【女性の頭部の習作】ウィリアム・アドルフ・ブグロー
今回もまた、前回に続いてマリーの手紙の続き……といったところなのですが、聖書の引用箇所などでわかりにくいところを説明してみようかな~なんて最初は思っていたものの。。。
それはまた次回以降、前文に書くことなんもない……という時にでもしようかなって思ったり(^^;)
ええとですね、ようするに↓の本文が長いもので、あんましここの前文も長いのはどうかというか
そんでもって、マリーの手紙の中に出てくる患者さんのお話というのは、実はほぼ実話だったりします。。。
今回の文章の中に出てくる認知症のNさんやFさんの話も実際にあったことをほぼそのまんま書きました(^^;)
夕方から夜にかけて突然性格の豹変することのあるNさんですが、夜勤の時の記録などを見ると「○時ごろ、Nさんはまた不穏な状態になられ……」みたいに書き記されていたのを覚えています。つまり、このNさんのことで<不穏>と書かれていた場合、↓の状態のような、突然性格の豹変した状態のことをさすっていうことなんですよね。
そして、わたしがこのNさんのことで覚えているのは、帰宅願望があまりに強く、他の職員の方が夜勤していた時に突然いなくなり、あたりを探して見つけた時には氷で滑って(冬のことでした)怪我をしていたということと、その施設のほうで介護保険に入っていて、そうしたところから保障のお金が出ると知り――「そういう保険があるんだ~☆」と初めて知ったということだったでしょうか。
なんにしても、認知症の方で施設などに入所していて、帰宅願望が物凄く強いという方はきっともってとても多くいらっしゃるんじゃないかな、と思います(^^;)
それで、とにかくおっしゃるのは「自分の家が今どうなってるのかとにかく一目見たい」ということで、毎日同じことを繰り返し話されるもので、介護している職員の方は耳にタコが百万個ばかりも出来ることになるという。。。
Nさんの場合、夕方から夜にかけて<不穏>な状態になるとわかっているため、昼間はなるべく何かのことで活動させて、本人が眠そうでも昼寝などさせず、夜はぐっすり寝るようにさせる――ということになるのですが、わたしもNさんがまったく眠ってくれず、一晩中元気に「わたしを殺すつもりなんだろう、ええ!?」などと言われた時には心底参ったものでしたww
しかも、「わたしのようないらなくなった老人を集めてきては殺すつもりなんだっ。それでおまえらは金をもらっている。そういうシステムがもう出来あがってるんだっ。なんて邪悪な連中だろう!!」みたいに、興奮してしきりと話されるんですよね
そのう……わたしはただのそこの小さな介護施設の介護員で、週に3~4日程度夜勤するといったところだったのですが、お金をもらって仕事としておつきあいするだけでも大変なのに、24時間ずっと家庭のほうで介護されてる方は、本当に大変だなって思いました。。。
また、そうした御家庭で、家へ一歩足を踏み入れた段階で……お世話している家族の家の空気がもう<介護ノイローゼ>みたいになってる場合もあると思うんですよね。でもむしろご本人たちのほうで「自分たちはもう介護ノイローゼだ」ということに気づかず、「自分の親なのだから」と一生懸命介護されている方もおり……こうした場合、「あなた方はもう介護ノイローゼじゃないの。そろそろ施設に預けるか何かしたら?」なんて余計なことを言うわけにもいかず……介護っていうのは本当にケースバイケースで難しいものだなあということを思わされたものでした。
そんで、次にFさんですが、このおばあさん、わたしの夜勤時にオムツの上に御自身のう○にょ☆をのっけておられてですね……オムツ交換してる時に「これはわたしのじゃない。誰かがここへ置いてったの。なんでこんなことするのかしら」みたいにおっしゃるんですよね。
まあ、こっちも適当に話を合わせて「そうだよね。誰がこんなことしたんだろうね」みたいに言うわけですけど……これもまた、わたしがお金をもらってあくまで仕事として接しているから出来ることであって、これが自分の家族ということになると、話はまったく変わってくると思います(^^;)
↓に書いた他の認知症の方のケースのように、「家族だからこそそうした状態の父や母を見るのがつらい」という側面があって、介護の仕事をしている、したことがあるなんていうと、「じゃあ普通の人よりきっとうまく出来るわよね」みたいに周囲から期待されることがあるそうなんですけど……「むしろ自分の家族の介護のことではうまくいかなかった」っていう失敗談について話される看護師さんや介護員さんは多いんじゃないかな~って思ったりします
なんにしても、次回もまた↓の「マリーの手紙」の続きということで、よろしくお願いしますm(_ _)m
それではまた~!!
聖女マリー・ルイスの肖像-【44】-
>>敬愛する院長さまへ。
ひとつ前の手紙でお書きしましたとおり、マリーはこの度、約三年の間勤めた総合病院を退職し、ロンシュタットにあるリハビリセンターのほうへ移るということにしました。
もちろん言うまでもなく、大切なのは神さまの御心ですから、もしあのまま脳神経外科病棟にいるということが神さまの御心でしたら、わたしはあのままいたと思います……ただ、そちらのほうへ自分と一緒に移らないかと誘ってくださった看護師さんがいらっしゃって、祈った時に何か具体的に神さまからお答えがあったわけではないのですが、そちらへ移ることにしたのです。
院長さまにも御許可いただけて良かったと思っています。何分、今まで住んでいたところと比べますと、かなり田舎ということになりますので、なかなかちょうどいいアパートの物件などが見つからず、看護師さんとふたりで小さな家を一軒お借りすることにしました。
なんといっても家賃のほうがびっくりするくらい安いんです!やっぱり観光地ですから、観光シーズンが過ぎるとなかなか借り手もいないということで、冬の間放っておくと家のほうも傷みますし、身分のしっかりした方に住んでいただけるなら、家賃など安くても元など十分取れる……というのが、大家さんの考えのようです。
わたしをロンシュタットのほうに誘ってくださった看護師さんについてお訊ねでしたね。名前をコーネリア・ローズとおっしゃって、とても良い方です。でも、院長さまももしかしたら驚かれるかもしれませんが、これまで三年間同じ職場で働く間、それほど彼女とは親しかったというわけではありません。けれども、辞めるにあたって「あなたほどいい介護員は今まで見たこともない」とおっしゃって、少しびっくりしました。ミズ・ローズは看護師長さんの信任も厚く、看護師たちをまとめるリーダーのような立場の方でしたから、もともと特定の誰かと仲良くするというより、誰とでもある程度距離を取ってつかず離れずといった感じのする、少し厳しい印象の方でした。
けれども、ロンシュタットリハビリセンターでは彼女のことをセンターの新しい責任者として迎えるということでしたし、その際にあたって、何故かわたしにお声がけくださったのでした。また、わたし自身、脳梗塞でお倒れになった方が、ある程度回復したのち、他のリハビリ専門に特化した病院に転院されていくのを何度となく見ておりましたので、そちらのリハビリがどのような形でなされて回復するものなのかを学びたかったということも理由としてあります。
院長さまも、もともとそんなに親しくない看護師さんと一緒に暮らすだなんて心配だと思われるかもしれませんが、部屋のほうは下に四部屋、上に三部屋ありまして、お互い、下に一室ずつ、また上に寝室として一室ずつ完全なプライヴェートルームを取る他は、共同スペースということにしようと話しているところです。
わたしはもともとコーネリアのことを看護師としても一人の人間としても尊敬していましたし、一度打ち解けて話してみると、とても感じのいい女性でもあります。そして彼女のほうでも、わたしとならうまくやっていけるだろうと感じ、わたしもまた彼女とならおそらくうまくやっていけるだろうと感じることが大切なのだと思います。
では院長さま、またお引越ししましたら、新しい住所など、必ずお知らせ致します。
P.S.ロンシュタットのお土産を喜んでいただけたみたいで、よかったです。わたしからも、修道院のみなさんによろしく言っていたこと、何卒よろしくお伝えくださいませ。
>>敬愛する院長さまへ。
院長さま、リハビリセンターはなかなか大変なところです。マリーは毎日汗だくになって働いていますが、気難しい老人も多く、個別の対応ということでは脳神経外科病棟にいた頃のほうが楽なくらいだったかもしれません。
わたしがいるのはD棟と呼ばれるところで、暮らしておられるのは一般的な意味で「お金持ち」と言われる方々ばかりです。ですが、ご家族などが滅多に面会に来ない方がほとんどですし、いらっしゃるのはD棟全体でたったの十三人で、そう考えた場合数の対応としては楽ではあるはずなんです。と言いますのも、このお金持ちの御老人たちからたくさんのお金をいただいておりますので、前にいた一般病棟よりもひとりあたりにつく看護師・介護員の数は手厚いからなんです。
けれども、そのかわりに<個別性の対応>ということに非常に重点がおかれていまして、ありていに言えば、相手の言うことをよく聞き、その要望により密度の高い形で応えなくてはならない……ここで必要とされているのは、そうした形の医療といっていいと思います。
医療におけるホスピタリティという言葉は、以前より病院の研修などで聞いてはいましたが、それぞれが抱える病気・疾患を癒すための計画を立て、それを実行するのと平行して――個人個人の抱えるプライヴェートな部分を含んだニーズにより高い形で答えるということが大切なのだと思います。
こうした治療計画や、それぞれの患者さんの性格や趣味、好きなこと、これまでに生きてきた人生歴などについては、カルテを開けば、職員であれば誰でも読むことができますから、一応情報としては最初から、ある程度のことはわかっているつもりでした。
ですが、相手がゴルフが好きとか、脳梗塞になる前まではテニスが好きだったと知っても……わたし自身はゴルフなんてしたことないわけですし、話を合わせていくというのもなかなか難しく……わたしがここの職場に慣れるまでには、まだもう少し時間がかかりそうです。
モーセではありませんが、わたしはやはり口下手なのです、院長さま。先日、こちらの病院のほうでもセミナーのほうがありまして、喜び勇んで参加致しました。テーマのほうが「適切な患者とのコミュニケーション術」というもので、今のわたしになんともうってつけではありませんか……!
