【Blooming Books】マンディー・リン(オールポスターズの商品ページよりm(_ _)m)
今回は、前回のヒギンスンがディキンスンと出会った時のことについて、彼がまたその翌日に書き綴った妻への手紙からの引用と、その二十年後、『アトランティック・マンスリー誌』(1891年10月号)にヒギンスンが寄稿した記事を並べてみたいと思いましたm(_ _)m
>>「家庭とはどんなものかお教え下さいますか」
>>「私には母がいません。困った時は、母のところへ走って行くものだと思うのですが」
>>「私は十五歳になるまで時計の見方を知りませんでした。父は私に教えたと思ったのに私は分らず、しかも、分らないと言うのが怖いし、父が知るといけないというので誰かに尋ねるのも怖かったのです」
>>「物事が私たちの心から去るのは忘却でしょうか吸収でしょうか」
>>「(またいつか来るとおっしゃらずに)かなり経ってからとおっしゃって下さい。いつかというのはいつでもないのです」
>>「長い間眼を使えないでいて、その後シェイクスピアを読むと、何故他の本が必要なのかと思いました」
そしてヒギンスンは「私の神経をこれ程消耗させる人と一緒にいたことがない。彼女に触れないのに、彼女は私から吸い取っていった。私は彼女のそばに住んでいるのでなくてありがたい。彼女は何度も私が<疲れている>のではと気にかけ、他人に対して思いやりが深いように見えた。」と付け加え、妹たちに書いた手紙には「私の文通相手である風変りな詩人」とディキンスンを描写している。
>>まごうことなく私が抱いた印象は、過度の緊張と異常な生活であるということだった。二人のかかわりは私の意志でなく、彼女の方の要請で、避けられなかったものであるが、あのどこか無理に緊張したような状態も、おそらくやがては、私もそこを乗り越えることが出来ていたかもしれない。
確かに、それを単純な真実、よくある友情のレベルに喜んで落とすべきだったかもしれない。しかしそれは決して楽なことではなかったのである。彼女はあまりに謎めいた人間で、私は一時間の会見で解き明かすことなど出来なかった。
それに、少しでもぶしつけに問いつめようなどとしようものなら、彼女は殻にこもってしまうだろうと勘でわかった。私は森の中でもそうするようにただじっと坐って観察しているだけだった。エマスンに勧められたように、鉄砲を使わずに自分の目指す鳥の名を当てなければならなかったのである。
引用のほうは、『エミリ・ディキンスンの手紙』(山川瑞明・武田雅子さん編訳/弓プレス)からなのですが、このヒギンスンの『アトランティック・マンスリー』へ寄稿した記事については、思潮社刊の『ディキンスン詩集』(新倉俊一さん訳編)のほうにもっと長いのが載っていますm(_ _)m
でも本当に、「後世」という観点から見ると、ヒギンスンの功績はとても大きい、とは思うんですよね(^^;)
エミリーにはヘレン・ジャクスンという、当時の流行作家で詩人でもあった友人がいたのですが、彼女はエミリーの才能をとても高く買っていた人でした。そして、ヒギンスンは作家であり詩人でもあるヘレンの才能については高く評価していながらも、エミリー・ディキンスンの詩人としての才能については見抜くことが出来なかったわけです。
>>このように比較したからといって、ヘレン・ジャクスンをけなすわけではない。彼女は流暢な弁舌を駆使して白人のインディアン迫害を扱った『ラモウナ』を書いたが、この小説はいまだに読者の心を動かしている。
エミリ・ディキンスンの詩にたいする彼女の洞察力は、ディキンスンの生前に彼女の詩を読んだどの批評家よりも鋭いものだった。彼女のペン先からあふれ出た何冊もの詩や小説は、彼女の同時代のひとびとの目には永遠のものと映ったが、今日ではほこりをかぶり、彼女の名前はおもに彼女がその沈黙を残念に思ったアマストの友人(エミリ・ディキンスンのこと)の輝きの反映のなかに残っているだけだ。
(『エミリ・ディキンスン評伝』新倉俊一・鵜野ひろ子さん訳/国文社より)
本当に何故、ヒギンスンはヘレン・ジャクスンの才能は高く評価しながら、エミリー・ディキンスンという今や詩人として永遠の栄光に輝く彼女の才能を見抜くことが出来なかったのか……エミリーがヒギンスンに手紙を出した時、彼がヘレンのように自分を詩人として高く評価してくれるだろうことを彼女も期待したはずです。
