不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

灰色おじさん-【16】-

2018年10月31日 | 灰色おじさん



 さて、今回ご紹介する本は、エリナー・ファージョンの「リンゴ畑のマーティン・ピピン」です♪

 海外(イギリスやアメリカ以外の)ではどうかっていうの、わたしにはわからないんですけど……日本ではエリナー・ファージョンの知名度って、たぶんあまり高くないんじゃないかなっていう気がしています。

 なんていうか、児童文学の名作として、どこの図書館にも必ず置いてはあるけれども、ファージョンの本の貸出率はそんなに高くないんじゃないかなっていう気がするんですよね(^^;)

 でもわたし、この「リンゴ畑のマーティン・ピピン」というお話が、もう本当に本当に大好きで

 もしこれから(可能性低いですけど)、日本でファージョン・ブームみたいのが起きて(たとえばどこかのアニメスタジオさんがアニメにしてくれるとか・笑)、ファージョンの作品が新装版で発行されたとしたら――わたしならオビに必ず「永遠に心に残る物語」とか、「大人になっても忘れられない児童文学の傑作」とか、何かそういう言葉を書きたいような気がします♪(^^)

 さて、今わたしは「大人になっても忘れられない児童文学の傑作」と書いたのですけれども、この「リンゴ畑のマーティン・ピピン」、ファージョンのお話としては珍しく、実は子供向けのお話ではないんですよね。

 巻末の石井桃子さんのあとがきにもあるとおり……この物語は、第一次世界大戦中、ヴィクター・ハスラムさんという30歳の兵士の方を励まし、慰めるために書かれたお話とのことで、メインテーマは男女の恋愛のことと言っていいと思います。

 わたしはこの素晴らしい傑作、「リンゴ畑のマーティン・ピピン」に賛辞を送ってやみませんけれども、「そんなに面白いっていうけど、最初の何ページかを読んだ限りでは、そんな予感、あまり感じないんだけど?」という方もいらっしゃるかもしれません。

 ところが、ところが!!「はじめに」と「プロローグ」、「前奏曲」と抜けて、「第1話 王様の納屋」を読みはじめる頃には――誰もが夢中なって、このお話を貪り読んでいるに違いありません

 ファージョンの代表作、「ムギと王さま」を読んでもわかるとおり、彼女は短編小説の名手でした。

 その才能は本作でも遺憾なく発揮され、物語は主人公マーティン・ピピンが6人の乳搾り娘たちに6つのお話を聞かせる……という体裁で進んでいくのですね。

 最後の6話目のお話は、いわば架空の世界と現実の世界とを繋ぐためのものなので、少し別としても――間に収められている5話のお話は、まさに珠玉という以外はありません

 それでは、その第1話目、「王さまの納屋」についてお話したいと思うんですけど……せっかく読まれた時にその面白さが半減してはいけないので、軽くあらすじに触れる、といった程度にしておきたいと思います♪(^^)


       第1話 王さまの納屋

 むかしむかし、あるところに王さまが住んでいたのですが――なんとこの王さま、自分の領地と呼べる土地は納屋ひとつ分だけ、しかも持っているものはといえば、着替え一揃いとペパーという名の馬だけでした。
 
 え?そんなんで王さまなんて言えるの??っていう感じですが、とにかく王さまは王さまなのです(笑)

 彼の父王にあたる方が、領地を全部賭けですってしまい、最後に残ったのが現王が住まいとする納屋ひとつということで……彼はある時、冠と錫、それから着替えを手に持つと、ペパーと一緒に旅へ出かけてゆきます。

 自分は王として、本当は何をすべきなのかを求める旅へ。

 老馬ペパーはびっこを引いているのですが、王さまはそのことに気づきもせず(なんて鈍い王さま!)、ハト宗という信仰深い人々のにまでやって来ます。

「王は納屋で、何をしたらよいのでしょう?」と、ウィリアム王が聞きますと、「祈ればいいのです」と、そこの人たちは答えます。

 そこで、ハト宗の入門の秘術として――ある聖なる丘で、寝ずの行を新月・半月・満月・欠けゆく月のそれぞれに行えばよい、と教えられた王さまは、「それなら簡単だ」と、早速やってみることにするのですが……その間、自分が行をしていることを誰にも洩らさないこと、またくしゃみといった不可抗力以外では決して音を発してはならない、という約束ごとがあるのですね。 

 大抵の人はこの時点でおわかりでしょうが(笑)、王が「簡単だな。自分でもやれそう☆」と思ったことには、毎回困難がつきまといました。

 それというのも、毎回池の向こうに美しい裸身をさらした女性が立っていたからです。

 でも、この行の間はくしゃみ以外、決して言葉を発してはいけないという約束ごとがありますから、王さまは彼女に声をかけることも出来ず……そして次には彼女から「いとしい人!」と呼ばれることさえするのですが、王さまは彼女から狂おしい思いで逃げる以外にはなかったのでした。

 そしてさらに次の時、王さまはもう我慢できませんでした。

「いとしい人、待ってくれ!待ってくれ、いとしい人よ」と、今度は王さまのほうが裸の女のことを追いかけるのですが――彼女は彼から逃げていってしまうのです。

 もう王には生きる気力もなく、言葉を発してしまった以上、行のほうも台無しになってしまいました。

 果たして、彼女は一体何者なのでしょう?

 聖なる行を邪魔するために毎回現われる、王さまの目にしか見えない幻の女性だとでもいうのでしょうか?

 そして、ペパーがびっこを引いている謎(笑)、自分の納屋しか領地のない王さまは最後、一体どうなるというのでしょうか?


 ――ここまで読んだだけでも、わたしとしては続きがめっちゃ気になって仕方ないのですが、もし「面白そう♪」と思った方がおられましたら、是非ぜひ図書館から「リンゴ畑のマーティン・ピピン」を借りてお読みになることをお薦め致します

 それではまた~!!