講師の先生のお話はとても興味深いもので、まず最初に、「看護・介護の姿勢」というお話がありました。
先生は、長く看護師を勤めてから看護学校で先生となられ、最近そちらを引退して故郷のロンシュタットへ帰って来られた方です。先生は最初に、「看護してあげる・看護する・看護させていただく」……この三つのうち、どの姿勢が一番正しいと思いますか、とおっしゃいました。
その質問を当てられたのはわたしではありませんでしたが、わたしも自分の心の中で(看護させていただくかな)と思っていました。ところが先生は、「看護して『あげる』というのは間違っているとわかりますね。そのような上から目線で患者さんと接してはいけないというのは、説明するまでもないでしょう。では、看護させていただくが正しいと思う方は?」と先生がおっしゃいますと、わたしを含め、たくさんの方が手をあげました。
ところが先生は、「『看護させていただく』というのは、一見正しいように見えるでしょう。実際、実の親に接するようにへりくだって患者とは接することが好ましい、もし出来るのならそれが理想だと思う方もいるかもしれません。けれども、わたしたちは看護のプロフェッショナルです。つまり、患者に対して変におもねったり必要以上に下手に出る必要はないのです。看護・介護のプロフェッショナルとしての自信と誇りを持ち、相手と正しい目線で視線を合わせ、対等な立場でいるというのは、大切なことです。もちろん、車椅子に乗っておられる方と話す時には、下から相手を見て話したりといったことは必要ですよ。けれども、看護の核、根底の部分としては『介護してあげる』でも『介護させていただく』でもなく、『介護する』という視点があるというのは、見逃されがちですが、実は非常に重要なことです」
……このお話は、わたしにとってとても大切なことでした。何故といってわたしは特にこれといって何か医療の資格を持っているわけではないというコンプレックスがありましたし、そのせいでというわけではありませんが、性格的なこともあり、いつでも患者さんに譲歩してその要望を聞くということが多かったからです。
この方法は今までのところずっとうまくいってきましたが、それでもしかし、です。むしろ変にへりくだってしまうことが場合によっては失礼になるということもありますし、お互いに遠慮しあうことで壁が出来てしまうということだってあります。院長さま、マリーはこれからはそうしたことも心に留めて、介護の仕事をして参りたいと思いました。
また他に、講師の先生は、患者さんのみならず、普段他の人ともコミュニケーションを取る時に、「すぐ家族の話ばかりしたり、なんの職業に就いているかとか、年はいくつなのかといったことを聞きたがる人というのは、コミュニケーションの下手な人です」とおっしゃいました。それから、「普段の生活の場でなら、初めて会った人にそうしたことを聞きたいとか、そうでもしないと間が持たないというのはわかりますよ。ですが、こうした医療の現場では、家族の話などしたくもない人もいますし、仕事は何をされていたんですかと聞くのも不躾です。では、どうしますか?」とお聞きになりました。
すると、ひとりの人が「天気の話をします」と言いました。先生は「それはいいですね」とおっしゃいました。「最近あったニュースで、これなら誰でも興味があるだろうということを話すのもひとつの手です。もちろん、患者さんの中にはかなりひねくれた人もいますから、常に必ず有効とは限りませんが」……ここでみんな、大笑いしました。何故といって、ここのリハビリセンターの職員であれば、誰しもが経験のあることだったからです。
それと、家族の話や仕事の話をしてはいけないということではなく――病室が家族の写真だらけで、「間違いなくこの人は家族の話をしたがっている」という場合は、写真を見ながら「この方はお孫さんですか?」と聞いたりするのは良いとのことでした。また、退職するまでの自分の仕事の話を繰り返ししたがる方もいますから、そうした方に仕事の話を振るというのはアリだそうです。
このあと、色々な意見がでたあとで、先生はまず「人とのコミュニケーションにおいて一番大切なことは何より、相手の話を聞くということです」とおっしゃいました。神さまは人間に口はひとつ、耳はふたつくださいましたが、それは自分でしゃべるよりも人の話をよく聞くようにと意図されてのことだとお話されてから、先生は「口から出される言葉だけが声ではありません。相手が何を望み、どんなことを言われたいと感じているか、どんなことを聞いて欲しいかということは、耳を澄ましてよく聞くなら見えてくるはずだ」と。
とはいえ、これはなかなか難しいことです。先生御自身も自分の過去の失敗談を引き合いにだして、お笑いになっていました。患者さんとコミュニケーションを取るのに、相手の肩や体のどこかに触れて話すのは大切である……といったように学校で習ったので、なかなか心を開いてくれない患者さんにいつもそうしていたところ、その患者さんは「自分の体に触れられることが大嫌いな」患者さんだったそうです(笑)。
ですから、ケースバイケースであるとはいえ、人はやはり基本的には誰かとコミュニケーションをはかることで幸せになりたいものですし、それが一番のストレス解消ともなりますから、患者さん当人の健康のためにも、良いコミュニケーションの方向へ導くことは大切だとの、そうしたお話でした。
何か当たり前のことのようにも聞こえますけれども、先生がいくつも身近なたとえ、過去に経験されたことを引き合いに出してお話されるので、笑いの絶えない、とても楽しいひと時となりました……それでは院長さま、次の手紙ではここの施設の十三人の患者ついて何かお書きしたいと思っています。
マリーより。
>>敬愛する院長さまへ。
コーネリアとうまく暮らせているかどうかと御心配されておいででしたね。その点については今のところ、特に問題はありません。というよりむしろ、最初に思っていた以上にうまくいっていると思います。
わたしとコーネリアは働いているセクションは違いますが、朝は一緒に出勤していきます。何分彼女はすでにセンター長様ですからね!わたしと違って夜勤はありませんが、そういう時にも車で送ってくださいますし、家事もしっかり分担して、そんなことで喧嘩にならないようにとお互い気を遣っているほうだと思います(ちなみに、コーネリアはとても料理が上手です)。
先日、コーネリアが「あなたに愛情を注ぐのは、誰も苦労しないでしょうね」と出勤途中に車の中で言いましたので、「わたしもあなたに愛情を注ぐのに、あまり苦労を感じないわ」と答えておきました……わたしたちはお互い、とても個人主義なのです。わたしは彼女が自分で話すのでない限り、彼女の過去について聞いたことはありませんし、それはコーネリアのほうでも同じでした。
ただ、彼女はあんなに綺麗なのに、男性を一切寄りつかせないのは何故なのだろうとは、なんとなく思ってはいましたが(これは彼女のほうでもまったく同じことを感じていたそうです)、親から受けた虐待が原因で、結婚など絶対にしたくない、自立した女性としてしっかり歩んでいきたいという思いが強かったと、一度話してくれたことがあります。
「だって、そうでしょう?病院なんて場所で長く働いていたら、子供なんて生んでも自分の老後の面倒を見てくれるとは限らないっていう例を、嫌というほど目にしてしまいますものね」
実際、そのとおりです!おそらく、我がD棟を見学しにきた第三者機関の方がいらっしゃったとしたら、「お金はあるのに老後はこんなところに住んで職員に愚痴を言うか、怒鳴ってばかりいる。しかも家族はほとんど面会にも来ない。惨めなことだ」と思うかもしれません。けれども、わたしも前の病院で経験したことですが、家族がたくさんいることと、老後の生活の充実というのは別のことである……といったケースは本当に多いですので、うちの施設が特例中の特例というわけでもありません。
脳神経外科病棟にいた頃、こんなことがありました。入院当初はそれでもひとりかふたり、家族の面会があり、その後状態が悪くなって寝たきりとなり、意識もなくなった患者さんがいました。入院当時からかなり認知症のほうが進んでいたのですが、それでもまだその時は意識もありましたから、お話もできたのです。けれども、状態が悪くなってからは誰も面会に来ることもなく、このおばあさんは他の話をすることもない、人工呼吸器に繋がれた患者さんに囲まれて、ある夜、そっと息を引き取ったのです。
もう夜中の零時過ぎのことでしたが、看護師さんが家族とご連絡をとられると、そんなに時間をかけずして、十人ほどもやって来ました。なんと!このおばあさんには六人もお子さんがいらっしゃったのです。それだけでなく、実の兄や妹という方々もいらっしゃいました。てっきりわたしは、家族が同じ市内に住んでるでもなく、遠くにいて面会に来たくても来れないのだろうとばかり想像していたのです。
けれどもそうではなく……みんながみんな、おばあさんのことを取り囲み、「おふくろ」、「お母さん」と言って泣いていました。それはもう物凄い涙の嵐でした。わたしはその時、棚のおばあさんの持ち物などを整理していたのですが、「今こんなに泣くのなら、せめてもう少し前、生きている頃に面会に来てくれてたら……」と、心の中でつい思ってしまいました。
でも、家族の絆というのは強固なものです。その中の長女の方が、わたしに向き直ると泣きながらこうおっしゃいました。
本当はもっと面会に来たかったけれども、そうできない事情があったことや、また認知症がすすみ、自分たちのことがわからない母親と会うのがつらかったこと、状態が悪くなってからは、面会に来ても自分たちに出来ることがあるわけでもないのに、ずっと寄り添っていることが苦しかったことなど……その時の御家族の方の様子から、このおばあさんが家族の誰からも本当に心から愛されていたことが痛いほどよくわかりました。他人のわたしが介護の最後のほうをちょっと見たくらいで、とやかく言っていい筋のことではまったくなかったのです……。
なんにしても、こうしたことが一度あったものですから、我がD棟の入所者さんたちに対しても、家族のことではそれぞれ御事情があるのだろうと想像するばかりなのですが、それにしてもわたしがここへやって来てから一度も御家族の姿をお見かけしないというのは……やはりよほどの深い事情があるということなのでしょうか。
十三人いる患者さんの中で、認知症がかなり重い患者さんがふたりいます。ほとんど目を離せませんので、ナースステーションのそばに部屋のほうを置いています。ひとりはNさんという女性の方で、幻覚が見えてはその相手に挨拶したり、またいつでも「自分の家へ帰らなくちゃ!」と言ってばかりいて、逃亡のおそれがありますので、とても注意が必要です。
話すことは、元いた家の庭のことや(庭の手入れをしなくちゃいけないから、家に帰らなくちゃ!)、あるいは自分の幼少時代の家族のことです(つまり、この「家」というのはNさんが小さい頃に家族と暮らしていた今はない家のことなのです)。Nさんは結婚してお子さんがふたりいらっしゃるのですが、旦那さんは亡くなっておられます。この旦那さんというのが、なかなか厳しく難しい方だったようで……酒も煙草もやらない公務員の真面目な方で、お給料もきちんと家に入れ、奥さんや子供さんに暴力をふるうということもなかったそうですが、娘さんの話によると「父は母を精神的に虐待していました」ということでした。うまく言えませんが、ネチネチした性格の方だったらしく、そうしたやり口でNさんのことを精神的に支配しているような、そうした結婚生活を三十五年くらい送ったのちに、旦那さんが癌で亡くなったそうです。娘さんふたりは、このことを喜びました。何故といって、ふたりとも父親のことがあまり好きではなく、お母さんのことを可哀想だと思って長く一緒に暮らしていたからです。おふたりともすでに結婚されて家を出ておられますが、父親が死んだことで、これからはお母さんに親孝行できると喜んでいたそうです。
ところが、癌で亡くなった父親に最後までネチネチいびられ続けたNさんは、この旦那さんが亡くなるのと同時に認知症を発症してしまいました。姉妹ともに経済的にはゆとりのある家庭だそうですが、色々と事情があって引き取ることは出来ないとのことで、それならせめて出来るだけ質の高い介護をしてくれる場所をと思い、場所は離れているけれども、ここのロンシュタット老人村へ入所できるよう取り計らったとのことです。