ヘレン・ジャクスンがエミリーとやりとりしていた手紙を読みますと、彼女がエミリーのことを本物の詩人として高く評価し、また非常に的を得たことを言っているのがわかります。またヘレンはエミリーに「詩人の仮面舞踏会」というアンソロジー本に匿名でエミリーの詩を載せることをどうにかしてこぎつけたという人でもありました。
>>「あなたの詩の入った紙ばさみはどんなのでしょう。――あなたがそれらの詩に光をあてておやりにならないのは、あなたの「同時代の人たち」にたいして、とても残念なことですわ。――もし私の方があなたより生きのびるようなことがありましたら、私をあなたの文学遺産の受取人兼執行人にして下さるといいのですが。あなたがいわゆる「故人」なんてものにおなりになったら、きっと、あなたの後に残された可哀想な幽霊たちがあなたの詩によって励まされたり、楽しんだりすべきだと思うようになられることでしょう。そうお考えになるべきですわ。――ひとつの魂でも助けられるかもしれないというのに手を差しのべようとはしないのと同様に、言葉や心をこの世に与えずに取っておく権利などないと思いますわ」
(『エミリ・ディキンスン評伝』新倉俊一・鵜野ひろ子さん訳/国文社より)
残念ながら、ヘレンはエミリーが亡くなるよりも九か月先に54歳でその波乱に満ちた生涯を閉じました。もしこの手紙にあるように、エミリーよりもヘレンのほうが長生きしていたとすれば、おそらくヒギンスンとヘレンとでエミリーの詩集は編纂されていた可能性もあったのではないでしょうか。
けれども、ヘレン・ジャクスンがエミリーの詩人としての才能を高く評価し、是非とも印刷されて出版されるべき……と考え、エミリー本人にもそのように熱心に勧めたのとは逆に、ヒギンスンはそうは考えなかった、ということなんですよね(^^;)
そしてヘレン・ジャクスンにしてもヒギンスンにしても、文学者として名前が覚えられ、その生涯がどんなものであったかを後世の人々が知ることになるのはすべて、エミリー・ディキンスンという生きている間は無名だった詩人のお陰だというのは、なんだかとても面白いことのような気がします(ふたりがそれぞれ、エミリーの詩人の才能に対し、違った反応を見せた、という意味合いにおいて)。
そういえば、かなり前のことになりますが、ヘレン・ジャクスンの『ラモウナ』を一度、図書館で見かけたことがありました。「いつか読んでみたいな~♪」と思いながらいまだに読めてないのですが(汗)、けれども自分の死後百年が経っても、その著作物が残り、さらには他の国の言語でも訳されている……って、本当にすごいことだと思います
それではまた~!!
第6章 ロンの悩み
九月になり、新学期がはじまっても、ロンは相変わらず憂鬱に沈んでいた。何分、三年から四年へは学年が持ち上がりであるため、クラスの面子には何も変わりないのだ。ゆえに、ディズニーランドでいかに面白楽しく過ごそうとも、ロンは学校がはじまる二日前にはこれから再び牢獄へ戻らねばならぬような、苦しい、心乱れる思いでいっぱいだった。
もちろん、朝屋敷を出る時には、そんな素振りは毛ほども見せない。何より、新しく家に来たばかりの綺麗な人のことをロンは悲しませたくない。けれど同時に、学校へ向かう道すがら、こうも思う……(あのおねえさんなら、もしかしてわかってくれるかもしれない。学校へ行きたくないっていったら、行かなくてもいいって言ってくれるかもしれない。あのおねえさんなら……)
なんにしてもロンは、二か月もの長い夏休みの間、自分の疲れきった心を休めてはいた。「行きたくもない学校の宿題をしてなんになるだろう」と思いながらも、兄のイーサンのことが怖くて宿題のほうは割と早く片付いてよかった。自由研究のほうはカブトムシの飼育日誌だ。ランディやココやミミと一緒にデパートへ行った時、おねえさんが「欲しいの?」と言ってくれたので、「うん」と言ったら買ってくれた。
あのおねえさんのお陰で日曜学校で友達も出来た。彼――ケイレブ・スミスは前の学校でいじめに合っていたので、学校へ行きたくないぼくの気持ちをわかってくれるという。「ほら、ぼくもさ、学校を転校したら色々うまくいくようになったんだよ。だからロンも、そういうことも少し考えたほうがいいよ」……だが、そうだろうかとロンは思う。
第一、ロンの場合いじめに遭っているというわけではなかった。単に暗い、面白味のない奴、ひとりでいるのが好きな奴と他のクラスメイトたちに思われ、一度そう思われていると思うと、何故かそのとおりの奴を演じてしまうという、それだけだった。
(ぼく、本当はそんなにネクラってこともないと思うんだけど……色々面白いことだって知ってると思うんだけど……それに、ひとりでいたいなんて、全然思ってないんだけど!)