       灰色おじさん-【16】-

「それでね、おじさん!べスったら、アーロンに一体いつメアリーにキスするんだなんて言ってからかうのよ。そしたらアーロン、とうとう耳まで真っ赤になっちゃったの。ふたりはね、手は繋いだことはあるんですって。でも、あたしが思うにアーロンってとても紳士的なのよ。それなのに、お姉さんのべスのほうであんなふうにけしかけたりするのはよくないと思うわ」

「そうじゃのう、グレイス。メアリーは奥手な子じゃから、アーロンのことをとても誠実だと思っとるじゃろうな。まあ、そう考えたら、そう急ぐ必要はないだろうて。そうさな……今年、花火大会で花火を見にいった時にでもどうかと、グレイスはそうアーロンに言ってみてはどうかね?」

「やあだ、おじさんったら!メアリーはね、そういうことはべつにどうでもいいんですって。アーロンみたいなボーイフレンドがいるだけで、もう毎日天にものぼるくらい幸せだっていうの。だからキスなんかしたら生きたまま天国へいっちゃうっていうのよ。メアリーもね、アーロンの話になるといつも最後は真っ赤になっちゃうの。可愛いわよねえ」

「ハッハッハッ。そりゃ、微笑ましくて何よりだて」

 ――実をいうとあのあと、夏休み前の三日くらいの間ですが、グレイスは学校へ行っていました。そして、夏休みになった二日目に、おじさんはワズワース邸へ招かれていたのですが、それは肩肘張ったところのない軽いランチの席ではあったものの……グレイスはあんまりおじさんに聞かせたい情報が多すぎて、新しいパパやママそっちのけで、夢中になって話していたのです。

 一方、おじさんのほうでは、何日も会ってなかったせいでグレイスはこんなに一生懸命熱心にしゃべっているのだろうとしか思っていませんでした。つまり、いつもは本当のパパとママにも同じように休む間もなく色々話して聞かせているのだろうと……。

 けれども、セシリアとオリバーはグレイスとおじさんの会話を聞いていて、実をいうとあまり感心していませんでした。まだ小学四年生なのに、つきあっている彼氏や彼女とキスがどうだの――しかもそれを、おじさんのほうでも花火大会でどうじゃろうなどと勧めるとは、育ちのいいワズワース夫妻には信じられないことでした。

 この時、オリバーとセシリアの間では、「公立の学校はやっぱりレベルが低いのだろう」、「中学からはグレイスのことは育ちのいい子女の通う私立校に通わせなくては」ということに、話す前から目線だけで会話が終了していたかもしれません。

 それに、隣のマクグレイディ夫人がそうだったように、ジョンおじさんの「味わい深さ」といったものはある程度長くつきあわないとわかりませんから、ふたりにとってグレイスの慕うおじさんは、実年齢以上に年のいった、しなびた価値のないおじいさんといったようにしか見えませんでした。そして、こんな人と可愛い娘のグレイスが一緒にいて、この先何かプラスになることがあるとはまったく思えなかったのです。特にワズワース夫人のほうでは、(こんなおじさんといるから話の内容のほうも下品になるのだわ)などと、勝手に一人決めしてしまったほどです。

「ねえ、おじさん!あたしの部屋、見ていくでしょ?でもね、あたしいずれ……」

 実は血が繋がっていない云々といったことは、ふたりきりで話すべきことでしたし、この時もグレイスは(いずれ、おじさんの家に戻った時……)とは、口に出して言うことが出来ませんでした。ただグレイスはこの時、「おじさんはもうすべて知っている」はずなのに、いつもとまったく変わらない態度で、自分と会えて嬉しそうな素振りだったことがとても嬉しかったのです。

 会った途端、グレイスは「ほんの何日か会わなかっただけなのに、もう何年も会わなかったみたい!」とおじさんの手を握って言ったのですが、おじさんが「わしもじゃよ」と優しく微笑みながら言ってくれたことで……グレイスにはわかったのです。おじさんも自分と同じく、血など繋がっていなくても前とまったく同じ気持ちなのだということが!

「グレイス、パパは少しジョンおじさんと話があるから、部屋へ案内するのはあとにしてもらえるかね?」

 その日のランチは牛タンのシチュー、それにサラダとパンとデザートなどでした。そして、オリバーは食後のコーヒーを書斎のほうへ持ってくるようお手伝いさんに命じると、おじさんのことをそちらへ案内したのでした。

「本当に、まったく素晴らしいお住まいで……」

 一階の廊下だけでなく、二階の廊下のほうもまた、大理石の像やブロンズのトルソ像などが等間隔に置かれ、壁には名画の複製品などが立派な額によって飾られているのを見て――おじさんはまったく感心してしまいました。一度、ジャコメッティのブロンズ像をケースの中に見かけて、おじさんは笑ってしまったかもしれません。あとでグレイスに「おじさんと似とるじゃろ?」と言ってやろうかと、そんなふうに思ったものですから。

「そうですな。この場合は謙遜しても仕方ないかもしれませんが……この家を見てもわかるとおり、グレイスはここで私たちと暮らしたほうが、幸せになれると思うんです」

(そうとは限らんじゃろ。金があったからって幸せになれるとは限らんよ)とおじさんは思いましたが、とりあえず黙っていました。「おじさん、あたしの部屋見る?」と言った時の、あのグレイスの瞳の輝き――おじさんは認めたくはありませんでしたが、もしグレイスがここにいたいと言うなら、それも致し方ないこととして諦めるしかないのかもしれませんでした。