Nさんは毎日、自分の六人兄弟の中で特に仲の良かった姉や妹のことを繰り返し話します(いつも同じ話です)。何度同じことを話されても、当然辛抱強く聞かなくてはなりませんし、実はNさんの中で一番問題なのはこの点ではないのです……夕方から夜中にかけて突然性格が豹変することがあり、その変わり方たるや驚くべきほどのものです。昼間は「だからね、わたし、お姉ちゃんに言ってあげたの。そんなことしちゃ駄目なのよって!」と、子供のように無邪気に話すNさんなのですが、性格が豹変すると、「おまえら、わたしをこんなところへ閉じ込めて殺すつもりなんだろ、ええ!?」と言ったように、かなり厳しい口調で話し、顔つきも昼間とはまるで別人のようになるのです。一度こうなると宥めるのが大変ですし、大抵そうなるのが夕方から夜なもので、そうなると夜勤の介護員はつきっきりで宥め続けなくてはなりません。「おまえら、わたしのような頭のおかしい老人を閉じ込めてどうしようってんだい!?わたしにはわかってるよっ。わたしのようないらなくなった老人を連れてきて、最後には殺しちまうんだ。それでおまえらは金をもらっている。なんていう邪悪な計画だ。なんて邪悪な連中だろうっ。ええ、それで一体いつわたしを殺すつもりなんだい?まさか今夜かい!?」といった、こうした話を何度もしつこいくらい、興奮して話すのです……。
十三人の老人すべてが何事もなく休んでいてくださると、わたしたち職員も少しばかり休みつつ休憩室で安心して過ごせるのですが、一度こういうことがあると、他の部屋の入所者さんも起きてきて、「あのババアを黙らせろ」とか「眠れやしない」といって苦情も出てきますし、何かと大変なのです(言い忘れていましたが、みなさん個室で過ごしておられます)。
ところが、この嵐が過ぎ去ってみると、「まあ、マリーちゃんおはよう」とまた優しく挨拶してきたり、「いつも優しくしてくれてありがとうねえ」と言ったり、「こんなに幸せなことを神さまに感謝しなくっちゃ」とおっしゃったりするのですから驚きです!!まるでNさんの中にふたつの人格が――それも天使と悪魔とが――同居しているかのようではありませんか。
何より、Nさんのことで痛ましいのは、彼女が結婚したことも、旦那さんがいたことも、子供さんがふたりいらしたことも、記憶の中から抹殺してしまっているということかもしれません。それだけ結婚生活が苦しくつらいものだったから、その部分の記憶は消してしまって、唯一幸福だった子供時代を生きている……Nさんのことを診ている精神科医の先生はそうおっしゃっておいででした。
さて、もうひとりの認知症がかなり進んでいる患者さんもまた女性で、Fさんとおっしゃいます。Fさんは実はご夫婦で入居されたのですが、今旦那さんはE棟のほうにいらっしゃいます。最初はふたりでE棟のほうに入っていたのですが、Fさんの認知症のほうがどんどん重くなるにつれて、一緒にいるのが苦痛になったようです。
こういう言い方はどうかとは思うのですが、Fさんの旦那さんはある大学の教授をしていた方で、Fさん御自身もまた中学で教師をされていた方だったようです。ようするに、ふたりともいわゆるインテリなのですね。ですが、おふたりがここへ来る前に、介護のことでは家族のことを苦しめに苦しめてからここへ入所することになったという経緯があるらしく……御家族が誰も見舞いに来ないのはそうしたせいではないかとのことでした。
わたしもFさんの旦那さんとは、リハビリセンターのほうでリハビリのお手伝いの時に何度かお会いしたことがあるだけですが、なかなかに高圧的で厳しい雰囲気の方であるようにお見受けました。その旦那さんのことを心から尊敬し、寄り添うようにFさんは支えてきたとのことですが、今はもう場面場面でまったく違うことを話しますし、つい先ほど話したことを覚えておられませんし、「ここへ座ってください」と言ってもこちらの話をまるで聞いてくれなかったりと、なかなかおつきあいの難しい患者さんです。
時々、認知症の患者さんについて、「もうボケているのだから何もわかるまい」とおっしゃる方がいますが、そんなことはないのです。普段はそんな状態でも、ある瞬間にまるで真理でも悟ったようにはっきりしたことを(それも的を射たことを)おっしゃることがありますし、先日、わたしが遭遇したFさんもそんな感じでした。
その日によって自分が担当する患者さんは変わるのですが、その日担当だった看護師さんがとうとう――「もういいかげんにしてよ!」と叫んでFさんの部屋から出て来たのです。たまたまナースステーションにはわたししかいなかったものですから、そちらへ向かってみますと、あの、ようするに自分でした糞(ふん)をですね、壁に向かって投げているところだったのです。
「Fさんったら、自分でしたこれをね、わたしがしたものじゃない、誰かがここへ持ってきて置いたんだなんて言うのよ!」
もちろん、それはFさん自身がしたものなのです。けれども、Fさんは「わたしのせいにしないで!なんでもかんでもわたしのせいにして!!」と言って、泣きじゃくっていました。その上、「みんなわたしのことを嫌ってる。なんにも悪いことなんかしてないのに、夫もわたしを嫌って隔離した」と言って、わあわあ泣きだされたのです……。
普段、Fさんは旦那さんのことを話す時、教授の夫のことを尊敬しているとか、離れているのはお互いに刺激が必要だからで、もう愛しあっていないからではないとか、そんなふうに話されます。けれど、時折こうした本音がやはりポロリと洩れることがあり、そういう瞬間に遭遇するたび、わたしたちもFさんに対する接し方を変えなくてはならないと考えさせられるのです。
実際、職員は誰もFさんのことを好いてはおらず、多額のお金を支払ってここにいる以上、それに見合うことをしなくてはという、義務として、仕事として仕方なくFさんと接しているという感じだったのです。一緒に話していても、会話がしょっちゅう色々飛びますもので、話していて面白いこともないというところがありますし、なかなかこちらが「~~してください」という簡単なこともそのとおりにしてくれませんし、一緒にいてもただ無駄に精神的に疲れるだけ……という感じなのです。
わたしも、Nさんに対してもFさんに対しても、アガペーの愛ということをしょっちゅう思わされます……主よ、どうかお助けくださいといったことを祈っていなくては、おふたりのお世話をし続けるというのはなかなか難しいと感じることが多いからです。
今回は十三名の患者のうち、NさんとFさんのことを御紹介しました。最初は何人か書くつもりでいましたのに、すっかりお話が長くなってしまいましたので――次の手紙では再び他の患者さんのことについて書くことにしますね。
それではまた近いうちに……。
マリーより。
>>敬愛する院長さま。
K氏は、つきあうのにとても骨の折れる入所者だと、職員みんなからそのように思われています。
わたしも、こちらのD棟へ来た時に、「この子をK氏の元に放つのは危険だ」とか「コブラの元にうさぎを送るようなもんだ」と言われたものですが、今では何故そんなふうに言われたのか、その理由についてもわかっています。
K氏は脳梗塞で左半身麻痺になったのですが、それでも動く右手のほうで絶えずセクハラの対象を探してばかりいますもので、特に女性の職員からは警戒されています。また、「おっぱいを見せてくれたら一万ドルやろう」とか、「揉ませてくれたらさらに一万ドルだ」だの、そんな話ばかりしかしないそうです。また、男性の職員には実にぞんざいで、いつも小さなことで文句ばかり言っているそうです。
「大金を払ってる分に見合うだけの介護をしてもらってるとはとても言えんな」とか、「野郎どもに風呂へ入れられて体を拭いてもらっても嬉しくもなんともない」とか、「こんなまずいメシを作ったシェフを呼べ」だの、とにかく、雨が降ったら雨のことで文句を言い、晴れたら晴れたでやはりそのことで文句を並べるといった感じの人物らしいのです。
何故わたしがまるで他人事のように「らしい」などと言っているかと申しますと、わたしがK氏の担当になった時に御用伺いにいってみますと、セクハラのセの字も見当たらなかったからなんです。態度のほうも実に紳士的で、「べつに何もしなくていいから、ただ一緒にテレビでも見て楽をしなさい」みたいなことしか言われないのです。わたしのほうでもそれでは申し訳ないので、御用がないのであれば、他の入所者さんのところへも行かなくてはなりませんので……というと、何か急に思いついたように、「それなら売店へ行ってジュースを買ってきなさい」とか、そんなことしか言われないのでした。
このことを他の職員たちに話しますと、「不気味だ」、「絶対何かあるぞ」ということだったのですが、その後何日してもKさんの態度はまるで実の娘に対するかのようにあたたかいもので、わたしとしては心苦しくなるようなことさえあったものです(何故なら、面倒な用事は他の職員に押しつけて、わたしには楽な用事しか申しつけるということがなかったからなんです)。
そのことをわたし自身不思議に思いながらも、「何故わたしにはセクハラしないのですか」と聞くのもおかしな話ですし、「楽な用事ばかりでなく、もっと面倒なこともおっしゃってくださって結構です」と自分から言うのも……何か変な気がして、なかなか言い出せずにいましたところ、ある日、お風呂へ入れてもらって屈強な介護員ふたりにベッドへ運んでもらうと、K氏はわたしに背中に枕を入れたりするのを手伝わせたあと、わたしの手を右手でしっかと握って言いました。
「ふふん、いいだろう。おまえらも金があったらな、将来こういう馬鹿みたいに金のかかる施設に入ってみるがいい。女の柔肌に触るくらいしか何も楽しみなんぞないということが、よくわかることだろう」
職員のJとVは軽蔑したようにK氏のピンク色に上気した顔と、わたしの手を握る右手とを眺め、なんとも答えませんでした。一応JとVについて弁解しておきますと、ふたりとも普段はユーモアセンスがあって、仕事のほうも熱心にするタイプの介護員です。ただ、ふたりともあまり人の悪口を言うタイプの人たちでないのに、何故かK氏のことはとても嫌っていました。いつでも感謝の念というものがなく、性格が横暴だからだというのがその理由でした。
ところが、ふたりが浴場からK氏をのせてきたストレッチャーとともに去っていきますと、K氏はわたしの手を離してこう言ったのでした。
「ふん!馬鹿でもあるまいし、あいつらがわしのことをどう思っているかなど、最初から重々承知しておるわ。マリー、あんたもわしがしょうもないセクハラ親父だと聞いておるもんで、最初にここへ来た時には警戒しておったろうな。ふふん。何故わしがおまえさんのような別嬪を見てケツを触りもしないかだって?そりゃあなあ、わしには人を見る目っちゅうもんが備わっておるからな、こう見えても。看護師のBなんぞ、実に立派なおっぱいをしとる。じゃが、「今日もええおっぱいだのう」だの「ちょっと揉ませてくれんか」だの言ったところで、そんなもん社交辞令みたいなもんじゃろうが。わしだって、本当にそんな僥倖に出会えるなぞとは思っとらんし、向こうも四十を越えた人妻だからの。こんなエロいじじいの言うことなんぞ、適当にあしらう術をよう心得てるもんだて!」
このあと、冷蔵庫からジュースを一本取って飲ませてくれというので、冷蔵庫にあったすいかジュースをコップに入れて、K氏の前にテーブルをセットしました。
「うむうむ。ほんまにあんたは優しいのう。他の職員なんぞみな、目の端に軽蔑の色がたぎっておるからな、そうなるとこっちも面白くのうて、ますます態度がぞんざいになるっちゅうもんじゃ。じゃが、マリー、あんたは違う。こんなしょうもない評判のわしを先入観をもって見ず、実に親切じゃった。わしはな、こう見えて人を見る目があるんじゃ。だなんだら、事業で一財産築くこともなかったろうて。いくら宝くじで七百万ドル当たっておったからと言ってもな」
……K氏が唯一わたしにするセクハラに近いことといえば、「可愛ええのう、可愛ええのう。マリー、あんたは」と言って、わたしの手を握っては自分のほっぺのあたりに持っていくことくらいだったでしょうか。実際、このくらいならセクハラとも呼べない気がしますし、その様子を見ていたJやVが「あんなことはやめさせるべきだ!」とあとからいきりたったように言っても、わたしとしてはどうしていいかわかりません。
ふたりが言うには、「あの親父があんたの手を握りながら何を考えているかと思うとゾッとする」ということでしたが、わたしはそれは流石に考えすぎと思いますし、多くの職員に嫌われているKさんではありますが、わたし自身は親切にしていただいているせいもあり、そんなに嫌いということもありません。
