【清純】ウィリアム・アドルフ・ブグロー
さて、今回はマリーの手紙とその内容の途中までということで……本文のほうが長いもので、今回も前文のほうは手短に済ませたほうがいいのかな~なんて(^^;)。
ええとですね、あとから読み返してみて、前回は実は言い訳事項がありました
わたし、同じキリスト教徒でも、カトリックではなくプロテスタントなもので、カトリックに特有の教義などにはまるで詳しくありませんww
なので、たぶん葬儀のミサの時にはこうした場面でこの賛美歌を歌う……といったことがあると思うのですが、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」がそれに相応しいかどうか、あるいはマリーが生前こよなく愛していたということなら、そうした選曲もいいのかどうかっていうのがわからないんですよね(^^;)。
それと、カーク・キャメロン枢機卿が引用した聖書箇所が、ヨハネの手紙第一、第4章7~16節なのですが、一応引用しておこうと思いますm(_ _)m
>>愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、神たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
神は私たちに御霊(聖霊)を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。
だれでも、イエスを神の御子として告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。
私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
(ヨハネの手紙第一、第4章7~16節)
他に、↓の文章中にもキリスト教関係のことで「?」といった箇所があるような気がするので、次回以降聖書の言葉を引用したりして少し説明してみようかなって思ったりしてます(^^;)。
それではまた~!!
聖女マリー・ルイスの肖像-【43】-
>>アグネス修道院長さまへ。
ご心配ありがとうございます。産婦人科のクロフォード御夫妻とは今のところうまくやっておりますし、おふたりともとても良い方です。
「産婦人科医なのに、自分には子供がない」と言ってクロフォード先生はよく笑っておられますが、そのたびに奥さまの顔には笑顔の中にも微妙な悲しみが漂っているような気がします……もしわたしが、ただの従業員として医院のほうでだけ働いていたのだとしたら、こうした<微妙なこと>には気づかなかったかもしれません。
奥さまはとても素晴らしい方で、バレエの先生をなさっています。医院の隣にスタジオがあるものですから、医院の窓からも、家のほうからも子供たちがレッスンする微笑ましい様子を垣間見ることが出来ます。奥さまにとっては、これらの子供たちが自分の子供なのです……本当に、とても素晴らしいことです。
一度奥さまは「自分には子供がないかもしれないけど、バレエのレッスンに来る子たちが可愛てたまらないから、血が繋がってるかどうかなんてどうでもいいの」と申されていたことがあります。「だって、そうでしょう?自分の子供っていったら、わたしにちゃんと面倒みれるのなんて二人か三人くらいよ。だけど、バレエの子たちときたら、わたしが教えた子なんて何百人にもなるんですからね」って……。
わたしもこの間、初めて発表会のほうを見させていただきました。クロフォード先生は奥さま曰く「こうした芸術的なこと」に興味がないのだそうです。でも無理もありません。発表会は日曜日の夕方からだったのですが、先生は月曜日から土曜日まで忙しく病院で働いていらっしゃるのですから。
とにかくわたしは、御夫妻の家の一室を間借りさせていただいて、そこで寝起きしています。食事のほうは通いで来ている家政婦さんが大抵のものを作ってくださいます(とても感じの良い御夫人です)。まず、朝は起きたら御夫妻とお食事して(もっぱらお話をされるのは奥さまです)、そのあと、すぐ隣の医院のほうへと先生と一緒に向かいます。
クロフォード先生は冗談を言うのが好きな、とても明るい方です。奥さまは夫の唯一の欠点はケチなことだとおっしゃっていましたが、御自分で病院を経営されていたら無理もないかもしれません。わたしや他の看護師さんたちにも時々、「うちみたいな小さい病院は訴えられたら終わりだよ」とおっしゃったりしています。
医院のほうは二階建てで、一階が外来、二階が病棟になっています。外来の看護師さんは三人、上にはもう少し多く看護師さんがいます。わたしは一階の外来で午前中を過ごし、掃除をしたり、患者さんの名前を呼んだり、あとは先生が使った医療器具といったものを洗浄したりする仕事をしています。あとは午後からは二階へ行って、看護師さんのお手伝いをします。赤ちゃんの誕生は感動的なものですが、みながみな、健康体で生まれてくるとは限りませんので……保育器の中にいる小さな赤ちゃんの姿を見るたびに、生命というものの持つ力に、非常に畏敬の念を覚えます。
ひとつの新しい命がこの世に生まれてくる――もしかしたら、これ以上に感動的なことはないかもしれません。
けれども、その一方でわたしの心に重くのしかかる、ふたつのことがあるのです、院長さま。
ひとつは、子供に先天的な異常があった場合の、親御さんの絶望や、生まれてきてその後長く生きられずに赤ちゃんが亡くなってしまうことや……また、生まれてきたくても生まれてこれなかった赤ちゃんの問題、堕胎ということがあります。
この間、長く不妊治療をしてようやく子供を授かったのに、そのせっかくの我が子が出産後数日して亡くなってしまい……ほとんど鬱病としか思われないひどい顔色で退院されたお母さんをお見送りしました。その前日には、同じ病室の他のお母さんたちと明るくお話しされていたのに……本当につらいことです。
また、堕胎手術のほうは毎週土曜日に行われることに決まっているのですが、これもついこの間、あんまりお腹が大きな妊婦の方が堕胎手術を受けるということになって……なんとも言えませんでした。ユトランドの法律では、妊娠五か月目までは堕胎手術を受けられるということでしたが、おわかりでしょう。五か月といえばもう、お腹の中の赤ちゃんは随分大きくなっています!
先生も、「こいつは大変だぞ」とおっしゃっていましたが、でも先生はもうこうしたことについてすっかり「慣れて」しまっているのでしょう。何か道徳的な問題を感じるとか、そうしたことはないようでした。妊婦の女性のほうもあっけらかんとしたもので、『わたしを妊娠させた男が今ごろになってガキなんか欲しくないっていうんだもん』と、何か経済的に問題があるということを話していました。
つまり、もし子供を生んだりしたら『捨てる』と言われて、泣く泣くこちらへ来たのだと……悲しいことです。なんでも、恋人のほうで突然仕事をクビになったということでしたが、それにしてもと思います。女性のほうではもうすっかり生む覚悟でいたらしく、名前のほうもあれこれ考えていたというのですからなおさらです。
あとで、ナースの休憩室で看護師さんたちは『あたしだったら生むね』といったように話されていました。『どんなに大変だって、男に捨てられたって、あそこまで大きくなったら一つの命だもの』と。けれどもちろん、人には色々事情があるものです。堕胎したあの女性も(二十代前半の、まだ若い方です)、いざお腹の子がいなくなったとなると、暫くは泣きじゃくっていました。
そして、そのあと看護師さん同士が打ち明け話をしていたのですが……そこに四人いた看護師さんのうち、三人の方が堕胎の経験があるというのです!まだ看護学校に通っている頃に妊娠したり、あるいは看護師になったばかりの頃などに堕胎したということでした……その、とにかくわたしはびっくりしたのです、院長さま。
一方ではどんなに子供が欲しくてもなかなか授からない御夫妻がおり、また一方では、人に知られずに闇に葬られていく赤ちゃんのなんと多いことでしょう!!
院長さま、マリーがこう申しますのは理由あってのことなのです。だって、土曜日の午後にうちの医院にどれほどたくさんの女性が座ることになるか……そしてそれが毎週のことなのです。もちろんうちの医院だけでなく、ユトランド中、あるいは世界中でこうしたことが当たり前のように、それこそ毎日のように行われているのですから……。
ああ、院長さま。マリーはこれ以上のことはどう言葉で言い表したらいいのかわかりません。
また、近いうちに必ずお便りすることをお約束致します。
あなたの元を離れて寂しいマリーより
>>敬愛する院長さまへ。
土曜日がやって来るたびに気が重いというのは、相変わらずのことです。
そして、自分でもずっと何故こんなにも気が塞がれてしまうのだろう……と思っていたのですが、ある時ハッと気づきました。
わたしは……こんなにも闇に葬られていく子の多い一方で、何故生きているのか、何故生まれて今ここにこうしているのか、存在理由の根源に関わる問題について、毎週突きつけられる思いがするのではないかと思います。
何故、今日吸引器に吸い込まれる運命の命が成長できず、他ならぬわたしが母の胎から生まれてきたのか……本当に、到底うまく答えることの出来ない難問です。これはとりもなおさず、「何故わたしがあなたで、あなたがわたしではなかったか」という哲学的な問いをも含むものです。
院長さま、あなたさまもご存じのとおり、このマリーは「自分は生まれるべきではなかった」ということで、随分悩み傷ついてきました。父は誰かわかりませんし、母は重度の精神病で……神と修道院だけがわたしの救いでした。ですから、あのように死産の子として闇に葬られるでもなく、今ここにこうして生きている自分は幸運なのだ、その幸運を神に感謝し喜び、日々を大切に生きるべきだ……と考えるべきなのかもしれませんが、どうしてもわたしにはそう思えないのです。
今日、闇に葬られた子のひとりが、わたしの命のかわりとして生まれるべきだったと思いますし、わたしのこのある種病的な<傾向>のことは、院長さま、あなたもご存じのとおりです。何分、修道院から一度外へ出るなり、色々な情報が目からも耳からも入ってきます。きのう、電車の事故で人が死んだと聞けば、自分がその人のかわりに死ぬべきだったのではないかと感じますし、地震や何かの災害で人が亡くなったと聞くと、やはりそのうちのひとりのかわりに自分が死ぬべきだったというように感じるのです。
もちろん、こうした考えというのはある意味とても傲慢なことです。自分でもそれはわかっているのです。けれど、最近あるひとつのことがはっきりしてきました。わたしは<生命>というものに対して、正しく畏敬の念を持ちえていないのだということが……。
すべての人間の命は、神さまのものです。わたしたちの魂もそうです。けれど、他の人の命はどの人のものも平等に大切なのに、自分の命はそれよりも劣っていると感じること……わたしはもしかしたら、自分のことを大切に出来ない人間なのかもしれません。
人のために何かしたいと願いながらも、結局のところ自分を犠牲にして自己満足に浸りたいだけなのかもしれません。このことをきのうの日曜、教会へ行った時に心から神さまに懺悔致しました。そして、夜眠る前にお祈りしていましたら、「ここから出ていきなさい」という聖霊さまの声を聞いたのです。
当然わたしは、「どこへ行けばいいのでしょうか」とお聞きしました。そうしましたら「いずれ示す」という語りかけがあって、そのあと聖書を開きました。その日のデボーション箇所は、偶然にも――創世記の第12章1~3節でした。
>>その後、主はアブラムに仰せられた。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。
あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」
修道院を出た時に示されたのと同じ聖書箇所です。
このことの行方がどうなるのかは、また院長さまにお知らせします。また、このことに関して何か御意見がありましたら、遠慮なく馬鹿なマリーめにお教えくださいませ。
愚かなあなたの弟子のマリーより。
――このあとマリーは、教会でひとりで祈っている時に「あなたは自分の命を喜んでいない」という語りかけを受けたらしい。
そして、次に母がその生涯を終えたという精神病院のほうへ導かれ、半年という短い間ではあるが、そこで勤めるということになったようだった。
イーサン自身は、最初は手紙のほうを順番に丁寧に読んでいきながらも、アグネス院長の手紙と同じく、このままいったとしたら自分たちマクフィールド家のことについて書かれた手紙に辿り着くのに長くなると思い……あとでどの手紙もすべて読むにしても、一旦、何通か飛ばしながら読むということにした。
なんにしてもイーサンは、マリーの手紙を一通読むごとに重い溜息が洩れた。けれど、それと同時に愛する彼女が生きている間に何をどう考え、感じていたかを知ることが出来るというのは――この上もない無上の魂の喜びでもあったといえる。
>>敬愛する院長さまへ。
とても綺麗なショールをありがとうございました。本当に、ケイラは編物の達人ですね。どうか、修道院のみなさんに、マリーが今もたゆまずみなさんのために毎日祈っていることをお伝えくださいませ。また、ケイラにはわたしのキスとハグをわたしのかわりに院長さまが与えてくださいね。よろしくお願い致します。