けれど、そう突然大きな声で言う勇気もなく、ロンの学校生活における毎日は過ぎていき――新学期がはじまって一週間くらいになった時、自由研究を発表するということになった。ロンはこういう種類のことがとても苦手だ。おねえさんはロンのカブトムシがよく描けていると言って褒めてくれたけれども、みんなの前に出ていってその絵を見せながらひとつひとつ説明していくなんて、ロンには気の遠くなりそうなことだった。
そこで、自由研究の発表会があった日、いつ自分の順番が回ってくるかと、本当にドキドキした。心臓が破裂する寸前だったと言っても過言ではない。ロンは(自分の番が回ってくるまで、あと六人、五人、四人……)と数えていき、他の子の発表したことなど、ほとんど頭には入ってない状態だった。自分のことを考えるだけで精一杯だった。また、自分の前の席の子がハムスターの生態について説明し終わると、先生が「何か質問のある人!」と言った。すると、クラスの中でも活発な女子のアン・ドネリーが「そのハムスターの生態というのはどうやって調べたんですか!」と聞いた。
ライアン・コールフィールドは、「図鑑などで調べました!」と答えたのだが、その途端、クラス中が「ええ~!?」という嵐に見舞われた。アン・ドネリーがまるで我が意を得たりとばかり「それはおかしくないでしょうか?自分で飼った経験があるならともかく、図鑑を丸写ししただけなんて、本当の自由研究じゃないと思います!」
「そうだ、そうだ!!」と他のみんなが囃し立てたため、ロンはますますドキドキしてきた。(ぼくは今もカブトムシを飼ってるけど、でも、野生のを捕まえたとかじゃなくて、デパートで買ってもらったなんて言ったら、どうなるんだろう……)
『ええ~っ。カブトムシをわざわざ自由研究のために買ってきたのかよぉ~』
『笑える~』
『でもまあ、あいつんち、金持ちだからさあ』
そのあと、女子たちがくすくすと忍び笑いをするのが、ロンは耳元で聞こえる気さえしたものである。
ところで、ライアン・コールフィールドはクラス内でお調子者として通っており、この時も「いいじゃんか!俺、ハムスター大好きなんだもん。でも家で飼ってもらえないから、仕方なく自分で飼ってるってことにして自由研究にしたんだ。悪いか!!」と答えて、この話はそれきり終わりだった。そして四限目の授業の鐘がなり、マクブライド先生は大きな厚い手のひらを二度打ち鳴らした。
「よし、じゃあ来週の月曜日は、ロン・マクフィールドの自由研究からはじめよう!五限目は体育だからな、着替えて体育館に移動するのに遅れないように!!」
体育の授業は跳び箱だった。けれど、ロンがあまりうまく跳べなくても、他の生徒たちは大して注目してもいない。マクブライド先生には「ロン!もっと勢いをつけて高く跳ばないと、いつまでも尻餅をついたままだぞ!!」と注意されたが、他にも跳べてない子が何人かいるため、ロンはそれほど気にしなかった。
とにかく列に並んで、自分の番が来たら跳んで、尻餅をついて……そんなことを何回か繰り返していれば時間は過ぎて授業は終わる。けれど、バスケットとかサッカーということになると、ロンはただなんとなくみんなと一緒に走るだけなので、「おまえは一体なんのためにいるんだ!」とか「もっとチームに貢献しろ!」と言われてぐっさり傷つくことになるのだった。
――こうして、特に何をした、これをした、あれをしたというわけでもないのに、学校の授業がすべて終わって帰ってきただけで、ロンはぐったりと疲れきっていた。そして家に帰るとその疲れを癒すために、まずは漫画を読む。家に新しくやってきたおねえさんはいい人で、子供たちが学校から帰ってくると、まず真っ先におやつとジュースを出してくれる。
いい人だ、とロンは思う。まるでぼくが学校で惨めな思いをして疲れているのをよくわかってくれてるみたいだ、とも……。