……このあと、手紙のほうはまだ続いていたが、イーサンはここから手紙の内容を目でざっと追うということにした。何故といって、このあとマリーの手紙の内容はK氏のことから別の入所者のことに移っていってしまったからである。
イーサンとしては、このまま根気よく一通一通手紙を読んでいくよりも、まずは自分が真っ先に知りたいと思っていることを知りたかった。つまり、K氏こと、イーサンの実の父ケネス・マクフィールドが何故マリーに子供たちのことを任せようとしたのか、そのあたりのことを知りたかったのである。
イーサンは(速読法をマスターしておけばよかった)と思いつつ、指と目で<K氏>という文字を探し、とにかくまずは自分の父のことが書かれた手紙の文面を探すことにした。その中には、(まったく、しょうもない患者だな)とイーサン自身も恥かしくなる父ケネスの振るまいについて書き記された部分も多かったが、なんにしてもK氏はマリーにだけは何故か、動くほうの右手で尻のあたりを触るといったことだけはしなかったようなのである。
(そりゃそうだよな。じゃなきゃ、あんなどうしようもない親父の頼むことを、死の直前だからってまともに引き受けようとするはずなんかない)
そしてイーサンはようやく、マリーがこの屋敷へ来ることになったことについて書かれた手紙を見つけだしたのだった。
>>敬愛する院長さま。
例のK氏のことなのですが……病院の検査で膵臓癌が発見され、お医者さんの見立てとしては「長くもって半年」とのことでした。
すでにステージⅣとのことで、手術の適用にはならないそうです。本人はそう申告されてもまだあまり実感がなく、『わしは本当に死ぬんじゃろうかのう』と、何か他人事のようにぼんやりおっしゃっています。
また、K氏はD棟からホスピス棟のほうへ移動することなったのですが、『金ならいくらでも払うから自分の専属の介護員になって欲しい』と言われました。D棟の責任者である看護師長に聞いてみますと、「それじゃあホスピス棟のほうへ異動するっていうことになるわよ」と言われたのですが、ガンなどで亡くなりゆく人の看取りというのは大変難しいことですし、少し悩んでいます。
というのも、Kさんは一般的に言えば褒められた人柄ではないかもしれませんが、わたしにとっては大変良い方ですし、実際のところよく看護師さんや介護員に憎まれ口を聞いたりしていたとしても……根が大変小心な人なのです。また、自分の命が半年ないと聞いてからは、体が一回り縮んだかのように見えるくらい、落ち込んでもいるようで……以前に、お子さんが五人いらっしゃるということは一応聞いておりましたので、『一度連絡して来ていただいたらどうですか』と言ってみました。
『前にも子供らのことはマリーちゃんに言ったろうが。わしはこれまで父親らしいことひとつしたことがないし、そろそろ死にそうだからというので来てもらっても、これまでなんかコミュニケーションがあったわけでもないから、迷惑なだけじゃろうて。わしがあの子らに残してやれるのは唯一金だけじゃからな。まあ、それで父親らしくなかったことは勘弁してくれといったところかの。わしは自分の人生については一切後悔しとらん。十代で七百万ドルも金が当たってラッキーじゃったし、宝くじで大金が当たったその後、何故か家族に不幸が続いた……だのいうドキュメンタリーも見とったからな、まあ、そこらへんは慎重になったもんじゃわい。また、金で買える女がいくらでもおったから、結婚なんぞする気もなかった。じゃが、なんでかそんなことになって子供も生まれて……でもな、まだあの子らは小さい。そこでなあ、マリーちゃん……』
ここで、Kさんは少しもじもじしてからこう切り出しました。
『わしの財産を全部あんたに譲りたいと思っとる。それで、この子らをどうにかあんたに育ててほしいんじゃ。無理なお願いなのはわかっとるんだが、他に頼める人もおらんでなあ……』
この時、Kさんは途方に暮れたような顔をしていました。これまでにも、Kさんが介護員を自分のいいように操るのに何かの演技をするという場面は何度も見たことがありましたが、そういうのとはまるで違っていました。そこで、財産云々はどうでも良かったのですが、御家族のことをもっと聞いてみることにしたんです。
『一番上のお子さんと、二番目以降のお子さんとはかなり年が離れているんですよね?』
『お、おう。そうじゃった、そうじゃった。そこの棚のところに子供らの写真が入っとるアルバムがあるんじゃ。ちょっと取ってくれんかの』
わたしはそのアルバムを手にしますと、オーバーテーブルの上に広げて、Kさんと一緒に見ることにしました。
『これが長男のイーサンじゃ。なかなかわしに似なくていい男じゃろう。この頃はまだ十八、九だったかの。ユトレイシア大学へ進学することに決まっとったもんで、一応金出してくれてありがとう的な、そういう挨拶に会社のほうまでやって来たんじゃ。終始仏頂面をしとったが、わしの美人秘書があんまりいい男だもんでびっくりしてな、写真を撮ってわしにくれたんじゃよ』
『ユトレイシア大学だなんて、すごいですね。もうこれで長男さんの将来は約束されているといっていいのじゃないでしょうか』
『そうなんじゃ、そうなんじゃ』
Kさんは嬉しそうに顔をほころばせて言いました。息子さんのことがとても自慢なんだなって思いました。
『わしは金を出す以外何もしとらんのだがな、まあ、かえってそれが良かったのかもしれん。向こうは<こんなクソ親父>としか思っとらんじゃろうがな……なんにしても、今はもう二十一くらいになったかの。財産のほうはこの長男に一番多くいくことになるが……あんたさえ良ければな、わしは本当に財産をすべてあんたに譲りたいと思っとる。いやいや、最後まで聞いてくれ。なんでかっていうとな、長男のイーサンは聞いてのとおり見た目もよくて学歴もある。この上わしの財産を受け継ぐことがいいことなのかどうか、わしにはよくわからんのだて。わしだって、親戚の中には金をたかってくるような手合いの者もおったし、まあ、金っちゅうもんはあったらあったで余計な面倒が増えるもんじゃ。それよりは、あんたに財産の一切を譲って、他の四人の子らを育ててもらったほうが……』
『あの、遺言書のほうは今まで通り書き換えないでください。わたしなら……今のところお金に困ってるというわけでもありませんし、そのお話をもし引き受けるにしても、むしろお金をいただいてということでは、逆に引き受けかねます』
『そう言わんといてくれ、なっ、マリーちゃん。わしにはこの人生で芯から信頼できるような人間はあんたしかおらんのだから。ほら、こっちの子が次男のランディ。こっちが三男のロンじゃ。で、長女のココとこっちの赤ん坊のがミミちゃん。可愛いじゃろう?まあこれはもう三年くらい昔の写真だもんで、今はまたもっと大きくなっとるじゃろうがな……』
そう言って、Kさんはどこか遠くを見るような目をしていました。三年ほど前に脳梗塞で倒れてから、一度もお会いしてないということでしたが、それでも後悔しておられるのだろうなという気がしました。父親として、もっとああしてやれば良かった、こうしてやれば良かった……そんなふうに思っているような横顔でした。
『そんなわけでな、長男のイーサンはともかくとして、子供たちはまだ小さい。今は家政婦がこの子らの母親がわりみたいなことをやっとるようなんじゃが、細かいことはわしもよう知らんしな。じゃが、マリーちゃん、あんたがもしこの子らを育ててくれるって約束してさえくれたら……わしは安心して死ねるんじゃ。なっ、このとおりじゃ、マリーちゃん。この可哀想な年寄りにそう約束さえしてくれたらわしは楽に死ねる思て、約束したってくれんか?な?な?』
……もちろん、すぐにお返事なんて出来るお話じゃありませんから、このことはとりあえず一旦<保留>ということにしておきました。
院長さまはどうお思いになられますか?D棟での勤務についてはもう大分慣れましたが、ホスピスのほうへ移るとなった場合、また色々なことを一から勉強し直すということになると思います。
それではまた、近いうちにお便り致しますね。
マリーより。
>>敬愛する院長さまへ。
マリーはホスピスのほうへ移ることにしました。ホスピスのほうの看護師長様がセンター長であるコーネリアと話しあって、そのような形に進めてくださったのです。ただ、特定の患者のために異動するということではなく、あくまでも今までと同じようにどの患者さんとも平等に接するようにしてください、といったようには言われました。
こちらには、十四名ほどの患者さんが現在入室しておられて、わたしはまずは二週間ほどの間、研修を受けることになりました。何分、特殊な環境ですので、前もって学ぶべきことや、患者さんと接する時の注意点など……家に帰ってからもホスピスのことに関連した本などをたくさん読むようにしています。
そして、Kさんなのですが、今のところ食欲もありますし、疲れやすいという以外のことでは、今までとそんなに変化のない暮らしぶりかもしれません。何分、今までいたD棟とは雰囲気の違う病棟なものですから、前とは違いKさんも随分大人しくなりました。看護師さんたちにセクハラめいた発言もすっかりされなくなりましたし、「ありがたいことで……」とか「すみませんなあ」と言ってばかりいて、随分変わられたと思います。
それで、ですね……弁護士さんがKさんのところへ来ておられまして、わたしに財産を譲った場合の法的な諸手続きについてはこのウェリントン弁護士がしてくださるのことで、紹介されたのです。もちろん、『そんなことはやめてください』とは言いました。けれども、Kさんの意志は固いようで、『あんたがいくら反対しても、わしはこの遺言書を変えるつもりはないぞ』と言われてしまい……。
このあと、色々なことをたくさん話しあいました。わたしが全然知らないKさんの子供さんたちの暮らすお宅へ急に窺っても、そんなにうまくいくはずがないことや、財産を横取りしたというので、このお子さんたちに恨まれたりしたくないということなど……。
『子供たちにはそれぞれ、十分すぎるくらいの財産がある。そこからマリーちゃんに残したところで、あの子らも恨みはすまいよ。それに、相性が合わんようだったらな、その時はわしもあんたに無理してあの家にいてくれとまでは言わん。金のほうはな、養育料として受けとってくれということではないんじゃ。ただ、わしはこんな老人になって、死ぬ前にあんたみたいな人と会えて良かったと思うとる。じゃなかったら今ごろ、非常に惨めじゃったろうな。あんたはわしに金で買えんものをくれたんじゃ。そのかわりに目に見える金をやるというのは……実際そんなに大したことじゃろうかの?』
そう言われてもわたしには、『お金をいただくとしたら、お子さんたちの面倒は見れません』としか答えようがありませんでした。
院長さまもおっしゃってましたね。子育ての経験もないのに、四人ものまだ幼い――それも性格のほうもよく知らない――子供を育てるだなんて、そうしたことは神さまの御計画や御心といったことと離れたことではないか、と。
実際、マリーもそのとおりだと思っているのです、院長さま。けれど……これはわたしの想像ですが、何かの形で必ずKさんはわたしに財産を残そうとされるのではないでしょうか。そうなった場合、わたしは良心が痛むあまり、その子たちに会わずにはいられないと思います。そして、結局のところもしそうなるのなら……いえ、もう少ししっかり考えなくてはいけません。
それで、こちらのホスピスでの業務についてですが……
イーサンはここまで読むと、また他の、<K氏>の名前が出てくる手紙を探した。
そして、その途切れ途切れの情報を繋ぎ合わせると、『お金なんて残さないください』とマリーがいくら頼んだところで、父ケネスが財産を残さないというのはありえないことであり、結果としてマリーはお金を残された以上はマクフィールド家へ行かないわけにはいかないことになるだろう――というのが、マリーが我が家へやって来ることになった最初の動機であったことをイーサンは知ったのだった。
(そりゃそうだよな。というより、俺にしてもそのことをもっと早くに聞いてておかしくないはずなのに、なんでこんな大事なことを聞かずにいたんだろうな……)
そして、ケネス・マクフィールドはマリーが示した態度によって何度となく遺書のほうを書き換え、その度にウェリントン弁護士のことをホスピスのほうへ呼びだしていたようなのである。イーサンは今更ながら思いだしていた……ケネスの葬式の時の、ウェリントン弁護士のマリーに対する友好的な態度。あれはおそらくそういう意味だったのだろうと。
>>敬愛する院長さまへ。
昨日、Kさんが亡くなりました。