「確かに、そうかもしれませんな。グレイスのほうでそう言うなら、わしのほうで何も言うことなどありませんよ。わしはただ、あの子の幸せを願うだけですから」

「そう言っていただけると……」

 オリバーは、書斎のほうにおじさんのことを通すと、肝心な話のほうを切り出すことにしました。おじさんに革張りのソファを勧めて、自分は窓から見える庭のほうを暫し見下ろしました。書斎には本棚に純文学や哲学関係の難しそうな本がびっしりと並んでいましたが、おじさんは立ってそちらを眺めるのも失礼な気がして、とりあえず言われたとおりソファに座るということにしていました。

「その、ですね。グレイスはもしかしたら、あなたに義理立てしてか、血も繋がっていないのに引き取ってくれたことを恩義に感じてか、ジョンおじさんの元に戻りたいと言うかもしれません。ですが、もしあの子の幸せを本当に願うなら……あなたのほうからもグレイスにここにいるよう言っていただけないでしょうか?」

「そうですな……奥さまに電話で聞いた話ですと、グレイスはもうわしと血の繋がりはないことを知っとるということでしたが……」

 おじさんは、グレイスが出会った瞬間、喜びではち切れんばかりの様子をしていたため、もしかしたら知らないのかもしれないと思っていたのです。けれども、自分がちょうどそうであるように、あの子にとっても血の繋がりなどはお互いの絆を断ち切るほどのものではなかったということなのでしょう。と、同時にそれは弟夫婦に対する愛情になんの変化もなかったことを意味しているとも思い……そのことを思うとおじさんはほっとすると同時に嬉しかったのです。

「確かに、そのあたりのことは私と妻の口からグレイスに話しました。私たちはこれから正式な手続きを取って、グレイスをあらためて娘として迎えるつもりでいます。あの子は本当に心の優しい、いい子で……そのこと、あなたにもグレイスのことを育ててくださったあなたの弟ご夫妻にも心から感謝しています。私には妻であるセシリアがいて、セシリアには私がいるのでいいけれど、おじさんには自分がいなくなったら誰もいなくなってしまうと……あの子はそんなふうにも言っていて。こちらのほうは、あなたの好きな金額を書いていただいて構いませんので、どうかグレイスにうちにいるよう説得していただけませんでしょうか?」

 おじさんは温厚な性格で、普段滅多なことでは人に怒りを覚えることはありませんが、この時は瞬間湯沸かし機のようにカッと頭に血が上っていたかもしれません。おじさんは思わずテーブルの上に差し出された小切手を破っていました。

「こんなもの、いただかなくても結構ですよ。こんなものがなくても、わしはそれがグレイスにとって一番良いことであったら、あの子の幸せを邪魔しようとは思いません。でもそれは、わしがあの子とこれからじっくり話しあってからでないと……グレイスにとって一番何がいいことなのか、わしには判断がつきかねますな。ただ、こちらのお屋敷を一目見た時から、グレイスはここで血の繋がったパパやママと暮らすのが一番いいのだろうとは思っとりました。ですから、おそらくはそういうことに落ち着くだろうとはわしも思っとりますよ」

「すみません。失礼いたしました……私としても、そう言っていただけると、本当に助かります。実は、妻は娘のオードリーのことを失って以来、一度心のバランスのほうを崩して長くカウンセリングにかかっておりまして。今もう一度あの子を失うなど、妻の精神と心にはとても耐え難いといった複雑な事情があるものですから……」

「…………………」

 おじさんも、ついカッとして小切手を破ってしまったことが恥かしくなり、一度黙りこみました。実をいうと、おじさんが一見して見たところ、グレイスと実のママのセシリアとは、少しぎくしゃくしているというのか、何かそんなふうに見受けられていました。でもそれも、無理のないことだったかもしれません。三歳の頃、もしああした事件がなかったなら、同じ時間を過ごして親子としてしっくりうまくいっていただろうに、もしかしたらお互いに何かズレが生じてしまったのかもしれません。けれども、そのズレを埋めるためには、これからまたじっくり時間をかける必要があるのだろうと、おじさんはランチの席でそのように思っていたのでした。

「いえ、こちらこそついカッとして、失礼いたしました。ちょっと、グレイスとふたりきりで話させてもらえませんかな?あの子もきっとわしに色々言いたいことがあるじゃろうから……」

 オリバーはこの時、まだ少し不安が残っていましたが、グレイスのジョンおじさんのことを信頼に足る人物とも思い、彼のことをグレイスの部屋まで案内しました。そこにはグレイスとセシリアがいて、ベッドの上に並んで、何か話しているところだったようです。

 そこへオリバーがドアをノックし、おじさんのことを連れてくると――グレイスはパッと顔を輝かせておじさんのほうへやって来ました。おじさんの服の袖を引っ張ることさえして、「ここがあたしのお部屋なのよ!」と、自分の部屋へと導き入れます。

「おお。これはこれは……まるでお姫さまのスイートルームじゃな」

「そうなのよう!びっくりでしょう?ママがね、服や靴やバッグなんかをいっぱい買ってくれて、他にもぬいぐるみやおもちゃや……」

 グレイスがここで突然泣きだしましたので、おじさんはセシリアとワズワース氏に向かい、「少し、グレイスとふたりきりにさせてください」と頼みました。セシリアは顔の表情に「断固反対」との強い意志を一瞬にして漲らせましたが、オリバーに肩を抱かれると、そのまま娘の部屋から出ていったのです。

「グレイスや。おじさんにはもうすっかりわかったぞ。おまえがさっきランチの席で、なんで自分の部屋を見せたがったのかもな」

「おじさん……おじさん!あたし、パパともママともおじさんとも血が繋がってないってほんとうなの?」

 グレイスはワズワース夫妻がいなくなってからも、ぐすぐすと涙を流し続けました。こうした様子のグレイスを見るのはおじさんは初めてでしたし、ここでの暮らしというのはどうやら、グレイスにとってとても窮屈なものらしいということも、すぐにわかっていました。