それで……クロフォード家から、母が生前いた精神病院の近くに引越し致しました。一間しかない粗末な場所ですが、今のわたしにはこれで十分です。以前お話ししましたとおり、産科医院で働いていた時よりもお給料は安いですし、その上これからは住居の費用や食費といったものもかかってきます。ですから、これからは切り詰めるだけ切り詰めて生活していかなくてはなりません。
けれども、どうかクロフォード御夫妻に神さまからの祝福がありますように!おふたりはわたしのために、たった一年しか一緒にいなかったわたしのために、家具や家電製品などをプレゼントしてくださったのです。引越したその日にのうちに、色々なものが届いて、本当にびっくりしました。この一年の間、すっかりわたしは奥さまの愚痴聞き係でしたし、バレエのことでも色々お手伝いしたりしたものですから……それより何より、御夫妻がおっしゃるには、わたしがいたことで夫婦の危機が回避されたということでした。
出ていくということをお話した時には、もっとお給料をだそうと言われたりして大変でしたが、事情をお話しますと、最後にはふたりとも納得してくださったのです。また、わたしもクロフォード夫妻には一緒に暮らしている間、大変よくしていただき、まるで実の父と母のようにすら感じてお慕いしていたということを、最後に申し伝えて、あの家をあとにしたのです(わたしも泣きましたが、おふたりも瞳に涙を溜めておられました)。
ところで院長さま、マリーは本当のひとりぽっちになるのは、これが初めてかもしれません。修道院をでたあとは、そのあとすぐにクロフォード夫妻のお宅に住まわせていただいたので……狭い部屋にひとりでいて、冷蔵庫の鳴る音などを聞いていますと、少しばかり不思議な気がしました。
寂しい、という気持ちもあるにはあるのですが、神さまが支えてくださると思うと安心ですし、ただ、それでいて不信仰なことにはとても不安なのです。そしてその不安な気持ちのまま、新しい職場のほうへと足を運びました。
精神病院というところは、とても面白いところです……などと書いてしまうのはいけないことですね。言い直します。精神病院というのところは非常に興味深いところです。
一階は外来になっていて、他に自立支援のためのセンターもあります。そして、二階と三階のほうが病棟です。二階のほうには精神神経科病棟と一緒に、アルコール依存症や麻薬中毒の方のための専門の治療施設があります。そしてわたしが務めることになったのが、二階にいらっしゃる患者さんよりも重い精神病の方の多い精神科病棟です。
実をいうと院長さま、わたしが最初に不謹慎にも「面白い」と申し上げましたのは、精神病院の建物の構造のことなのです。当然、一階から二階へは特殊なルートを辿らないと向かえませんし、それは三階へ行く場合も同様です。特殊なルート、などと申しましても、そう大袈裟なことではありません。階段を上っていくにしてもエレベーターを使うにしても、どこもかしこも鍵だらけで、鍵を持っていないとどこへも行けないのです。
職員はひとりひとり、自分の職場へ行くための小さな鍵をひとつだけ渡されます。わたしの場合はエレベーター内の鍵です。エレベーターの階数を示す下のところに鍵穴があるのですが、そこに鍵を入れないとエレベーターは動かないことになっています。
また、職場を目の前にして、ここの鉄の扉にも鍵がかかっていて、こちらは電子ロックで、教えていただいたナンバーを打ち込むと開くといった寸法です。こうした複雑な入り方をしなくてなりませんから、三階の職員が二階のナースステーションに用があるといった場合も、電話で先に連絡しておいてドアを開けてもらうですとか、少々面倒なところがあります。
とはいえ、患者さんが外へ出てしまった場合のことを考えると、ここまでのことをする必要があるそうです。わたしが三階の患者さんたちを見る限り、「この人たちは自分を傷つけこそすれ、誰か人を傷つけるだなんてありえない」といった印象なのですが、やっぱり万一ということがあるということなのでしょうね。
わたしが職員の方々に接して驚いたのは、まずひとつ目が看護師さんは相応の人数といった気がするのですが、わたしと同じ介護員、看護助手の方の数が多かったことでしょうか。わたしが勤務初日にお会いしたのは六人でしたが、その日休んでいた人も含めると、八人いるそうです。
そして、ふたつ目が、看護師さんたちの中に、精神病的雰囲気の方がいらっしゃるということかもしれません。もちろん、彼女たちは精神病などではありません。ただ、精神病の方を長く見続けているうちに、何かその病気の一部が転移したといったように見える職員の方が数人いらっしゃるように見受けられるということなんです。
院長さま……どうかお笑いにならないでくださいね。聖書には、イエスさまが悪霊の追いだしをして病人を癒したといった箇所がたくさんあるでしょう。わたしが思いますのに、今ここにイエスさまが来てくださって、もし同じことが行われたとしたら、ここにいる人々の多くの病いは治るのではないかということをマリーは日々強く感じています。
なんにしても、まだ務めはじめて十日にもなりませんが、わたしが印象深く感じたことについて、順番に書いていきたいと思います。
一応、プライヴァシーということも配慮して、患者さんたちの名前についてはアルファベットで表記しておきますね。まずは、患者さんAですが、彼は今疥癬にかかっていて、ひとりだけ隔離されています。病名のほうは母と同じ統合失調症だそうです。
きっととても物識りな院長さまのことですから、疥癬がどのような病気か、ご存じのことと思います。ですが、マリーときたらまるで知識が足りなくて、疥癬というのは羊とか犬とか、何か動物がかかるものだと思っていたのです……また、人間にも時たま移ることもあるけれども、昔ならばともかく、今という現代ではぴたりと痒くなくなるような塗り薬があるに違いないと思っていました。
ところが、そうではないのですね。Aさんは三十代半ばの男性なのですが、非常に痒がって、背中の患部の部分を壁に打ちつけたり擦りつけたりして、見るも痛ましい状態です。しかも、鍵のかかる牢獄のような場所に閉じこめられているのです……介護員がこの場所を訪れる時は、看護師さんとふたりでと決まっています。お互いにAさんと色々なことを話してなだめつつ、患部に薬を塗り――そして、十分患部に薬が行き届いたとなるまでは、少しの間その部分を掻かないように手を縛ることになります。
まるで虐待ではないかと思われるかもしれませんが、仕方ないそうです。疥癬は人に移るものですから、隔離しておかなくてはなりませんし、薬を塗ったあとに手を縛っておかなくてはならないのも……薬が効かなくては治るのが遅れるのですから、仕方がないということになってしまいます。
とはいえ、見ていて大変痛ましいことは間違いないのです。薬を塗ったあと、手を縛られていながらも、やはり痒がって、「かゆい、かゆい~!!」と叫びながら、壁や床に一生懸命体を擦りつけています。牢獄のような場所に隔離し、手を縛られ、狂ったように体をくねらせる姿を見ていると……本当に、もっと他にどうにかしてやれないのだろうかと考えてしまいます。
言うまでもないことですが、職員はみなAさんと接するのを嫌がっています。何故なら、先にも書きましたとおり、疥癬は移るからです。ですから、入る前と出たあとに、しっかり消毒液などを振り掛けたり、治療のあとは手もしっかり洗うのですが(もちろん患部に触れるのは透明な薄い手袋をしてです)、それでも万一ということがありますものね。
同じ理由で、本人が悪いというわけでもないのに嫌われている患者にBさんという方がいます。
男性で、おそらく年の頃は六十台でしょうか。何故「おそらく」なのかというと、ここの病院へ来た時から一体いくつなのか年がわからなかったからだそうです。小さい時から重度の知的障害があって、親戚の間をたらいまわしにされ、その後大きくなってからも誰からも余り者にされるような人生だったと言います……。
ですが、本人自身はあまりそう不幸そうに見えません。オムツをしていて、取り替えて欲しいとなると自分からそう言いますし、おしゃべりという点では社交的といえば社交的かもしれません。ただ、言っていることが支離滅裂なので、あまり会話が成り立っているとはいえないというのが難点といえば難点です。他に、何かのことで衝動的に他の患者に暴力を振るうということがあるのでその点も注意しなくてはなりません(きのう、食事中にそのようなことがあって、トレイの上のものをふたり分、床にぶちまけました)。
また、昔警察官に嫌な目に会わされたのかどうか、テレビに警察官が写ったりすると、「死ね!」とか「殺してやる!」と叫びながら一生懸命テレビを殴りつけるので、この点も注意しなくてはなりません。
それと、どこでもらってきたのかはわからないのですが、Bさんは梅毒で、こうした性格に加えて梅毒なものですから、職員はあまり彼に近寄りたがらないのです。梅毒は尿とか便から移るということはありませんので、オムツを替えたりしたからといってどうということはないはずなのですが――やはり嫌な感じのするものなのでしょう。わたしも、血液感染のことだけは注意するようにと看護師さんに言われていましたが、そう聞いた日の午後、Bさんは両手を血まみれにさせていました。
というのも、Bさんは車椅子に乗っているのですが(足まで悪いのです)、車のストッパーがかかっているにも関わらず、何故動かないんだとばかり、一生懸命タイヤを手でまわそうとしたのですね……車椅子のほうにも血がこびりついていました。
さて、梅毒は血液感染で移ります。職員たちは誰も近寄りたがりませんでした。そこで、看護師さんとふたりで血の始末をし、ふたりでどうにかBさんのことをなだめつつ、手の怪我の治療をしたのです……。
院長さま、おわかりいただけるでしょうか。この世の中にはこんなことがあるのです。まるで、Bさんには(本人が悪いというわけでもないのに)この世に生まれてくるにあたって、悪い条件のすべてが彼ひとりに集中したかのような身の上なのです。でも本人にはそのことを深く考えたりするような知恵もなく、ただ身近な快と不快に支配されような形で日々を過ごしているように見えます……。
ですが、そんな彼ではありますが、「お気に入りの職員」、「まあまあ好きな職員」、「あまり好きじゃない職員」とランク付けがあるようで、彼に少し乱暴なことをしたりすると(といっても、本人が暴れるのを抑えたとか、何かそんなことです)、暫くの間は「おまえなんか嫌いだ!」とか「あっちへ行け!」と言われたりすることになります。
なんにしても、この三階の病棟で一番手のかかるのが彼だということを、一応申し添えておきたいと思います。
そして、患者のCさんですが、四十代の男性で、元は弁護士だったという方で、いつも素敵な同じスーツを着ています。ちょっと見、とてもまともそうというか、真面目な方のように見えるもので、本当に精神病なのだろうかと疑いたくなるほどです。Cさんもまた統合失調症で、家族がその事実を認めず、家の中に隠し続けていたもので、治療の開始が相当遅れたということでした。
もちろん、わたしはお医者さんではありませんから、専門的なことはわかりません。けれども、Cさんを見ている限り、多種類の薬を飲んでいることが、普段ぼーっとしているように見える原因のような気がしてなりません。いつも全身からおしっこ臭がするのですが、それはオムツをしているからで、Bさんとは違って自分からそうしたことは言いませんので、職員のほうで定期的に替えなくてはなりません。ただ、自分から何か自己主張される方ではないので、他の患者のことで忙しかったりすると、ついCさんのことを忘れてしまい、下半身がべっちゃりしているということがよくあります。
そういう時、当然衣服も着替えるのですが、それもまたすべてスーツなのです……この点だけはどうも、Cさん唯一の拘りなようです。
それから、患者のDさんですが、彼は自分で行きたい時にトイレにも行きますし、職員の手を煩わせるということもあまりありません。ただし、いつも何かしら猥褻なことを口にしてばかりいて、職員のほうではそのことを面白がったり、馬鹿にしているような調子で相手をしたりしています……。
ただ、わたしが思いますのに、Dさんは何かいつもいやらしいことを考えていてそんなことを言っているようには見えないのです。わたしの見た印象としては、何か悪いものが取り憑いていて、そのようなことばかり口からついて出るといった印象なのです。
驚かないでくださいね、院長さま!わたしも勤務初日に、「へへへ、いい女だな。俺とセックスしようぜ!」と言われました。でも、あんまりおかしくて笑ってしまったくらいです。だって、本当はそんなこと、全然考えてもいないのにそう言ってるようにしか見えないんですもの。また、スカートの中を覗こうともよくしますが、それも何かいやらしい動機があってそうしてるというようには見えません。
つまり、何かそんなことばかり口にしていても、具体的に実害があるという患者さんではないのです(今まで、何かその種のことで院内で事件を起こしたということも一度もないそうです)。
男性の患者さんについてばかり紹介してしまいましたが、もちろん院内には女性の患者さんもたくさん入院されています。それで、話のほうが長くなりますので、また他の患者さんについては次の手紙ででも説明したいと思いますが、最後に一点だけ……患者さんの全員が集まって食事をする食堂の目の前に、トレイがあるんです!