ロンは漫画を読んでいる時だけ、学校という監獄が与える恐怖や不安を一時的に忘れることが出来た。けれど、おやつを食べ終わって一心地つくと、学校の宿題や予習をはじめる。何故といって突然当てられた時に恥をかきたくないからだった。また、あと何か少しショックを受けるような出来事が起きただけで、自分は学校へ通えなくなるだろうと、ロン自身無意識のうちにもわかっていたという、そのせいかもしれない。
隣の部屋からはよく、『もうランディ、宿題しなきゃダメじゃないの』だの『ゲームはそろそろ終わりにしなきゃダメよ』といったような、おねえさんの声が聞こえてくる。
(ダメだよ、おねえさん。そんな言い方じゃあ、ランディ兄さんにはまるで効果なしだ)と、ロンは心の中でおかしくなる。そしてランディの場合はそれでもいいのだと、ロンはよく知っていた。何故といって、兄には宿題を忘れたら見せてくれる友達もいれば、予習なんて何もしなくても「わっかりませ~ん!」などと言ってまわりを笑わせる度胸もあるからだ。
(ぼくも、痩せてなくって兄さんみたいに太っててもいいから……ああいう天真爛漫な性格だったら良かったんだけど)
次におねえさんがミミを連れて自分の部屋へやって来るとわかっているので、ロンは途中まで描いた漫画絵を隠して、その上に教科書とノートを置いた。宿題オッケー、予習もオッケー、おねえさんから注意されるようなことは、何もないはずだ。
「あんまり夕ごはん食べてないみたいだったけど、大丈夫?」
マリーが部屋に入ってくるなり想像してなかったことを聞いたので、ロンは少しだけ驚いた。
「なんだか、顔色もあまり良くないし……何か心配ごとでもあるの?」
そう言って、手のひらをロンの額において熱をはかるような振りをする。
「ロン兄たん、おねつあるのー?」と、ミミがヌメア先生の額に手をあてながら聞く。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだし、明日は土曜日で、学校も休みだしね」
「そう?だったらいいんだけど……」
マリーはロンに対しては、消灯時間についてほとんどうるさく言わない。彼が兄と同じように仮にこっそり夜中まで漫画を読んだり自分でも描いたりしてたとわかっても、おそらくそんなには叱らないだろう。そのこともロンにはよくわかっていた。
この時もマリーには自分から何かを聞きだそうとするような気配があると感じていながらも、ロンはやはり何も言わなかった。大好きなおねえさん。でも、学校で自分がどんなに惨めな思いを味わっているかを知ったら……そう知ったところで何も出来ないのに、心配だけかけても仕方がないじゃないか。それがロンが最終的に出した結論だった。
>>続く。
今回は、前回のヒギンスンがディキンスンと出会った時のことについて、彼がまたその翌日に書き綴った妻への手紙からの引用と、その二十年後、『アトランティック・マンスリー誌』(1891年10月号)にヒギンスンが寄稿した記事を並べてみたいと思いましたm(_ _)m
>>「家庭とはどんなものかお教え下さいますか」
>>「私には母がいません。困った時は、母のところへ走って行くものだと思うのですが」
>>「私は十五歳になるまで時計の見方を知りませんでした。父は私に教えたと思ったのに私は分らず、しかも、分らないと言うのが怖いし、父が知るといけないというので誰かに尋ねるのも怖かったのです」
>>「物事が私たちの心から去るのは忘却でしょうか吸収でしょうか」
>>「(またいつか来るとおっしゃらずに)かなり経ってからとおっしゃって下さい。いつかというのはいつでもないのです」
>>「長い間眼を使えないでいて、その後シェイクスピアを読むと、何故他の本が必要なのかと思いました」
そしてヒギンスンは「私の神経をこれ程消耗させる人と一緒にいたことがない。彼女に触れないのに、彼女は私から吸い取っていった。私は彼女のそばに住んでいるのでなくてありがたい。彼女は何度も私が<疲れている>のではと気にかけ、他人に対して思いやりが深いように見えた。」と付け加え、妹たちに書いた手紙には「私の文通相手である風変りな詩人」とディキンスンを描写している。
