では、今回もまた、シシリー・メアリー・バーカーの詩作品をひとつご紹介したいと思います♪(^^)
ラベンダー
「ラベンダーは青い、ディドゥル、ディドゥル」
とよくうたわれる
ラベンダーの草むらのまわりには
ディドゥル、ディドゥル
ちょうちょがいっぱい群がっている。
(ちょうはラベンダーが大好きで
ディドゥル、ディドゥル
ハチも大好きだ)
ラベンダーは そっと、ディドゥル、ディドゥル
そよ風にゆれている!
「ラベンダーは青い、ディドゥル、ディドゥル
ラベンダーは緑」
服に香水をふりまいて、ディドゥル、ディドゥル
いつまでもきれいにしまっておく――
いつまでもきれいに、ディドゥル、ディドゥル
ハンカチやシーツを洗ったあとも
ラベンダーの穂は ディドゥル、ディドゥル
どんなものでも香ばしくする!
(『にわの妖精』新倉俊一さん訳/偕成社より)
ハーブの女王と呼ばれるラベンダー。
確かに、アロマの精油としても、部屋の芳香剤や柔軟剤の香りとしても、わたしたちのまわりにとても身近で、花としてもよく庭や街中などで見かけます。
そして、シシリーのラベンダーの精を見ると、ラベンダーの妖精って本当にこんな姿でラベンダーのまわりを蝶のように飛んでいるんじゃないかなっていう気がしてくるんですよね♪(^^)
また、「赤毛のアン」との関連でいうと、ミス・ラベンダーのことが思いだされたりするのですが、彼女もまた、この世を離れた、どこか妖精的な女性であったような印象があります
それではまた~!!
灰色おじさん-【14】-
それは、春学期がはじまって二月ほどが過ぎた五月下旬の日曜日のことでした。グレイスは、教会学校(CS)のピクニックへ出かけたのですが、その時珍しくアリスが一緒にピクニックへやって来ていたのです。このCSのピクニックは、年長のお兄さんやお姉さんが年下の子供たちを引率してノースルイス郊外にある薔薇園まで連れていってくれるというもので、グレイスは随分前から楽しみにしていました。
実をいうとメアリーはカトリックで、ブラッドフォード家はプロテスタントですが、グレイスとおじさんの通っている教会とは宗派が少し違います。ですから、この教会学校のピクニックへは、グレイスはいつもCSで一緒になる仲のよい子たちと来ていました。アリスはほんの時折しか教会学校のほうには顔を出しませんでしたから、友達もあまりいないのに、何故彼女がここにいるのか、グレイスはよくわからなかったものです。
ノースルイス丘陵薔薇園はとても素敵なところで、グレイスは花の咲きはじめた色々な種類の薔薇を見ては、おじさんから借りたデジタルカメラで次々撮影していきました。もちろん家に帰ってからおじさんと一緒に綺麗な薔薇の写真を見るためです。そこには小さなお土産屋さんもあって、色々な薔薇製品や――薔薇の香水や化粧品、薔薇石鹸、食用の薔薇など――その他、園芸用品などが置いてありました。そしてそこでグレイスが、(おじさんが喜びそうなものを何かひとつ買って帰りたいな)と思い、色々な商品の並ぶ棚を見ていた時のことです。
壁には薔薇の芸術的な絵や写真も飾ってありましたし、そうしたポストカードが何種類もあります。他に、園芸店に注文できるたくさんの種類の薔薇がカタログとして掲載されている分厚い冊子があり……それはただだったので、ちょっと重くなりますが、グレイスは持って帰ることにしました。おじさんが喜びそうでしたから。
(ふうん。薔薇のクッキーに薔薇のカステラに、薔薇サイダーなんてものまであるわ。でもこれ、薔薇って名前がついてるだけで、なんかあんまし美味しくなさそうに見えるのは、あたしの気のせいかしら?)