つまり、患者さんたちはトイレのマークを横目に見ながら食事をしているっていうことなんです。一体誰がこんな建物の構造にしたのでしょう?もちろん、すぐそばにトイレがあれば患者さんにとっても安心だ……ということなのかどうかわかりません。なんにしても、基本的人権の問題として、わたし自身はよくないと思いましたし、そのことに異を唱える人が誰もいないというのも不思議なことでした。
院長さま、これがわたしの母が最後、亡くなるまで暮らした精神病院なのです。マリーは悲しくなりました。母の亡くなったのは五年ほど前のことですから、その頃からここにいる職員の方に聞けば、母の入院生活がどんなものだったかがわかるかもしれません。けれどもわたしにはとても……聞く勇気はありませんし、むしろ今では知るのが怖いといったようにも思うのです。
それでは院長さま、こんな意気地のない弱いマリーのために、どうか祈っていてくださいね!
弱くて小さなマリーより
>>敬愛する院長さまへ。
以前も申し上げましたとおり、ここの精神病院の三階には、わたしを含めて九名の介護員がいます。
ここへ務めはじめて勤務期間が十年にもなるベテランの方もいらっしゃいますし(この方がリーダーのMさんです)、次に、彼女とプライヴェートでも仲が良くて、その片腕のような立場のRさんがいます。他の介護員は勤めはじめて4~5年だったり3~4年だったり、あるいは1~2年といったところでしょうか。
院長さま、驚かないでくださいね!わたしがここに勤めはじめてMさんに最初に言われたのは――「そんなに真面目に仕事なんてしなくていいよ」ということでした。びっくりするでしょう?わたしも思わずまごついてしまって、「えっと……」としか言えませんでした。
そしたらMさんが言いますには、「ここはね、給料も安いし、一生懸命働いたって患者さんたちの病気がよくなるってわけでもない。むしろ一生懸命介護意欲なんていうものに燃えて頑張っちゃうと、燃え尽きシンドロームになるってだけ。わたしの言ってることわかる?」ということでした。RさんもMさんの意見に同調して、「あんた、ひとり暮らしなんでしょ?うちの給料じゃどうにか一か月やっていけるかどうかじゃない?だからね、給料分っていうとまあこんなもんかなと思って、仕事のほうはテキトーでいいから」……。
院長さま、わたしにとってはお給料がいくらいただけるかといったことは関係ないのです。ただ、毎日できるだけ患者さんのために役立ちたいというそれだけなんです(それに、それが神さまの御旨に適ったことでもあると思いますから)。でも、彼女たちが何か悪いっていうことじゃないんです。むしろMさんもRさんも善意でそうおっしゃってくれているのです……。
また、何回か夜勤を経験してみてわかったことですが、ここの病院の人間関係は少し微妙なようです。看護師さんたちは、介護員にどちらかというと不満を持っていて、もっと意欲的に一生懸命仕事に取り組んで欲しいと思っているようです。でも、介護員がひとりかふたりというのではなく、九人もいるとなると、これは一種無視できない勢力らしく……看護師さんのひとりが夜勤の時に介護員につらくあたったりしますと、やはり介護員の休憩室では看護師のAさんはあーだのどーだのといった話になりますし、介護員たちに陰で悪口を言われたくないと思ったら、それなりの態度を取る必要があるというのでしょうか。
とはいえ、そんなことなどまるで考えない看護師さんのほうが多いですし、わたしも時々ひとりの人間として扱われないこともあります。最初からこちらの名前を覚える気もなく、ただオムツを交換したりとか、何か詰所の洗い物を任せたりですとか、「これをやっておいて」とか「あれを手伝って」と命令されることをやるというだけで、人間的な交流がまったくない看護師さんもいます。
わたしはそんなことにはまったく不満を覚えませんし、看護師さんというのはいわば介護員の上司ですから、言われたことを言われたようにやればいいだけだと思っています。けれども、この手のタイプの看護師さんというのはやはり介護員の間で非常に評判が悪かったりしますし、お昼休みにみんながする話は、そうした種類の愚痴である場合が多いかもしれません。あとは患者さんの悪口でしょうか。あるいは、また患者のEさんがこんなアホなことをした、馬鹿な行動を取っただのといって話し、笑いあうのです……。
そんな環境に馴染めていないマリーですが、MさんやRさんの気になるべく障らないような形で、出来るだけ患者さんと話をしたり、何かのお世話をさせていただいたりといったように心がけています。夜勤の時には介護員はひとりですので、そうした時に看護師さんとも仲良くお話したりして、幾人かの方とは打ち解けたような関係になりました。他にふたり、介護員の中に、わたしと同じように「本当は一生懸命仕事をしたい」と思っているKさんやSさんという方がいて……このふたりとも時折、仕事の帰りに一緒に食事するくらいの仲になることが出来ました。
院長さま、介護の本質とは一体なんなのでしょう?マリーは近ごろ毎日、そんなことばかり考えています。ある意味、うちの階の介護員の半数がそう言うように、確かに精神病院という場所では介護の「甲斐がない」という部分があるというのは本当のことです。でも、それでも――わたしは出来るだけ心をこめてそれを行いたいと思いますし、でもその一方でMさんやRさんたちの気持ちもわかるのです。何より、ふたりともご結婚されていて、小さい子供たちを病院の保育園に預けてからこちらの仕事へ来るのですから、介護で力を使い果たしてしまうと、家に帰ってからもお子さんの面倒を見たりごはんを作ったりということがあるということを思えば……彼女たちの態度も正当なものであるような気がします。
なんにしても、マリーは神さまにあって力を得て、日々仕事へ向かっています。ああ、修道院で毎日のように聖餐を受けることの出来ていた日々が懐かしいです、院長さま。今では、マリーが聖餐を受けることが出来るのは週に一度、近くにあるカトリック教会でだけです……いつか、この世でのわたしのお勉強が終わりましたら、再び聖餐の恵みに与ることの出来る日々が戻ってきますように!
それでは、また近いうちにお手紙致しますね、院長さま。
マリーより。
――結局のところ、マリーはここの精神病院を半年ほどで辞めることにしたらしい。
母親がどんなところで息を引き取ることになったのかと、そのことが知りたくて勤めた病院だったようだが、『一生懸命仕事する』マリーの態度が、あまり看護熱心でない介護員たちの苛立ちを買ったり、人間関係がぎくしゃくしだしたことの他に、家のまわりをうろつくストーカー男の存在に悩まされたこともあり、職と住む場所を同時に変えたようなのである。
イーサンはマリーが、この精神病院であったことを、自分にあまり話したがらなかったことを思いだしていた。その時は単に、精神病だった母が亡くなった場所ということで、何かそうしたことのせいなのだろうとばかり思っていた。だが、どうやらそればかりではなかったらしい。駅で電車待ちしている時に一目惚れしたとかいう男にマリーは随分長いこと悩まされたという。朝、職場へ行こうとするとアパートの角から姿を現す、精神病院のまわりをまるで患者でもあるかの如くうろつく、スーパーで買い物をしていると後ろに並んでいる姿が見える、なおかつ、夜にもアパートの部屋のまわりにおり、(まさか)と思いカーテンを引いてみると、目の前にいる――しかもあろうことか、この男が同じアパート内の空室に引越してきたことで、マリーは精神的に相当参ってしまったようなのである。
(だがまあ、あいつのことをどっかで見かけた男がつきまとうってのは、いかにもありそうな話だよな。この場合は、よく知りもしない、話すらしたこともない相手ということで、マリーは心底不気味がっていたようだが……むしろ、俺にしてみればある程度あいつと親しくなった男で、マリーのほうではその気がなくとも妙に親切にしてくれたっていうんで、その好意を勘違いしてストーカーになったっていうんなら、妙に納得できる気がするくらいだからな)
そして、マリーの手紙の弁によれば、それもまた『神さまの御守りによってあの男はもう現われませんでした』という、何かそうしたことになるらしく――イーサンは思わず笑ってしまった。もちろん、マリーがその三十台半ばほどの男に対し感じたであろう不快な感情や、相手の好意が「まるで気にも留めてもらえない」ことから逆恨みに変わっていった時に感じたであろう恐怖心といったものについては、心から同情したとはいえ……。
なんにしてもイーサンは、マリーは自分から恋愛的な方向へ持っていこうとしなかったというだけで――こうした恋愛的な何かが自分に出会うまで一切なかったとは思っていなかったし、ストーカーに悩まされたマリーには気の毒だが、別の意味ではむしろ(そりゃそうだろうな)と妙に腑に落ちていたものである。
>>敬愛する院長さま。
ああ、なんて駄目なマリー!産科医院では一年しか続かず、次の職場の精神病院も半年で辞めることになってしまいました。
けれども、ポストにネズミの死骸が入っているのを見た時には、本当にぞっとしたのです。前にも申し上げましたとおり、わたしはあの方とどこかで会った記憶もありませんし、何故こんなにしつこくつきまとわれるのかも理解が出来ません。
以前もお話ししましたとおり、例の脳神経外科病院のほうに正式に勤務のほうが決まりまして、今日で勤めはじめて十日ほどになります……聞いてください、院長さま!マリーはここでの病院の仕事こそ、自分の天職のような気がしています。
きっと院長さまも、またすぐに挫折しやしないかと御心配しておられることと思います。そして、仕事のほうはもちろんとても大変なのです……何分、植物状態の方や、首から下の動かない方など、一番よくて半身不随の方といったところですから、とても体力が必要とされます。
でも、毎日とっっても忙しい分、他に余計なことを考える余地がまるでありません!この間もお手紙のほうに書いたのですが、わたしが今度勤めることになったのは十三階建ての総合病院の八階に入っている脳神経外科病棟です。朝は申し送りが済んだあとは、ふたり一組になって清拭をしてまわります。全部で大体三十名近い患者さんを、大体一組4~5人くらい担当するような形です。あとは検査室や手術室に患者さんを搬送したり、詰所の洗い物をしたり、食事の介助をしたり、お風呂の介助をしたり……毎日、やることがとてもたくさんあります。そして充実しています。夜勤もまだ一日経験しただけですが、ICU(集中治療室)のほうに交通事故に遭った急患がやってくることになったりと、てんてこまいでした(わたしはただの看護助手ですが、看護師さんが忙しいと、その仕事の皺寄せがやって来るのです)。
けれど、看護師さんはみなさん仕事に対してとても熱意を持っている道徳的な方が多く、わたしの他にここにも八人ばかりも介護員がいるのですが、みな自分の仕事にやり甲斐と誇りを持っています。実をいうと、お給料のほうも前の精神病院よりも四百ドル以上も上がりました……ですので、生活のほうもまったく心配いりません。
ああ、院長さま、マリーは書きたいことがたくさんあります。
マリーにはようやく、自分が何故生まれてきたのか、そのことの意味がわかったのです。産科医院でも「自分の命が与えられている奇跡をもっと喜ぶように」とは神さまから聖霊さまを通して語られてはいました。けれど、精神病院ではやはり「母はここでどんな思いで亡くなったのだろう」とばかり考えていましたし、第一、色々なことがあって自分の命を喜ぶどころではありませんでした。
でも、とうとう――不信仰なわたしの中でも、神さまの御言葉と自分の内側の実感が一致する日がやって来たのです!!