「どうやら、そのようじゃな。いや、科学的な証拠はすべてそのようなことになっておるというのか……じゃがな、グレイス。おまえのパパもママも心からおまえのことを愛しておったし、それはわしにしたって同じことじゃ。ただ、グレイス、おまえにしてみたら――突然本当のパパとママと名乗る人が現われて驚いたことじゃろうな。とにかく、仮にわしがおまえとこのまま暮らしたいと思ったとしても、裁判になったとしたら、えらく金がかかった上、わしのほうが負けるじゃろうということだった。それに、ワズワース夫妻にはワズワース夫妻のグレイスに対する深い想いと愛情がある……そのことはグレイスにもわかっておるな?」

「うん……そうなの。あたし、ワズワース夫妻って、とても感じのいい人たちだと思うのよ、本当に。でもそれはね、どこかよそで誰か人と会って「あら、とっても感じのいい人」っていうのに似てるの。うまく言えないけど……マクグレイディ夫人なんて、あたし最初決して好きになれないと思ったわ。だけど、今じゃ全然嫌いじゃないし、むしろ好きよ。なんでかっていうとね、ジュディおばさんは確かに欠点だらけかもしれないけど――だけどそれでいて愛すべき隣人なのよ。でもママもパパもなんかよそよしくって欠点みたいなものがまるでないの。でもあたし、そういうのってあんまし好きくないみたいなの。だから問題は血が繋がってるか繋がってないかってことじゃないんだと思うわ。ねえおじさん、相手をとってもいい人と思うのに、本当の意味では好きになれないだなんてそんなことってあるかしら?それも、血の繋がった実のパパとママだっていうのに……」

「そうじゃなあ……」

 思った以上に事態が込みいっていたため、おじさんも困りきりました。それでも、時間をかけてお互いの間にあるズレや溝のようなものを修復していければ……と、おじさんも最初は思ったのですが、(それが無理だということも、もしかしてあるのかもしれんな)と、初めて思ったかもしれません。実は昔、何かの小説でそうしたお話を読んだことがあったのです。知らない間にある二組の夫婦の子供が入れ替えられていて(それは悪意ある第三者の手が介在してのことでした)、その後血の繋がった両親と子供にそれぞれ入れ替えるということが行われたのですが――うまくいかなかったという筋立ての小説です。

(いや、しかし、あれは実話でもなんでもなく、作者の創作の産物ということじゃったしな……それにグレイスの場合は、もし今もジャックと奥さんが生きていたら、もしその後ワズワース夫妻が本当の両親とわかったところで、グレイスはジャックとレイチェルさんの元にいたがったことだろう。まあ確かに、血が繋がっていたところで……いや、むしろ血が繋がっているからこそうまくいかない親子というのも、世の中には数え切れんほどおるわけじゃが……)

「わしも、グレイスのパパも十代の頃に両親を亡くしておるから、『血の繋がった生きたパパとママがいる』というのがどれほど有難く素晴らしいものかはわかっとるつもりじゃ。だがな、グレイス。確かに気の合わん親の元に生まれてくる子供というのは存在するとはいえ……おまえの場合は少し違う気がするな。もしグレイスが三歳の時に強盗に誘拐されず、ワズワース夫妻にそのまま大事に育てられていたら、その後実は他に本当の血の繋がったパパとママがいると知らされても――それがわしの弟のジャックと奥さんのレイチェルさんだったとしたら、やはりこちらのグレイ夫妻のことはまるで好きになれなかったかもしれない。そう考えたら、これからのつきあい方次第で、セシリアさんやオリバーさんとうまくやっていかれるとは思わんかね?」

「おじさん、おじさんの言いたいこと、あたしとってもよくわかるわ。あたしが三歳の時に誘拐されて、その後七年のブランクがあるということですものね。そう考えたら、あたしとワズワース夫妻が親子として<馴れる>には同じくらい時間がかかるのかもしれない。でも、おじさんとあたしはそうじゃなかったでしょ?あたしはね、最初に会った時からおじさんのこと、好きだったわ。おじさんも、あたしのことを大事な弟の娘だからというのでとても大切にしてくれたわ。簡単にいえば、あたしとおじさんは波長が合ったのよ。ほら、それはあたしがメアリーやべスに感じてる気持ちに似てるわ。会った瞬間から、すぐわかるのよ。『なんかこの子、好きだわ』っていったようにね。だけど、ワズワース夫妻にはそうした力が働かないのよ。あたしには、そのことがどうしてなのかよくわからないってことなの」

「ふうむ……」

 おじさんはまったく、姪の賢さに感服してしまいました。グレイスは成績は大体真ん中くらいなのですが、そうした種類でない別の直感的な賢さが備わっているという意味です。今時の子は口が達者だということはおじさんも知っているつもりでしたが、おじさんは自分が十歳くらいの時、こんなにもうまく自分の気持ちは説明できませんでしたし、心で思っていることを言葉にして人に伝えるということがとても苦手だったものでした。

「それで、グレイスはどうしたいのかね?わしはな、おまえのことを手放したくはないが、かといって血の繋がった実の親子であるとわかった以上、ワズワース夫妻からグレイスのことを取り上げるということも出来んと思うとるのじゃ。それに、こんな文句なしの大金持ちのおうちだしな、きっとワズワース夫妻なら、グレイスをいい大学へ進学させてやることもできるじゃろうし、途中で別のものになりたくなっても、いくらでもサポートしてくれるじゃろう。その点、わしはただの中金持ちじゃからな。グレイスを大学へやって、その後も少しくらいは生活の助けになるようなことはしてやれるにしても……せいぜいのところをいってそこまでじゃ。じゃったらこのままここにいて……」

