【白のシンフォニーNo,1―白の少女】ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
さて、今回は↓のお話の中に画家のホイッスラーのこととクールベのことがちらっと出てくるので、そのことでもと思いました♪
ところで、↑の「白のシンフォニーNo,1」のモデルは、ホイッスラーの恋人だったジョアンナ・ヒファーナンという女性で、ホイッスラーが彼女と別れた理由というのが、画家クールベのモデルもジョアンナがしていたということらしく。。。
ジョアンナがモデルをしたらしいクールベの絵を、とりあえず2点並べてみますm(_ _)m
【美しきアイルランドの女(ジョーの肖像)】
【まどろみ(安逸と贅沢)】
……いえ、ホイッスラーがふたりの関係を疑ったのが何故なのかって、もはや説明不要という気がします(^^;)
そんで、次の「世界の起源」というクールベの絵も、ジョアンナ(ジョー)がモデルである可能性が高い……と、そのように言われているそうです。。。
【世界の起源】
>>この絵が描かれた当時、クールベのお気に入りのモデルは、ジョアンナ・ヒファーナン(Joanna Hiffernan)、通称ジョー(Jo)と呼ばれる女性だった。当時、彼女の恋人はアメリカ人の画家でクールベの信奉者のジェームズ・マクニール・ホイッスラーであった。
クールベはまた1866年に『美しきアイルランド女(ジョーの肖像)』という、ヒファーナンをモデルにした絵を描いた。クールベは画業において4枚のヒファーナンの肖像を描いている。おそらく彼女が『世界の起源』のモデルであろう。となれば、少し後にクールベとホイッスラーが喧嘩別れした事の説明がつく。その後ホイッスラーは、彼女と別れアメリカへ帰った。もっとも、ヒファーナンが赤毛で『世界の起源』の陰毛は黒々しているところが疑問点ではあるが、彼女がモデルであるという説が有力である。
(ウィキペディアさまよりm(_ _)m)
なんていうか、その……↓で、ルーディが言ってるのはそういうことらしい……ということで(逃☆)
それではまた~!!
聖女マリー・ルイスの肖像-【14】-
「一緒に連れだしてくれて助かったよ、ルーディ。それに、俺のかわりに色々言ってくれたことも……」
マーティンは大学のキャンパスのイチョウ並木を親友と歩きながら、ほっと胸を撫でおろしていた。十一月の今、黄葉したイチョウはまだ、樹木のほうにいくらか張りついている。そして足許はイチョウの黄色い葉や銀杏や、そこから漂うほろ苦い香りとで満ち――秋の終わりと冬のはじまりとを、その空気が告げていた。
「そりゃそうだろ。いかにも女みたいにぺらぺらしゃべりそうな俺じゃなく、色んな意味で信頼のおける口の堅いおまえが実はバラしたとなったら、イーサンだってショックだろうからな。それに、おまえらにはまだ試合がある。こんなくだらんことでチームプレイにヒビが入って試合に負けたなんて、絶対嫌だろ」
「ごめん、ルーディ。俺、そこまでは深く考えてなかったんだ。ただ、キャシーが可哀想だなと思って……」
「そうさ。みんな、そういう気の優しいおまえのことが好きなんだから、それはそれでいいんだ。第一、イーサンだって悪い。そこでだな、昼メシも食ったことだし、ちょっと俺につきあえよ。アメフトの練習は今日……午後の三時くらいからだろ?」
「ああ、三時半だ」マーティンは腕時計を見ながら言った。「そっか。ルーディ、俺と違っておまえはやっぱり冴えてるな」
煉瓦の門と黒の鉄柵で出来た校門をくぐると、ふたりは示し合わせたように地下鉄の駅へと階段を下りていった。そして中央駅を過ぎた次のヴィクトリアパークで下り、人の波に揉まれるようにして、ルーディとマーティンは先を急ぐ。
「そもそも大体おかしいだろ。寮をおんでたっていう理由からだけじゃなく、最近じゃ大学でも滅多に顔を合わさなくなったからな……そりゃマーティン、おまえは部の練習で毎日のようにイーサンとは顔を合わせるだろうけど、聞いたら「自宅学習に切り換えた」なんてほざくんだぜ?俺はてっきり、家に可愛い女がいるもんで、その女にマッサージでもしてもらいがてら勉強してんかと思ったくらいだからな。笑うなよ、マーティン。実際俺はこのことではイーサンに腹を立ててんだ。前までは寮であいつとも色んな話が出来たから良かった。けど、あいつがいなくなってからやっぱり少しつまんなくなったよ。せっかく大学最後の学年なのに、イーサンのせいでこんな思いをさせられるだなんて思ってもみなかったんだ」
「…………………」
マーティンは何も言わなかったが、ルーディが何を言いたいのかはよくわかっていた。寮のほうでは相も変わらず仲間内でトランプだのマージャンだの、ジェンガやモノポリーをしては、お互いのことを話しあっている。ラリーはすでにロースクールへ進学することが決まっているも同然だったし、サイモンはユトレイシア市役所の試験に無事合格。マーティンはアメフトのプロチームのいくつかにスカウトされている。また、ルーディはガルブレイス出版に編集者として入社することが決まっているという身の上だった。
残り、大学卒業後の進路が確実に決まっていないのは、仲間内でイーサンくらいなものだった。もちろん、彼の場合すでに父親の財産を自由に使える身であったから、大学院の試験にパスできなくても、どうということもないのかもしれない。けれど、だからといって寮から突然いなくなったり友達づきあいをおろそかにしたり、ましてや恋人の涙の愚痴を聞かせていいということにはならない。
だんだんに常緑樹の緑が色濃く目立ちはじめるヴィクトリアパークではあったが、それでもまだ頑張って生命力を発揮している花や緑があって、公園自体はとても美しかった。そしてその中央の煉瓦を敷き詰めた歩道を歩いていきながら、ルーディとマーティンとは親友の五階建ての豪邸へ向かう。あえて先に電話連絡などということはしなかった。むしろ、愛人が友人を迎える姿を見て、イーサンがどんな態度を取るのか、しかと見届けたいとルーディもマーティンも思っていたからである。
マーティンが呼び鈴を押すと、リンゴーンという音がして、暫くののちにぱたぱたという足音が玄関ホールのほうへ近づいてきた。
「おねえさん、おきゃくさんなのお~?」という、のんびりしたミミの声がしたのち、「そうよ。お客さんよ」という柔らかな女の声がする。そしてルーディとマーティンがハッとして顔を見合わせているうちに、玄関のドアが開けられた。
「まあ、どちらさまで……?」
いつもならインターホンを通すが、マリーはミミと玄関ホールで遊んでいたため、すぐドアを開けていた。流石にこんな真っ昼間のことだから、そう物騒なこともないと思ったのだ。
「その、俺たちはイーサンの大学の友達で……」
ルーディは慌てて灰色の帽子を脱ぎ、マーティンは意味もなく頭をかいた。これまで写真だけを見て色々言ってきた女性が目の前で動いているのを見るというのは――何か罰の悪い思いをふたりに味わわせたという、そのせいだったかもしれない。
「ありゃあ、大学に来なくもなるぜ」
マリーが「少々お待ちくださいね」と、しとやかな秘書のように消えてしまうと、かわりに廊下の奥のほうからキコキコと子供用三輪車に乗ってミミがやって来る。そしてその三輪車の籠のあたりにはうさしゃんが一緒に乗っているのだった。
ミミはふたりの男のほうへはやって来ず、「このくらいまでなら安全」と彼女が考えているらしいラインのところまで来るとユーターンし、廊下の奥のほうへまたいなくなる。「プップー!うさしゃんは左に曲がります」だのとミミが言いながら、実際は右に曲がるのを見て、マーティンもルーディも思わず笑った。