植物状態の患者さんや頚椎を損傷した患者さんのお世話を通して……わたしのような者でも誰かの役に立てるのだと、心から実感することが出来ました。ですから、マリーは今、心から幸せです。毎日こうした患者さんのお世話をすることで、イエスさまの御体に触れているかのようでもあります。
もちろんわたしは、こう書くからといって、御病気の方のその病気を喜んでいるということではないのです。今までもずっとそうだったように、このすべての人が癒されますようにと心から祈らない日は一日だってありません。
ああ、院長さま。仕事のほうがあまりに忙しく、か弱いマリーはそろそろ眠くなってきてしまいました。
ですから、この続きの詳しいことは、次のお手紙に必ず書き記すことをお約束します!!
仕事への意欲と愛に溢れたマリーより。
>>敬愛する院長さまへ。
今回もまた、わたしの心の中に印象に残りました患者さんについてお書きしたいと思います。
I君はまだ十九歳で、大学へ入ったばかりのところだったのですが、その時、自分の運転していた車で事故に遭ってしまいました。ちょうど週末に実家へ帰っていたところで、そこから大学のある町のほうへと戻るところだったそうです。
普通の自家用車が大きなトラックにぶつかったのですから、事故のほうはかなりひどいものでした。トラックの運転手のほうも重傷を負い、こちらの病院の救急科のほうへ搬送されてきたのですが、幸いなことにこちらの運転手さんのほうはすぐに意識が戻ったのです。一方、Iくんのほうは意識のほうがなかなか戻らず、三か月近くも昏睡状態が続きました……わたしも、ICUの看護師さんのお手伝いをしていて、このままIくんも他の病室にいる植物状態の患者さんのようになってしまうのではないかと、非常に危惧していました。
けれど、お医者さんや看護師さんの治療の甲斐あって、Iくんは再び意識のほうが回復したのです!!
このことにはみな、驚くのと同時にとても喜びました。だって、ICUに運ばれてきても、治療の甲斐なく亡くなってしまう患者さんも多いですし、そんな中、奇跡的といってもいい生還をIくんは果たしていたのですから。
ですがその後、知能がかなり後退していることや、記憶に欠損箇所があるらしいことがだんだんにわかってきて、Iくんは今一生懸命リハビリしています。身体的なこともそうですし、他に小学三年生くらいの学習レベルのドリルを毎日解いています。言語機能のほうもまだ戻ってきていませんが、それでもこちらが話すことは理解してくれていますし、自分が望んでいることやして欲しいことなどについても、ほとんど片言ではありますが、きちんと意志表示してくれます。
院長さま、マリーはこのIくんの学習ドリルを見るたびに、心が震えてしまうほどです。何故といって、なかなか力の入らない手で、一問一問一生懸命問題を解いては、震える文字でそこに数字や文字の解答を書き記しているのですもの!!
その震える文字を見ながら、院長さま、マリーは思いだしたのです。六歳になってからようやく読み書きを覚えはじめたもので、他の子よりもいつも勉強が遅れがちだったことを……ですが、院長さま。あんなものは本当の苦しみでもなんでもなかったのです。
もちろんIくんだけではありません。脳梗塞でお倒れになったのち、非常につらい思いをされて言語能力を回復される方がたくさんいらっしゃいます……院長さま、マリーは微力ながらもこうした方々のお世話をすることで、ともにつらい気持ちを分かちあうということで、イエスさまの苦しみに触れている思いがし、どうにか力になりたいと日々思うことが出来るのです。
ああ、院長さま、誰かの役に立てるというのは、本当に深い喜びを魂に与えるものですね!マリーはここの病院へ勤めるようになってからは、自分の命も存在も、余り物であって、誰か別の人にこの神の恩寵が与えられるべきだったのにとはまるで考えなくなりました。
本当に、毎日生きていて幸せなのです……と同時に、仕事のほうはとても大変です。けれども、これからも決してへこたれることはないでしょう。患者のみなさんがわたしのことを必要としてくれる以上、本当に自分の出来ることならなんでもしたいという気持ちに日々なることが出来るのですから……。
ところで、前にもお書きしましたとおり、我が病棟には植物状態の患者さんが何人もいらっしゃいます。毎日清拭したりオムツを替えたり体位交換したり……生きているのに、決してもう物を言わない人々の世話をしていて、何になるのかという方もおられるかもしれません。けれど、わたしはそうした方々のお世話をすることで、イエスさまの御体に触れているつもりになれるのですから、こうした人々の命が無駄であるということはないのです。
もちろん、御本人もおつらいでしょうし、家族だってそうです。けれども、人というのは命ある限り、周囲の人々にまったく影響を与えないでおくということはないものです。わたしはこの患者さんたちひとりびとりを通し、毎日介護の勉強をさせていただいていますし、他の介護職員だってそうです。そう思ったら、もう意識の回復の見込みはないのだから、無駄に医療費をかけないで亡くなってもらったほうが本人のためでもあるではないか……と言われても、マリーは同意できない気がしています。
これは本当なんです、院長さま。我が病棟の植物状態の患者さんのところには、もうまったく家族も誰も面会に来ないという方もいらっしゃいますけれど、それでもほんの時たま家族の方が来てお話していくことがあると、そのあと顔の表情が違っていたりします。他に、どうせもう何も感じてはいないのだろうからということで、ずっと静かに寝かせておけばいいじゃないかというのも、本当に全然違うんです。ただベッドの上に体を起こしたり、人工呼吸器と一緒に車椅子で散歩に出かけたりするだけでも……わたしたちの自己満足という以上に、顔色が少しだけ良くなったりといった変化があるのですもの。
わたしも毎日、こうした方々がラザロがイエスさまによって復活したように、再び甦りますようにとの祈りとともに、心をこめてお世話させていただいているつもりです……ところで、今回は最後にひとり、十九歳の頚椎損傷患者さんのことについてお書きしたいと思います。
Jくんは、アメリカンフットボールの試合の最中に――人が上から何人も覆い被さったことで、何かの拍子に首から下が動かなくなってしまったのです。アメリカンフットボールのポジションはクォーターバックで、わたしはよくわからないのですが、一般に花形と呼ばれるポジションだそうです。
このことに対するJくんの悲しみはとても深いもので、もう二度とアメフトが出来ないということに対し、何より深い絶望を抱いていました。けれども、わたしが、ではなくて、理学療法士の方がリハビリの最中にイエスさまのことをお伝えしたことで……教会へ通うようになり、そこで魂を救われたのです。
明日、このJくんの洗礼式があります。プロテスタントの教会ですが、もちろんわたしも出席するつもりでいます。
……手紙の内容はまだ続いていたが、イーサンは何かがつらくなって、一度手紙の文面から目を離していた。
大学時代、イーサンはアメリカンフットボール部でクォーターバックだった。球技という名の格闘技というだけであって、プレイ中には目を背けたくなるような大怪我を選手がすることもある。イーサンはこの時、思いだしていた。自分が大学でアメリカンフットボールをしており、ポジションはクォーターバックだということを知った時、何故か彼女の顔色が曇ったということを。
その後も、自分が試合で勝っても、子供たちはべつとして、マリーの態度は何かイーサンには理解しがたいものだった。また、「お怪我のないようにお祈りしています」と言われても、イーサンは「あっそう」と思ったくらいなもので、他にどうとも感じていなかった。
だが、今はわかる。その時イーサンがマリーに求めていた反応というのは、そのような花形のポジションについている自分を称賛するような眼差しで彼女が見てくれることだったし、自分の期待したような反応がなかったことで、がっかりしたというのは間違いない。けれど、このJという患者の存在が念頭にあったために、マリーは毎試合ごと、自分の身を本当に心から案じていたのだろうことが……今は本当に心からよくわかる。
産科医院、精神病院、脳神経外科病棟と、こうした病院に勤務していた頃のマリーの手紙の内容というのは、大体のところ似通っていると言えたかもしれない。まずは、その時自分が気にかけている患者のことや、その病態、家族とした印象的な会話のこと、あるいは同僚のことなどだ。イーサンはマリーが一度、人手不足から手術室へ回されたことがあり、そこで初めて手伝った手術器具などの滅菌作業はとても楽しく、面白かった……と書かれたところまで読むと、そのあとさらにまた少し手紙の消印の日付を飛ばすことにした。
そして、ロンシュタットのリハビリセンターへやって来ることになった経緯の書かれた手紙を見つけ、そこから再び読みはじめていくことにした。時刻のほうはすでに夜になっており、イーサンは適当に口に入れるものをキッチンから持ってくると、そのまま夢中になってマリーの手紙を読み続けたのである。
>>続く。
さて、今回はマリーの手紙とその内容の途中までということで……本文のほうが長いもので、今回も前文のほうは手短に済ませたほうがいいのかな~なんて(^^;)。
ええとですね、あとから読み返してみて、前回は実は言い訳事項がありました
わたし、同じキリスト教徒でも、カトリックではなくプロテスタントなもので、カトリックに特有の教義などにはまるで詳しくありませんww
なので、たぶん葬儀のミサの時にはこうした場面でこの賛美歌を歌う……といったことがあると思うのですが、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」がそれに相応しいかどうか、あるいはマリーが生前こよなく愛していたということなら、そうした選曲もいいのかどうかっていうのがわからないんですよね(^^;)。
それと、カーク・キャメロン枢機卿が引用した聖書箇所が、ヨハネの手紙第一、第4章7~16節なのですが、一応引用しておこうと思いますm(_ _)m
>>愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、神たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
神は私たちに御霊(聖霊)を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。
だれでも、イエスを神の御子として告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。
私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
(ヨハネの手紙第一、第4章7~16節)
他に、↓の文章中にもキリスト教関係のことで「?」といった箇所があるような気がするので、次回以降聖書の言葉を引用したりして少し説明してみようかなって思ったりしてます(^^;)。
それではまた~!!
