアレをやるってことでいいんだな?』
「そうですね……とはいえ、そのタイミングについてはユベール、あなたに決めていただきたいんですよ。言うまでもなく、私のほうではラ・ドゥアンが今どんな状態なのかわかりません。城壁にミサイルをぶち込むにしても、死者は出さないようにしたいですし……というのも、そのようなことが起きたとすれば、アグラヴェイン・モルドレッドの両軍とも、恐れるあまり震え上がって、戦う気力もしなえてしまうでしょうからね。その点が何より重要なんです」
『だけどギべルネ先生よお』と、ユベールがすねたように言う。『それだと俺としちゃちとつれえな。だって、どんなに注意したってさ、ひとりくらいは誰か怪我するなり、死者が出るなりする可能性のほうがたけえだろ?その場合の全責任はなんか俺にあるみてえで、なんか後味悪いってーか、なんてえか……』
「すみません。何か無神経なことを言ってしまったみたいで……」とギべルネスはすぐにあやまった。「では、こうしましょう。そうしたチャンスが上手くあればいいですが、そうでない場合は中止するという意味で、この件は慎重にいきましょう。その場合、私のほうでも特段<神の人>として『明日神の怒りが下ります』的なことを宣言したりもしませんし、ラ・ヴァルスを攻略後にでも、その城塔のひとつからヘリによって消えるというだけで十分な気がします。また、敵側に死者が出るにしても、ここはミサイルでも使用しないことには、どうにもハムレット軍の旗色が悪いとなったら……その場合は、その時怪我をしたり死んだりした人たちの責任はすべて私が負います」
『ごめん、ギべルネス』と、今度はユベールが素直にあやまった。『あんたが心の正しいいい人だからさ、ついさっきみたいな言い方しちまったけど……実際には俺、今まで生きてきた中で特殊工作員の任務として結構汚いこともやってきてんだわ。それはまあ上からの命令で仕方なく、みたいなことが多かったけど、今さらそこに新しく罪が積み重なっても、それは俺の中じゃそんなに凄いことじゃない。というか、そういう汚いよごれた人間になっちまってから、かなり長い年月が経つ。本当はな……今の俺の本音を言うと、ミサイルを何発使おうが、<神の奇跡>ってことになるんならもうそんなもんじゃんじゃん使っちまって、あんたに早く帰ってきて欲しいわけよ。で、その場合はある意味俺の我が儘だから、その時死んだ敵兵のことについては全部俺の責任ってことでいい。だから、俺がさっき言った「わたし、まだヴァージンだからそんなこと出来ない」みたいな恥じらい発言については忘れてくれ。「薄汚れたビッチが何言ってんだ」っていうのが、実際の俺の本当の姿だからな。それがいかなる状況下であれ、ミサイルの発射ボタンを押した責任は俺自身が自分で負う。だから気にしないでくれ』
「私だって……そんな全然いい人間でもなく、適度に薄汚れてますよ」と、ギべルネスは自分の過去を思い返し、溜息を着いた。「というより、そのあたりの責任は我々ふたりで折半するか、あるいは都合よくAIクレオパトラのせいにでもするとしましょう。とにかく、ユベールには今回もいい情報をもらいました。とはいえ、私はただの一医師であって、当然軍事戦略家じゃありませんからね。ラ・ヴァルスがアグラヴェインとモルドレッドというふたりの公爵に占拠された場合……どうするのが一番いいかは、追ってあなたからの報告を聞いて決めたいと思っています」
『そうだな。まあ、今はそれっきゃないもんな。あと……あんたはさ、やっぱ俺なんかとは違うんだよ。そこんとこ、やっぱしはっきりさせときてえ。俺はな、ここでミサイルを百発打って死者が何人出ようと、本星へ戻った頃にはたぶん忘れちまってるよ。そういうふうに自分を慣らすってことにも慣れちまってからもう軽く百年以上は経つ……だからさ、そこんとこ、ギべルネスが気にする必要はねえ。まあそういう前提で、多少死人が出るような結果になっても俺はあんたに早く帰ってきてもらいたいってことだけ、ちょっと覚えておいてくんねえかな』
「すみません。何か、私のほうでだけ、優等生のいい座席に座りたいみたいな、都合のいいことを言ってしまって……あなたが私との通信を切ってしまってそれっきりということになれば、私の元の世界へ帰れるという望みはその時点で断たれてしまうというのに……」