やがて、若干の時間を置いたのち、イーサンがどこか嬉しげな顔をしてエレベーターから下りてくる。彼の後ろには例の女性がいたわけだが、この時不思議とふたりにはイーサンが心から友の来訪を喜んでいるのがわかった。
「よう!なんか久しぶりだな、ルーディ。おまえがこの屋敷にやって来るのなんて、何か月ぶりだろうな?」
イーサンは親友ふたりの体を叩きながら、またエレベーターのあるほうへ戻っていく。途中、マリーが「お茶のほうはどうしますか?」と聞いたので、「三階の応接室まで運んでくれ」と、イーサンは秘書に対すような気安さで命じていた。
「おまえ、ありゃあ一体なんだ!?」
エレベーターに乗りこむなり、ルーディは爆発したようにそうまくしたてた。そして、エレベーターを三階で下りてからも、その剣幕は続く。
「こっちはな、キャサリンに問いつめられてうっかり口を滑らしちまったという懺悔をしにきたんだ!それなのに……ああもう、馬鹿らしいったらないな!!おまえ、あの人と本当になんでもないっていうんなら、キャサリンにそう説明しろ。もっとも、若い女と一緒に住んではいるが、あれは子育てする秘書みたいなもんで、彼女とはまったくのプラトニックなんだ――なんていう話を、キャサリンが聞いて納得するとでも思うんならな!」
ったく、けったくそ悪い……というように、ルーディは応接室の革の椅子にどっかと座りこむと、胸元のポケットから煙草を出して吸いはじめた。応接室のほうは書斎の隣にあって、中世風の趣味のいいインテリアで飾られている。マホガニーの机の横には甲冑が槍を手に持った形で直立しており、その前にソファが一組ずつ左右対称にテーブルを挟んで配されているという形だった。ルーディの座っている側から見える書棚には、彼にとって興味のある本――カンタベリー物語や薔薇物語など――が置いてあったが、今のルーディにとって、それらの本は一時的に魅力を失っていたといえる。
「まあ、仕方ないさ。シーズンが終わるまでは何も言わないほうがいいのかと、俺のほうでも思っていたからな。で、おまえら、一体どこまでしゃべったんだ?」
イーサンが意外にも冷静なので、マーティンもルーディも顔を見合わせて驚いた。ルーディはソファから身を乗りだすと、テーブルに乗っていたマーブル大理石の灰皿に、煙草の灰を落とす。マーティンはコートを脱ぐと、コート掛けのポールのひとつに引っ掛けていたが、ルーディはまだコートを着たままでいた。
「ええと、なんだっけな。俺も下であの人に会ったせいで忘れちまった……まあ、なるべく曖昧にぼかすような言い方はしておいたよ。だが、あとで大学でキャサリンに会うか、電話がかかってくるかしたら、その話だと思って覚悟しとくんだな。というか、クリスティンのおばあさんが日曜に教会でおまえのことを見かけたらしいぜ。一体いつからそんなに信仰深くなった?道徳か信仰書みたいな女の影響か?」
ここでコンコン、とドアがノックされ、ルーディとしても慌てて居住まいを正した。そしてまだ吸いはじめて間もないにも関わらず、煙草をぎゅっと灰皿に押しつけて消す。
「子供たちのおやつと一緒で、なんだか申し訳ないんですけど……」
マリーはワゴンの上からイーサンにはコーヒーのマグ、それと客人ふたりには紅茶を下ろして、それからドーナツやマドレーヌやクッキーの乗ったお盆を置き、一礼して立ち去っていく。
ルーディもマーティンも口が聞けないままでいるのを見て、マリーが出ていくなりイーサンは大声で笑いだす。
「ハッハッハッ。やっぱりな、おまえらでもそうだろ?俺はあんなのとこの六月に初めて会って、死んだ親父の最後の愛人だみたいに紹介されたんだぜ。いや、正しくは再婚した親父の最後の妻か。もっとも、本人の話じゃ体の関係はないって話なんだがな。そのこともおまえらに話したっけ?」
「ああ、聞いたよ」と、うんざりしたようにルーディは言った。マーティンは早速とばかりもぐもぐと、チョコレートドーナツを食べはじめる。美味しい。
「だから俺たちはそんな話はうさんくさいと思って、さんざんおまえに忠告したんだ。だがイーサン、おまえの話じゃ毎日家政婦みたいにメシ作って子育てをしてるってだけの顔に善良って書いてあるような感じの女だ、なんてことだったから――ちょうどいい機会だから、まあ俺たちも確かめにきたわけさ。おまえに懺悔しがてらね」
「その件はべつにいいさ。どのみちキャサリンとは別れようと思ってたからな。ただ、大学を卒業するまでは、キャシーにも立場ってものがあると思ったんだ。けどまあ、偶然の結果とはいえ、それが早まったというだけの話だ」
ルーディは紅茶を一口のみ、手作りであることがわかるマドレーヌに手を伸ばして食べた。いつも食べている高級菓子店のものとは赴きがまた違い、どこか懐かしいような味がする
「……おまえ、キャサリンと本当に別れるつもりなのか」
ドーナツを半分食べたところで、妙にがっかりした口調でマーティンは言った。無理もない。お互い、大学二年の大体同じ頃からキャサリンやクリスティンと交際をはじめ、その間四人であちこち街中へ出かけたり、旅行もしてきたという仲だ。もうそんなこともないのかと思うと寂しくもなる。
「なんて言ったらいいのかわからんが」
イーサンはマホガニーの机に座っていたのだが、ルーディの隣に座るとルビーのようなゼリーの埋まったクッキーをひとつ食べた。いつもながらあの女はクッキー作りの名人だなとそう感じる。
「ようするに、俺とキャサリンは似てるんだ。物の考え方も功利的で常にギブ&テイクで考えるだろ?俺も、ずっとレンアイってのはそんなもんかなと思ってた。あいつは俺がユトランド国内で一番の難関大に通ってなくて、アメフト部のクォーターバックでもないっていうんなら、俺のことは鼻にも引っかけなかっただろう……いや、こんな言い方をするからってキャシーのことを責めてるってわけじゃないんだ。あいつは最高にいい女だよ。だけど、今は俺のほうで前とはあいつと同じだった価値観が変わったんだ」
「じゃあ、キャサリンとは別れてさっきのあの人と今度はつきあうってのか」
イーサンの言い分もまたもっともだと納得しながらも、ルーディはあえて「ケッ」というような棘のある態度を取った。世の中不公平にもほどがある。何故自分の家にもああいう女中がやって来て、甲斐甲斐しく世話などしてくれないのだろうか。
「さあな。あいつはべつに男としての俺には用なんかないのさ。あの豚児どもを育てるのに「ああしてもいいですか」とか「こうしたらどうでしょうか」とか、基本的にそんな話しかしない。だが、仮に短い間でもひとつ屋根の下に一緒に暮らしてれば、相手についてある程度のことはわかる……流石はあの親父が体の関係もないのに遺産を残してもいいと思っただけのことはあるというかな」
「イーサン、おまえ、くどいようだがそんな話を本当に信じてるのか?」
イーサンは肩を竦めると、トカゲの形をしたクッキーをまたひとつ、口へ放りこんだ。
「実際のところ、俺にはもうそんなこともどうでもいいんだ。おまえらも、体の利かない俺の親父の前であいつが大股開きをしたとか想像するのは勝手だが……マリーに限ってそんなことは絶対にないな。あとから弁護士のウェリントンにも確認を取っておいたが、思っていたとおり、親父はロンシュタットのあの保養所で、結構な面倒な患者だったらしい。風呂に入るのにお湯がぬるけりゃこんなんじゃ風邪を引くと言い、次に熱くすれば今度は「俺を殺す気か」という、そんな厄介な患者だったんだと。だから介護士連中みんなから嫌われてたらしいが、それをマリーのやつが改心させたらしい。笑ってしまうがな、俺の親父のケネス・マクフィールドはああ見えて実際は気の小さい男で、いよいよ死が差し迫っていると感じた時……それがなんであれ、縋りつきたかったろうと思うんだ。親父が今ごろマリーがそうと信じさせたとおり天国にいるのか、それとも生前の行いが祟って地獄にいるのか、それはわからん。だが、あとになってよくわかった。俺は棺桶の中の親父の安らかで幸福そうな顔を見た時、「なんて人生は不公平なのか」と思って腹が立ったもんだ。だってそうだろう?大して容貌の冴えない、頭の悪い四流校に通ってたような男が、たまたま買った宝くじに当たって――その数億もの金を元手に事業をはじめて成功し、女のことはよりどりみどりの抱き放題で死んでいったんだぜ。死後には息子の俺でさえ「地獄へ行くべきだ」と思ってるってのに……まあ、あいつはああいう性格だから、「主に赦しを乞い求めれば魂に安らぎがきます。そして天国へ行くことが出来るのです」とでも言ったんだろうよ」