聖女マリー・ルイスの肖像-【43】-
>>アグネス修道院長さまへ。
ご心配ありがとうございます。産婦人科のクロフォード御夫妻とは今のところうまくやっておりますし、おふたりともとても良い方です。
「産婦人科医なのに、自分には子供がない」と言ってクロフォード先生はよく笑っておられますが、そのたびに奥さまの顔には笑顔の中にも微妙な悲しみが漂っているような気がします……もしわたしが、ただの従業員として医院のほうでだけ働いていたのだとしたら、こうした<微妙なこと>には気づかなかったかもしれません。
奥さまはとても素晴らしい方で、バレエの先生をなさっています。医院の隣にスタジオがあるものですから、医院の窓からも、家のほうからも子供たちがレッスンする微笑ましい様子を垣間見ることが出来ます。奥さまにとっては、これらの子供たちが自分の子供なのです……本当に、とても素晴らしいことです。
一度奥さまは「自分には子供がないかもしれないけど、バレエのレッスンに来る子たちが可愛てたまらないから、血が繋がってるかどうかなんてどうでもいいの」と申されていたことがあります。「だって、そうでしょう?自分の子供っていったら、わたしにちゃんと面倒みれるのなんて二人か三人くらいよ。だけど、バレエの子たちときたら、わたしが教えた子なんて何百人にもなるんですからね」って……。
わたしもこの間、初めて発表会のほうを見させていただきました。クロフォード先生は奥さま曰く「こうした芸術的なこと」に興味がないのだそうです。でも無理もありません。発表会は日曜日の夕方からだったのですが、先生は月曜日から土曜日まで忙しく病院で働いていらっしゃるのですから。
とにかくわたしは、御夫妻の家の一室を間借りさせていただいて、そこで寝起きしています。食事のほうは通いで来ている家政婦さんが大抵のものを作ってくださいます(とても感じの良い御夫人です)。まず、朝は起きたら御夫妻とお食事して(もっぱらお話をされるのは奥さまです)、そのあと、すぐ隣の医院のほうへと先生と一緒に向かいます。
クロフォード先生は冗談を言うのが好きな、とても明るい方です。奥さまは夫の唯一の欠点はケチなことだとおっしゃっていましたが、御自分で病院を経営されていたら無理もないかもしれません。わたしや他の看護師さんたちにも時々、「うちみたいな小さい病院は訴えられたら終わりだよ」とおっしゃったりしています。
医院のほうは二階建てで、一階が外来、二階が病棟になっています。外来の看護師さんは三人、上にはもう少し多く看護師さんがいます。わたしは一階の外来で午前中を過ごし、掃除をしたり、患者さんの名前を呼んだり、あとは先生が使った医療器具といったものを洗浄したりする仕事をしています。あとは午後からは二階へ行って、看護師さんのお手伝いをします。赤ちゃんの誕生は感動的なものですが、みながみな、健康体で生まれてくるとは限りませんので……保育器の中にいる小さな赤ちゃんの姿を見るたびに、生命というものの持つ力に、非常に畏敬の念を覚えます。
ひとつの新しい命がこの世に生まれてくる――もしかしたら、これ以上に感動的なことはないかもしれません。
けれども、その一方でわたしの心に重くのしかかる、ふたつのことがあるのです、院長さま。
ひとつは、子供に先天的な異常があった場合の、親御さんの絶望や、生まれてきてその後長く生きられずに赤ちゃんが亡くなってしまうことや……また、生まれてきたくても生まれてこれなかった赤ちゃんの問題、堕胎ということがあります。
この間、長く不妊治療をしてようやく子供を授かったのに、そのせっかくの我が子が出産後数日して亡くなってしまい……ほとんど鬱病としか思われないひどい顔色で退院されたお母さんをお見送りしました。その前日には、同じ病室の他のお母さんたちと明るくお話しされていたのに……本当につらいことです。
また、堕胎手術のほうは毎週土曜日に行われることに決まっているのですが、これもついこの間、あんまりお腹が大きな妊婦の方が堕胎手術を受けるということになって……なんとも言えませんでした。ユトランドの法律では、妊娠五か月目までは堕胎手術を受けられるということでしたが、おわかりでしょう。五か月といえばもう、お腹の中の赤ちゃんは随分大きくなっています!
先生も、「こいつは大変だぞ」とおっしゃっていましたが、でも先生はもうこうしたことについてすっかり「慣れて」しまっているのでしょう。何か道徳的な問題を感じるとか、そうしたことはないようでした。妊婦の女性のほうもあっけらかんとしたもので、『わたしを妊娠させた男が今ごろになってガキなんか欲しくないっていうんだもん』と、何か経済的に問題があるということを話していました。
つまり、もし子供を生んだりしたら『捨てる』と言われて、泣く泣くこちらへ来たのだと……悲しいことです。なんでも、恋人のほうで突然仕事をクビになったということでしたが、それにしてもと思います。女性のほうではもうすっかり生む覚悟でいたらしく、名前のほうもあれこれ考えていたというのですからなおさらです。
あとで、ナースの休憩室で看護師さんたちは『あたしだったら生むね』といったように話されていました。『どんなに大変だって、男に捨てられたって、あそこまで大きくなったら一つの命だもの』と。けれどもちろん、人には色々事情があるものです。堕胎したあの女性も(二十代前半の、まだ若い方です)、いざお腹の子がいなくなったとなると、暫くは泣きじゃくっていました。
そして、そのあと看護師さん同士が打ち明け話をしていたのですが……そこに四人いた看護師さんのうち、三人の方が堕胎の経験があるというのです!まだ看護学校に通っている頃に妊娠したり、あるいは看護師になったばかりの頃などに堕胎したということでした……その、とにかくわたしはびっくりしたのです、院長さま。
一方ではどんなに子供が欲しくてもなかなか授からない御夫妻がおり、また一方では、人に知られずに闇に葬られていく赤ちゃんのなんと多いことでしょう!!
院長さま、マリーがこう申しますのは理由あってのことなのです。だって、土曜日の午後にうちの医院にどれほどたくさんの女性が座ることになるか……そしてそれが毎週のことなのです。もちろんうちの医院だけでなく、ユトランド中、あるいは世界中でこうしたことが当たり前のように、それこそ毎日のように行われているのですから……。
ああ、院長さま。マリーはこれ以上のことはどう言葉で言い表したらいいのかわかりません。
また、近いうちに必ずお便りすることをお約束致します。
あなたの元を離れて寂しいマリーより
>>敬愛する院長さまへ。
土曜日がやって来るたびに気が重いというのは、相変わらずのことです。
そして、自分でもずっと何故こんなにも気が塞がれてしまうのだろう……と思っていたのですが、ある時ハッと気づきました。
わたしは……こんなにも闇に葬られていく子の多い一方で、何故生きているのか、何故生まれて今ここにこうしているのか、存在理由の根源に関わる問題について、毎週突きつけられる思いがするのではないかと思います。
何故、今日吸引器に吸い込まれる運命の命が成長できず、他ならぬわたしが母の胎から生まれてきたのか……本当に、到底うまく答えることの出来ない難問です。これはとりもなおさず、「何故わたしがあなたで、あなたがわたしではなかったか」という哲学的な問いをも含むものです。
院長さま、あなたさまもご存じのとおり、このマリーは「自分は生まれるべきではなかった」ということで、随分悩み傷ついてきました。父は誰かわかりませんし、母は重度の精神病で……神と修道院だけがわたしの救いでした。ですから、あのように死産の子として闇に葬られるでもなく、今ここにこうして生きている自分は幸運なのだ、その幸運を神に感謝し喜び、日々を大切に生きるべきだ……と考えるべきなのかもしれませんが、どうしてもわたしにはそう思えないのです。
今日、闇に葬られた子のひとりが、わたしの命のかわりとして生まれるべきだったと思いますし、わたしのこのある種病的な<傾向>のことは、院長さま、あなたもご存じのとおりです。何分、修道院から一度外へ出るなり、色々な情報が目からも耳からも入ってきます。きのう、電車の事故で人が死んだと聞けば、自分がその人のかわりに死ぬべきだったのではないかと感じますし、地震や何かの災害で人が亡くなったと聞くと、やはりそのうちのひとりのかわりに自分が死ぬべきだったというように感じるのです。
もちろん、こうした考えというのはある意味とても傲慢なことです。自分でもそれはわかっているのです。けれど、最近あるひとつのことがはっきりしてきました。わたしは<生命>というものに対して、正しく畏敬の念を持ちえていないのだということが……。
すべての人間の命は、神さまのものです。わたしたちの魂もそうです。けれど、他の人の命はどの人のものも平等に大切なのに、自分の命はそれよりも劣っていると感じること……わたしはもしかしたら、自分のことを大切に出来ない人間なのかもしれません。
人のために何かしたいと願いながらも、結局のところ自分を犠牲にして自己満足に浸りたいだけなのかもしれません。このことをきのうの日曜、教会へ行った時に心から神さまに懺悔致しました。そして、夜眠る前にお祈りしていましたら、「ここから出ていきなさい」という聖霊さまの声を聞いたのです。
当然わたしは、「どこへ行けばいいのでしょうか」とお聞きしました。そうしましたら「いずれ示す」という語りかけがあって、そのあと聖書を開きました。その日のデボーション箇所は、偶然にも――創世記の第12章1~3節でした。
>>その後、主はアブラムに仰せられた。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。
あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」
修道院を出た時に示されたのと同じ聖書箇所です。
このことの行方がどうなるのかは、また院長さまにお知らせします。また、このことに関して何か御意見がありましたら、遠慮なく馬鹿なマリーめにお教えくださいませ。
愚かなあなたの弟子のマリーより。
――このあとマリーは、教会でひとりで祈っている時に「あなたは自分の命を喜んでいない」という語りかけを受けたらしい。
そして、次に母がその生涯を終えたという精神病院のほうへ導かれ、半年という短い間ではあるが、そこで勤めるということになったようだった。
イーサン自身は、最初は手紙のほうを順番に丁寧に読んでいきながらも、アグネス院長の手紙と同じく、このままいったとしたら自分たちマクフィールド家のことについて書かれた手紙に辿り着くのに長くなると思い……あとでどの手紙もすべて読むにしても、一旦、何通か飛ばしながら読むということにした。
なんにしてもイーサンは、マリーの手紙を一通読むごとに重い溜息が洩れた。けれど、それと同時に愛する彼女が生きている間に何をどう考え、感じていたかを知ることが出来るというのは――この上もない無上の魂の喜びでもあったといえる。
>>敬愛する院長さまへ。
とても綺麗なショールをありがとうございました。本当に、ケイラは編物の達人ですね。どうか、修道院のみなさんに、マリーが今もたゆまずみなさんのために毎日祈っていることをお伝えくださいませ。また、ケイラにはわたしのキスとハグをわたしのかわりに院長さまが与えてくださいね。よろしくお願い致します。
それで……クロフォード家から、母が生前いた精神病院の近くに引越し致しました。一間しかない粗末な場所ですが、今のわたしにはこれで十分です。以前お話ししましたとおり、産科医院で働いていた時よりもお給料は安いですし、その上これからは住居の費用や食費といったものもかかってきます。ですから、これからは切り詰めるだけ切り詰めて生活していかなくてはなりません。
けれども、どうかクロフォード御夫妻に神さまからの祝福がありますように!おふたりはわたしのために、たった一年しか一緒にいなかったわたしのために、家具や家電製品などをプレゼントしてくださったのです。引越したその日にのうちに、色々なものが届いて、本当にびっくりしました。この一年の間、すっかりわたしは奥さまの愚痴聞き係でしたし、バレエのことでも色々お手伝いしたりしたものですから……それより何より、御夫妻がおっしゃるには、わたしがいたことで夫婦の危機が回避されたということでした。