膵臓癌を宣告されて三か月後のことでした……驚くくらい安らかな最後で、ホスピスの看護師さんや介護員たちもとても驚いていました。Kさんは『わしは死ぬのは怖くないが、死ぬ前に痛みがあるのは怖い』と何度もおっしゃっていて、毎回、病室へ行くたびにそのことのお祈りをしていました。
ホスピスに移ってきてからは、毎週礼拝に参加されて、洗礼のほうも受けられました。わたしに何度も『本当にこれでわしは地獄へ行かず、天国へ行けるんじゃろうか』とおっしゃいますので、イエスさまのことさえ信じていたら大丈夫ですとお答えしておきました。
他の看護師さんや介護員も熱心なキリスト教徒が多いものですから、わたしだけではなく、誰もみな、Kさんの病室へ行くたびにお祈りしたり、一緒に聖書を読んだり……あのKさんがと院長さまも驚くかもしれませんが、亡くなった時には本当に、聖人さまのような清らかな顔をしておいででした。
それで……明日、お葬式ということになります。亡くなったのは夜八時くらいのことだったのですが、ウェリントン弁護士にお電話したところ、ご長男の方と連絡を取ってくださるということで、そちらのことはウェリントン弁護士にお任せすることに致しました。
例の子育ての件についてですが、もちろんわたしにも自信はありません。それでも、Kさんの死ぬ間際にそうお約束してしまった以上は、自分に出来ることは最大限行っていきたいと思っています。それでもし、神さまの御心となんの関係もないようでしたら、またそのあとのことはそのあとに考えることになるかと思っています……。
院長さま、マリーは今はただ、しるしを求めています。もちろんイエスさまはおっしゃいました。預言者ヨナに与えられたしるし以外は与えられないと……けれど、これまでもずっとわたしが「これで本当に正しいのでしょうか?」と祈る時には、いつでも神さまは何かのしるしを現してくださっていたのです。
院長さま、Kさんが亡くなったことで、まだわたしも心と思考のほうが乱れておりますので、また近いうちに必ずお便りすることをお約束致します……。
マリーより。
>>続く。
今回もまた、前回に続いてマリーの手紙の続き……といったところなのですが、聖書の引用箇所などでわかりにくいところを説明してみようかな~なんて最初は思っていたものの。。。
それはまた次回以降、前文に書くことなんもない……という時にでもしようかなって思ったり(^^;)
ええとですね、ようするに↓の本文が長いもので、あんましここの前文も長いのはどうかというか
そんでもって、マリーの手紙の中に出てくる患者さんのお話というのは、実はほぼ実話だったりします。。。
今回の文章の中に出てくる認知症のNさんやFさんの話も実際にあったことをほぼそのまんま書きました(^^;)
夕方から夜にかけて突然性格の豹変することのあるNさんですが、夜勤の時の記録などを見ると「○時ごろ、Nさんはまた不穏な状態になられ……」みたいに書き記されていたのを覚えています。つまり、このNさんのことで<不穏>と書かれていた場合、↓の状態のような、突然性格の豹変した状態のことをさすっていうことなんですよね。
そして、わたしがこのNさんのことで覚えているのは、帰宅願望があまりに強く、他の職員の方が夜勤していた時に突然いなくなり、あたりを探して見つけた時には氷で滑って(冬のことでした)怪我をしていたということと、その施設のほうで介護保険に入っていて、そうしたところから保障のお金が出ると知り――「そういう保険があるんだ~☆」と初めて知ったということだったでしょうか。
なんにしても、認知症の方で施設などに入所していて、帰宅願望が物凄く強いという方はきっともってとても多くいらっしゃるんじゃないかな、と思います(^^;)
それで、とにかくおっしゃるのは「自分の家が今どうなってるのかとにかく一目見たい」ということで、毎日同じことを繰り返し話されるもので、介護している職員の方は耳にタコが百万個ばかりも出来ることになるという。。。
Nさんの場合、夕方から夜にかけて<不穏>な状態になるとわかっているため、昼間はなるべく何かのことで活動させて、本人が眠そうでも昼寝などさせず、夜はぐっすり寝るようにさせる――ということになるのですが、わたしもNさんがまったく眠ってくれず、一晩中元気に「わたしを殺すつもりなんだろう、ええ!?」などと言われた時には心底参ったものでしたww
しかも、「わたしのようないらなくなった老人を集めてきては殺すつもりなんだっ。それでおまえらは金をもらっている。そういうシステムがもう出来あがってるんだっ。なんて邪悪な連中だろう!!」みたいに、興奮してしきりと話されるんですよね
そのう……わたしはただのそこの小さな介護施設の介護員で、週に3~4日程度夜勤するといったところだったのですが、お金をもらって仕事としておつきあいするだけでも大変なのに、24時間ずっと家庭のほうで介護されてる方は、本当に大変だなって思いました。。。
また、そうした御家庭で、家へ一歩足を踏み入れた段階で……お世話している家族の家の空気がもう<介護ノイローゼ>みたいになってる場合もあると思うんですよね。でもむしろご本人たちのほうで「自分たちはもう介護ノイローゼだ」ということに気づかず、「自分の親なのだから」と一生懸命介護されている方もおり……こうした場合、「あなた方はもう介護ノイローゼじゃないの。そろそろ施設に預けるか何かしたら?」なんて余計なことを言うわけにもいかず……介護っていうのは本当にケースバイケースで難しいものだなあということを思わされたものでした。
そんで、次にFさんですが、このおばあさん、わたしの夜勤時にオムツの上に御自身のう○にょ☆をのっけておられてですね……オムツ交換してる時に「これはわたしのじゃない。誰かがここへ置いてったの。なんでこんなことするのかしら」みたいにおっしゃるんですよね。
まあ、こっちも適当に話を合わせて「そうだよね。誰がこんなことしたんだろうね」みたいに言うわけですけど……これもまた、わたしがお金をもらってあくまで仕事として接しているから出来ることであって、これが自分の家族ということになると、話はまったく変わってくると思います(^^;)
↓に書いた他の認知症の方のケースのように、「家族だからこそそうした状態の父や母を見るのがつらい」という側面があって、介護の仕事をしている、したことがあるなんていうと、「じゃあ普通の人よりきっとうまく出来るわよね」みたいに周囲から期待されることがあるそうなんですけど……「むしろ自分の家族の介護のことではうまくいかなかった」っていう失敗談について話される看護師さんや介護員さんは多いんじゃないかな~って思ったりします
なんにしても、次回もまた↓の「マリーの手紙」の続きということで、よろしくお願いしますm(_ _)m
それではまた~!!
聖女マリー・ルイスの肖像-【44】-
>>敬愛する院長さまへ。
ひとつ前の手紙でお書きしましたとおり、マリーはこの度、約三年の間勤めた総合病院を退職し、ロンシュタットにあるリハビリセンターのほうへ移るということにしました。
もちろん言うまでもなく、大切なのは神さまの御心ですから、もしあのまま脳神経外科病棟にいるということが神さまの御心でしたら、わたしはあのままいたと思います……ただ、そちらのほうへ自分と一緒に移らないかと誘ってくださった看護師さんがいらっしゃって、祈った時に何か具体的に神さまからお答えがあったわけではないのですが、そちらへ移ることにしたのです。
院長さまにも御許可いただけて良かったと思っています。何分、今まで住んでいたところと比べますと、かなり田舎ということになりますので、なかなかちょうどいいアパートの物件などが見つからず、看護師さんとふたりで小さな家を一軒お借りすることにしました。
なんといっても家賃のほうがびっくりするくらい安いんです!やっぱり観光地ですから、観光シーズンが過ぎるとなかなか借り手もいないということで、冬の間放っておくと家のほうも傷みますし、身分のしっかりした方に住んでいただけるなら、家賃など安くても元など十分取れる……というのが、大家さんの考えのようです。
わたしをロンシュタットのほうに誘ってくださった看護師さんについてお訊ねでしたね。名前をコーネリア・ローズとおっしゃって、とても良い方です。でも、院長さまももしかしたら驚かれるかもしれませんが、これまで三年間同じ職場で働く間、それほど彼女とは親しかったというわけではありません。けれども、辞めるにあたって「あなたほどいい介護員は今まで見たこともない」とおっしゃって、少しびっくりしました。ミズ・ローズは看護師長さんの信任も厚く、看護師たちをまとめるリーダーのような立場の方でしたから、もともと特定の誰かと仲良くするというより、誰とでもある程度距離を取ってつかず離れずといった感じのする、少し厳しい印象の方でした。
けれども、ロンシュタットリハビリセンターでは彼女のことをセンターの新しい責任者として迎えるということでしたし、その際にあたって、何故かわたしにお声がけくださったのでした。また、わたし自身、脳梗塞でお倒れになった方が、ある程度回復したのち、他のリハビリ専門に特化した病院に転院されていくのを何度となく見ておりましたので、そちらのリハビリがどのような形でなされて回復するものなのかを学びたかったということも理由としてあります。
院長さまも、もともとそんなに親しくない看護師さんと一緒に暮らすだなんて心配だと思われるかもしれませんが、部屋のほうは下に四部屋、上に三部屋ありまして、お互い、下に一室ずつ、また上に寝室として一室ずつ完全なプライヴェートルームを取る他は、共同スペースということにしようと話しているところです。
わたしはもともとコーネリアのことを看護師としても一人の人間としても尊敬していましたし、一度打ち解けて話してみると、とても感じのいい女性でもあります。そして彼女のほうでも、わたしとならうまくやっていけるだろうと感じ、わたしもまた彼女とならおそらくうまくやっていけるだろうと感じることが大切なのだと思います。
では院長さま、またお引越ししましたら、新しい住所など、必ずお知らせ致します。
P.S.ロンシュタットのお土産を喜んでいただけたみたいで、よかったです。わたしからも、修道院のみなさんによろしく言っていたこと、何卒よろしくお伝えくださいませ。
>>敬愛する院長さまへ。
院長さま、リハビリセンターはなかなか大変なところです。マリーは毎日汗だくになって働いていますが、気難しい老人も多く、個別の対応ということでは脳神経外科病棟にいた頃のほうが楽なくらいだったかもしれません。
わたしがいるのはD棟と呼ばれるところで、暮らしておられるのは一般的な意味で「お金持ち」と言われる方々ばかりです。ですが、ご家族などが滅多に面会に来ない方がほとんどですし、いらっしゃるのはD棟全体でたったの十三人で、そう考えた場合数の対応としては楽ではあるはずなんです。と言いますのも、このお金持ちの御老人たちからたくさんのお金をいただいておりますので、前にいた一般病棟よりもひとりあたりにつく看護師・介護員の数は手厚いからなんです。
けれども、そのかわりに<個別性の対応>ということに非常に重点がおかれていまして、ありていに言えば、相手の言うことをよく聞き、その要望により密度の高い形で応えなくてはならない……ここで必要とされているのは、そうした形の医療といっていいと思います。
医療におけるホスピタリティという言葉は、以前より病院の研修などで聞いてはいましたが、それぞれが抱える病気・疾患を癒すための計画を立て、それを実行するのと平行して――個人個人の抱えるプライヴェートな部分を含んだニーズにより高い形で答えるということが大切なのだと思います。
こうした治療計画や、それぞれの患者さんの性格や趣味、好きなこと、これまでに生きてきた人生歴などについては、カルテを開けば、職員であれば誰でも読むことができますから、一応情報としては最初から、ある程度のことはわかっているつもりでした。
ですが、相手がゴルフが好きとか、脳梗塞になる前まではテニスが好きだったと知っても……わたし自身はゴルフなんてしたことないわけですし、話を合わせていくというのもなかなか難しく……わたしがここの職場に慣れるまでには、まだもう少し時間がかかりそうです。
モーセではありませんが、わたしはやはり口下手なのです、院長さま。先日、こちらの病院のほうでもセミナーのほうがありまして、喜び勇んで参加致しました。テーマのほうが「適切な患者とのコミュニケーション術」というもので、今のわたしになんともうってつけではありませんか……!