「ふん。俺には老人福祉施設内における、よくあるくさい与太話にしか聞こえんがな。というより、おまえも親父さんがかかったというその女の毒牙というのか、罠に嵌まりつつあるんじゃないのか。確かに、見た目はいい人そうだし、優しそうだ。だが、あんな女が裏切ったような時こそ、キャサリンが他の男と姦通してたなんてわかるより、よっぽどショックが大きいぞ。イーサン、おまえ、そういうことについてはどう思ってんだ?」
青汁入りの、緑がかったマドレーヌを手に取ると、ルーディはそれを向かいに座る大男にも勧めた。見た目は少し悪いような気もするが、美味しかったからだ。マーティンのほうではもう三つ目のドーナツに手をつけている。
「ようするに、マリーがなんかの窃盗団の一味で、あとで手引きされた仲間どもがこの屋敷にやって来るっていうような、ルーディが言いたいのはそういうことだろ?だからさ、そうなろうがどうなろうが、俺にはもうどうでもいいんだ。あのガキめらにしてもショックだろうが、むしろ莫大な財産なんかなくなったほうが……あいつらもまともな人生を送れるような人間に育つかもわからんしな」
イーサンの、マリー・ルイスという女に対する絶大な信頼を見てとると、ルーディにしても(負けた)と思った。ルーディにしてもキャサリンが泣くところを見るのは嫌だったが、確かに彼女はイーサンのことを「自分の条件に見合う男」として恋人に選んだのだ。そういう意味では彼女の涙というのもある意味、自業自得の結果であるのかもしれない。少々残酷な言い方をしたとすれば。
「なんにしても、おまえもすっかり脳内にまで恋愛の毒とやらがまわっていて、正常な判断が出来なくなってるらしいな。まあ、あんな可愛い人がいれば、それも無理ないかもしれないが……なんにしても、また寮にでも遊びにこいよ。大学でも寮でもおまえと会わないとなっちゃ、大学生活がまるでスパイスの効いてないカレーか何かみたいに思えて仕方ないからな」
ここでイーサンがルーディの言葉に関連して何か思い出し笑いしたらしいのが、長いつきあいのふたりには見て取れた。クッキーに惚れ薬でも混ざっていたか、とでも疑うように眺めてから、ルーディもイルカの形のそれを口の中へ放りこむ。
「いや、スパイスの効いてないカレーか。うちのカレーってのがほんと、ガキめらが辛いもんがあまり食えないとあって、辛味がほとんどないんだよ。しかも、ロンが人参嫌いでココが玉ねぎ嫌いだろ。だから、具のほとんどはすり下ろして放りこんであって、老人食みたいになってんだな。だがまあ、マリーの奴はよくやってるよ。そのおやつもランディが太らないようにってドーナツは揚げない形で全粒粉やおからで作ったり、マドレーヌには青汁入れて少しは栄養取るようにさせたり……まったく、俺があいつらの年の頃の食生活ってのは惨めなものだったんだぜ。ほら、結局家に帰ってきても母親がいないか寝てるか仕事に行く準備してるかとか、そんな感じだったからな。うちの豚児どもがマリーの作ったメシにケチつけてるのなんか聞いてると、「黙っていても食事が出てくるだけ有難いと思え!」と言って、その横っ面を引っぱたきたくなることさえある。だがまあ、ああいうのが母親の愛情ってものなんだろう。ガキめらがブツブツ文句言ってても、彼らもいつか人の親になれば自分の苦労がわかるだろう……とばかり、毎日同じことを繰り返せるっていうのがな」
「ははーん。そりゃおまえ、もう末期だな」
エインズレイのカップで紅茶を飲みながら、ルーディは呆れたようにからかい調子にそう言った。
「ようするに、キャサリンとあの人とじゃ性格もタイプも何もかも真逆だものな。キャサリンは確かにいい女だよ。だがあの人みたいな雰囲気はない。だが、大抵の男が写真を見て決める場合において選ぶのは大抵がキャサリンかキャサリンタイプだ。なんでかっていうと、あのマリーさんって人は最初から結婚ってことを前提に考えて真面目におつきあいするって感じのタイプだから、そこまでの深いつきあいよりも軽く遊びたい、そのあとそれが真剣な交際に変わるならそれもよし……くらいなら、やっぱりつきあうのにいいのはキャサリンタイプだろうな」
「そういやマーティン、おまえ、大学を卒業後はほんとにクリスティンと結婚するのか」
ルーディにそれ以上深く突っ込まれたくなかったイーサンは、アメフト部における自分の相棒にそう声をかけた。実際、結婚という言葉を聞いてそのことを思いだしたせいでもある。
「ああ。イーサンも知ってのとおり、プロリーグからもスカウトがきてるからな。そのあたりの話がうまくまとまったら、クリスティンにプロポーズして、そのあとのことはふたりで決めるつもりだ」
(やれやれ。寂しいひとりもんは俺とラリーくらいなもんか)
そう思いながらルーディはシナモンドーナツに手を伸ばした。イーサンにはいずれこの件について吐かせてやろうと心に決めているものの、今は深追いはしない。
「だがマーティン。おまえもよくクリスティンみたいな女豹か虎のような女と結婚することまで考えたよな。プロになっちまえば女なんかよりどりみどりの選び放題だろうに……俺がおまえならもう少し何人かと遊んでみてから慎重に決めるがな」
「ははは」と、マーティンは快活に笑った。「結局、俺とクリスティンは性格が正反対だからいいのさ。ああ見えてふたりきりの時は優しいし、自分の言いたいことはズバッと伝えるタイプだ。逆にいうと俺は、イーサンはあの人と合うんじゃないかと思うよ。キャサリンには悪いけど、いい人そうだし、何より子供たちが懐いてるのが一番だ。おまえの場合はさ、弟と妹を切り離して自分だけ結婚して幸せになるとか、出来ないだろ?そう考えた場合、一緒に暮らしていて支障がないだなんて、これ以上の最高の相手はないような気さえするな」
――おそらく、ふたりきりの時にでもマーティンがこう言ったなら、イーサンも「俺もそう思ってるんだ」と、本音を吐露したかもしれない。だが、ルーディが相変わらずどこか面白くない顔をしているように見えたため、「結婚式には絶対呼んでくれよな」としか言えなかった。
「さーてっと、つきあってる女もいない、結婚する予定もない、オンボロ大学寮暮らしのさもしい男は追い出されるように帰るとするか。じゃあな、イーサン。次の試合はホームグラウンドだろ?応援しに行くから頑張れよ」
「ああ。また寮に遊びにいくから、例の話の続き、聞かせてくれ」
この<例の話>というのは、ルーディが今書いている推理小説の続きのことである。自分の父親が死んだ原因は父の後妻が仕組んだことではないのかと疑いながらも、若い彼女に惹かれていく主人公……果たしてこの女は聖女なのかそれとも悪魔なのかといったようなストーリーだった。
三人はエレベーターは使わず、そのまま中央階段を下りて一階まで戻った。するとそこには、オオカミの衣服を着たマリーがおり、「食べちゃうぞォっ!!」などと言いつつ、三輪車に乗るミミのことを追いかけまわしているところだった。ミミのほうでは「きゃっきゃっ」と笑いながら、リンリン三輪車を鳴らして一生懸命逃げていく。だがその姿はオオカミを心底恐れているというよりも、まるで追跡されることを喜んでいるような赴きさえあり、何やら微笑ましかった。