「いや!おじさん、あたしおうちに帰りたい。あたしの家はここじゃなくて、おじさんと一緒にいられるあのペパーミント色の家なのよ。もちろん、ワズワース夫妻はとってもいい人たちだわ。血の繋がったパパとママとしてこれからも時々なら会いたいとは思うけど……でもやっぱり、あたしのほんとのパパとママはおじさんの弟のジャック・グレイとレイチェル・グレイなの。そしてあたしはもう決してオードリー・ワズワースにはなれないっていう、これはそういう話なのよ」

「そうか。グレイス……そうじゃったか」

 おじさんは泣きじゃくるグレイスのことを抱きとめると、姪が泣きやむまで、ずっとそのままの姿勢でいました。女の子らしいデザインのベッドカバーやカーテン、それに大小たくさんのぬいぐるみや、可愛らしいフリル付きのスカートなど……しかも色はピンク系のものが多く、これらがグレイスの趣味や好きな色とは真逆のものであるとおじさんはもちろん知っていました。

 いえ、そうした<外的環境>にだけならまだ我慢できるかもしれません。けれども、あまり欲しくもないものを相手の期待に応えて「欲しい」振りをしたりというのは流石にゆきすぎというものでした。何より、グレイスはまだ十歳なのですから、そのような不自然なストレスを感じる環境に長くいるというのは、実際グレイスの情操教育上よくないことだったでしょう。

「じゃがな、ワズワース夫妻が娘のオードリーさん……まあ、つまりはおまえのことだがな、オードリーを失ってこの七年どんな思いをしてきたかを考えると、わしにはおまえのことを引き取って、会うのはたまにくらいにしてくれとは、あの人たちにとても言えん気がするのじゃよ。かといって、このままおまえのことをここへ置いていくのもわしには苦しいことじゃ。家におっても、四六時中『グレイスは今ごろどうしてるかの』と考えておらねばならんしな……」

「まあ、おじさん。それほんとう!?実はね、あたしもおじさんのことばかり毎日考えてたのよ。だって、学校で面白いことがあっても、その半分もパパやママたちには話せないからなの。実際、立派な人のそばにいるって、疲れるものね。だって、その立派な基準に自分が見合う人間かどうか、たびたびチェックしてなくちゃいけないんですもの。おじさんだってとても立派な人だけど、あたしまるでそんなふうになったことはないわ。そのこともどうしてかしらって、とても不思議なの」

「そうじゃのう……ま、ワズワース氏は実業界の名士じゃし、奥さんのほうは女優さんのように綺麗な人だものな。もしかしたら、家にお手伝いさんがおったりするせいで、生活の垢みたいなものをグレイスはパパやママからあまり感じておらんのかもしれんな。何分こんなに広い家じゃし、その点うちはな、狭い家で毎日ドタンバタンやってお互い何をしとるのか二十四時間ほとんど丸見えだものな。じゃが、これからふたりと旅行へ出かけたりなんだりするうちに……グレイスもパパとママにそうした親しみや愛着を覚えていくのではないかな?」

 グレイスはいかにも気が重そうに、「ふー」と溜息を着いています。そしてこうした種類の溜息というのは、子どもにつかせてはいけかない種類のものだと、おじさんとしては直感的に思うのみでした。

「おじさん、あたし、こんなに憂鬱な夏休みって初めてよ。おじさんとなら、ロンドンやパリへ行くのも楽しいでしょうけど、その点、ワズワース夫妻とどっか行ってもねえ。おじさん、おじさんだったらどう?いい人たちなんだけど、気を遣う人とドバイかどっかへ行くことになったとして、そんなのほんとに楽しいかしら?あたしはね、もしあたしだったらね、おじさんや隣の馬鹿ケビンJrや、メアリーやべスや……そうした自分がほんとに好きな人たちと、近場のキャンプ場にでも行ったほうがよほど幸せだと思うの」

 このあと、おじさんとしてもなんと言ったものか考えこみ、またグレイスのほうでも悩ましい思いを抱えたまま黙っていました。それでも、おじさんのほうから何も言葉がなかったもので、グレイスはとうとう意を決し、思いきって自分の本心を打ち明けることにしたのです。

「おじさん、あたし、パパからおじさんがそのうちここへ来るって聞いてたから、色んなことにも我慢できたのよ。ほら、こういう全然自分の好きじゃないフリフリのワンピースを着たりとか、庭を散歩するにもどこへ行くにしてもママの許可が必要で、びっくりするくらい過保護に心配されたりとか……正直、もうたくさんなのよ。でね、おじさんがここへ来てくれさえすれば、おじさんがあたしのこと、絶対連れだしてくれると思ったから――それでね、今までは我慢できたの。でももしそうじゃないなら……あたしたぶん、そのうちこの家で窒息して死んじゃうわ」

「うむ。グレイス、そのおまえの気持ちはよくわかる。じゃがな、ワスワース夫人は心配なのだろうよ。一度、タクシー強盗などという目に遭って娘のことを失っておるから、今また同じことが起きたとすれば、セシリアさんは頭がどうかしてしまうだろうとオリバーさんも言うとったからな。わしも、ここへ来る前まではグレイスが家に帰りたいと言ったとすれば、連れて帰りたいと思うとった。しかし、グレイスのことを三歳の時に失ってから、セシリアさんは鬱病というか、おそらくは何かそうした状況じゃったのだろう。セシリアさんがグレイスに対して過保護になる気持ちはわしにもよくわかる。じゃがグレイス、おまえのほうで『もうこうしたものは欲しくない』とか、少し自己主張してみたりといったことはできんものかね?」