講師の先生のお話はとても興味深いもので、まず最初に、「看護・介護の姿勢」というお話がありました。
先生は、長く看護師を勤めてから看護学校で先生となられ、最近そちらを引退して故郷のロンシュタットへ帰って来られた方です。先生は最初に、「看護してあげる・看護する・看護させていただく」……この三つのうち、どの姿勢が一番正しいと思いますか、とおっしゃいました。
その質問を当てられたのはわたしではありませんでしたが、わたしも自分の心の中で(看護させていただくかな)と思っていました。ところが先生は、「看護して『あげる』というのは間違っているとわかりますね。そのような上から目線で患者さんと接してはいけないというのは、説明するまでもないでしょう。では、看護させていただくが正しいと思う方は?」と先生がおっしゃいますと、わたしを含め、たくさんの方が手をあげました。
ところが先生は、「『看護させていただく』というのは、一見正しいように見えるでしょう。実際、実の親に接するようにへりくだって患者とは接することが好ましい、もし出来るのならそれが理想だと思う方もいるかもしれません。けれども、わたしたちは看護のプロフェッショナルです。つまり、患者に対して変におもねったり必要以上に下手に出る必要はないのです。看護・介護のプロフェッショナルとしての自信と誇りを持ち、相手と正しい目線で視線を合わせ、対等な立場でいるというのは、大切なことです。もちろん、車椅子に乗っておられる方と話す時には、下から相手を見て話したりといったことは必要ですよ。けれども、看護の核、根底の部分としては『介護してあげる』でも『介護させていただく』でもなく、『介護する』という視点があるというのは、見逃されがちですが、実は非常に重要なことです」
……このお話は、わたしにとってとても大切なことでした。何故といってわたしは特にこれといって何か医療の資格を持っているわけではないというコンプレックスがありましたし、そのせいでというわけではありませんが、性格的なこともあり、いつでも患者さんに譲歩してその要望を聞くということが多かったからです。
この方法は今までのところずっとうまくいってきましたが、それでもしかし、です。むしろ変にへりくだってしまうことが場合によっては失礼になるということもありますし、お互いに遠慮しあうことで壁が出来てしまうということだってあります。院長さま、マリーはこれからはそうしたことも心に留めて、介護の仕事をして参りたいと思いました。
また他に、講師の先生は、患者さんのみならず、普段他の人ともコミュニケーションを取る時に、「すぐ家族の話ばかりしたり、なんの職業に就いているかとか、年はいくつなのかといったことを聞きたがる人というのは、コミュニケーションの下手な人です」とおっしゃいました。それから、「普段の生活の場でなら、初めて会った人にそうしたことを聞きたいとか、そうでもしないと間が持たないというのはわかりますよ。ですが、こうした医療の現場では、家族の話などしたくもない人もいますし、仕事は何をされていたんですかと聞くのも不躾です。では、どうしますか?」とお聞きになりました。
すると、ひとりの人が「天気の話をします」と言いました。先生は「それはいいですね」とおっしゃいました。「最近あったニュースで、これなら誰でも興味があるだろうということを話すのもひとつの手です。もちろん、患者さんの中にはかなりひねくれた人もいますから、常に必ず有効とは限りませんが」……ここでみんな、大笑いしました。何故といって、ここのリハビリセンターの職員であれば、誰しもが経験のあることだったからです。
それと、家族の話や仕事の話をしてはいけないということではなく――病室が家族の写真だらけで、「間違いなくこの人は家族の話をしたがっている」という場合は、写真を見ながら「この方はお孫さんですか?」と聞いたりするのは良いとのことでした。また、退職するまでの自分の仕事の話を繰り返ししたがる方もいますから、そうした方に仕事の話を振るというのはアリだそうです。
このあと、色々な意見がでたあとで、先生はまず「人とのコミュニケーションにおいて一番大切なことは何より、相手の話を聞くということです」とおっしゃいました。神さまは人間に口はひとつ、耳はふたつくださいましたが、それは自分でしゃべるよりも人の話をよく聞くようにと意図されてのことだとお話されてから、先生は「口から出される言葉だけが声ではありません。相手が何を望み、どんなことを言われたいと感じているか、どんなことを聞いて欲しいかということは、耳を澄ましてよく聞くなら見えてくるはずだ」と。
とはいえ、これはなかなか難しいことです。先生御自身も自分の過去の失敗談を引き合いにだして、お笑いになっていました。患者さんとコミュニケーションを取るのに、相手の肩や体のどこかに触れて話すのは大切である……といったように学校で習ったので、なかなか心を開いてくれない患者さんにいつもそうしていたところ、その患者さんは「自分の体に触れられることが大嫌いな」患者さんだったそうです(笑)。
ですから、ケースバイケースであるとはいえ、人はやはり基本的には誰かとコミュニケーションをはかることで幸せになりたいものですし、それが一番のストレス解消ともなりますから、患者さん当人の健康のためにも、良いコミュニケーションの方向へ導くことは大切だとの、そうしたお話でした。
何か当たり前のことのようにも聞こえますけれども、先生がいくつも身近なたとえ、過去に経験されたことを引き合いに出してお話されるので、笑いの絶えない、とても楽しいひと時となりました……それでは院長さま、次の手紙ではここの施設の十三人の患者ついて何かお書きしたいと思っています。
マリーより。
>>敬愛する院長さまへ。
コーネリアとうまく暮らせているかどうかと御心配されておいででしたね。その点については今のところ、特に問題はありません。というよりむしろ、最初に思っていた以上にうまくいっていると思います。
わたしとコーネリアは働いているセクションは違いますが、朝は一緒に出勤していきます。何分彼女はすでにセンター長様ですからね!わたしと違って夜勤はありませんが、そういう時にも車で送ってくださいますし、家事もしっかり分担して、そんなことで喧嘩にならないようにとお互い気を遣っているほうだと思います(ちなみに、コーネリアはとても料理が上手です)。
先日、コーネリアが「あなたに愛情を注ぐのは、誰も苦労しないでしょうね」と出勤途中に車の中で言いましたので、「わたしもあなたに愛情を注ぐのに、あまり苦労を感じないわ」と答えておきました……わたしたちはお互い、とても個人主義なのです。わたしは彼女が自分で話すのでない限り、彼女の過去について聞いたことはありませんし、それはコーネリアのほうでも同じでした。
ただ、彼女はあんなに綺麗なのに、男性を一切寄りつかせないのは何故なのだろうとは、なんとなく思ってはいましたが(これは彼女のほうでもまったく同じことを感じていたそうです)、親から受けた虐待が原因で、結婚など絶対にしたくない、自立した女性としてしっかり歩んでいきたいという思いが強かったと、一度話してくれたことがあります。
「だって、そうでしょう?病院なんて場所で長く働いていたら、子供なんて生んでも自分の老後の面倒を見てくれるとは限らないっていう例を、嫌というほど目にしてしまいますものね」
実際、そのとおりです!おそらく、我がD棟を見学しにきた第三者機関の方がいらっしゃったとしたら、「お金はあるのに老後はこんなところに住んで職員に愚痴を言うか、怒鳴ってばかりいる。しかも家族はほとんど面会にも来ない。惨めなことだ」と思うかもしれません。けれども、わたしも前の病院で経験したことですが、家族がたくさんいることと、老後の生活の充実というのは別のことである……といったケースは本当に多いですので、うちの施設が特例中の特例というわけでもありません。
脳神経外科病棟にいた頃、こんなことがありました。入院当初はそれでもひとりかふたり、家族の面会があり、その後状態が悪くなって寝たきりとなり、意識もなくなった患者さんがいました。入院当時からかなり認知症のほうが進んでいたのですが、それでもまだその時は意識もありましたから、お話もできたのです。けれども、状態が悪くなってからは誰も面会に来ることもなく、このおばあさんは他の話をすることもない、人工呼吸器に繋がれた患者さんに囲まれて、ある夜、そっと息を引き取ったのです。
もう夜中の零時過ぎのことでしたが、看護師さんが家族とご連絡をとられると、そんなに時間をかけずして、十人ほどもやって来ました。なんと!このおばあさんには六人もお子さんがいらっしゃったのです。それだけでなく、実の兄や妹という方々もいらっしゃいました。てっきりわたしは、家族が同じ市内に住んでるでもなく、遠くにいて面会に来たくても来れないのだろうとばかり想像していたのです。
けれどもそうではなく……みんながみんな、おばあさんのことを取り囲み、「おふくろ」、「お母さん」と言って泣いていました。それはもう物凄い涙の嵐でした。わたしはその時、棚のおばあさんの持ち物などを整理していたのですが、「今こんなに泣くのなら、せめてもう少し前、生きている頃に面会に来てくれてたら……」と、心の中でつい思ってしまいました。
でも、家族の絆というのは強固なものです。その中の長女の方が、わたしに向き直ると泣きながらこうおっしゃいました。
本当はもっと面会に来たかったけれども、そうできない事情があったことや、また認知症がすすみ、自分たちのことがわからない母親と会うのがつらかったこと、状態が悪くなってからは、面会に来ても自分たちに出来ることがあるわけでもないのに、ずっと寄り添っていることが苦しかったことなど……その時の御家族の方の様子から、このおばあさんが家族の誰からも本当に心から愛されていたことが痛いほどよくわかりました。他人のわたしが介護の最後のほうをちょっと見たくらいで、とやかく言っていい筋のことではまったくなかったのです……。
なんにしても、こうしたことが一度あったものですから、我がD棟の入所者さんたちに対しても、家族のことではそれぞれ御事情があるのだろうと想像するばかりなのですが、それにしてもわたしがここへやって来てから一度も御家族の姿をお見かけしないというのは……やはりよほどの深い事情があるということなのでしょうか。
十三人いる患者さんの中で、認知症がかなり重い患者さんがふたりいます。ほとんど目を離せませんので、ナースステーションのそばに部屋のほうを置いています。ひとりはNさんという女性の方で、幻覚が見えてはその相手に挨拶したり、またいつでも「自分の家へ帰らなくちゃ!」と言ってばかりいて、逃亡のおそれがありますので、とても注意が必要です。
話すことは、元いた家の庭のことや(庭の手入れをしなくちゃいけないから、家に帰らなくちゃ!)、あるいは自分の幼少時代の家族のことです(つまり、この「家」というのはNさんが小さい頃に家族と暮らしていた今はない家のことなのです)。Nさんは結婚してお子さんがふたりいらっしゃるのですが、旦那さんは亡くなっておられます。この旦那さんというのが、なかなか厳しく難しい方だったようで……酒も煙草もやらない公務員の真面目な方で、お給料もきちんと家に入れ、奥さんや子供さんに暴力をふるうということもなかったそうですが、娘さんの話によると「父は母を精神的に虐待していました」ということでした。うまく言えませんが、ネチネチした性格の方だったらしく、そうしたやり口でNさんのことを精神的に支配しているような、そうした結婚生活を三十五年くらい送ったのちに、旦那さんが癌で亡くなったそうです。娘さんふたりは、このことを喜びました。何故といって、ふたりとも父親のことがあまり好きではなく、お母さんのことを可哀想だと思って長く一緒に暮らしていたからです。おふたりともすでに結婚されて家を出ておられますが、父親が死んだことで、これからはお母さんに親孝行できると喜んでいたそうです。
ところが、癌で亡くなった父親に最後までネチネチいびられ続けたNさんは、この旦那さんが亡くなるのと同時に認知症を発症してしまいました。姉妹ともに経済的にはゆとりのある家庭だそうですが、色々と事情があって引き取ることは出来ないとのことで、それならせめて出来るだけ質の高い介護をしてくれる場所をと思い、場所は離れているけれども、ここのロンシュタット老人村へ入所できるよう取り計らったとのことです。
Nさんは毎日、自分の六人兄弟の中で特に仲の良かった姉や妹のことを繰り返し話します(いつも同じ話です)。何度同じことを話されても、当然辛抱強く聞かなくてはなりませんし、実はNさんの中で一番問題なのはこの点ではないのです……夕方から夜中にかけて突然性格が豹変することがあり、その変わり方たるや驚くべきほどのものです。昼間は「だからね、わたし、お姉ちゃんに言ってあげたの。そんなことしちゃ駄目なのよって!」と、子供のように無邪気に話すNさんなのですが、性格が豹変すると、「おまえら、わたしをこんなところへ閉じ込めて殺すつもりなんだろ、ええ!?」と言ったように、かなり厳しい口調で話し、顔つきも昼間とはまるで別人のようになるのです。一度こうなると宥めるのが大変ですし、大抵そうなるのが夕方から夜なもので、そうなると夜勤の介護員はつきっきりで宥め続けなくてはなりません。「おまえら、わたしのような頭のおかしい老人を閉じ込めてどうしようってんだい!?わたしにはわかってるよっ。わたしのようないらなくなった老人を連れてきて、最後には殺しちまうんだ。それでおまえらは金をもらっている。なんていう邪悪な計画だ。なんて邪悪な連中だろうっ。ええ、それで一体いつわたしを殺すつもりなんだい?まさか今夜かい!?」といった、こうした話を何度もしつこいくらい、興奮して話すのです……。