ミミは廊下の奥のほうへ逃げていくが、マリーはルーディたちの姿に気がつくと、オオカミがいやらしく口の横っちょにベロをつきだしたマスクを脱ぎ、「もうお帰りなんですか?」と聞いた。その首から下もオオカミの姿が前にも後ろにもプリントされたものをマリーは着ており、さらにそのお尻からは立派な尻尾まで生えているといったような具合だった。
「ああ。ふたりとも、おまえの作った菓子がうまかったってさ」
何も言えずにいるマーティンとルーディのかわりに、イーサンは笑いを堪えてそう代弁した。オオカミ姿のマリーのことがおかしかったのではない。それを見た親友ふたりのまごついた様子がイーサンはおかしくして仕方なかったのだ。
「そうですか。またいつでも遊びにいらしてくださいね!」
マリーは一度にっこり微笑むと、また目のところだけが空いているオオカミのマスクをかぶり、ミミのことを追っていった。「オオカミさん、うさしゃんはこっちよ!」とミミが言うと、「ガオ~っ!!」などと叫びながら、ドタバタ廊下を走っていく。
ルーディとマーティンが挨拶もそこそこに玄関を出ると、イーサンはドアを閉める前に指で自分の後ろを指し示してこう言ったものである。
「だから言ったろ?あいつは頭がおかしいんだ」
リースのかかった緑色のドアが閉まると同時、マーティンとルーディは顔を見合わせた。暫くふたりともそこに立ち尽くしたままでいると、「おい、マリー。俺の白クマのスーツはどこだ?」という声がし、「そこの部屋のポールのところにかかってます」と答える後妻の声がする。
「やれやれ。あれはもうキャサリンじゃ勝ち目はないぜ」
ルーディは肩を竦めてそう言い、マーティンは同意するように大声で笑っていた。白クマのスーツというのはようするに、マリーの着ていたオオカミスーツの白くまバージョンということだろう。その白くまのスーツをイーサンが着たところを想像しただけで、彼はおかしくて堪らなかった。
「まあ俺も、これからクリスティンに事情を説明してひとくさりブツブツ文句を言われたりするのは面倒だけど……あれじゃ仕方ないよ。美味しい甘いおやつに子供の笑い声。イーサン、まだ結婚してもいないのに、まるっきり新婚家庭みたいな暮らしをしてるんだものな」
「まったくだ。大体あいつ自身、そのことにどの程度気づいてるものなんだか。あの人のことを「あいつ」だの「おまえ」だの言って、まるっきり自分の女房のことを「うちのやつ」と言ったりするのと同じじゃないか。これからクリスティンに締め上げられるマーティンにはご愁傷さまと言うしかないが、むしろあのくらいだとハッキリしてていいのかもしれないな。俺はてっきりイーサンが、キャサリンは美人でセックスもいい、マリーは肉感的な女ではないが、家庭的ないい女だ。さて、どっちにしよう?なんてことで悩んでるのかと思ってたからな」
「聖愛と俗愛ってやつか」と、ルーディと一緒にマクフィールド家の庭を歩いていきながら、マーティンは言った。確かに自分でもこの場合は聖愛のほうを選ぶだろうとそう思う。
「そうさ。実際、体の関係もないのにあのイーサンにあそこまで思わせるってだけでも大したもんだ。彼女がイーサンの親父さんの前で大股開きをしたかしないかなんてこと以上に、俺はそっちのことのほうがむしろ凄いと思うな。実際、あのマリー・ルイスという人はただものじゃないよ」
このあとルーディは小説の続きのことで何か思いついたらしく、暫く黙ったままでいた。マーティンのほうでもそのような気配を察し、もともと無口で沈黙が苦痛でないタイプなだけに、ヴィクトリアパークから地下鉄に乗り、ユトレイシア大学駅で下りる間――彼もこの友に合わせるように沈黙を守ったままでいた。
そして、「ああ、そうか。ずっと誰かに似てると思ったら、ホイッスラーの「白のシンフォニーNo,1」だ。あの女性に彼女は似てるんだ」とルーディは寮の入口のところで突然口にし、マーティンを驚かせた。
「あ、マーティンは絵とか全然興味ないんだっけ?じゃああとで、大学の図書館からでも借りてきたのを見せてやるよ。ホイッスラーって画家の描いた絵で、なんとなく雰囲気があのマリー・ルイスっていう人に似てるのがあるんだ」
このあとマーティンはアメフト部の練習の準備をしてからフィールドのほうへ向かい、ルーディは大学図書館のほうへ向かった。そこで、<美術>と書かれた棚のところへ行き、ホイッスラーの画集を見つける。「そうだ。これだ、これだ」とまじまじと「白のシンフォニーNo,1-ホワイト・ガール」という絵を眺め、(やはりマリー・ルイスに似てるな)とあらためて思った。そしてルーディはこの時、画家のホイッスラーとクールベのことをなんとなく思い浮かべたりした。この「白のシンフォニーNo,1」という絵は、ホイッスラーの恋人だったジョアンナ・ヒファーナンという女性がモデルと言われているが、クールベもまた彼女をモデルにして絵を描いたことから――ふたりの友情にはその後、ひびが入ってしまったらしい。
この時ルーディはクールベの画集も手に取ると、「世界の起源」という女性の局部があらわになった絵を眺め――(やれやれ。これこそ本当の大股開きだな)と思い、笑いを禁じえなかったものである。もっとも、イーサンにはホイッスラーの「白のシンフォニーNo,1」という絵を「マリー・ルイスに似てるだろ?」とでも言って見せることはあるかもしれない。だが、こちらのクールベの「世界の起源」も、同一の女性がモデルなんだ……などと言うことは、口が裂けても絶対に出来ないと思ったものである。
>>続く。
さて、今回は↓のお話の中に画家のホイッスラーのこととクールベのことがちらっと出てくるので、そのことでもと思いました♪
ところで、↑の「白のシンフォニーNo,1」のモデルは、ホイッスラーの恋人だったジョアンナ・ヒファーナンという女性で、ホイッスラーが彼女と別れた理由というのが、画家クールベのモデルもジョアンナがしていたということらしく。。。
ジョアンナがモデルをしたらしいクールベの絵を、とりあえず2点並べてみますm(_ _)m
【美しきアイルランドの女(ジョーの肖像)】
【まどろみ(安逸と贅沢)】
……いえ、ホイッスラーがふたりの関係を疑ったのが何故なのかって、もはや説明不要という気がします(^^;)
そんで、次の「世界の起源」というクールベの絵も、ジョアンナ(ジョー)がモデルである可能性が高い……と、そのように言われているそうです。。。
【世界の起源】
>>この絵が描かれた当時、クールベのお気に入りのモデルは、ジョアンナ・ヒファーナン(Joanna Hiffernan)、通称ジョー(Jo)と呼ばれる女性だった。当時、彼女の恋人はアメリカ人の画家でクールベの信奉者のジェームズ・マクニール・ホイッスラーであった。
クールベはまた1866年に『美しきアイルランド女(ジョーの肖像)』という、ヒファーナンをモデルにした絵を描いた。クールベは画業において4枚のヒファーナンの肖像を描いている。おそらく彼女が『世界の起源』のモデルであろう。となれば、少し後にクールベとホイッスラーが喧嘩別れした事の説明がつく。その後ホイッスラーは、彼女と別れアメリカへ帰った。もっとも、ヒファーナンが赤毛で『世界の起源』の陰毛は黒々しているところが疑問点ではあるが、彼女がモデルであるという説が有力である。
(ウィキペディアさまよりm(_ _)m)
なんていうか、その……↓で、ルーディが言ってるのはそういうことらしい……ということで(逃☆)
それではまた~!!