この時、グレイスの脳裏に思い浮かんだのは、実際はあんまり美味しくなくても、「いやいや、美味しいよ、グレイス」などと言いながら薔薇のカステラを食べるおじさんの姿で……そんなことを思ってグレイスが少しぼんやりしていると、誰かが彼女の肩に手を置いたのです。
「どうしたの、グレイ?あなたの愛しのおじさんに何かお土産でも買おうってところ?」
この棘のあるアリスの言い方に、グレイスはムッとしましたが、アリスのことなどまともに相手にしても仕方ないと思い、「そうだけど」と短く答えるに留めました。
「ねえ、変なこと聞くみたいだけど……あんたとあのおじさんってちっとも似てないわよね。ほんとに血の繋がりなんてあるの?」
「……どういう意味よ」
流石に聞き捨てならないと思い、グレイスはアリスのことを振り返ると彼女と目と目を合わせました。アリスのほうでもグレイスのことを睨みつけるような視線で眺めてきます。
「そのままの意味よ。わたしね、あんたにパパとママがいないって聞いた時から、なんか変だなって思ってたの。だって、あのおじさん、どう見ても六十は過ぎてるものね。で、定年退職したって言ったら、大体六十五歳くらいってことになるでしょ。それであのおじさんの弟があんたのパパっていうことは……仮に兄弟の歳がいくら離れてて、さらにあんたのパパと結婚したママがものすごい年下だったとしても、辻褄が合わないんじゃないかって思ったの。じゃなかったら高齢出産を越えた超高齢出産ってこと?」
グレイスには、アリスが何を言いたいのか、さっぱりわかりませんでした。けれど、アリスの目と顔つきを見て、彼女に悪意があるということだけはわかっていたのです。ですから、アリスの言うことをまともに信じてはいけないということだけは間違いないと思っていました。
「アリス、あんた一体何を言いたいのよ?どうせアレでしょ?もうすぐ四学年が終わってあたしたちは五年生になる……つまり、五年生になればクラス替えがあるから、あたしに嫌がらせしても残り一か月くらいならどうにかなるって魂胆なんでしょ?でも、それって計算が甘くない?だって、五年生になったらクラス替えがあるって言っても……先のことはどうなるかなんて誰にもわからないわ。ちょうど、四年生に上がった時に、ブラッドフォード姉弟(きょうだい)が転校してきたみたいにね」
「べつにあたし、あんたに意地悪してるってわけじゃないのよ。ただ、客観的事実ってやつをあんたに教えてやってるってだけ。まあ、せいぜい家に帰ってからでもよく考えるのね。それか、あんたの大好きなあのショボイおじさんにでも直接聞いたら?」
グレイスはぐっと拳を握りしめました。自分のことを悪く言われるのは我慢できますが、両親とおじさんのことを何か言われるのは我慢のできないことでした。けれどこの時は、アリスの言ったことが気になったせいもあり、彼女の頬をピシャリとぶつことだけはどうにか思い留まったのです。
このあと、アリスは気分が悪くなったと年長の姉妹のひとりに言って、先にタクシーに乗って帰ることにしたようです。グレイスは気分の悪い振りをしているアリスのことも気持ち悪いと思いましたし、そんな彼女の嘘にコロリと騙されている年長の兄姉たちも気持ち悪いとしか思えませんでした。
(せっかくこんな綺麗な薔薇園にいて、『天国ってもしかしてこんな感じかしら?』なんて思っていい気分だったっていうのに……あの女は本当に最低だわ。楽園にいたっていうヘビそのものみたいな奴よ)
結局この時、グレイスはおじさんへのお土産として薔薇のシロップとピンク色の薔薇のカステラ、それに薔薇ウォーターなるものを買って帰ることにしました。他には、デジタルカメラで撮影した綺麗な薔薇の花がたくさんあります。
グレイスはこのあと、集合時間になるまで、教会学校の友だちと楽しくおしゃべりして過ごしました。そして、家に帰ってきてからも、おじさんにデジタルカメラの写真を見せながら、一緒に薔薇ウォーターを飲み、薔薇のカステラに薔薇のシロップを垂らして食べました。
「やれやれ。とんでもないぼったくり商品だわ、これ!」