『そうだな。確かに、俺はそういう腹黒いことだけはしたことがないって意味では、少しはマシなのかもしれない。ま、こんなこと、自分で言うのもなんだけどさ、気に入らねえ奴を辺境惑星に置き去りにして自分は宇宙船で帰っちまうとかいうのは何もドラマや映画だけの話じゃなくて、ほんとにあることなんだよ。で、上官にはその惑星に特有のウィルス性の病いに彼はやられていて仕方なく……なんて説明したりな。ギべルネス、俺はあんたのことがひとりの人間として好きだ。だからさ、もし今後何かの理由で俺と連絡取れなくなったとしたら、そりゃ俺のほうで何かがあったんだと思って欲しい。そういう意味でも急ぐ必要があるって思っといて欲しいっていう、これはそういう意味』
「そうですね。肝に銘じておきます……なんていう言い方もおかしいですね。私も、ユベール、あなたのことが好きですよ。早く虫としての姿じゃない本物のあなたに会いたいと、いつも思っています。それと同時によく考えるんですよ。精霊型人類たちは、ハムレット王子たちのことも含めた私たちのことを見ていてどう思っているのかと……おそらく、ここまでは彼らにしても『概ね自分たちのシナリオ通り』くらいな感じでしょう。ですが、ここから先のことは私にしてもまったくの未知数です。そして、彼らにしても私たちというのは、ある意味どう動くかわからない未知な存在なのではないでしょうか。ということは……」
『あーーーーッ!!』と、羽アリは昆虫としてはありえぬほどの大きな声で叫んだ。実際、ユベールは宇宙船のコントロール・ルームにて、コンソール前の椅子から引っくり返りそうになっていたのである。『それだよ、それっ!!だからこいつら、ずっとカエサルにいて俺のこと見張ってんだ。自分たちのシナリオに、俺やあんたがどういう影響を及ぼすかわかんねえから……けど、こいつらってのは地球発祥型人類ってのがでえ嫌いだろ?だからこんなとこにいて、チンケなゴミみてえな俺のことを見張ってなきゃなんねえってことで、何かとそれがストレスなんだろうよ。そこで、俺に聴こえねえのをいいことに、「かーっ、ペッ!!おりゃあ一体いつまでこんなとこにいなきゃなんねえんだ」ってな具合で、精神的なツバを吐いたりしてんじゃねえのか?そんで、俺にはそんなこいつらのイライラオーラがラップ音みたいな感じで聞こえるっていう、そういうことなんじゃねえの?』
ここでまた、制御室の外で、何か物が転がるような大きな音が聴こえてきた。こんなことが毎日何度となく繰り返されることから、どうせ見に行ったところで何も変化はないとわかっている。だが一応、制御室の外の映像を、AIクレオパトラに命じてスクリーンパネルに表示させた。やはり、特にどこもどうということはない。
「確かにそうかもしれませんね。ユベール、あなたのその仮説は結構当たっているのではないかという気がします。何故といって、あなたがもしミサイルの発射ボタンを押したとすれば、彼らとしては自分たちで直接奇跡を起こす手間が省けるということなんだと思いますから……そうですね。確かにそうなのかもしれない。だんだん、何かがわかってきたような気がします……」
ユベールとギべルネスは、一旦ここで通信を切ることにした。精霊型人類という存在が、今もそこらへんにいるのか、ハムレット軍の中の誰かしらに時折都合よく取り憑くことすらして、自分たちのシナリオ通りに事を運ぼうとしているのかもわからない。だが、とにかく彼らのシナリオにはある程度幅というのか、許容範囲があるのではないかと、ギべルネスはそんな気がしていた。
『よくこんなにいっぱい、文字を書いてる暇があるもんだね。ある意味感心するよ……』
文学部に進学したクローディア・リメスは、作家兼詩人を目指していた。確かに、彼女は小さな頃からコツコツ詩を書いており、それが新聞に掲載されたということもある。小学生の時、素人詩人を気取る国語の先生が授業中に褒めていたこともあった。だが、それらは他愛もない幼い子供の強い感受性を示した程度のもので――ローディに何か文学的な才能があるとは、ギべルネスは一度として思ってみたことはない。