>>まごうことなく私が抱いた印象は、過度の緊張と異常な生活であるということだった。二人のかかわりは私の意志でなく、彼女の方の要請で、避けられなかったものであるが、あのどこか無理に緊張したような状態も、おそらくやがては、私もそこを乗り越えることが出来ていたかもしれない。
確かに、それを単純な真実、よくある友情のレベルに喜んで落とすべきだったかもしれない。しかしそれは決して楽なことではなかったのである。彼女はあまりに謎めいた人間で、私は一時間の会見で解き明かすことなど出来なかった。
それに、少しでもぶしつけに問いつめようなどとしようものなら、彼女は殻にこもってしまうだろうと勘でわかった。私は森の中でもそうするようにただじっと坐って観察しているだけだった。エマスンに勧められたように、鉄砲を使わずに自分の目指す鳥の名を当てなければならなかったのである。
引用のほうは、『エミリ・ディキンスンの手紙』(山川瑞明・武田雅子さん編訳/弓プレス)からなのですが、このヒギンスンの『アトランティック・マンスリー』へ寄稿した記事については、思潮社刊の『ディキンスン詩集』(新倉俊一さん訳編)のほうにもっと長いのが載っていますm(_ _)m
でも本当に、「後世」という観点から見ると、ヒギンスンの功績はとても大きい、とは思うんですよね(^^;)
エミリーにはヘレン・ジャクスンという、当時の流行作家で詩人でもあった友人がいたのですが、彼女はエミリーの才能をとても高く買っていた人でした。そして、ヒギンスンは作家であり詩人でもあるヘレンの才能については高く評価していながらも、エミリー・ディキンスンの詩人としての才能については見抜くことが出来なかったわけです。
>>このように比較したからといって、ヘレン・ジャクスンをけなすわけではない。彼女は流暢な弁舌を駆使して白人のインディアン迫害を扱った『ラモウナ』を書いたが、この小説はいまだに読者の心を動かしている。
エミリ・ディキンスンの詩にたいする彼女の洞察力は、ディキンスンの生前に彼女の詩を読んだどの批評家よりも鋭いものだった。彼女のペン先からあふれ出た何冊もの詩や小説は、彼女の同時代のひとびとの目には永遠のものと映ったが、今日ではほこりをかぶり、彼女の名前はおもに彼女がその沈黙を残念に思ったアマストの友人(エミリ・ディキンスンのこと)の輝きの反映のなかに残っているだけだ。
(『エミリ・ディキンスン評伝』新倉俊一・鵜野ひろ子さん訳/国文社より)
本当に何故、ヒギンスンはヘレン・ジャクスンの才能は高く評価しながら、エミリー・ディキンスンという今や詩人として永遠の栄光に輝く彼女の才能を見抜くことが出来なかったのか……エミリーがヒギンスンに手紙を出した時、彼がヘレンのように自分を詩人として高く評価してくれるだろうことを彼女も期待したはずです。
ヘレン・ジャクスンがエミリーとやりとりしていた手紙を読みますと、彼女がエミリーのことを本物の詩人として高く評価し、また非常に的を得たことを言っているのがわかります。またヘレンはエミリーに「詩人の仮面舞踏会」というアンソロジー本に匿名でエミリーの詩を載せることをどうにかしてこぎつけたという人でもありました。
>>「あなたの詩の入った紙ばさみはどんなのでしょう。――あなたがそれらの詩に光をあてておやりにならないのは、あなたの「同時代の人たち」にたいして、とても残念なことですわ。――もし私の方があなたより生きのびるようなことがありましたら、私をあなたの文学遺産の受取人兼執行人にして下さるといいのですが。あなたがいわゆる「故人」なんてものにおなりになったら、きっと、あなたの後に残された可哀想な幽霊たちがあなたの詩によって励まされたり、楽しんだりすべきだと思うようになられることでしょう。そうお考えになるべきですわ。――ひとつの魂でも助けられるかもしれないというのに手を差しのべようとはしないのと同様に、言葉や心をこの世に与えずに取っておく権利などないと思いますわ」