聖女マリー・ルイスの肖像-【14】-
「一緒に連れだしてくれて助かったよ、ルーディ。それに、俺のかわりに色々言ってくれたことも……」
マーティンは大学のキャンパスのイチョウ並木を親友と歩きながら、ほっと胸を撫でおろしていた。十一月の今、黄葉したイチョウはまだ、樹木のほうにいくらか張りついている。そして足許はイチョウの黄色い葉や銀杏や、そこから漂うほろ苦い香りとで満ち――秋の終わりと冬のはじまりとを、その空気が告げていた。
「そりゃそうだろ。いかにも女みたいにぺらぺらしゃべりそうな俺じゃなく、色んな意味で信頼のおける口の堅いおまえが実はバラしたとなったら、イーサンだってショックだろうからな。それに、おまえらにはまだ試合がある。こんなくだらんことでチームプレイにヒビが入って試合に負けたなんて、絶対嫌だろ」
「ごめん、ルーディ。俺、そこまでは深く考えてなかったんだ。ただ、キャシーが可哀想だなと思って……」
「そうさ。みんな、そういう気の優しいおまえのことが好きなんだから、それはそれでいいんだ。第一、イーサンだって悪い。そこでだな、昼メシも食ったことだし、ちょっと俺につきあえよ。アメフトの練習は今日……午後の三時くらいからだろ?」
「ああ、三時半だ」マーティンは腕時計を見ながら言った。「そっか。ルーディ、俺と違っておまえはやっぱり冴えてるな」
煉瓦の門と黒の鉄柵で出来た校門をくぐると、ふたりは示し合わせたように地下鉄の駅へと階段を下りていった。そして中央駅を過ぎた次のヴィクトリアパークで下り、人の波に揉まれるようにして、ルーディとマーティンは先を急ぐ。
「そもそも大体おかしいだろ。寮をおんでたっていう理由からだけじゃなく、最近じゃ大学でも滅多に顔を合わさなくなったからな……そりゃマーティン、おまえは部の練習で毎日のようにイーサンとは顔を合わせるだろうけど、聞いたら「自宅学習に切り換えた」なんてほざくんだぜ?俺はてっきり、家に可愛い女がいるもんで、その女にマッサージでもしてもらいがてら勉強してんかと思ったくらいだからな。笑うなよ、マーティン。実際俺はこのことではイーサンに腹を立ててんだ。前までは寮であいつとも色んな話が出来たから良かった。けど、あいつがいなくなってからやっぱり少しつまんなくなったよ。せっかく大学最後の学年なのに、イーサンのせいでこんな思いをさせられるだなんて思ってもみなかったんだ」
「…………………」
マーティンは何も言わなかったが、ルーディが何を言いたいのかはよくわかっていた。寮のほうでは相も変わらず仲間内でトランプだのマージャンだの、ジェンガやモノポリーをしては、お互いのことを話しあっている。ラリーはすでにロースクールへ進学することが決まっているも同然だったし、サイモンはユトレイシア市役所の試験に無事合格。マーティンはアメフトのプロチームのいくつかにスカウトされている。また、ルーディはガルブレイス出版に編集者として入社することが決まっているという身の上だった。
残り、大学卒業後の進路が確実に決まっていないのは、仲間内でイーサンくらいなものだった。もちろん、彼の場合すでに父親の財産を自由に使える身であったから、大学院の試験にパスできなくても、どうということもないのかもしれない。けれど、だからといって寮から突然いなくなったり友達づきあいをおろそかにしたり、ましてや恋人の涙の愚痴を聞かせていいということにはならない。
だんだんに常緑樹の緑が色濃く目立ちはじめるヴィクトリアパークではあったが、それでもまだ頑張って生命力を発揮している花や緑があって、公園自体はとても美しかった。そしてその中央の煉瓦を敷き詰めた歩道を歩いていきながら、ルーディとマーティンとは親友の五階建ての豪邸へ向かう。あえて先に電話連絡などということはしなかった。むしろ、愛人が友人を迎える姿を見て、イーサンがどんな態度を取るのか、しかと見届けたいとルーディもマーティンも思っていたからである。
マーティンが呼び鈴を押すと、リンゴーンという音がして、暫くののちにぱたぱたという足音が玄関ホールのほうへ近づいてきた。
「おねえさん、おきゃくさんなのお~?」という、のんびりしたミミの声がしたのち、「そうよ。お客さんよ」という柔らかな女の声がする。そしてルーディとマーティンがハッとして顔を見合わせているうちに、玄関のドアが開けられた。
「まあ、どちらさまで……?」
いつもならインターホンを通すが、マリーはミミと玄関ホールで遊んでいたため、すぐドアを開けていた。流石にこんな真っ昼間のことだから、そう物騒なこともないと思ったのだ。
「その、俺たちはイーサンの大学の友達で……」
ルーディは慌てて灰色の帽子を脱ぎ、マーティンは意味もなく頭をかいた。これまで写真だけを見て色々言ってきた女性が目の前で動いているのを見るというのは――何か罰の悪い思いをふたりに味わわせたという、そのせいだったかもしれない。
「ありゃあ、大学に来なくもなるぜ」
マリーが「少々お待ちくださいね」と、しとやかな秘書のように消えてしまうと、かわりに廊下の奥のほうからキコキコと子供用三輪車に乗ってミミがやって来る。そしてその三輪車の籠のあたりにはうさしゃんが一緒に乗っているのだった。
ミミはふたりの男のほうへはやって来ず、「このくらいまでなら安全」と彼女が考えているらしいラインのところまで来るとユーターンし、廊下の奥のほうへまたいなくなる。「プップー!うさしゃんは左に曲がります」だのとミミが言いながら、実際は右に曲がるのを見て、マーティンもルーディも思わず笑った。
やがて、若干の時間を置いたのち、イーサンがどこか嬉しげな顔をしてエレベーターから下りてくる。彼の後ろには例の女性がいたわけだが、この時不思議とふたりにはイーサンが心から友の来訪を喜んでいるのがわかった。
「よう!なんか久しぶりだな、ルーディ。おまえがこの屋敷にやって来るのなんて、何か月ぶりだろうな?」
イーサンは親友ふたりの体を叩きながら、またエレベーターのあるほうへ戻っていく。途中、マリーが「お茶のほうはどうしますか?」と聞いたので、「三階の応接室まで運んでくれ」と、イーサンは秘書に対すような気安さで命じていた。
「おまえ、ありゃあ一体なんだ!?」
エレベーターに乗りこむなり、ルーディは爆発したようにそうまくしたてた。そして、エレベーターを三階で下りてからも、その剣幕は続く。
「こっちはな、キャサリンに問いつめられてうっかり口を滑らしちまったという懺悔をしにきたんだ!それなのに……ああもう、馬鹿らしいったらないな!!おまえ、あの人と本当になんでもないっていうんなら、キャサリンにそう説明しろ。もっとも、若い女と一緒に住んではいるが、あれは子育てする秘書みたいなもんで、彼女とはまったくのプラトニックなんだ――なんていう話を、キャサリンが聞いて納得するとでも思うんならな!」