そう言ってグレイスは、薔薇ウォーターに酔ったように「キャハハッ」と笑いました。
「だってこんなの、ただの水にちょろっと薔薇の味がついたって程度のものでしょ?それにこのカステラも、いつも行くケーキ屋さんで売ってるカステラのほうが、安くて美味しいわ。だけどこの薔薇のシロップはちょっといいかな。これを紅茶に入れて飲んだら、きっとローズティーみたいな味がするんじゃないかしら」
「そうじゃな。きっと美味しいローズティーになるだろうな。じゃがまあ、わしはこのローズカステラも結構うまいと思うがな。それに、この薔薇の水も妖精が飲んでいそうな味がすると思うわい」
「おじさんはほんと、ロマンティストなんだから!どうしてそれでおじさんは結婚してないのかあたしには不思議だわ。世の中の女の人ってほんと、見る目がないのね」
この時、グレイスはいつもと違ってちくっと胸の奥が痛みました。何故なのかはわかりません。けれど、一度自分の部屋に戻ってから、何故なのかに気づきました。アリスの言っていた毒を含んだ言葉が脳裏に甦ります。
『わたしね、あんたにパパとママがいないって聞いた時から、なんか変だなって思ってたの。だって、あのおじさん、どう見ても六十は過ぎてるものね。で、定年退職したって言ったら、大体六十五歳くらいってことになるでしょ。それであのおじさんの弟があんたのパパっていうことは……仮に兄弟の歳がいくら離れてて、さらにあんたのパパと結婚したママがものすごい年下だったとしても、辻褄が合わないんじゃないかって思ったの。じゃなかったら高齢出産を越えた超高齢出産ってこと?』
グレイスは机の引き出しからノートを一冊取り出すと、何も書きこまれていないページを開いて、そこに色々と書きこみはじめました。おじさんは今、六十八歳です。そして、おじさんがグレイスのことを引きとってくれたのは六十五歳の時であり、グレイスのパパの亡くなったのは六十二歳、ママが死んだのは六十歳の時のことでした。そして、こうして逆算していくと、ママが自分を生んだのは、五十三、四歳ということになります。
グレイスは以前はそんなこと、考えてみたこともありませんでしたが……今ではテレビを通した知識などで、大体女性が出産できるのは、四十代前半くらいまでらしいと知っていました。また、ネットで調べたところ、五十代でも健康な赤ちゃんを出産した女性というのはいるようで、そこまでのことがわかるとグレイスは心からほっとしました。
(なんだ。べつにそんなに変なことでもないんじゃない。おじさんだって間違いなくパパと血が繋がってるわ。じゃなかったらパパのお墓の前であんなに泣いたり、ましてやあたしのことを引き取ってくれるはずなんてないんだから……)
けれどグレイスは、アリスの言った言葉が何かの呪いのように――あるいは喉の奥に刺さった小骨のように気になりました。確かに、グレイスのパパとおじさんは容姿的に似ていないのです。もちろんグレイスも、一卵性の双子であるはずのアーロンとベアトリスが似ていないように、容姿の似ていない兄弟が世の中にはたくさんいるということは知っています。
(だけど、念のために一応、おじさんにもう一度だけ、おじいちゃんやおばあちゃんのこと、聞いてみようかな。おじさんはあたしが名前をもらったおばあちゃんに似てるってよく言ってたけど……)
グレイスは部屋を出てリビングのほうへ行くと、夕食の仕度をしているおじさんの隣に立ってこう聞きました。
「ねえ、おじさん。あたしがおばあちゃんに似てるってほんと?」
「そうじゃな。前にグレイスにアルバムの写真を見せたことがあったろう?でも、写真で見る限り、グレイスはママのレイチェルさんにも似とるところがあるし……まあ、ジャックとは容姿的には似てない気はするが、性格的に似とるところがあるように、おじさんはそう感じるな」
「そのアルバム、もう一回見てもいい?」
「ああ、いいとも。おじさんの書斎の本棚のところにあるから、好きに見るといい」