(『エミリ・ディキンスン評伝』新倉俊一・鵜野ひろ子さん訳/国文社より)
残念ながら、ヘレンはエミリーが亡くなるよりも九か月先に54歳でその波乱に満ちた生涯を閉じました。もしこの手紙にあるように、エミリーよりもヘレンのほうが長生きしていたとすれば、おそらくヒギンスンとヘレンとでエミリーの詩集は編纂されていた可能性もあったのではないでしょうか。
けれども、ヘレン・ジャクスンがエミリーの詩人としての才能を高く評価し、是非とも印刷されて出版されるべき……と考え、エミリー本人にもそのように熱心に勧めたのとは逆に、ヒギンスンはそうは考えなかった、ということなんですよね(^^;)
そしてヘレン・ジャクスンにしてもヒギンスンにしても、文学者として名前が覚えられ、その生涯がどんなものであったかを後世の人々が知ることになるのはすべて、エミリー・ディキンスンという生きている間は無名だった詩人のお陰だというのは、なんだかとても面白いことのような気がします(ふたりがそれぞれ、エミリーの詩人の才能に対し、違った反応を見せた、という意味合いにおいて)。
そういえば、かなり前のことになりますが、ヘレン・ジャクスンの『ラモウナ』を一度、図書館で見かけたことがありました。「いつか読んでみたいな~♪」と思いながらいまだに読めてないのですが(汗)、けれども自分の死後百年が経っても、その著作物が残り、さらには他の国の言語でも訳されている……って、本当にすごいことだと思います
それではまた~!!
第6章 ロンの悩み
九月になり、新学期がはじまっても、ロンは相変わらず憂鬱に沈んでいた。何分、三年から四年へは学年が持ち上がりであるため、クラスの面子には何も変わりないのだ。ゆえに、ディズニーランドでいかに面白楽しく過ごそうとも、ロンは学校がはじまる二日前にはこれから再び牢獄へ戻らねばならぬような、苦しい、心乱れる思いでいっぱいだった。
もちろん、朝屋敷を出る時には、そんな素振りは毛ほども見せない。何より、新しく家に来たばかりの綺麗な人のことをロンは悲しませたくない。けれど同時に、学校へ向かう道すがら、こうも思う……(あのおねえさんなら、もしかしてわかってくれるかもしれない。学校へ行きたくないっていったら、行かなくてもいいって言ってくれるかもしれない。あのおねえさんなら……)
なんにしてもロンは、二か月もの長い夏休みの間、自分の疲れきった心を休めてはいた。「行きたくもない学校の宿題をしてなんになるだろう」と思いながらも、兄のイーサンのことが怖くて宿題のほうは割と早く片付いてよかった。自由研究のほうはカブトムシの飼育日誌だ。ランディやココやミミと一緒にデパートへ行った時、おねえさんが「欲しいの?」と言ってくれたので、「うん」と言ったら買ってくれた。
あのおねえさんのお陰で日曜学校で友達も出来た。彼――ケイレブ・スミスは前の学校でいじめに合っていたので、学校へ行きたくないぼくの気持ちをわかってくれるという。「ほら、ぼくもさ、学校を転校したら色々うまくいくようになったんだよ。だからロンも、そういうことも少し考えたほうがいいよ」……だが、そうだろうかとロンは思う。
第一、ロンの場合いじめに遭っているというわけではなかった。単に暗い、面白味のない奴、ひとりでいるのが好きな奴と他のクラスメイトたちに思われ、一度そう思われていると思うと、何故かそのとおりの奴を演じてしまうという、それだけだった。
(ぼく、本当はそんなにネクラってこともないと思うんだけど……色々面白いことだって知ってると思うんだけど……それに、ひとりでいたいなんて、全然思ってないんだけど!)