 グレイスはまたも再び「ふー」と溜息を着いて言いました。

「おじさん、あたしにそれが出来たらねえ!あたし、パパやママと一緒にいると、なんかいつもとは違うあたしになるみたいなの。つまりね、パパもママも『ほんとの、ありのままのあたし』を見てるのとはちょっと違うのよ。どう違うかっていうとね、あたしはパパやママの前だと『こうあってほしい娘のグレイス』みたいのを、何故か自動的に演じることになっちゃうのよ、なんでだか。それでね、それはあたしがやめようと思っても難しくって、なんか自動的にそんなことになっちゃうってことなの。あたし、もしおじさんがここからあたしを連れだしてくださったら、ほんとに恩に着るわ。これからは我が儘も言わないし、嫌いなブロッコリーを毎日食べろって言われてもそうするから……おじさん、お願いよ。あたしのことを助けてちょうだい!」

「…………………」

 間違いなく血が繋がっているにしても、ワズワース夫妻はおじさんの保護の元にあった姪のことを突然我が家にまで連れだしているのです。確かに、裁判ということになれば、陪審員たちはワズワース夫妻の言い分を代弁する弁護士の話に涙を流し、おじさんがグレイスのことをどれほど愛しているかといったことなどは、もうろくしたジジイのたわ言にまで格下げされることになるかもしれません。けれども、こうとまでグレイスが言っているのなら、おじさんはマクグレイディ夫人と違ってまるで戦闘型の人間ではありませんでしたが、ここへやって来て初めて、「戦うべきではないか」という気持ちになってきました。

「一応、グレイスの気持ちはこれからオリバーさんに話してみよう。じゃが、今日今すぐにここからグレイスを連れだすというのは難しいかもしれんな……これがもしグレイスのパパのジャックだったら、腕っぷしに物を言わせてでも、ここからグレイスを連れだすだろうにな。すまんのう、グレイス。おじさんはそこまでワイルドになるには、少々年がゆきすぎたようだて」

「いいのよ、おじさん!とりあえず、パパにそう言ってみてくださるだけでも。そしたら、きっとあたしのほうでも『家に帰りたい』って言えるに違いないもの。それか、もう本当に嫌ってなったら、ここから逃げておじさんの家に帰るわ」

「おお、グレイス。おじさんもこれからがんばってワズワース氏のことを説得しようとは思うが、おまえもあまり無理はせんようにな。それと、困った時にはおじさんに電話するといい。そしたら、それが夜中でもなんでも、おじさんはどこへでもグレイスのことを迎えに来てやるからの」

「そういえばおじさん!あたし、初めて携帯持ったのよ。ううん、正確にはママに持たされたっていうか……まあ、もしも何かあった時のためにね。でもあんまりしょっちゅうママから連絡が来るもんで、なんかもううんざりって感じよ」

 おじさんは、グレイスがまたも「ふー」と溜息を着くのを見て、ワズワース氏に断固とした態度で立ち向かう勇気が湧いてきました。おじさんは事と次第によっては、心を鬼にして「グレイスや、そりゃわしもおまえと別れるのは悲しいよ。じゃが、このままここにおるのがおまえの本当の幸せというものだと思う」と、姪のことを説得しなくてはならないと思っていました。けれども、グレイスが籠の中の鳥といった状態なのを見て、お金はあってもこれならば自分の家にいたほうが、グレイスは伸び伸びと生きていかれるだろうと、そう思ったのです。

「それじゃグレイス。またちょっとの間離れ離れということになるかもしれんが……なんかあったらその携帯ででも電話してきなさい。それで、これからのことをふたりで相談しよう」

「ありがとう、おじさん!あたしね、ほんとは少しだけ怖かったのよ。あれから全然おじさんから連絡もないし、あたし、もしかして本当はおじさんにとってどうでもいい子だったのかしらって不安になってきていたの。でも、そんなことなかったのね!それがわかっただけでも、もう少しはここで耐えていかれそうよ」

 ふたりはもう一度、お互いの約束を確かめあうようにしっかり抱きあうと、一旦別れるということになりました。そして、おじさんはワズワース氏の先ほどの書斎へ向かうと、ドアをノックしようとしたのですが――そこからセシリアの声が聞こえてきたもので、咄嗟に(まずいな)と思いました。

「あの人、わたしたちからあの子を奪うつもりなんだわ!どうしましょう、あなた。もしかしたらここから引っ越したほうがいいのかもしれない。あとは夏休みの間、グレイスを連れてどこか海外へ行くとか……そうだわ!それがいいわ。あなたのお仕事の都合が合わないなら、まずはあたしとグレイスのふたりで……」

 もしかして、ワズワース夫人はおじさんとグレイスの話を聞いていたのでしょうか。おじさんはドアをノックするにも出来ないで、そこに立ち尽くしていたのですが――おそらく、いつものおじさんなら、ここで弱気にこの場を立ち去っていたかもしれません。けれど、おじさんはグレイスとの約束を思いだし、奮起しました。そこでノックもせずに突然ガチャリとドアを開けることにしたのです。

「すみませんが、立ち聞きするつもりではなかったのです。ただ、わしのほうでもお話があったものですから、ドアをノックしようとしたら、奥さまの声のほうが聞こえてきまして……」

(こうなったら、むしろこのほうが手っ取り早いかもしれない)と、おじさんは開き直ることにしました。こう見えておじさんも、やる時にはやるのです。

「あの子のことは絶対渡しませんよ!なんだったら今すぐ、警察を呼んであなたを捕まえてもらうことだって出来るんですからね!!」

 不倶戴天の敵を見るような眼差しで睨まれても、おじさんは怯みませんでした。

「警察をお呼びになるというのなら、どうぞご自由に。しかしながら、法的には今、わしがあの子の保護者なのですぞ。その点をどうかお忘れなく」

(とうとう本性を出してきたわね。一見大人しそうに見えて、あなたみたいのが一番始末が悪いのよ)