その彼女が、夏休みに長編小説を書き上げたので、読んで欲しいと言ってきたことがある。(こっちは忙しいってのに、いい迷惑だな)と正直ギべルネスは思った。だが、その頃正式に「つきあう」ということになってあまり経過していなかったため、彼は(どうせくだらない内容だろうな……)と思いつつ、ただ黙ってその苦行に耐える道を選んだのである。
最初に原稿を渡された時、『忌憚ない意見を!!』と言われていたため、ギべルネスは(作家として成長したいので、思ったことはなんでも口にしてくれ)という意味に受け取った。ゆえに、学業とバイトで忙しい中、その分厚い原稿を読み、誤字脱字については間違ったところに赤い文字で直しを入れ、その他『登場人物の行動が不自然。彼女が何故こんな行動を取ったのか、もう少し説明するべき』とか、『物理描写が薄っぺらい』、『こんな理想的な嘘くさい人間、本当にいるものだろうか?これは作者の人間を見る目や経験が不足していることからくる……云々』などと、思ったことを細々書き込んでいったものである。
とはいえ、総体的に言えば、その小説はなかなか悪くないというのか、ギべルネスにしても面白かったのは事実である。ゆえに、『THE END』と印刷された最後に余白があったので、ギべルネスはそのことも書いておいた。また、作者の素顔を知っているため――クローディアが普段こんなことを考えていたというのも、彼には意外だったという意味で、そのファンタジー小説は面白くもあったのだ。
だが、『感想を書いておいた』と言って、その原稿を返した時……その後暫くローディはギべルネスのことを無視し、口も聞いてくれなかったのである。そこでその一か月後、ギべルネスはそのことをあやまった。きっとよほどの自信作だったのだろう。それをけなされたと思い込み怒っているのだろうと、そう思ったから……。
『違うわよ!!あんた、感想に信じられないこと書いてたじゃないっ!!「なかなか悪くない小説とは思うけど、こんなものに長い時間を費やすよりは、もっと他にやるべきことがあるはずだ」とかなんとか……あたし、小さい頃からあんたのこと知ってるけど、ギべルネス、まさかあんたがそこまで夢のないお馬鹿さんだとは思ってもみなかったっていう、あんたと口聞かなかったのはそういう理由よ!!』
『じゃあつきあうのも、もうやめにするかい?』
『それは嫌っ!!だからちょっと距離を置こうって思ったのっ!!』
――結局、時間の経過とともにクローディアの怒りは徐々に冷めていった。その後、ギべルネスはこのことを反省し、恋人に歩み寄りの姿勢を見せるために、彼女が特に好きだという作家の小説を読んだりするようになったものである(おもに女性視点の、男という生き物はまったくもって何もわかってないという、約めて言えばそうした手合いの恋愛小説を、時に「耳が痛い」と感じながら読破していった)。
すると、クローディアはだんだんに創作の魔術の秘密について、少しずつ話してくれるようになったのである。この時、ギべルネスは自分から歩み寄るようにしておいて良かったと心底思ったものだ。そうでなければおそらく、彼女はそうした心の秘密については鍵をかけ、『ギべルネス・リジェッロのような夢のないお馬鹿さんに、こんな大切なことを話して堪るものか』といった具合で、小説や詩といったことについてはすっかり口を噤んでいたことだろう。
また、その大作家クローディア・リメスの有難いお言葉によると、『小説や演劇のシナリオっていうのはね……ある程度幅や許容度があるものだと思うの』ということだった。『わたしが小説を書く場合はね、最初と最後は絶対に決めておくの。ううん、違うかな。最初のほうはまあ、とにかく書きはじめだから、それなりに進んでいくものなのよ。でも、ラストは絶対ちゃんと決めておかなきゃダメ。あとはね、その時々でキャラクターが勝手にしゃべってくれたりして、物語を引っ張っていってくれるものなの。それで、大切なラストに向けてお話のほうは進んでいくわけだけど、物語の登場人物たちが勝手に動いてくれたりして、書いてるわたしのほうでも「あ、そっちのほうが面白いな」ってなったら、最初の構想を変更するっていうのも、実はよくあることなのよ』――ギべルネスは学校の教科としては理数系が得意で、国語の読書感想文というものには毎回悩まされたという経験を持っている。ゆえに、クローディアの言っていたことを、本当の意味でわかっていたとは思わない。だが、今はそんな状況が少しだけ違った。