グレイスはほっとして、おじさんの書斎のほうへ行きました。そして、以前も見たことのある水色のアルバムを取りだすと、ダイニングの食卓テーブルの上に置いて見はじめました。そこには、グレイスのパパのジャックとおじさんの小さい頃の写真や(赤ん坊の頃の写真もあります)、グレイスのおじいちゃんやおばあちゃんが若かった頃の写真など、たくさんの思い出が散りばめられていました。
グレイス自身は、赤ん坊だった頃のパパを抱くおばあちゃんの写真を見ても、それがそんなに自分に似ているとは思いませんでしたが――それでも、おじさんがそう言ってくれるのは嬉しいことでしたし、ママに関しては、確かに自分でも似たところがあるとは昔から思っていました。
(そうだわ。アリスは去年の夏休みの自由研究で、自分の祖先の家系図を作って持って来たような子だもの。父方の血筋を辿っていくと、建国の祖となった富豪のひとりに行きあたって、母方の血を辿っていくとフランスの貴族に行きあたるとかなんとか……でも、あたしはパパがあたしのパパで、ママがあたしのママだっていうだけで十分だわ。それに、おじさんだってちゃんと血の繋がったあたしのおじさんだもの)
グレイスはアルバムのページをめくって見ていくうちに、アリスの言葉に心が揺れて不安になった自分を愚かだったと感じはじめました。でも、むしろこれで自信がついたことで、安心しておじさんに重ねて聞くことが出来たのです。アリスに薔薇園で言われた嫌なことや、確かに自分はパパとママにとって遅くに出来た子供かもしれないけれども、でも間違いなくふたりの子であって嬉しいといったことなど……。
「でね、アリスったら、そんな意地悪なこと言ったのよ。信じられないでしょ?べス(ベアトリスのこと)とアーロンが転校してきてから、クラスの風向きがすっかり変わっちゃったからね。べつにあたしたちはだからってアリスやエリザベスたちに遠まわしにでもやり返したりとか、そんなことは一切しなかったけど……でもやっぱり、面白くはなかったと思うの。それで、だふんきっとあたしに仕返しできるチャンスはないかって虎視眈々と狙ってたんだと思うのよ。でね、今はもう五月で、来月には夏休みになるでしょ?だから、最後の最後にそんなこと言ってきたんだと思うの。でもやっぱりあの子、馬鹿な子よ。だって、夏休みが終わって五年生になったら、そりゃクラス替えはあるわよ。だけど、もし仮にべスとあたしが同じクラスで、そこにアリスが他の仲良しと離れて一緒になったりしたらどうなると思う?もちろんそれと逆のことだってありうるといえばありうるわけだけど……」
「そうじゃのう……なんでアリスはそんなしょうもないことをおまえに言ったんじゃろうな。グレイスが動揺すればいいとか、傷つけばいいと思ったんじゃろうな。まあ、たぶんおまえとアリスがもう一度五年生と六年生でも一緒になるということはないとは思う。もちろん絶対ないとは言えないが、学校の保護者会のあった時にな、お母さんらがしゃべっとるのをちらっと小耳に挟んだんじゃよ。ほら、たとえば明らかに問題のある子とか、そういう子というのは各クラスに分散させて、ひとつのクラスの担任に負担が集中しないようにするそうじゃ。女の子もな、いじめた子といじめられた子をまた同じクラスにしてもしゃあないから、そこは離すといったようにするということじゃった」
「まあ、ほんとう!?最初、三年生だった時はね、担任のキャロル先生も副担任のマコーマック先生も、アリスやエリザベスのことを女子グループの中で一番大事にするみたいな、そんなところがあったの。だけどね、四年生に上がってから先生たちも考え方が少し変わったみたいで……もしそれでいくとしたら、あたしやメアリーは五年生になった時、アリスやエリザベスとだけは同じクラスになるってこと、ないかもしれないわね」
今日の晩ごはんはビーフシチューでしたので、グレイスはサラダを作るのを少し手伝ったりしました。ビーフシチューのほうはあとはもう煮込むだけになっています。そこで、ポテトサラダとにんじんのグラッセが出来上がると、おじさんはダイニングの椅子に座って、読みさしの本の続きを読みはじめました。