出ていくということをお話した時には、もっとお給料をだそうと言われたりして大変でしたが、事情をお話しますと、最後にはふたりとも納得してくださったのです。また、わたしもクロフォード夫妻には一緒に暮らしている間、大変よくしていただき、まるで実の父と母のようにすら感じてお慕いしていたということを、最後に申し伝えて、あの家をあとにしたのです(わたしも泣きましたが、おふたりも瞳に涙を溜めておられました)。
ところで院長さま、マリーは本当のひとりぽっちになるのは、これが初めてかもしれません。修道院をでたあとは、そのあとすぐにクロフォード夫妻のお宅に住まわせていただいたので……狭い部屋にひとりでいて、冷蔵庫の鳴る音などを聞いていますと、少しばかり不思議な気がしました。
寂しい、という気持ちもあるにはあるのですが、神さまが支えてくださると思うと安心ですし、ただ、それでいて不信仰なことにはとても不安なのです。そしてその不安な気持ちのまま、新しい職場のほうへと足を運びました。
精神病院というところは、とても面白いところです……などと書いてしまうのはいけないことですね。言い直します。精神病院というのところは非常に興味深いところです。
一階は外来になっていて、他に自立支援のためのセンターもあります。そして、二階と三階のほうが病棟です。二階のほうには精神神経科病棟と一緒に、アルコール依存症や麻薬中毒の方のための専門の治療施設があります。そしてわたしが務めることになったのが、二階にいらっしゃる患者さんよりも重い精神病の方の多い精神科病棟です。
実をいうと院長さま、わたしが最初に不謹慎にも「面白い」と申し上げましたのは、精神病院の建物の構造のことなのです。当然、一階から二階へは特殊なルートを辿らないと向かえませんし、それは三階へ行く場合も同様です。特殊なルート、などと申しましても、そう大袈裟なことではありません。階段を上っていくにしてもエレベーターを使うにしても、どこもかしこも鍵だらけで、鍵を持っていないとどこへも行けないのです。
職員はひとりひとり、自分の職場へ行くための小さな鍵をひとつだけ渡されます。わたしの場合はエレベーター内の鍵です。エレベーターの階数を示す下のところに鍵穴があるのですが、そこに鍵を入れないとエレベーターは動かないことになっています。
また、職場を目の前にして、ここの鉄の扉にも鍵がかかっていて、こちらは電子ロックで、教えていただいたナンバーを打ち込むと開くといった寸法です。こうした複雑な入り方をしなくてなりませんから、三階の職員が二階のナースステーションに用があるといった場合も、電話で先に連絡しておいてドアを開けてもらうですとか、少々面倒なところがあります。
とはいえ、患者さんが外へ出てしまった場合のことを考えると、ここまでのことをする必要があるそうです。わたしが三階の患者さんたちを見る限り、「この人たちは自分を傷つけこそすれ、誰か人を傷つけるだなんてありえない」といった印象なのですが、やっぱり万一ということがあるということなのでしょうね。
わたしが職員の方々に接して驚いたのは、まずひとつ目が看護師さんは相応の人数といった気がするのですが、わたしと同じ介護員、看護助手の方の数が多かったことでしょうか。わたしが勤務初日にお会いしたのは六人でしたが、その日休んでいた人も含めると、八人いるそうです。
そして、ふたつ目が、看護師さんたちの中に、精神病的雰囲気の方がいらっしゃるということかもしれません。もちろん、彼女たちは精神病などではありません。ただ、精神病の方を長く見続けているうちに、何かその病気の一部が転移したといったように見える職員の方が数人いらっしゃるように見受けられるということなんです。
院長さま……どうかお笑いにならないでくださいね。聖書には、イエスさまが悪霊の追いだしをして病人を癒したといった箇所がたくさんあるでしょう。わたしが思いますのに、今ここにイエスさまが来てくださって、もし同じことが行われたとしたら、ここにいる人々の多くの病いは治るのではないかということをマリーは日々強く感じています。
なんにしても、まだ務めはじめて十日にもなりませんが、わたしが印象深く感じたことについて、順番に書いていきたいと思います。
一応、プライヴァシーということも配慮して、患者さんたちの名前についてはアルファベットで表記しておきますね。まずは、患者さんAですが、彼は今疥癬にかかっていて、ひとりだけ隔離されています。病名のほうは母と同じ統合失調症だそうです。
きっととても物識りな院長さまのことですから、疥癬がどのような病気か、ご存じのことと思います。ですが、マリーときたらまるで知識が足りなくて、疥癬というのは羊とか犬とか、何か動物がかかるものだと思っていたのです……また、人間にも時たま移ることもあるけれども、昔ならばともかく、今という現代ではぴたりと痒くなくなるような塗り薬があるに違いないと思っていました。
ところが、そうではないのですね。Aさんは三十代半ばの男性なのですが、非常に痒がって、背中の患部の部分を壁に打ちつけたり擦りつけたりして、見るも痛ましい状態です。しかも、鍵のかかる牢獄のような場所に閉じこめられているのです……介護員がこの場所を訪れる時は、看護師さんとふたりでと決まっています。お互いにAさんと色々なことを話してなだめつつ、患部に薬を塗り――そして、十分患部に薬が行き届いたとなるまでは、少しの間その部分を掻かないように手を縛ることになります。
まるで虐待ではないかと思われるかもしれませんが、仕方ないそうです。疥癬は人に移るものですから、隔離しておかなくてはなりませんし、薬を塗ったあとに手を縛っておかなくてはならないのも……薬が効かなくては治るのが遅れるのですから、仕方がないということになってしまいます。
とはいえ、見ていて大変痛ましいことは間違いないのです。薬を塗ったあと、手を縛られていながらも、やはり痒がって、「かゆい、かゆい~!!」と叫びながら、壁や床に一生懸命体を擦りつけています。牢獄のような場所に隔離し、手を縛られ、狂ったように体をくねらせる姿を見ていると……本当に、もっと他にどうにかしてやれないのだろうかと考えてしまいます。
言うまでもないことですが、職員はみなAさんと接するのを嫌がっています。何故なら、先にも書きましたとおり、疥癬は移るからです。ですから、入る前と出たあとに、しっかり消毒液などを振り掛けたり、治療のあとは手もしっかり洗うのですが(もちろん患部に触れるのは透明な薄い手袋をしてです)、それでも万一ということがありますものね。
同じ理由で、本人が悪いというわけでもないのに嫌われている患者にBさんという方がいます。
男性で、おそらく年の頃は六十台でしょうか。何故「おそらく」なのかというと、ここの病院へ来た時から一体いくつなのか年がわからなかったからだそうです。小さい時から重度の知的障害があって、親戚の間をたらいまわしにされ、その後大きくなってからも誰からも余り者にされるような人生だったと言います……。
ですが、本人自身はあまりそう不幸そうに見えません。オムツをしていて、取り替えて欲しいとなると自分からそう言いますし、おしゃべりという点では社交的といえば社交的かもしれません。ただ、言っていることが支離滅裂なので、あまり会話が成り立っているとはいえないというのが難点といえば難点です。他に、何かのことで衝動的に他の患者に暴力を振るうということがあるのでその点も注意しなくてはなりません(きのう、食事中にそのようなことがあって、トレイの上のものをふたり分、床にぶちまけました)。
また、昔警察官に嫌な目に会わされたのかどうか、テレビに警察官が写ったりすると、「死ね!」とか「殺してやる!」と叫びながら一生懸命テレビを殴りつけるので、この点も注意しなくてはなりません。
それと、どこでもらってきたのかはわからないのですが、Bさんは梅毒で、こうした性格に加えて梅毒なものですから、職員はあまり彼に近寄りたがらないのです。梅毒は尿とか便から移るということはありませんので、オムツを替えたりしたからといってどうということはないはずなのですが――やはり嫌な感じのするものなのでしょう。わたしも、血液感染のことだけは注意するようにと看護師さんに言われていましたが、そう聞いた日の午後、Bさんは両手を血まみれにさせていました。
というのも、Bさんは車椅子に乗っているのですが(足まで悪いのです)、車のストッパーがかかっているにも関わらず、何故動かないんだとばかり、一生懸命タイヤを手でまわそうとしたのですね……車椅子のほうにも血がこびりついていました。
さて、梅毒は血液感染で移ります。職員たちは誰も近寄りたがりませんでした。そこで、看護師さんとふたりで血の始末をし、ふたりでどうにかBさんのことをなだめつつ、手の怪我の治療をしたのです……。
院長さま、おわかりいただけるでしょうか。この世の中にはこんなことがあるのです。まるで、Bさんには(本人が悪いというわけでもないのに)この世に生まれてくるにあたって、悪い条件のすべてが彼ひとりに集中したかのような身の上なのです。でも本人にはそのことを深く考えたりするような知恵もなく、ただ身近な快と不快に支配されような形で日々を過ごしているように見えます……。
ですが、そんな彼ではありますが、「お気に入りの職員」、「まあまあ好きな職員」、「あまり好きじゃない職員」とランク付けがあるようで、彼に少し乱暴なことをしたりすると(といっても、本人が暴れるのを抑えたとか、何かそんなことです)、暫くの間は「おまえなんか嫌いだ!」とか「あっちへ行け!」と言われたりすることになります。
なんにしても、この三階の病棟で一番手のかかるのが彼だということを、一応申し添えておきたいと思います。
そして、患者のCさんですが、四十代の男性で、元は弁護士だったという方で、いつも素敵な同じスーツを着ています。ちょっと見、とてもまともそうというか、真面目な方のように見えるもので、本当に精神病なのだろうかと疑いたくなるほどです。Cさんもまた統合失調症で、家族がその事実を認めず、家の中に隠し続けていたもので、治療の開始が相当遅れたということでした。
もちろん、わたしはお医者さんではありませんから、専門的なことはわかりません。けれども、Cさんを見ている限り、多種類の薬を飲んでいることが、普段ぼーっとしているように見える原因のような気がしてなりません。いつも全身からおしっこ臭がするのですが、それはオムツをしているからで、Bさんとは違って自分からそうしたことは言いませんので、職員のほうで定期的に替えなくてはなりません。ただ、自分から何か自己主張される方ではないので、他の患者のことで忙しかったりすると、ついCさんのことを忘れてしまい、下半身がべっちゃりしているということがよくあります。
そういう時、当然衣服も着替えるのですが、それもまたすべてスーツなのです……この点だけはどうも、Cさん唯一の拘りなようです。
それから、患者のDさんですが、彼は自分で行きたい時にトイレにも行きますし、職員の手を煩わせるということもあまりありません。ただし、いつも何かしら猥褻なことを口にしてばかりいて、職員のほうではそのことを面白がったり、馬鹿にしているような調子で相手をしたりしています……。
ただ、わたしが思いますのに、Dさんは何かいつもいやらしいことを考えていてそんなことを言っているようには見えないのです。わたしの見た印象としては、何か悪いものが取り憑いていて、そのようなことばかり口からついて出るといった印象なのです。
驚かないでくださいね、院長さま!わたしも勤務初日に、「へへへ、いい女だな。俺とセックスしようぜ!」と言われました。でも、あんまりおかしくて笑ってしまったくらいです。だって、本当はそんなこと、全然考えてもいないのにそう言ってるようにしか見えないんですもの。また、スカートの中を覗こうともよくしますが、それも何かいやらしい動機があってそうしてるというようには見えません。
つまり、何かそんなことばかり口にしていても、具体的に実害があるという患者さんではないのです(今まで、何かその種のことで院内で事件を起こしたということも一度もないそうです)。
男性の患者さんについてばかり紹介してしまいましたが、もちろん院内には女性の患者さんもたくさん入院されています。それで、話のほうが長くなりますので、また他の患者さんについては次の手紙ででも説明したいと思いますが、最後に一点だけ……患者さんの全員が集まって食事をする食堂の目の前に、トレイがあるんです!