(確かにおまえの言うとおりだ、ローディ)と、ギべルネスは柔らかすぎてむしろ寝づらい、四柱式ベッドの縁に腰かけて思った。(あの精霊型人類たちにとっても、このシナリオのラストは決まっているんだ。ハムレット王子がこの国の王になるという……無論、最終的なその結部に向かって今この国の歴史が動いているにしても、ラ・ヴァルスがアグラヴェインとモルドレッド公爵のふたりに取られた場合、今後、彼らはどう動くつもりなんだろうか?もし、私やユベールが動かなくても、ほとんど万能にも等しい力を持つ彼らにとっては、多少面倒であったにせよ、確かにいくらでもやりようがあるということなのだろうが……)
ギべルネスはこのあと、もう一度軍事会議の行われている大広間へ戻り、今後の方針がどう決まったかを確認してから、もう一度自分の仮の居室まで戻ってきて眠った。そんなことを考えている場合ではないとわかっていたが、この日の夜、彼はクローディアが新婚旅行のためのパンフレットを山のように読んでいた時のことを思いだしていたのである。また、何故そんなことを思いだしたかも、ギべルネスにはわかっていた。彼女はよく、今ギべルネスがいるような豪華なホテルのような部屋に憧れていたからだ。『でもわたしたちの軍資金じゃ、まだここまで高いところに泊まるのは無理よね』と、何故かローディは嬉しそうに言った。『その割におまえ、僕にそんな甲斐性もないってことをそんなにがっかりしてないね』、『そりゃそうよーう。だってわたし、昔から旅行のパンプレットだけ見て、色んな旅行をしてきたんだもーん。ふふっ、夢のないお馬鹿さんに教えてあげる。人が出来る旅行の中で、一番素晴らしくて未知でどうなるのかわからなくて面白いのは、人の心の中で起きる旅なのよ』、『ふう~ん。ローディ、おまえのこったからきっと、そんな名言が本のどこかに書いてあるのでも読んだんだろうね』、『ちがいま~すっ!!今のはわたしのオリジナルだもんね~!!』、『どうだか。確か僕も、そんなような名言を本か何かで読んだ記憶があるからな』……婚約したあとの、一番幸せだった頃のことを思いだすのは、ギべルネスにとって今でもとてもつらいことだった。
クローディア・リメス以外の女性であれば誰でもいいし、誰でも同じ――という意味でなら、確かに女性であれば他にいくらもいたことだろう。だが、すべては未知数の暗闇の中に隠されていた。そこで、ギべルネスは確認しようのないことについては合理的に統合して考え、そこに理想的な解釈を加えることにしたのだ。彼女と自分との間にある魂の絆については、誰も、この宇宙を支配する神にでさえも断ち切れぬほどのものだと。だが、彼がその昔映画で見たように、恋人が戦争で死んだと思い込み、家族を養っていくのに金持ち男と結婚した女性が、結婚後に実は戦死していなかった恋人と再会したように……そうした取り返しのつかない行き違いというものはある。クローディアが選んだのも、そうした最初は悲しいプランB、本来ならばそうなるはずでなかった結末についてだった。その点について彼は今も疑ったことはない。だが、一度そうなってしまった以上は――ギべルネスには、彼女がせめても幸福であるようにと祈ることしか出来ない。
無論、最初それは苦痛以外の何ものでもなかったが、その苦痛にも慣れると、苦痛は麻痺して、次には何かよくわからないおかしなものへと変わっていった。とにかくギべルネスは最初の苦痛が通りすぎると、今度はそのことにしがみついた。クローディアがまったく不幸ではなく、過剰なまでに幸福である姿というのを想像し、それをどこか遠くから眺める男の姿を自分に設定したのだ。
そして、最後にとうとうギべルネスは小説の中の登場人物のようにすらなった。クローディアが結婚後、ある程度の幸せを享受しつつも、結婚前の夢を捨てられなかったように……彼女は小説を書く。自分が心から愛し、結婚する予定だったギべルネス・リジェッロという男がその中には出てくる。だが、その小説を書いている当の彼女は泣いていた。そして、ここでギべルネスはその愚かな夢想から覚める。自分たちが永遠に結ばれるためには、そんな方法しか最早残されていないと知ることは――彼にとってあまりにもつらいことだったから。
>>続く。