正確にいうと、おじさんはこの時……本を読む振りをしていました。実をいうと、グレイスがアリスに言われたようなことについて、おじさんはこれまで一度も考えたことがなかったのです。けれどもグレイスが『ネットで調べたら、五十を過ぎてから健康な赤ちゃんを産んだ人もいるってちゃんとわかったわ』と言っていたとおり――おそらくはそういうことなのでしょう。あるいは代理出産といったことがあったにしても、いずれにせよ、グレイスがおじさんの姪であることに変わりはないのです。また、これはまずありえないことですが、長く子供が出来なかったため、最後に養子をもらうことにしたのだとしたら、まず弁護士のクラーク氏がその旨、最初におじさんに説明していたはずです。
けれどもおじさんは、このことが少し気になっていました。グレイスは本当に自分にとって血の繋がった姪なのか、ということが、ではありません。ただ、アリスの母親であるエマ・アディントンから、グレイスを養子に出すつもりはないかと、つい先日聞かれていたからです。
『わたしの知り合いに、とても気の毒な方がいましてね。まだほんの三歳の頃にお嬢さんを誘拐されたのですよ。それも、不妊治療してようやく授かった子を……以来、ワズワースご夫妻はその子の無事を祈りながらも、養子をもらおうかどうしようかと悩んでおられたのですわ。けれどもそれが、去年の学芸会でグレイスのことを見てから、「あの子はどこの子だろう?」って、ご夫妻でずっと話していらしたんですって。その子は三歳で誘拐されたんですけどね、もしあのまま成長していたら、グレイスと同じ歳なはずなんですよ。きっとあの子も成長していたら、あの金髪の可愛い女の子みたいだっただろうって、おふたりとも、そのことをずっと気になさってて。そしたら、夏休みのあの事件があったでしょう?わたし、グレイさんのところの姪御さんとうちのアリスが同級生だなんてまるで知りませんでしたけど、ワズワース御夫妻はテレビでレスキュー隊の人たちに救助されるグレイスのことを見たんですのね。それで、やっぱりどこの子かということが気になって、怒らないでくださいね、グレイさん。探偵に頼んで調べてもらったってことなのよ。そしたら、御両親が交通事故で亡くなってて、その、なんて言いますかね。御年齢が少し上のおじさんに引き取られたってことをお知りになって……』
おじさんがこの話を聞いたのは、先週の木曜日、午後からあった聖書研究会が終わったあとのことでした。アディントン夫人が「お話したいことがあるのですけれど、少しよろしいかしら?」とおっしゃるので、教会の集会室のひとつで、少しの間ふたりきりで話をしたのです。
『ようするに、子育てなどまるでしたことのないじいさんがグレイスのことを育てるより、自分たちのほうが良い親になれるという、そうしたことですかな?』
『ええ、ええ。そうなんですのよ』
おじさんがあくまで穏やかな態度で、にこやかにそうまとめてくれたので、アディントン夫人はほっとしたようでした。
『ほんとう、とってもいいご夫妻なんですよ。もちろんふたりともちゃんとしたクリスチャンですしね、それに、こう申してはなんですけれど、ご主人は実業家で、とてもお金持ちなんですの。夫婦仲もとてもよくって、なんでこんな素晴らしい方たちに神さまは子供を授けてくださらないのかしらっていう、そんなふうに思ってしまうくらいなんですよ。やっぱりそのう……グレイさんのほうでもお大変でしょう?しかも女の子ですから、これからまた女の子に特有の問題も出てくるでしょうし。もし、グレイさんのほうでよろしかったら、ワズワース御夫妻にグレイスをお委ねするというのも……もしかしたらお互いにとっていいことなんじゃないかしらと思いましてね』
アディントン夫人が思いやり深い口調で、善意でそう言ってくれているというのは、おじさんにもよくわかっていました。また、普通に考えたとしたら、アディントン夫人の申し出というのは、『願ってもない話』として受け止めてもおかしくないのかもしれません。