ったく、けったくそ悪い……というように、ルーディは応接室の革の椅子にどっかと座りこむと、胸元のポケットから煙草を出して吸いはじめた。応接室のほうは書斎の隣にあって、中世風の趣味のいいインテリアで飾られている。マホガニーの机の横には甲冑が槍を手に持った形で直立しており、その前にソファが一組ずつ左右対称にテーブルを挟んで配されているという形だった。ルーディの座っている側から見える書棚には、彼にとって興味のある本――カンタベリー物語や薔薇物語など――が置いてあったが、今のルーディにとって、それらの本は一時的に魅力を失っていたといえる。
「まあ、仕方ないさ。シーズンが終わるまでは何も言わないほうがいいのかと、俺のほうでも思っていたからな。で、おまえら、一体どこまでしゃべったんだ?」
イーサンが意外にも冷静なので、マーティンもルーディも顔を見合わせて驚いた。ルーディはソファから身を乗りだすと、テーブルに乗っていたマーブル大理石の灰皿に、煙草の灰を落とす。マーティンはコートを脱ぐと、コート掛けのポールのひとつに引っ掛けていたが、ルーディはまだコートを着たままでいた。
「ええと、なんだっけな。俺も下であの人に会ったせいで忘れちまった……まあ、なるべく曖昧にぼかすような言い方はしておいたよ。だが、あとで大学でキャサリンに会うか、電話がかかってくるかしたら、その話だと思って覚悟しとくんだな。というか、クリスティンのおばあさんが日曜に教会でおまえのことを見かけたらしいぜ。一体いつからそんなに信仰深くなった?道徳か信仰書みたいな女の影響か?」
ここでコンコン、とドアがノックされ、ルーディとしても慌てて居住まいを正した。そしてまだ吸いはじめて間もないにも関わらず、煙草をぎゅっと灰皿に押しつけて消す。
「子供たちのおやつと一緒で、なんだか申し訳ないんですけど……」
マリーはワゴンの上からイーサンにはコーヒーのマグ、それと客人ふたりには紅茶を下ろして、それからドーナツやマドレーヌやクッキーの乗ったお盆を置き、一礼して立ち去っていく。
ルーディもマーティンも口が聞けないままでいるのを見て、マリーが出ていくなりイーサンは大声で笑いだす。
「ハッハッハッ。やっぱりな、おまえらでもそうだろ?俺はあんなのとこの六月に初めて会って、死んだ親父の最後の愛人だみたいに紹介されたんだぜ。いや、正しくは再婚した親父の最後の妻か。もっとも、本人の話じゃ体の関係はないって話なんだがな。そのこともおまえらに話したっけ?」
「ああ、聞いたよ」と、うんざりしたようにルーディは言った。マーティンは早速とばかりもぐもぐと、チョコレートドーナツを食べはじめる。美味しい。
「だから俺たちはそんな話はうさんくさいと思って、さんざんおまえに忠告したんだ。だがイーサン、おまえの話じゃ毎日家政婦みたいにメシ作って子育てをしてるってだけの顔に善良って書いてあるような感じの女だ、なんてことだったから――ちょうどいい機会だから、まあ俺たちも確かめにきたわけさ。おまえに懺悔しがてらね」
「その件はべつにいいさ。どのみちキャサリンとは別れようと思ってたからな。ただ、大学を卒業するまでは、キャシーにも立場ってものがあると思ったんだ。けどまあ、偶然の結果とはいえ、それが早まったというだけの話だ」
ルーディは紅茶を一口のみ、手作りであることがわかるマドレーヌに手を伸ばして食べた。いつも食べている高級菓子店のものとは赴きがまた違い、どこか懐かしいような味がする
「……おまえ、キャサリンと本当に別れるつもりなのか」
ドーナツを半分食べたところで、妙にがっかりした口調でマーティンは言った。無理もない。お互い、大学二年の大体同じ頃からキャサリンやクリスティンと交際をはじめ、その間四人であちこち街中へ出かけたり、旅行もしてきたという仲だ。もうそんなこともないのかと思うと寂しくもなる。
「なんて言ったらいいのかわからんが」
イーサンはマホガニーの机に座っていたのだが、ルーディの隣に座るとルビーのようなゼリーの埋まったクッキーをひとつ食べた。いつもながらあの女はクッキー作りの名人だなとそう感じる。
「ようするに、俺とキャサリンは似てるんだ。物の考え方も功利的で常にギブ&テイクで考えるだろ?俺も、ずっとレンアイってのはそんなもんかなと思ってた。あいつは俺がユトランド国内で一番の難関大に通ってなくて、アメフト部のクォーターバックでもないっていうんなら、俺のことは鼻にも引っかけなかっただろう……いや、こんな言い方をするからってキャシーのことを責めてるってわけじゃないんだ。あいつは最高にいい女だよ。だけど、今は俺のほうで前とはあいつと同じだった価値観が変わったんだ」
「じゃあ、キャサリンとは別れてさっきのあの人と今度はつきあうってのか」
イーサンの言い分もまたもっともだと納得しながらも、ルーディはあえて「ケッ」というような棘のある態度を取った。世の中不公平にもほどがある。何故自分の家にもああいう女中がやって来て、甲斐甲斐しく世話などしてくれないのだろうか。
「さあな。あいつはべつに男としての俺には用なんかないのさ。あの豚児どもを育てるのに「ああしてもいいですか」とか「こうしたらどうでしょうか」とか、基本的にそんな話しかしない。だが、仮に短い間でもひとつ屋根の下に一緒に暮らしてれば、相手についてある程度のことはわかる……流石はあの親父が体の関係もないのに遺産を残してもいいと思っただけのことはあるというかな」
「イーサン、おまえ、くどいようだがそんな話を本当に信じてるのか?」
イーサンは肩を竦めると、トカゲの形をしたクッキーをまたひとつ、口へ放りこんだ。
「実際のところ、俺にはもうそんなこともどうでもいいんだ。おまえらも、体の利かない俺の親父の前であいつが大股開きをしたとか想像するのは勝手だが……マリーに限ってそんなことは絶対にないな。あとから弁護士のウェリントンにも確認を取っておいたが、思っていたとおり、親父はロンシュタットのあの保養所で、結構な面倒な患者だったらしい。風呂に入るのにお湯がぬるけりゃこんなんじゃ風邪を引くと言い、次に熱くすれば今度は「俺を殺す気か」という、そんな厄介な患者だったんだと。だから介護士連中みんなから嫌われてたらしいが、それをマリーのやつが改心させたらしい。笑ってしまうがな、俺の親父のケネス・マクフィールドはああ見えて実際は気の小さい男で、いよいよ死が差し迫っていると感じた時……それがなんであれ、縋りつきたかったろうと思うんだ。親父が今ごろマリーがそうと信じさせたとおり天国にいるのか、それとも生前の行いが祟って地獄にいるのか、それはわからん。だが、あとになってよくわかった。俺は棺桶の中の親父の安らかで幸福そうな顔を見た時、「なんて人生は不公平なのか」と思って腹が立ったもんだ。だってそうだろう?大して容貌の冴えない、頭の悪い四流校に通ってたような男が、たまたま買った宝くじに当たって――その数億もの金を元手に事業をはじめて成功し、女のことはよりどりみどりの抱き放題で死んでいったんだぜ。死後には息子の俺でさえ「地獄へ行くべきだ」と思ってるってのに……まあ、あいつはああいう性格だから、「主に赦しを乞い求めれば魂に安らぎがきます。そして天国へ行くことが出来るのです」とでも言ったんだろうよ」