 セシリアはそう思いながら、おじさんのいるほうから「ふん!」とばかり、顔を背けていました。オリバーはそんな妻の様子を見ながら、困りきった顔の表情をしていました。そして、おじさんのほうではそれだけでも大体のところ、事情を察していたのです。

「グレイスは、わしと元の家に帰って一緒に暮らしたいそうです。先ほど、オリバーさんにもお話ししたとおり……わしとしては、グレイスがここにいたいと言うなら、そのグレイスの気持ちを大切にしたいと思っとりました。ですが、奥さまのほうでわしとグレイスの話を聞いていたのであれば、理由のほうについてはすでにご存じなのではありませんかな?」

 グレイスは普段言えない本音や、セシリアに対する不満を口にしていました。そうしたことがセシリアにショックでなかったはずがない……そう思うとおじさんとしても気の毒に感じましたが、やはりここは少し強めの態度に出なくては、グレイスのことをここから連れて帰れないと思ったのです。

「グレイスは、きっとあなたに誘導されたんですよ。それか、こういうふうに言えばおじさんが喜ぶとか、何かそんなふうに思ったのですわ。とにかく、グレイスはここにいるのが一番幸せなんです。あなたは何も心配せずにお帰りになってくださって結構ですから」

「おまえ、そんな言い方をするものじゃないよ。ジョンおじさんは、一度身よりのなくなったグレイスのことを引き取って、ここまで立派に育ててくださったのだからね。そして確かに今、法的にもグレイスの保護者はジョン・グレイさんなんだ。確かに私たちが正式に法廷に出れば、おそらくかなりの高い確率でグレイスの親権を獲得することが出来るだろう。だが、私たちも揉め事は嫌だと思えばこそ、グレイスの大好きなジョンおじさんにこうしてお願いして……」

「お願いですって?何故わたしたちがこんな人に何かをお願いしなくちゃいけないのよ?とにかく、グレイスはもうわたしたちのものよ。絶対に誰にも渡しはしないわ!」

 この時、おじさんもワズワース氏も、ある種の異常さをセシリアの顔の表情に読みとりました。もしかしたら結局のところ、グレイスがこの屋敷にいても、いなくても……セシリア・ワズワースの中では何かが壊れていて、正常に戻るのは難しいかもしれないと、おじさんは一瞬そう思ったほどでした。

「こんなことをわしの口から申し上げるのはなんとも僭越なことですが……ワズワース夫人、『塔の上のラプンツェル』というお話をご存じですかな?」

「『ラプンツェル』って、グリム童話のってこと?」

 オリバーにはおじさんの言いたいことがすでにわかっていたようですが、セシリアのほうではまだピンと来ていない様子でした。

「今のあなたは、娘のことを高い塔に閉じ込めたあの物語に出てくる悪い母親のようですよ。子どもというものは……見ていて危なっかしいようでも、時にはわざと転ばせて痛さを学ばさなくてはいけない。じゃが、今のあなたは、自分が苦しい思いをしたり責任を負うのが嫌さに、先まわりしてあの子が転ばないようにとすべての道を平らにし、さらにはそこを高級絨毯で覆い、グレイスが怪我をしないようにと必死なのでしょうな。しかし、グレイスはそうした愛情を望んではいないのですよ。砂利道で転んで怪我をしたとなれば、またもう一度あなたが綺麗に舗装した道へ戻っても来ましょうが、いつまでもあなたが先に立って道路工事をし、『こんなに愛しているのに』と言われたのでは、あの子も窮屈でしょう。もし、わしの今言っとることがわからないというのであれば、わしは今すぐグレイスのことを連れて帰ります。それでよろしいですかな?」

 このおじさんの有無を言わさぬ物言いには、とても説得力がありました。また、ワズワース氏もおじさんの言いたいことがわかったのでしょう。特にそれ以上口を差し挟むということはしませんでした。

「では、わしは今日はこのまま帰りますが……いよいよとなればあの子はここから脱走するそうですよ。その時、もし部屋に鍵をかけて監禁しようとどうしようと、むしろあの子はどんな手を使ってでも逃げだすでしょう。そうならないように、あなた方のほうでもどうか考え方を変えてください。いえ、変える努力を真剣になさってください。それでは、失礼致します」

 オリバーはすっかり感心した様子で、安物の灰色のスーツを着たおじさんの背中を見送っていました。ところが、セシリアのほうではおじさんの物言いにすっかり腹を立てていました。おそらく、おじさんがもう三分か五分ほど、この部屋に残ったままでいたとしたら――(何よ!あんたなんか、子育てをしたこともなければ、結婚したこともない、なんの取り得もないただのしなびたジジイのくせして。なんでわたしがあんな人に説教されなきゃならないのよ。わたしの気持ちなんて、絶対あんな人にわかるわけがないんだから!)――といったような、今彼女が心の中で思っていることをすべてぶちまけていたことでしょう。

「セシリア、私たちもグレイスに対する接し方については、どうやら考え方を変えなくてはいけないようだ。親としてあの子に好かれたいあまり、嫌われないように嫌われないようにするというのも、これからずっと一緒に暮らしていくなら考えないとな。グレイスもきっと私たちに気を遣ってるんだ。それに、グレイスがもし本当におじさんと一緒にいたいとなったら、いくら私たちのほうで親権を求めて裁判を起こしても、すべて意味がなくなってしまうだろう」

「そんなことないわよ!なんといってもわたしたちはグレイスと血が繋がってるんですからね。ほら、血は水よりも濃いって言うでしょ?それでいったらあのおじさんとグレイスの関係はただの水ですよ。ここにいて一年もしたら、グレイスだってあんな変なおじさんのこと、すぐ忘れてしまうに決まってるわ」