けれども、(まったくお話になりませんな)とおじさんが即座に断りたくても断れなかったことには、ある理由がありました。今、グレイスは十歳で、おじさんは六十八歳です。そして、グレイスが二十歳になる時、おじさんは七十八歳です。その点、ワズワースご夫妻は今まだ四十三歳だということでした。また、おじさんはグレイスがそう望むのであれば、姪が大学へ進学するくらいまでの費用は出してあげられるでしょう。けれど、ワズワース御夫妻ならば、グレイスがなりたいもの、あるいはやりたいことのために喜んでいくらでも財を費やしてくださるに違いありません。
『そのう……グレイスの気持ちのこともありますし、もう少し考えさせてくれませんかな。しかしながら、ワズワースご夫妻には、わしのほうでは今の段階では九十パーセントに近いくらい姪のことを養子に出すつもりはないとおっしゃってくれませんかな。また、わしにその気があっても、グレイスのほうでは絶対嫌だと言うだろうこともわしにはわかっておりますでな。そうした前提で、今暫くお時間をいただければと思います』
『ええ、ええ。もちろんですとも。それだけグレイさんのほうでもグレイスのことをお大切に思っておられるということですものね。ただ、ほんとうに……もしグレイさんのほうでご決断いただけたら、一組のご夫婦が救われるような思いをされるってこと、ほんの少しだけでも覚えていてくだすったらって、そう思うんです』
――正直、このことはおじさんの手に余ることでした。そのような話を聞いたからといって、アディントン夫人が話したことをすぐにグレイスに話すような気にもなれず……おじさんは自分でも意外でしたが、このことをつい二日ほど前、マクグレイディ夫人に相談していました。
その時マクグレイディ夫人は、いつものように職場の愚痴や家庭の愚痴、それに隣近所の人の動向のことなどをくっちゃべるために、手土産として自家製のザウアークラウトをおじさんに持ってきたのです。
『それでね、そこの通りを真っ直ぐいったところの、角から三番目の家のこと、ジョンは知ってる?結構立派なお庭の、いつも高級車がカーポートのところに停まってる……』
『もしかして、ボールドウィンさんのお宅のことかね?』
おじさんはボールドウィンさんのお宅の前を通りかかるたびに、(うちの庭もこんなふうにしたいもんだのう)と思っていましたので、それで覚えていたのでした。
『そうよ!よく知ってるわね。あそこの奥さん、間違いなく不倫してるって、近所じゃ有名なのよ。旦那さんは歯科医でね、子供はうちと同じで三人もいるのよ。ジョンはどう思う?たとえば、ジョン、あなたが郵便局で毎日せっせと働いてお給料稼いでる間、専業主婦の奥さんが趣味の教室なんかで知り合った男とホテルへ行ったりしてたら?』
『そりゃ、わしは結婚したことがないからの。ちと難しい想像じゃが……ま、難しいところだの。その夫婦にはその夫婦にしかわからないことがあるじゃろうし。が、一般的にいっていい気持ちはせんわな。というより、相手の男を探偵かなんかに調べさせて、殺し屋でも雇って死んでもらうことにするかもしれんの』
この時、ジュディは自分の望みに近い答えが返ってきたので、膝を叩いて喜びました。
『そうよねえ。そうに決まってるわよ!しかも、アリソンったら、いかにも清楚っていうの?高校・大学時代を通してチア部で活躍してましたっていう感じの、その手の雰囲気の女なのよ。だからこそ、近所の人もヒソヒソ言うわけよね。むしろいかにもビッチって感じの女のほうが、「まあ、見るからにそんな感じよね」って笑って終わるけど……ボールドウィン氏がまた俳優みたいな美男子じゃない?果たしてこのことを知ってるのか知らないのか、外では「うちの家庭に問題は何もない。まあ、幸せにやってますよ」みたいな態度なのよ。知らなきゃ知らないで気の毒だし、知ってたら知ってたで……ねえ?あたし、自分がいい母親だとは思わないけど、それでもケビンたちをほっぽって他の男に走ろうとまでは思わないものねえ』