つまり、患者さんたちはトイレのマークを横目に見ながら食事をしているっていうことなんです。一体誰がこんな建物の構造にしたのでしょう?もちろん、すぐそばにトイレがあれば患者さんにとっても安心だ……ということなのかどうかわかりません。なんにしても、基本的人権の問題として、わたし自身はよくないと思いましたし、そのことに異を唱える人が誰もいないというのも不思議なことでした。
院長さま、これがわたしの母が最後、亡くなるまで暮らした精神病院なのです。マリーは悲しくなりました。母の亡くなったのは五年ほど前のことですから、その頃からここにいる職員の方に聞けば、母の入院生活がどんなものだったかがわかるかもしれません。けれどもわたしにはとても……聞く勇気はありませんし、むしろ今では知るのが怖いといったようにも思うのです。
それでは院長さま、こんな意気地のない弱いマリーのために、どうか祈っていてくださいね!
弱くて小さなマリーより
>>敬愛する院長さまへ。
以前も申し上げましたとおり、ここの精神病院の三階には、わたしを含めて九名の介護員がいます。
ここへ務めはじめて勤務期間が十年にもなるベテランの方もいらっしゃいますし(この方がリーダーのMさんです)、次に、彼女とプライヴェートでも仲が良くて、その片腕のような立場のRさんがいます。他の介護員は勤めはじめて4~5年だったり3~4年だったり、あるいは1~2年といったところでしょうか。
院長さま、驚かないでくださいね!わたしがここに勤めはじめてMさんに最初に言われたのは――「そんなに真面目に仕事なんてしなくていいよ」ということでした。びっくりするでしょう?わたしも思わずまごついてしまって、「えっと……」としか言えませんでした。
そしたらMさんが言いますには、「ここはね、給料も安いし、一生懸命働いたって患者さんたちの病気がよくなるってわけでもない。むしろ一生懸命介護意欲なんていうものに燃えて頑張っちゃうと、燃え尽きシンドロームになるってだけ。わたしの言ってることわかる?」ということでした。RさんもMさんの意見に同調して、「あんた、ひとり暮らしなんでしょ?うちの給料じゃどうにか一か月やっていけるかどうかじゃない?だからね、給料分っていうとまあこんなもんかなと思って、仕事のほうはテキトーでいいから」……。
院長さま、わたしにとってはお給料がいくらいただけるかといったことは関係ないのです。ただ、毎日できるだけ患者さんのために役立ちたいというそれだけなんです(それに、それが神さまの御旨に適ったことでもあると思いますから)。でも、彼女たちが何か悪いっていうことじゃないんです。むしろMさんもRさんも善意でそうおっしゃってくれているのです……。
また、何回か夜勤を経験してみてわかったことですが、ここの病院の人間関係は少し微妙なようです。看護師さんたちは、介護員にどちらかというと不満を持っていて、もっと意欲的に一生懸命仕事に取り組んで欲しいと思っているようです。でも、介護員がひとりかふたりというのではなく、九人もいるとなると、これは一種無視できない勢力らしく……看護師さんのひとりが夜勤の時に介護員につらくあたったりしますと、やはり介護員の休憩室では看護師のAさんはあーだのどーだのといった話になりますし、介護員たちに陰で悪口を言われたくないと思ったら、それなりの態度を取る必要があるというのでしょうか。
とはいえ、そんなことなどまるで考えない看護師さんのほうが多いですし、わたしも時々ひとりの人間として扱われないこともあります。最初からこちらの名前を覚える気もなく、ただオムツを交換したりとか、何か詰所の洗い物を任せたりですとか、「これをやっておいて」とか「あれを手伝って」と命令されることをやるというだけで、人間的な交流がまったくない看護師さんもいます。
わたしはそんなことにはまったく不満を覚えませんし、看護師さんというのはいわば介護員の上司ですから、言われたことを言われたようにやればいいだけだと思っています。けれども、この手のタイプの看護師さんというのはやはり介護員の間で非常に評判が悪かったりしますし、お昼休みにみんながする話は、そうした種類の愚痴である場合が多いかもしれません。あとは患者さんの悪口でしょうか。あるいは、また患者のEさんがこんなアホなことをした、馬鹿な行動を取っただのといって話し、笑いあうのです……。
そんな環境に馴染めていないマリーですが、MさんやRさんの気になるべく障らないような形で、出来るだけ患者さんと話をしたり、何かのお世話をさせていただいたりといったように心がけています。夜勤の時には介護員はひとりですので、そうした時に看護師さんとも仲良くお話したりして、幾人かの方とは打ち解けたような関係になりました。他にふたり、介護員の中に、わたしと同じように「本当は一生懸命仕事をしたい」と思っているKさんやSさんという方がいて……このふたりとも時折、仕事の帰りに一緒に食事するくらいの仲になることが出来ました。
院長さま、介護の本質とは一体なんなのでしょう?マリーは近ごろ毎日、そんなことばかり考えています。ある意味、うちの階の介護員の半数がそう言うように、確かに精神病院という場所では介護の「甲斐がない」という部分があるというのは本当のことです。でも、それでも――わたしは出来るだけ心をこめてそれを行いたいと思いますし、でもその一方でMさんやRさんたちの気持ちもわかるのです。何より、ふたりともご結婚されていて、小さい子供たちを病院の保育園に預けてからこちらの仕事へ来るのですから、介護で力を使い果たしてしまうと、家に帰ってからもお子さんの面倒を見たりごはんを作ったりということがあるということを思えば……彼女たちの態度も正当なものであるような気がします。
なんにしても、マリーは神さまにあって力を得て、日々仕事へ向かっています。ああ、修道院で毎日のように聖餐を受けることの出来ていた日々が懐かしいです、院長さま。今では、マリーが聖餐を受けることが出来るのは週に一度、近くにあるカトリック教会でだけです……いつか、この世でのわたしのお勉強が終わりましたら、再び聖餐の恵みに与ることの出来る日々が戻ってきますように!
それでは、また近いうちにお手紙致しますね、院長さま。
マリーより。
――結局のところ、マリーはここの精神病院を半年ほどで辞めることにしたらしい。
母親がどんなところで息を引き取ることになったのかと、そのことが知りたくて勤めた病院だったようだが、『一生懸命仕事する』マリーの態度が、あまり看護熱心でない介護員たちの苛立ちを買ったり、人間関係がぎくしゃくしだしたことの他に、家のまわりをうろつくストーカー男の存在に悩まされたこともあり、職と住む場所を同時に変えたようなのである。
イーサンはマリーが、この精神病院であったことを、自分にあまり話したがらなかったことを思いだしていた。その時は単に、精神病だった母が亡くなった場所ということで、何かそうしたことのせいなのだろうとばかり思っていた。だが、どうやらそればかりではなかったらしい。駅で電車待ちしている時に一目惚れしたとかいう男にマリーは随分長いこと悩まされたという。朝、職場へ行こうとするとアパートの角から姿を現す、精神病院のまわりをまるで患者でもあるかの如くうろつく、スーパーで買い物をしていると後ろに並んでいる姿が見える、なおかつ、夜にもアパートの部屋のまわりにおり、(まさか)と思いカーテンを引いてみると、目の前にいる――しかもあろうことか、この男が同じアパート内の空室に引越してきたことで、マリーは精神的に相当参ってしまったようなのである。
(だがまあ、あいつのことをどっかで見かけた男がつきまとうってのは、いかにもありそうな話だよな。この場合は、よく知りもしない、話すらしたこともない相手ということで、マリーは心底不気味がっていたようだが……むしろ、俺にしてみればある程度あいつと親しくなった男で、マリーのほうではその気がなくとも妙に親切にしてくれたっていうんで、その好意を勘違いしてストーカーになったっていうんなら、妙に納得できる気がするくらいだからな)
そして、マリーの手紙の弁によれば、それもまた『神さまの御守りによってあの男はもう現われませんでした』という、何かそうしたことになるらしく――イーサンは思わず笑ってしまった。もちろん、マリーがその三十台半ばほどの男に対し感じたであろう不快な感情や、相手の好意が「まるで気にも留めてもらえない」ことから逆恨みに変わっていった時に感じたであろう恐怖心といったものについては、心から同情したとはいえ……。
なんにしてもイーサンは、マリーは自分から恋愛的な方向へ持っていこうとしなかったというだけで――こうした恋愛的な何かが自分に出会うまで一切なかったとは思っていなかったし、ストーカーに悩まされたマリーには気の毒だが、別の意味ではむしろ(そりゃそうだろうな)と妙に腑に落ちていたものである。
>>敬愛する院長さま。
ああ、なんて駄目なマリー!産科医院では一年しか続かず、次の職場の精神病院も半年で辞めることになってしまいました。
けれども、ポストにネズミの死骸が入っているのを見た時には、本当にぞっとしたのです。前にも申し上げましたとおり、わたしはあの方とどこかで会った記憶もありませんし、何故こんなにしつこくつきまとわれるのかも理解が出来ません。
以前もお話ししましたとおり、例の脳神経外科病院のほうに正式に勤務のほうが決まりまして、今日で勤めはじめて十日ほどになります……聞いてください、院長さま!マリーはここでの病院の仕事こそ、自分の天職のような気がしています。
きっと院長さまも、またすぐに挫折しやしないかと御心配しておられることと思います。そして、仕事のほうはもちろんとても大変なのです……何分、植物状態の方や、首から下の動かない方など、一番よくて半身不随の方といったところですから、とても体力が必要とされます。
でも、毎日とっっても忙しい分、他に余計なことを考える余地がまるでありません!この間もお手紙のほうに書いたのですが、わたしが今度勤めることになったのは十三階建ての総合病院の八階に入っている脳神経外科病棟です。朝は申し送りが済んだあとは、ふたり一組になって清拭をしてまわります。全部で大体三十名近い患者さんを、大体一組4~5人くらい担当するような形です。あとは検査室や手術室に患者さんを搬送したり、詰所の洗い物をしたり、食事の介助をしたり、お風呂の介助をしたり……毎日、やることがとてもたくさんあります。そして充実しています。夜勤もまだ一日経験しただけですが、ICU(集中治療室)のほうに交通事故に遭った急患がやってくることになったりと、てんてこまいでした(わたしはただの看護助手ですが、看護師さんが忙しいと、その仕事の皺寄せがやって来るのです)。
けれど、看護師さんはみなさん仕事に対してとても熱意を持っている道徳的な方が多く、わたしの他にここにも八人ばかりも介護員がいるのですが、みな自分の仕事にやり甲斐と誇りを持っています。実をいうと、お給料のほうも前の精神病院よりも四百ドル以上も上がりました……ですので、生活のほうもまったく心配いりません。
ああ、院長さま、マリーは書きたいことがたくさんあります。
マリーにはようやく、自分が何故生まれてきたのか、そのことの意味がわかったのです。産科医院でも「自分の命が与えられている奇跡をもっと喜ぶように」とは神さまから聖霊さまを通して語られてはいました。けれど、精神病院ではやはり「母はここでどんな思いで亡くなったのだろう」とばかり考えていましたし、第一、色々なことがあって自分の命を喜ぶどころではありませんでした。
でも、とうとう――不信仰なわたしの中でも、神さまの御言葉と自分の内側の実感が一致する日がやって来たのです!!