 オリバーは(やれやれ)と思いましたが、まずはセシリアではなく、グレイスとふたりで話す必要がありそうでした。何分、おじさん会いたさのためにグレイスが突然いなくなったりした場合、セシリアは半狂乱になるでしょうし、そうなったら「もう一度一緒に暮らそう」と言っても、グレイスはなかなか承知しないでしょうから。

 そうなのです。セシリアはグレイスに自分たちが本当の親なのだと話しさえすれば、きっとすべてうまくいものと思い込んでいました。けれど、どうしてグレイスが自分が娘に感じているような無条件の愛情を抱いてくれないのか……そこにはどうしても壁があり、セシリア自身もその壁をどうやって越えたらいいのかがまるでわからないのでした。

 このあと、オリバーはジョンおじさんから話を聞いたということをグレイスに話しました。すると、グレイスはママのセシリアよりはパパのオリバーのほうが話しやすいものですから、彼には自分の心の中のすべてを話すことが出来ました。

「そうか。そうだったのか……だが、ママもこれから一生懸命変わる努力をするとしたらどうだい?もちろん、パパもママを支えて努力するよ。とにかくね、さっきも話したとおり、セシリアはグレイスがここにいなくなったら、今度こそ本当に生きる希望を失ってしまうと思うんだ。パパとママに、どうかもう一度チャンスを与えてくれないか?」

「…………………」

 ここまで言われてしまっては、グレイスも頷くしかありませんでした。とても(もうやなの!おじさんとあたしのうちに帰りたい!)と我が儘を言うことは出来ない気がしました。もちろん、この場合のグレイスの本当の気持ちというのは、我が儘とは違っていたのですけれども……。

 オリバーが部屋から出ていくと、グレイスは携帯ですぐおじさんに連絡しました。おじさんは携帯を持っていませんから、自宅のほうの電話番号を押しました。

「おじさん?なんかね、あたし、まだもう少しこっちにいなくちゃいけないみたい。うん……でももう夏休みだから、毎日おじさんの家に行って帰ってくるっていうことも出来るかなと思って。いいのよ。もしそれてパパとママが不満なら、あたしはおじさんとあたしの家のほうにすっかり帰るっていうそれだけですもの。じゃあ、明日早速おじさんの家に行くわね。その時にまた、これからのこととか色々話せたらいいなと思って……うん。うん、そうよね。あたしもそのことはわかってるわ。それじゃあね、おじさん。また明日」

 グレイスは携帯をベッドの上に放り投げると、そのあと自分もそこへ倒れこみ、また例の「ふー」という溜息を着きました。もちろんグレイスも、ワズワース夫妻のことが嫌いということではなく、むしろ「いい人」たちだと思ってはいるのです。けれども、グレイスにとって毎日一緒に暮らしていて気楽なのはおじさんのほうであり、実のパパとママとは一月に一度か二度とか、そのくらい会えればいいかな……という、何かそんな感じなのでした。

 この時、♪ピロリンと携帯が鳴って、メッセージの入ったことをグレイスに知らせました。グレイスとメアリーは以前まで携帯を持っていませんでしたが、ベアトリスとアーロンのブラッドフォード姉弟が最初から持っていたため、まずアーロンとつきあいはじめたメアリーが携帯を持ち、グレイスもとうとう母セシリアから持たされたことで――よくチャットをしたりしてグループで話すことがありました。

 この時のは、グレイス個人に宛てたベアトリスからのメッセージで、>>「新しいパパとママとはその後どう?」と書いてありました。グレイスは早速、ベアトリスに>>「サイアクー」と返信します。


 >>どした?

 >>今日、おじさんが来たんだけど、連れて帰ってはもらえなかったの。

 >>えっ!?なんで!!?

 >>まあ、色々あってね。

 >>そうなんだ。ところでグレイス、明日ヒマ?

 >>うん。ヒマヒマ。

 >>じゃあ、一緒に遊ばない?

 >>いいよ。ただあたし、明日はおじさんの家に遊びに行くの!

 >>じゃ、わたしもそっちに行くよ。アーロンとメアリーはプールに行くんだって。

 >>お熱いわねえ(笑)

 >>わはは。わたしもそう言ってやったら、言い方がババくさいってさ。

 >>確かにそりゃそーだ(爆)

 >>第一、家にもプールあるのに、なんでわざわざ市営プールになんて行くかねえって話よ。

 >>そういえばおじさんがね、アーロンに花火大会の時にメアリーにキスしろってアドバイスしたらどうかって言ってたわ。

 >>ワオ!さっすがジョンおじさんね。あたしもその案、すごくいいと思うわ。


 ――こうして、この翌日、グレイスはおじさん宅でベアトリスと待ち合わせすることにしました。おじさんはすでにベアトリスと何度も会ったことがあり、べスに対する印象を「なんとも都会風の進歩的な子じゃな」と言っていたものでした。また、べスのほうでもおじさんのパンの大ファンであり、他のみんなが言うのと同様「お店出せばいいのに」とよく言っていたものです。

 実際、おじさんのパンは教会や学校のバザーなどでも好評でした。しかしながらおじさんは「店なんか出したら過労で死んでしまうわい」と言って、みんなの褒め言葉をまともに取りあいませんでした。けれども、この日、ダイニングでレモネードを飲みながらクッキーやマドレーヌを食べ、何気なく三人で世間話していた時に、「ねえ、ジョンおじさん。夏休みの間だけでも『気まぐれパン屋さん』みたいの、やってみる気ない?」とベアトリスが提案したのでした。



 >>続く。





この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 灰色おじさん-【15】- | トップ | 灰色おじさん-【17】- »
最新の画像もっと見る

灰色おじさん」カテゴリの最新記事