「ふん。俺には老人福祉施設内における、よくあるくさい与太話にしか聞こえんがな。というより、おまえも親父さんがかかったというその女の毒牙というのか、罠に嵌まりつつあるんじゃないのか。確かに、見た目はいい人そうだし、優しそうだ。だが、あんな女が裏切ったような時こそ、キャサリンが他の男と姦通してたなんてわかるより、よっぽどショックが大きいぞ。イーサン、おまえ、そういうことについてはどう思ってんだ?」
青汁入りの、緑がかったマドレーヌを手に取ると、ルーディはそれを向かいに座る大男にも勧めた。見た目は少し悪いような気もするが、美味しかったからだ。マーティンのほうではもう三つ目のドーナツに手をつけている。
「ようするに、マリーがなんかの窃盗団の一味で、あとで手引きされた仲間どもがこの屋敷にやって来るっていうような、ルーディが言いたいのはそういうことだろ?だからさ、そうなろうがどうなろうが、俺にはもうどうでもいいんだ。あのガキめらにしてもショックだろうが、むしろ莫大な財産なんかなくなったほうが……あいつらもまともな人生を送れるような人間に育つかもわからんしな」
イーサンの、マリー・ルイスという女に対する絶大な信頼を見てとると、ルーディにしても(負けた)と思った。ルーディにしてもキャサリンが泣くところを見るのは嫌だったが、確かに彼女はイーサンのことを「自分の条件に見合う男」として恋人に選んだのだ。そういう意味では彼女の涙というのもある意味、自業自得の結果であるのかもしれない。少々残酷な言い方をしたとすれば。
「なんにしても、おまえもすっかり脳内にまで恋愛の毒とやらがまわっていて、正常な判断が出来なくなってるらしいな。まあ、あんな可愛い人がいれば、それも無理ないかもしれないが……なんにしても、また寮にでも遊びにこいよ。大学でも寮でもおまえと会わないとなっちゃ、大学生活がまるでスパイスの効いてないカレーか何かみたいに思えて仕方ないからな」
ここでイーサンがルーディの言葉に関連して何か思い出し笑いしたらしいのが、長いつきあいのふたりには見て取れた。クッキーに惚れ薬でも混ざっていたか、とでも疑うように眺めてから、ルーディもイルカの形のそれを口の中へ放りこむ。
「いや、スパイスの効いてないカレーか。うちのカレーってのがほんと、ガキめらが辛いもんがあまり食えないとあって、辛味がほとんどないんだよ。しかも、ロンが人参嫌いでココが玉ねぎ嫌いだろ。だから、具のほとんどはすり下ろして放りこんであって、老人食みたいになってんだな。だがまあ、マリーの奴はよくやってるよ。そのおやつもランディが太らないようにってドーナツは揚げない形で全粒粉やおからで作ったり、マドレーヌには青汁入れて少しは栄養取るようにさせたり……まったく、俺があいつらの年の頃の食生活ってのは惨めなものだったんだぜ。ほら、結局家に帰ってきても母親がいないか寝てるか仕事に行く準備してるかとか、そんな感じだったからな。うちの豚児どもがマリーの作ったメシにケチつけてるのなんか聞いてると、「黙っていても食事が出てくるだけ有難いと思え!」と言って、その横っ面を引っぱたきたくなることさえある。だがまあ、ああいうのが母親の愛情ってものなんだろう。ガキめらがブツブツ文句言ってても、彼らもいつか人の親になれば自分の苦労がわかるだろう……とばかり、毎日同じことを繰り返せるっていうのがな」
「ははーん。そりゃおまえ、もう末期だな」
エインズレイのカップで紅茶を飲みながら、ルーディは呆れたようにからかい調子にそう言った。
「ようするに、キャサリンとあの人とじゃ性格もタイプも何もかも真逆だものな。キャサリンは確かにいい女だよ。だがあの人みたいな雰囲気はない。だが、大抵の男が写真を見て決める場合において選ぶのは大抵がキャサリンかキャサリンタイプだ。なんでかっていうと、あのマリーさんって人は最初から結婚ってことを前提に考えて真面目におつきあいするって感じのタイプだから、そこまでの深いつきあいよりも軽く遊びたい、そのあとそれが真剣な交際に変わるならそれもよし……くらいなら、やっぱりつきあうのにいいのはキャサリンタイプだろうな」
「そういやマーティン、おまえ、大学を卒業後はほんとにクリスティンと結婚するのか」
ルーディにそれ以上深く突っ込まれたくなかったイーサンは、アメフト部における自分の相棒にそう声をかけた。実際、結婚という言葉を聞いてそのことを思いだしたせいでもある。
「ああ。イーサンも知ってのとおり、プロリーグからもスカウトがきてるからな。そのあたりの話がうまくまとまったら、クリスティンにプロポーズして、そのあとのことはふたりで決めるつもりだ」
(やれやれ。寂しいひとりもんは俺とラリーくらいなもんか)
そう思いながらルーディはシナモンドーナツに手を伸ばした。イーサンにはいずれこの件について吐かせてやろうと心に決めているものの、今は深追いはしない。
「だがマーティン。おまえもよくクリスティンみたいな女豹か虎のような女と結婚することまで考えたよな。プロになっちまえば女なんかよりどりみどりの選び放題だろうに……俺がおまえならもう少し何人かと遊んでみてから慎重に決めるがな」
「ははは」と、マーティンは快活に笑った。「結局、俺とクリスティンは性格が正反対だからいいのさ。ああ見えてふたりきりの時は優しいし、自分の言いたいことはズバッと伝えるタイプだ。逆にいうと俺は、イーサンはあの人と合うんじゃないかと思うよ。キャサリンには悪いけど、いい人そうだし、何より子供たちが懐いてるのが一番だ。おまえの場合はさ、弟と妹を切り離して自分だけ結婚して幸せになるとか、出来ないだろ?そう考えた場合、一緒に暮らしていて支障がないだなんて、これ以上の最高の相手はないような気さえするな」
――おそらく、ふたりきりの時にでもマーティンがこう言ったなら、イーサンも「俺もそう思ってるんだ」と、本音を吐露したかもしれない。だが、ルーディが相変わらずどこか面白くない顔をしているように見えたため、「結婚式には絶対呼んでくれよな」としか言えなかった。