十三人の老人すべてが何事もなく休んでいてくださると、わたしたち職員も少しばかり休みつつ休憩室で安心して過ごせるのですが、一度こういうことがあると、他の部屋の入所者さんも起きてきて、「あのババアを黙らせろ」とか「眠れやしない」といって苦情も出てきますし、何かと大変なのです(言い忘れていましたが、みなさん個室で過ごしておられます)。
ところが、この嵐が過ぎ去ってみると、「まあ、マリーちゃんおはよう」とまた優しく挨拶してきたり、「いつも優しくしてくれてありがとうねえ」と言ったり、「こんなに幸せなことを神さまに感謝しなくっちゃ」とおっしゃったりするのですから驚きです!!まるでNさんの中にふたつの人格が――それも天使と悪魔とが――同居しているかのようではありませんか。
何より、Nさんのことで痛ましいのは、彼女が結婚したことも、旦那さんがいたことも、子供さんがふたりいらしたことも、記憶の中から抹殺してしまっているということかもしれません。それだけ結婚生活が苦しくつらいものだったから、その部分の記憶は消してしまって、唯一幸福だった子供時代を生きている……Nさんのことを診ている精神科医の先生はそうおっしゃっておいででした。
さて、もうひとりの認知症がかなり進んでいる患者さんもまた女性で、Fさんとおっしゃいます。Fさんは実はご夫婦で入居されたのですが、今旦那さんはE棟のほうにいらっしゃいます。最初はふたりでE棟のほうに入っていたのですが、Fさんの認知症のほうがどんどん重くなるにつれて、一緒にいるのが苦痛になったようです。
こういう言い方はどうかとは思うのですが、Fさんの旦那さんはある大学の教授をしていた方で、Fさん御自身もまた中学で教師をされていた方だったようです。ようするに、ふたりともいわゆるインテリなのですね。ですが、おふたりがここへ来る前に、介護のことでは家族のことを苦しめに苦しめてからここへ入所することになったという経緯があるらしく……御家族が誰も見舞いに来ないのはそうしたせいではないかとのことでした。
わたしもFさんの旦那さんとは、リハビリセンターのほうでリハビリのお手伝いの時に何度かお会いしたことがあるだけですが、なかなかに高圧的で厳しい雰囲気の方であるようにお見受けました。その旦那さんのことを心から尊敬し、寄り添うようにFさんは支えてきたとのことですが、今はもう場面場面でまったく違うことを話しますし、つい先ほど話したことを覚えておられませんし、「ここへ座ってください」と言ってもこちらの話をまるで聞いてくれなかったりと、なかなかおつきあいの難しい患者さんです。
時々、認知症の患者さんについて、「もうボケているのだから何もわかるまい」とおっしゃる方がいますが、そんなことはないのです。普段はそんな状態でも、ある瞬間にまるで真理でも悟ったようにはっきりしたことを(それも的を射たことを)おっしゃることがありますし、先日、わたしが遭遇したFさんもそんな感じでした。
その日によって自分が担当する患者さんは変わるのですが、その日担当だった看護師さんがとうとう――「もういいかげんにしてよ!」と叫んでFさんの部屋から出て来たのです。たまたまナースステーションにはわたししかいなかったものですから、そちらへ向かってみますと、あの、ようするに自分でした糞(ふん)をですね、壁に向かって投げているところだったのです。
「Fさんったら、自分でしたこれをね、わたしがしたものじゃない、誰かがここへ持ってきて置いたんだなんて言うのよ!」
もちろん、それはFさん自身がしたものなのです。けれども、Fさんは「わたしのせいにしないで!なんでもかんでもわたしのせいにして!!」と言って、泣きじゃくっていました。その上、「みんなわたしのことを嫌ってる。なんにも悪いことなんかしてないのに、夫もわたしを嫌って隔離した」と言って、わあわあ泣きだされたのです……。
普段、Fさんは旦那さんのことを話す時、教授の夫のことを尊敬しているとか、離れているのはお互いに刺激が必要だからで、もう愛しあっていないからではないとか、そんなふうに話されます。けれど、時折こうした本音がやはりポロリと洩れることがあり、そういう瞬間に遭遇するたび、わたしたちもFさんに対する接し方を変えなくてはならないと考えさせられるのです。
実際、職員は誰もFさんのことを好いてはおらず、多額のお金を支払ってここにいる以上、それに見合うことをしなくてはという、義務として、仕事として仕方なくFさんと接しているという感じだったのです。一緒に話していても、会話がしょっちゅう色々飛びますもので、話していて面白いこともないというところがありますし、なかなかこちらが「~~してください」という簡単なこともそのとおりにしてくれませんし、一緒にいてもただ無駄に精神的に疲れるだけ……という感じなのです。
わたしも、Nさんに対してもFさんに対しても、アガペーの愛ということをしょっちゅう思わされます……主よ、どうかお助けくださいといったことを祈っていなくては、おふたりのお世話をし続けるというのはなかなか難しいと感じることが多いからです。
今回は十三名の患者のうち、NさんとFさんのことを御紹介しました。最初は何人か書くつもりでいましたのに、すっかりお話が長くなってしまいましたので――次の手紙では再び他の患者さんのことについて書くことにしますね。
それではまた近いうちに……。
マリーより。
>>敬愛する院長さま。
K氏は、つきあうのにとても骨の折れる入所者だと、職員みんなからそのように思われています。
わたしも、こちらのD棟へ来た時に、「この子をK氏の元に放つのは危険だ」とか「コブラの元にうさぎを送るようなもんだ」と言われたものですが、今では何故そんなふうに言われたのか、その理由についてもわかっています。
K氏は脳梗塞で左半身麻痺になったのですが、それでも動く右手のほうで絶えずセクハラの対象を探してばかりいますもので、特に女性の職員からは警戒されています。また、「おっぱいを見せてくれたら一万ドルやろう」とか、「揉ませてくれたらさらに一万ドルだ」だの、そんな話ばかりしかしないそうです。また、男性の職員には実にぞんざいで、いつも小さなことで文句ばかり言っているそうです。
「大金を払ってる分に見合うだけの介護をしてもらってるとはとても言えんな」とか、「野郎どもに風呂へ入れられて体を拭いてもらっても嬉しくもなんともない」とか、「こんなまずいメシを作ったシェフを呼べ」だの、とにかく、雨が降ったら雨のことで文句を言い、晴れたら晴れたでやはりそのことで文句を並べるといった感じの人物らしいのです。
何故わたしがまるで他人事のように「らしい」などと言っているかと申しますと、わたしがK氏の担当になった時に御用伺いにいってみますと、セクハラのセの字も見当たらなかったからなんです。態度のほうも実に紳士的で、「べつに何もしなくていいから、ただ一緒にテレビでも見て楽をしなさい」みたいなことしか言われないのです。わたしのほうでもそれでは申し訳ないので、御用がないのであれば、他の入所者さんのところへも行かなくてはなりませんので……というと、何か急に思いついたように、「それなら売店へ行ってジュースを買ってきなさい」とか、そんなことしか言われないのでした。
このことを他の職員たちに話しますと、「不気味だ」、「絶対何かあるぞ」ということだったのですが、その後何日してもKさんの態度はまるで実の娘に対するかのようにあたたかいもので、わたしとしては心苦しくなるようなことさえあったものです(何故なら、面倒な用事は他の職員に押しつけて、わたしには楽な用事しか申しつけるということがなかったからなんです)。
そのことをわたし自身不思議に思いながらも、「何故わたしにはセクハラしないのですか」と聞くのもおかしな話ですし、「楽な用事ばかりでなく、もっと面倒なこともおっしゃってくださって結構です」と自分から言うのも……何か変な気がして、なかなか言い出せずにいましたところ、ある日、お風呂へ入れてもらって屈強な介護員ふたりにベッドへ運んでもらうと、K氏はわたしに背中に枕を入れたりするのを手伝わせたあと、わたしの手を右手でしっかと握って言いました。
「ふふん、いいだろう。おまえらも金があったらな、将来こういう馬鹿みたいに金のかかる施設に入ってみるがいい。女の柔肌に触るくらいしか何も楽しみなんぞないということが、よくわかることだろう」
職員のJとVは軽蔑したようにK氏のピンク色に上気した顔と、わたしの手を握る右手とを眺め、なんとも答えませんでした。一応JとVについて弁解しておきますと、ふたりとも普段はユーモアセンスがあって、仕事のほうも熱心にするタイプの介護員です。ただ、ふたりともあまり人の悪口を言うタイプの人たちでないのに、何故かK氏のことはとても嫌っていました。いつでも感謝の念というものがなく、性格が横暴だからだというのがその理由でした。
ところが、ふたりが浴場からK氏をのせてきたストレッチャーとともに去っていきますと、K氏はわたしの手を離してこう言ったのでした。
「ふん!馬鹿でもあるまいし、あいつらがわしのことをどう思っているかなど、最初から重々承知しておるわ。マリー、あんたもわしがしょうもないセクハラ親父だと聞いておるもんで、最初にここへ来た時には警戒しておったろうな。ふふん。何故わしがおまえさんのような別嬪を見てケツを触りもしないかだって?そりゃあなあ、わしには人を見る目っちゅうもんが備わっておるからな、こう見えても。看護師のBなんぞ、実に立派なおっぱいをしとる。じゃが、「今日もええおっぱいだのう」だの「ちょっと揉ませてくれんか」だの言ったところで、そんなもん社交辞令みたいなもんじゃろうが。わしだって、本当にそんな僥倖に出会えるなぞとは思っとらんし、向こうも四十を越えた人妻だからの。こんなエロいじじいの言うことなんぞ、適当にあしらう術をよう心得てるもんだて!」
このあと、冷蔵庫からジュースを一本取って飲ませてくれというので、冷蔵庫にあったすいかジュースをコップに入れて、K氏の前にテーブルをセットしました。
「うむうむ。ほんまにあんたは優しいのう。他の職員なんぞみな、目の端に軽蔑の色がたぎっておるからな、そうなるとこっちも面白くのうて、ますます態度がぞんざいになるっちゅうもんじゃ。じゃが、マリー、あんたは違う。こんなしょうもない評判のわしを先入観をもって見ず、実に親切じゃった。わしはな、こう見えて人を見る目があるんじゃ。だなんだら、事業で一財産築くこともなかったろうて。いくら宝くじで七百万ドル当たっておったからと言ってもな」
……K氏が唯一わたしにするセクハラに近いことといえば、「可愛ええのう、可愛ええのう。マリー、あんたは」と言って、わたしの手を握っては自分のほっぺのあたりに持っていくことくらいだったでしょうか。実際、このくらいならセクハラとも呼べない気がしますし、その様子を見ていたJやVが「あんなことはやめさせるべきだ!」とあとからいきりたったように言っても、わたしとしてはどうしていいかわかりません。
ふたりが言うには、「あの親父があんたの手を握りながら何を考えているかと思うとゾッとする」ということでしたが、わたしはそれは流石に考えすぎと思いますし、多くの職員に嫌われているKさんではありますが、わたし自身は親切にしていただいているせいもあり、そんなに嫌いということもありません。
……このあと、手紙のほうはまだ続いていたが、イーサンはここから手紙の内容を目でざっと追うということにした。何故といって、このあとマリーの手紙の内容はK氏のことから別の入所者のことに移っていってしまったからである。
イーサンとしては、このまま根気よく一通一通手紙を読んでいくよりも、まずは自分が真っ先に知りたいと思っていることを知りたかった。つまり、K氏こと、イーサンの実の父ケネス・マクフィールドが何故マリーに子供たちのことを任せようとしたのか、そのあたりのことを知りたかったのである。
イーサンは(速読法をマスターしておけばよかった)と思いつつ、指と目で<K氏>という文字を探し、とにかくまずは自分の父のことが書かれた手紙の文面を探すことにした。その中には、(まったく、しょうもない患者だな)とイーサン自身も恥かしくなる父ケネスの振るまいについて書き記された部分も多かったが、なんにしてもK氏はマリーにだけは何故か、動くほうの右手で尻のあたりを触るといったことだけはしなかったようなのである。
(そりゃそうだよな。じゃなきゃ、あんなどうしようもない親父の頼むことを、死の直前だからってまともに引き受けようとするはずなんかない)
そしてイーサンはようやく、マリーがこの屋敷へ来ることになったことについて書かれた手紙を見つけだしたのだった。
>>敬愛する院長さま。