植物状態の患者さんや頚椎を損傷した患者さんのお世話を通して……わたしのような者でも誰かの役に立てるのだと、心から実感することが出来ました。ですから、マリーは今、心から幸せです。毎日こうした患者さんのお世話をすることで、イエスさまの御体に触れているかのようでもあります。
もちろんわたしは、こう書くからといって、御病気の方のその病気を喜んでいるということではないのです。今までもずっとそうだったように、このすべての人が癒されますようにと心から祈らない日は一日だってありません。
ああ、院長さま。仕事のほうがあまりに忙しく、か弱いマリーはそろそろ眠くなってきてしまいました。
ですから、この続きの詳しいことは、次のお手紙に必ず書き記すことをお約束します!!
仕事への意欲と愛に溢れたマリーより。
>>敬愛する院長さまへ。
今回もまた、わたしの心の中に印象に残りました患者さんについてお書きしたいと思います。
I君はまだ十九歳で、大学へ入ったばかりのところだったのですが、その時、自分の運転していた車で事故に遭ってしまいました。ちょうど週末に実家へ帰っていたところで、そこから大学のある町のほうへと戻るところだったそうです。
普通の自家用車が大きなトラックにぶつかったのですから、事故のほうはかなりひどいものでした。トラックの運転手のほうも重傷を負い、こちらの病院の救急科のほうへ搬送されてきたのですが、幸いなことにこちらの運転手さんのほうはすぐに意識が戻ったのです。一方、Iくんのほうは意識のほうがなかなか戻らず、三か月近くも昏睡状態が続きました……わたしも、ICUの看護師さんのお手伝いをしていて、このままIくんも他の病室にいる植物状態の患者さんのようになってしまうのではないかと、非常に危惧していました。
けれど、お医者さんや看護師さんの治療の甲斐あって、Iくんは再び意識のほうが回復したのです!!
このことにはみな、驚くのと同時にとても喜びました。だって、ICUに運ばれてきても、治療の甲斐なく亡くなってしまう患者さんも多いですし、そんな中、奇跡的といってもいい生還をIくんは果たしていたのですから。
ですがその後、知能がかなり後退していることや、記憶に欠損箇所があるらしいことがだんだんにわかってきて、Iくんは今一生懸命リハビリしています。身体的なこともそうですし、他に小学三年生くらいの学習レベルのドリルを毎日解いています。言語機能のほうもまだ戻ってきていませんが、それでもこちらが話すことは理解してくれていますし、自分が望んでいることやして欲しいことなどについても、ほとんど片言ではありますが、きちんと意志表示してくれます。
院長さま、マリーはこのIくんの学習ドリルを見るたびに、心が震えてしまうほどです。何故といって、なかなか力の入らない手で、一問一問一生懸命問題を解いては、震える文字でそこに数字や文字の解答を書き記しているのですもの!!
その震える文字を見ながら、院長さま、マリーは思いだしたのです。六歳になってからようやく読み書きを覚えはじめたもので、他の子よりもいつも勉強が遅れがちだったことを……ですが、院長さま。あんなものは本当の苦しみでもなんでもなかったのです。
もちろんIくんだけではありません。脳梗塞でお倒れになったのち、非常につらい思いをされて言語能力を回復される方がたくさんいらっしゃいます……院長さま、マリーは微力ながらもこうした方々のお世話をすることで、ともにつらい気持ちを分かちあうということで、イエスさまの苦しみに触れている思いがし、どうにか力になりたいと日々思うことが出来るのです。
ああ、院長さま、誰かの役に立てるというのは、本当に深い喜びを魂に与えるものですね!マリーはここの病院へ勤めるようになってからは、自分の命も存在も、余り物であって、誰か別の人にこの神の恩寵が与えられるべきだったのにとはまるで考えなくなりました。
本当に、毎日生きていて幸せなのです……と同時に、仕事のほうはとても大変です。けれども、これからも決してへこたれることはないでしょう。患者のみなさんがわたしのことを必要としてくれる以上、本当に自分の出来ることならなんでもしたいという気持ちに日々なることが出来るのですから……。
ところで、前にもお書きしましたとおり、我が病棟には植物状態の患者さんが何人もいらっしゃいます。毎日清拭したりオムツを替えたり体位交換したり……生きているのに、決してもう物を言わない人々の世話をしていて、何になるのかという方もおられるかもしれません。けれど、わたしはそうした方々のお世話をすることで、イエスさまの御体に触れているつもりになれるのですから、こうした人々の命が無駄であるということはないのです。
もちろん、御本人もおつらいでしょうし、家族だってそうです。けれども、人というのは命ある限り、周囲の人々にまったく影響を与えないでおくということはないものです。わたしはこの患者さんたちひとりびとりを通し、毎日介護の勉強をさせていただいていますし、他の介護職員だってそうです。そう思ったら、もう意識の回復の見込みはないのだから、無駄に医療費をかけないで亡くなってもらったほうが本人のためでもあるではないか……と言われても、マリーは同意できない気がしています。
これは本当なんです、院長さま。我が病棟の植物状態の患者さんのところには、もうまったく家族も誰も面会に来ないという方もいらっしゃいますけれど、それでもほんの時たま家族の方が来てお話していくことがあると、そのあと顔の表情が違っていたりします。他に、どうせもう何も感じてはいないのだろうからということで、ずっと静かに寝かせておけばいいじゃないかというのも、本当に全然違うんです。ただベッドの上に体を起こしたり、人工呼吸器と一緒に車椅子で散歩に出かけたりするだけでも……わたしたちの自己満足という以上に、顔色が少しだけ良くなったりといった変化があるのですもの。
わたしも毎日、こうした方々がラザロがイエスさまによって復活したように、再び甦りますようにとの祈りとともに、心をこめてお世話させていただいているつもりです……ところで、今回は最後にひとり、十九歳の頚椎損傷患者さんのことについてお書きしたいと思います。
Jくんは、アメリカンフットボールの試合の最中に――人が上から何人も覆い被さったことで、何かの拍子に首から下が動かなくなってしまったのです。アメリカンフットボールのポジションはクォーターバックで、わたしはよくわからないのですが、一般に花形と呼ばれるポジションだそうです。
このことに対するJくんの悲しみはとても深いもので、もう二度とアメフトが出来ないということに対し、何より深い絶望を抱いていました。けれども、わたしが、ではなくて、理学療法士の方がリハビリの最中にイエスさまのことをお伝えしたことで……教会へ通うようになり、そこで魂を救われたのです。
明日、このJくんの洗礼式があります。プロテスタントの教会ですが、もちろんわたしも出席するつもりでいます。
……手紙の内容はまだ続いていたが、イーサンは何かがつらくなって、一度手紙の文面から目を離していた。
大学時代、イーサンはアメリカンフットボール部でクォーターバックだった。球技という名の格闘技というだけであって、プレイ中には目を背けたくなるような大怪我を選手がすることもある。イーサンはこの時、思いだしていた。自分が大学でアメリカンフットボールをしており、ポジションはクォーターバックだということを知った時、何故か彼女の顔色が曇ったということを。
その後も、自分が試合で勝っても、子供たちはべつとして、マリーの態度は何かイーサンには理解しがたいものだった。また、「お怪我のないようにお祈りしています」と言われても、イーサンは「あっそう」と思ったくらいなもので、他にどうとも感じていなかった。
だが、今はわかる。その時イーサンがマリーに求めていた反応というのは、そのような花形のポジションについている自分を称賛するような眼差しで彼女が見てくれることだったし、自分の期待したような反応がなかったことで、がっかりしたというのは間違いない。けれど、このJという患者の存在が念頭にあったために、マリーは毎試合ごと、自分の身を本当に心から案じていたのだろうことが……今は本当に心からよくわかる。
産科医院、精神病院、脳神経外科病棟と、こうした病院に勤務していた頃のマリーの手紙の内容というのは、大体のところ似通っていると言えたかもしれない。まずは、その時自分が気にかけている患者のことや、その病態、家族とした印象的な会話のこと、あるいは同僚のことなどだ。イーサンはマリーが一度、人手不足から手術室へ回されたことがあり、そこで初めて手伝った手術器具などの滅菌作業はとても楽しく、面白かった……と書かれたところまで読むと、そのあとさらにまた少し手紙の消印の日付を飛ばすことにした。
そして、ロンシュタットのリハビリセンターへやって来ることになった経緯の書かれた手紙を見つけ、そこから再び読みはじめていくことにした。時刻のほうはすでに夜になっており、イーサンは適当に口に入れるものをキッチンから持ってくると、そのまま夢中になってマリーの手紙を読み続けたのである。
>>続く。