「さーてっと、つきあってる女もいない、結婚する予定もない、オンボロ大学寮暮らしのさもしい男は追い出されるように帰るとするか。じゃあな、イーサン。次の試合はホームグラウンドだろ?応援しに行くから頑張れよ」
「ああ。また寮に遊びにいくから、例の話の続き、聞かせてくれ」
この<例の話>というのは、ルーディが今書いている推理小説の続きのことである。自分の父親が死んだ原因は父の後妻が仕組んだことではないのかと疑いながらも、若い彼女に惹かれていく主人公……果たしてこの女は聖女なのかそれとも悪魔なのかといったようなストーリーだった。
三人はエレベーターは使わず、そのまま中央階段を下りて一階まで戻った。するとそこには、オオカミの衣服を着たマリーがおり、「食べちゃうぞォっ!!」などと言いつつ、三輪車に乗るミミのことを追いかけまわしているところだった。ミミのほうでは「きゃっきゃっ」と笑いながら、リンリン三輪車を鳴らして一生懸命逃げていく。だがその姿はオオカミを心底恐れているというよりも、まるで追跡されることを喜んでいるような赴きさえあり、何やら微笑ましかった。
ミミは廊下の奥のほうへ逃げていくが、マリーはルーディたちの姿に気がつくと、オオカミがいやらしく口の横っちょにベロをつきだしたマスクを脱ぎ、「もうお帰りなんですか?」と聞いた。その首から下もオオカミの姿が前にも後ろにもプリントされたものをマリーは着ており、さらにそのお尻からは立派な尻尾まで生えているといったような具合だった。
「ああ。ふたりとも、おまえの作った菓子がうまかったってさ」
何も言えずにいるマーティンとルーディのかわりに、イーサンは笑いを堪えてそう代弁した。オオカミ姿のマリーのことがおかしかったのではない。それを見た親友ふたりのまごついた様子がイーサンはおかしくして仕方なかったのだ。
「そうですか。またいつでも遊びにいらしてくださいね!」
マリーは一度にっこり微笑むと、また目のところだけが空いているオオカミのマスクをかぶり、ミミのことを追っていった。「オオカミさん、うさしゃんはこっちよ!」とミミが言うと、「ガオ~っ!!」などと叫びながら、ドタバタ廊下を走っていく。
ルーディとマーティンが挨拶もそこそこに玄関を出ると、イーサンはドアを閉める前に指で自分の後ろを指し示してこう言ったものである。
「だから言ったろ?あいつは頭がおかしいんだ」
リースのかかった緑色のドアが閉まると同時、マーティンとルーディは顔を見合わせた。暫くふたりともそこに立ち尽くしたままでいると、「おい、マリー。俺の白クマのスーツはどこだ?」という声がし、「そこの部屋のポールのところにかかってます」と答える後妻の声がする。
「やれやれ。あれはもうキャサリンじゃ勝ち目はないぜ」
ルーディは肩を竦めてそう言い、マーティンは同意するように大声で笑っていた。白クマのスーツというのはようするに、マリーの着ていたオオカミスーツの白くまバージョンということだろう。その白くまのスーツをイーサンが着たところを想像しただけで、彼はおかしくて堪らなかった。
「まあ俺も、これからクリスティンに事情を説明してひとくさりブツブツ文句を言われたりするのは面倒だけど……あれじゃ仕方ないよ。美味しい甘いおやつに子供の笑い声。イーサン、まだ結婚してもいないのに、まるっきり新婚家庭みたいな暮らしをしてるんだものな」
「まったくだ。大体あいつ自身、そのことにどの程度気づいてるものなんだか。あの人のことを「あいつ」だの「おまえ」だの言って、まるっきり自分の女房のことを「うちのやつ」と言ったりするのと同じじゃないか。これからクリスティンに締め上げられるマーティンにはご愁傷さまと言うしかないが、むしろあのくらいだとハッキリしてていいのかもしれないな。俺はてっきりイーサンが、キャサリンは美人でセックスもいい、マリーは肉感的な女ではないが、家庭的ないい女だ。さて、どっちにしよう?なんてことで悩んでるのかと思ってたからな」
「聖愛と俗愛ってやつか」と、ルーディと一緒にマクフィールド家の庭を歩いていきながら、マーティンは言った。確かに自分でもこの場合は聖愛のほうを選ぶだろうとそう思う。
「そうさ。実際、体の関係もないのにあのイーサンにあそこまで思わせるってだけでも大したもんだ。彼女がイーサンの親父さんの前で大股開きをしたかしないかなんてこと以上に、俺はそっちのことのほうがむしろ凄いと思うな。実際、あのマリー・ルイスという人はただものじゃないよ」
このあとルーディは小説の続きのことで何か思いついたらしく、暫く黙ったままでいた。マーティンのほうでもそのような気配を察し、もともと無口で沈黙が苦痛でないタイプなだけに、ヴィクトリアパークから地下鉄に乗り、ユトレイシア大学駅で下りる間――彼もこの友に合わせるように沈黙を守ったままでいた。
そして、「ああ、そうか。ずっと誰かに似てると思ったら、ホイッスラーの「白のシンフォニーNo,1」だ。あの女性に彼女は似てるんだ」とルーディは寮の入口のところで突然口にし、マーティンを驚かせた。
「あ、マーティンは絵とか全然興味ないんだっけ?じゃああとで、大学の図書館からでも借りてきたのを見せてやるよ。ホイッスラーって画家の描いた絵で、なんとなく雰囲気があのマリー・ルイスっていう人に似てるのがあるんだ」
このあとマーティンはアメフト部の練習の準備をしてからフィールドのほうへ向かい、ルーディは大学図書館のほうへ向かった。そこで、<美術>と書かれた棚のところへ行き、ホイッスラーの画集を見つける。「そうだ。これだ、これだ」とまじまじと「白のシンフォニーNo,1-ホワイト・ガール」という絵を眺め、(やはりマリー・ルイスに似てるな)とあらためて思った。そしてルーディはこの時、画家のホイッスラーとクールベのことをなんとなく思い浮かべたりした。この「白のシンフォニーNo,1」という絵は、ホイッスラーの恋人だったジョアンナ・ヒファーナンという女性がモデルと言われているが、クールベもまた彼女をモデルにして絵を描いたことから――ふたりの友情にはその後、ひびが入ってしまったらしい。
この時ルーディはクールベの画集も手に取ると、「世界の起源」という女性の局部があらわになった絵を眺め――(やれやれ。これこそ本当の大股開きだな)と思い、笑いを禁じえなかったものである。もっとも、イーサンにはホイッスラーの「白のシンフォニーNo,1」という絵を「マリー・ルイスに似てるだろ?」とでも言って見せることはあるかもしれない。だが、こちらのクールベの「世界の起源」も、同一の女性がモデルなんだ……などと言うことは、口が裂けても絶対に出来ないと思ったものである。
>>続く。