おじさんはこの時、アリソン・ボールドウィンとスーパーなどですれ違ったことがあるのを思いだしていました。『浮気していることが近所で評判になっている』とはとても思えない雰囲気の、感じのいい清楚な雰囲気の女性でした。旦那さんのボールドウィン氏のこともおじさんは同じように見かけたことがありますが、二人で並んでいると洗剤か消臭剤のコマーシャルにでも出てそうな感じの、理想的な美男美女といったように見えたものです。
『まあ、たぶんちょっとした火遊びといったところなんじゃろうな。わしにはもちろん、よくはわからんが……あの人はとても家庭を壊しそうな人には見えんから。そう考えた場合、近所の人たちにはもうバレておるということが、社会的制裁の一種ということなんじゃないかね』
『そうなのよお』と、ジュディはおじさんの作った美味しいピザパンを食べながら言います。『べつにいじめっていうんじゃないけどね、ちょっとした近所の集まりにアリソンだけ呼ばないとか、そういうのはもうすでにあるみたい。あるいはどっかで会って話しかけられても、明らかに避けてるっていう態度で相手がそそくさと逃げたりとかね。今はもうこういうなんでもアリの世の中かもしれないけど、案外道徳っていうのは生きてるとこには生きてるもんなのかもしれないわよねえ』
これまでおじさんは、『それは誤解ということはないのかね』といったジュディの気に入らない意見については、さんざん述べてきました。けれども、ジュディはその『誤解』を打破する次なる情報をすでに掴んでいることがほとんどなため――この件についてもおそらく、アリソン・ボールドウィンは極めて黒に近い灰色ということなのだろうと判断していたのです。
『あたしにはやっぱわっかんないわあ。他の男と寝て帰ってきて、子供のごはんフツーに作ったりとか、浮気してるっていう後ろめたさから旦那にいつも以上にサービスしたりとか、そういうことがね。そりゃあたしだって自分の家庭には不満だらけよ。だけどねえ、だからってそんな背徳のヨロコビだの、そんなのはドラマでも見て擬似体験して終わればいいくらいのことだとしか思えないわね』
『まあ、男よりもどうしても女の浮気のほうが、世間は厳しい目で見るものだということなんじゃろうな。それで……わしもジュディに相談したいことがあったんじゃ。そういえば』
『へー。一体何?あたしの足りない脳味噌でいいんなら、いくらでも相談に乗るけど?』
そういうジュディの顔と瞳はすでに、ある種の優越感の喜びに輝いていました。それは<人から何かを相談される>ということに対する喜びです。
『その……グレイスのことなんだがの。引きとりたいという金持ちの実業家夫妻がおっての、わしとしてはグレイスのことは手許に置いておきたい気持ちが強いが、それでもグレイスの将来のことを考えた場合……』
ですが、この時点ですでに、ジュディは手を振って笑いはじめていました。
『馬っ鹿ねえ。そんなの、決まってるじゃないの。グレイスはジョンおじさんのことが大好きなんですもの。そんなの、聞くまでもないことよ。その人たちがどんないい人で金持ちだったとしても、血の繋がりなんかないんですものね。しかも、グレイスのパパがどんな人だったかもまるっきり知らない赤の他人よ。そりゃあまあ、色んな考え方が出来るとは思うわよ。それに、ジョンが考えそうなことも大体わかる。グレイスが成人した時、自分は一体いくつじゃろうとか、その時までわしが健康ならいいが……とか、何かそんなことでしょ?でもね、最初はものすごく抵抗して嫌がったとしても、義理の養父母がどんないい人かわかりさえすればとかいうのも、やっぱ無理があるわよ。そんないい人であればこそ、我が儘ひとつ言えないで、遠慮して「いい子いい子」で育つっていうのが、わたしは健全とは思わないわね。うちの馬鹿息子どもはグレイスが言ってたみたいに将来は見込めそうもないかもしれないわ。まあ、ニックはまだ小さいから先のことはわからないにしても――それでも血の繋がってない出来のいい子と交換したいとは思わないもの。出来が悪かろうとなんだろうと、自分の息子であればこそ、かけがえのないほど可愛いんじゃないの。グレイスだってそうじゃない?こんな年寄りのパッとしない人でも、自分の血の繋がったおじさんと思えばこそ、実際以上にあの子も尊敬して慕ってるんでしょうしね』