例のK氏のことなのですが……病院の検査で膵臓癌が発見され、お医者さんの見立てとしては「長くもって半年」とのことでした。
すでにステージⅣとのことで、手術の適用にはならないそうです。本人はそう申告されてもまだあまり実感がなく、『わしは本当に死ぬんじゃろうかのう』と、何か他人事のようにぼんやりおっしゃっています。
また、K氏はD棟からホスピス棟のほうへ移動することなったのですが、『金ならいくらでも払うから自分の専属の介護員になって欲しい』と言われました。D棟の責任者である看護師長に聞いてみますと、「それじゃあホスピス棟のほうへ異動するっていうことになるわよ」と言われたのですが、ガンなどで亡くなりゆく人の看取りというのは大変難しいことですし、少し悩んでいます。
というのも、Kさんは一般的に言えば褒められた人柄ではないかもしれませんが、わたしにとっては大変良い方ですし、実際のところよく看護師さんや介護員に憎まれ口を聞いたりしていたとしても……根が大変小心な人なのです。また、自分の命が半年ないと聞いてからは、体が一回り縮んだかのように見えるくらい、落ち込んでもいるようで……以前に、お子さんが五人いらっしゃるということは一応聞いておりましたので、『一度連絡して来ていただいたらどうですか』と言ってみました。
『前にも子供らのことはマリーちゃんに言ったろうが。わしはこれまで父親らしいことひとつしたことがないし、そろそろ死にそうだからというので来てもらっても、これまでなんかコミュニケーションがあったわけでもないから、迷惑なだけじゃろうて。わしがあの子らに残してやれるのは唯一金だけじゃからな。まあ、それで父親らしくなかったことは勘弁してくれといったところかの。わしは自分の人生については一切後悔しとらん。十代で七百万ドルも金が当たってラッキーじゃったし、宝くじで大金が当たったその後、何故か家族に不幸が続いた……だのいうドキュメンタリーも見とったからな、まあ、そこらへんは慎重になったもんじゃわい。また、金で買える女がいくらでもおったから、結婚なんぞする気もなかった。じゃが、なんでかそんなことになって子供も生まれて……でもな、まだあの子らは小さい。そこでなあ、マリーちゃん……』
ここで、Kさんは少しもじもじしてからこう切り出しました。
『わしの財産を全部あんたに譲りたいと思っとる。それで、この子らをどうにかあんたに育ててほしいんじゃ。無理なお願いなのはわかっとるんだが、他に頼める人もおらんでなあ……』
この時、Kさんは途方に暮れたような顔をしていました。これまでにも、Kさんが介護員を自分のいいように操るのに何かの演技をするという場面は何度も見たことがありましたが、そういうのとはまるで違っていました。そこで、財産云々はどうでも良かったのですが、御家族のことをもっと聞いてみることにしたんです。
『一番上のお子さんと、二番目以降のお子さんとはかなり年が離れているんですよね?』
『お、おう。そうじゃった、そうじゃった。そこの棚のところに子供らの写真が入っとるアルバムがあるんじゃ。ちょっと取ってくれんかの』
わたしはそのアルバムを手にしますと、オーバーテーブルの上に広げて、Kさんと一緒に見ることにしました。
『これが長男のイーサンじゃ。なかなかわしに似なくていい男じゃろう。この頃はまだ十八、九だったかの。ユトレイシア大学へ進学することに決まっとったもんで、一応金出してくれてありがとう的な、そういう挨拶に会社のほうまでやって来たんじゃ。終始仏頂面をしとったが、わしの美人秘書があんまりいい男だもんでびっくりしてな、写真を撮ってわしにくれたんじゃよ』
『ユトレイシア大学だなんて、すごいですね。もうこれで長男さんの将来は約束されているといっていいのじゃないでしょうか』
『そうなんじゃ、そうなんじゃ』
Kさんは嬉しそうに顔をほころばせて言いました。息子さんのことがとても自慢なんだなって思いました。
『わしは金を出す以外何もしとらんのだがな、まあ、かえってそれが良かったのかもしれん。向こうは<こんなクソ親父>としか思っとらんじゃろうがな……なんにしても、今はもう二十一くらいになったかの。財産のほうはこの長男に一番多くいくことになるが……あんたさえ良ければな、わしは本当に財産をすべてあんたに譲りたいと思っとる。いやいや、最後まで聞いてくれ。なんでかっていうとな、長男のイーサンは聞いてのとおり見た目もよくて学歴もある。この上わしの財産を受け継ぐことがいいことなのかどうか、わしにはよくわからんのだて。わしだって、親戚の中には金をたかってくるような手合いの者もおったし、まあ、金っちゅうもんはあったらあったで余計な面倒が増えるもんじゃ。それよりは、あんたに財産の一切を譲って、他の四人の子らを育ててもらったほうが……』
『あの、遺言書のほうは今まで通り書き換えないでください。わたしなら……今のところお金に困ってるというわけでもありませんし、そのお話をもし引き受けるにしても、むしろお金をいただいてということでは、逆に引き受けかねます』
『そう言わんといてくれ、なっ、マリーちゃん。わしにはこの人生で芯から信頼できるような人間はあんたしかおらんのだから。ほら、こっちの子が次男のランディ。こっちが三男のロンじゃ。で、長女のココとこっちの赤ん坊のがミミちゃん。可愛いじゃろう?まあこれはもう三年くらい昔の写真だもんで、今はまたもっと大きくなっとるじゃろうがな……』
そう言って、Kさんはどこか遠くを見るような目をしていました。三年ほど前に脳梗塞で倒れてから、一度もお会いしてないということでしたが、それでも後悔しておられるのだろうなという気がしました。父親として、もっとああしてやれば良かった、こうしてやれば良かった……そんなふうに思っているような横顔でした。
『そんなわけでな、長男のイーサンはともかくとして、子供たちはまだ小さい。今は家政婦がこの子らの母親がわりみたいなことをやっとるようなんじゃが、細かいことはわしもよう知らんしな。じゃが、マリーちゃん、あんたがもしこの子らを育ててくれるって約束してさえくれたら……わしは安心して死ねるんじゃ。なっ、このとおりじゃ、マリーちゃん。この可哀想な年寄りにそう約束さえしてくれたらわしは楽に死ねる思て、約束したってくれんか?な?な?』
……もちろん、すぐにお返事なんて出来るお話じゃありませんから、このことはとりあえず一旦<保留>ということにしておきました。
院長さまはどうお思いになられますか?D棟での勤務についてはもう大分慣れましたが、ホスピスのほうへ移るとなった場合、また色々なことを一から勉強し直すということになると思います。
それではまた、近いうちにお便り致しますね。
マリーより。
>>敬愛する院長さまへ。
マリーはホスピスのほうへ移ることにしました。ホスピスのほうの看護師長様がセンター長であるコーネリアと話しあって、そのような形に進めてくださったのです。ただ、特定の患者のために異動するということではなく、あくまでも今までと同じようにどの患者さんとも平等に接するようにしてください、といったようには言われました。
こちらには、十四名ほどの患者さんが現在入室しておられて、わたしはまずは二週間ほどの間、研修を受けることになりました。何分、特殊な環境ですので、前もって学ぶべきことや、患者さんと接する時の注意点など……家に帰ってからもホスピスのことに関連した本などをたくさん読むようにしています。
そして、Kさんなのですが、今のところ食欲もありますし、疲れやすいという以外のことでは、今までとそんなに変化のない暮らしぶりかもしれません。何分、今までいたD棟とは雰囲気の違う病棟なものですから、前とは違いKさんも随分大人しくなりました。看護師さんたちにセクハラめいた発言もすっかりされなくなりましたし、「ありがたいことで……」とか「すみませんなあ」と言ってばかりいて、随分変わられたと思います。
それで、ですね……弁護士さんがKさんのところへ来ておられまして、わたしに財産を譲った場合の法的な諸手続きについてはこのウェリントン弁護士がしてくださるのことで、紹介されたのです。もちろん、『そんなことはやめてください』とは言いました。けれども、Kさんの意志は固いようで、『あんたがいくら反対しても、わしはこの遺言書を変えるつもりはないぞ』と言われてしまい……。
このあと、色々なことをたくさん話しあいました。わたしが全然知らないKさんの子供さんたちの暮らすお宅へ急に窺っても、そんなにうまくいくはずがないことや、財産を横取りしたというので、このお子さんたちに恨まれたりしたくないということなど……。
『子供たちにはそれぞれ、十分すぎるくらいの財産がある。そこからマリーちゃんに残したところで、あの子らも恨みはすまいよ。それに、相性が合わんようだったらな、その時はわしもあんたに無理してあの家にいてくれとまでは言わん。金のほうはな、養育料として受けとってくれということではないんじゃ。ただ、わしはこんな老人になって、死ぬ前にあんたみたいな人と会えて良かったと思うとる。じゃなかったら今ごろ、非常に惨めじゃったろうな。あんたはわしに金で買えんものをくれたんじゃ。そのかわりに目に見える金をやるというのは……実際そんなに大したことじゃろうかの?』
そう言われてもわたしには、『お金をいただくとしたら、お子さんたちの面倒は見れません』としか答えようがありませんでした。
院長さまもおっしゃってましたね。子育ての経験もないのに、四人ものまだ幼い――それも性格のほうもよく知らない――子供を育てるだなんて、そうしたことは神さまの御計画や御心といったことと離れたことではないか、と。
実際、マリーもそのとおりだと思っているのです、院長さま。けれど……これはわたしの想像ですが、何かの形で必ずKさんはわたしに財産を残そうとされるのではないでしょうか。そうなった場合、わたしは良心が痛むあまり、その子たちに会わずにはいられないと思います。そして、結局のところもしそうなるのなら……いえ、もう少ししっかり考えなくてはいけません。
それで、こちらのホスピスでの業務についてですが……
イーサンはここまで読むと、また他の、<K氏>の名前が出てくる手紙を探した。
そして、その途切れ途切れの情報を繋ぎ合わせると、『お金なんて残さないください』とマリーがいくら頼んだところで、父ケネスが財産を残さないというのはありえないことであり、結果としてマリーはお金を残された以上はマクフィールド家へ行かないわけにはいかないことになるだろう――というのが、マリーが我が家へやって来ることになった最初の動機であったことをイーサンは知ったのだった。
(そりゃそうだよな。というより、俺にしてもそのことをもっと早くに聞いてておかしくないはずなのに、なんでこんな大事なことを聞かずにいたんだろうな……)
そして、ケネス・マクフィールドはマリーが示した態度によって何度となく遺書のほうを書き換え、その度にウェリントン弁護士のことをホスピスのほうへ呼びだしていたようなのである。イーサンは今更ながら思いだしていた……ケネスの葬式の時の、ウェリントン弁護士のマリーに対する友好的な態度。あれはおそらくそういう意味だったのだろうと。
>>敬愛する院長さまへ。
昨日、Kさんが亡くなりました。
膵臓癌を宣告されて三か月後のことでした……驚くくらい安らかな最後で、ホスピスの看護師さんや介護員たちもとても驚いていました。Kさんは『わしは死ぬのは怖くないが、死ぬ前に痛みがあるのは怖い』と何度もおっしゃっていて、毎回、病室へ行くたびにそのことのお祈りをしていました。
ホスピスに移ってきてからは、毎週礼拝に参加されて、洗礼のほうも受けられました。わたしに何度も『本当にこれでわしは地獄へ行かず、天国へ行けるんじゃろうか』とおっしゃいますので、イエスさまのことさえ信じていたら大丈夫ですとお答えしておきました。
他の看護師さんや介護員も熱心なキリスト教徒が多いものですから、わたしだけではなく、誰もみな、Kさんの病室へ行くたびにお祈りしたり、一緒に聖書を読んだり……あのKさんがと院長さまも驚くかもしれませんが、亡くなった時には本当に、聖人さまのような清らかな顔をしておいででした。
それで……明日、お葬式ということになります。亡くなったのは夜八時くらいのことだったのですが、ウェリントン弁護士にお電話したところ、ご長男の方と連絡を取ってくださるということで、そちらのことはウェリントン弁護士にお任せすることに致しました。
例の子育ての件についてですが、もちろんわたしにも自信はありません。それでも、Kさんの死ぬ間際にそうお約束してしまった以上は、自分に出来ることは最大限行っていきたいと思っています。それでもし、神さまの御心となんの関係もないようでしたら、またそのあとのことはそのあとに考えることになるかと思っています……。
院長さま、マリーは今はただ、しるしを求めています。もちろんイエスさまはおっしゃいました。預言者ヨナに与えられたしるし以外は与えられないと……けれど、これまでもずっとわたしが「これで本当に正しいのでしょうか?」と祈る時には、いつでも神さまは何かのしるしを現してくださっていたのです。
院長さま、Kさんが亡くなったことで、まだわたしも心と思考のほうが乱れておりますので、また近いうちに必ずお便りすることをお約束致します……。
マリーより。
>>続く。