もちろん、ジュディにも今はもうわかっていました。ジョンおじさんにはジョンおじさんの、ジョンおじさんにしかない良さというのか、味わい深い人柄があり、それは地味で目立たない魅力なのですが、一度わかると大変貴重なものでした。
おじさんは多くの人の中に混ざってしまうと、まるで灰色の壁か何かのようにまったく目立ちません。けれども、魅力のある目立つ人たちが何人もいて会議を開いたりすると、意見が個性的すぎてまるでまとまらないことがあるものです。でもそんな時、おじさんのような人が間に入って<繋ぎ>の役目を果たすと、とてもうまくいったりします。言うなれば、おじさんはこれまでの人生で<いないも同然の存在感のない人>として扱われ、ある意味軽んじられてきたわけですが……おじさんがそんな人であればこそ、ジュディもまたなんでも気兼ねなく話したり相談できるのであり――これほど口が堅くて信頼できるような人は、ちょっとそこいらでは見つかりそうもありませんでした。
『確かに、ジュディの言うとおりのようじゃな』
途中、ジュディがした自分の物真似があんまり面白かったので、おじさんは笑いました。
『本当は、一応グレイスにも話すだけ話したほうがいいかとも思っとったんじゃが……この話は何も言わずに断ったほうがいいかもしれんな。あの子のほうで、自分が実は邪魔になってきたんじゃないかだの、変に勘ぐらせてもいけないものな』
『そーよう。絶対そうしたほうがいいわ。いつだったかしらねえ……ケビンが、自分は実はどこかで拾われてきた子なんじゃないかって言って泣きながら学校から帰ってきたことがあるのよ。確か、今のグレイスと同じくらいの年の頃。でね、学校で誰かに何か言われたのかって聞いたら、自分でなんとなくそんな気がしてきて、そう思ったら自分があんまり可哀想で泣けてきたんですって。「馬鹿じゃないの。こんな馬鹿な子、お母さんもどっかに捨ててきちゃいたいわ」って言ったらあの子、今度は急にニコニコしちゃって。「俺、ママとパパの子で良かった!」ですって。ようするに、単に自分で想像力を逞しくして色々考えたのね。だから、よそにやる気がないんだったら、余計なことは言わないほうがいいんじゃないかしら』
――このあとジュディは、おじさんがこれまで六十八年生きてきて、考えてみたこともなかったことを色々言ってから帰っていきました。つまり、グレイスに『ブラジャーが必要になったら、わたしが一緒にサイズの合うものを見て買ってあげるわ』ということと、『生理のことなんかの説明は、学校でもやるでしょうけど、生理用品とかサニタリーショーツとか、そんなのも最初はわたしが一緒に下着売場で買ってあげるわよ』といったようなことです。
『ほら、グレイスって自分のことあんまり女の子だと思ってないじゃない。だけど、ある程度胸が張ってきたら、なるべく早くブラジャーはしたほうがいいのよ。じゃないと、将来形が悪くなるかもしれないし、ブラジャーしてないとタンクトップなんかと乳首がすれて、ヴァージンなのにヴァージンピンクじゃなくなっちゃったりするからね』、『生理もね、十代の頃は周期が一定じゃなかったり、その子によっては数日起き上がれないくらい重い子もいるし……あとは婦人病の疑いがある場合もあるから、最初のうちは特に生理の時の症状を聞いといたほうがいいのよ』――さらに、『それと、性教育……のことはまあ、グレイスにボーイフレンドが出来たとしたら、それもわたしのほうからしといてあげるわ』とまで言われ、おじさんは実際頭がくらくらしてきました。もちろんおじさんも、コウノトリが赤ちゃんを運んでくるのではないことくらいは知っています。それでも、父親がわりとして、自分がそこまでのことを実はしなくてはいけないのだとは、ジュディに指摘されるまで、考えてみたこともなかったのです。
>>続く。
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