けれど、そう突然大きな声で言う勇気もなく、ロンの学校生活における毎日は過ぎていき――新学期がはじまって一週間くらいになった時、自由研究を発表するということになった。ロンはこういう種類のことがとても苦手だ。おねえさんはロンのカブトムシがよく描けていると言って褒めてくれたけれども、みんなの前に出ていってその絵を見せながらひとつひとつ説明していくなんて、ロンには気の遠くなりそうなことだった。
そこで、自由研究の発表会があった日、いつ自分の順番が回ってくるかと、本当にドキドキした。心臓が破裂する寸前だったと言っても過言ではない。ロンは(自分の番が回ってくるまで、あと六人、五人、四人……)と数えていき、他の子の発表したことなど、ほとんど頭には入ってない状態だった。自分のことを考えるだけで精一杯だった。また、自分の前の席の子がハムスターの生態について説明し終わると、先生が「何か質問のある人!」と言った。すると、クラスの中でも活発な女子のアン・ドネリーが「そのハムスターの生態というのはどうやって調べたんですか!」と聞いた。
ライアン・コールフィールドは、「図鑑などで調べました!」と答えたのだが、その途端、クラス中が「ええ~!?」という嵐に見舞われた。アン・ドネリーがまるで我が意を得たりとばかり「それはおかしくないでしょうか?自分で飼った経験があるならともかく、図鑑を丸写ししただけなんて、本当の自由研究じゃないと思います!」
「そうだ、そうだ!!」と他のみんなが囃し立てたため、ロンはますますドキドキしてきた。(ぼくは今もカブトムシを飼ってるけど、でも、野生のを捕まえたとかじゃなくて、デパートで買ってもらったなんて言ったら、どうなるんだろう……)
『ええ~っ。カブトムシをわざわざ自由研究のために買ってきたのかよぉ~』
『笑える~』
『でもまあ、あいつんち、金持ちだからさあ』
そのあと、女子たちがくすくすと忍び笑いをするのが、ロンは耳元で聞こえる気さえしたものである。
ところで、ライアン・コールフィールドはクラス内でお調子者として通っており、この時も「いいじゃんか!俺、ハムスター大好きなんだもん。でも家で飼ってもらえないから、仕方なく自分で飼ってるってことにして自由研究にしたんだ。悪いか!!」と答えて、この話はそれきり終わりだった。そして四限目の授業の鐘がなり、マクブライド先生は大きな厚い手のひらを二度打ち鳴らした。
「よし、じゃあ来週の月曜日は、ロン・マクフィールドの自由研究からはじめよう!五限目は体育だからな、着替えて体育館に移動するのに遅れないように!!」
体育の授業は跳び箱だった。けれど、ロンがあまりうまく跳べなくても、他の生徒たちは大して注目してもいない。マクブライド先生には「ロン!もっと勢いをつけて高く跳ばないと、いつまでも尻餅をついたままだぞ!!」と注意されたが、他にも跳べてない子が何人かいるため、ロンはそれほど気にしなかった。
とにかく列に並んで、自分の番が来たら跳んで、尻餅をついて……そんなことを何回か繰り返していれば時間は過ぎて授業は終わる。けれど、バスケットとかサッカーということになると、ロンはただなんとなくみんなと一緒に走るだけなので、「おまえは一体なんのためにいるんだ!」とか「もっとチームに貢献しろ!」と言われてぐっさり傷つくことになるのだった。
――こうして、特に何をした、これをした、あれをしたというわけでもないのに、学校の授業がすべて終わって帰ってきただけで、ロンはぐったりと疲れきっていた。そして家に帰るとその疲れを癒すために、まずは漫画を読む。家に新しくやってきたおねえさんはいい人で、子供たちが学校から帰ってくると、まず真っ先におやつとジュースを出してくれる。
いい人だ、とロンは思う。まるでぼくが学校で惨めな思いをして疲れているのをよくわかってくれてるみたいだ、とも……。
ロンは漫画を読んでいる時だけ、学校という監獄が与える恐怖や不安を一時的に忘れることが出来た。けれど、おやつを食べ終わって一心地つくと、学校の宿題や予習をはじめる。何故といって突然当てられた時に恥をかきたくないからだった。また、あと何か少しショックを受けるような出来事が起きただけで、自分は学校へ通えなくなるだろうと、ロン自身無意識のうちにもわかっていたという、そのせいかもしれない。
隣の部屋からはよく、『もうランディ、宿題しなきゃダメじゃないの』だの『ゲームはそろそろ終わりにしなきゃダメよ』といったような、おねえさんの声が聞こえてくる。
(ダメだよ、おねえさん。そんな言い方じゃあ、ランディ兄さんにはまるで効果なしだ)と、ロンは心の中でおかしくなる。そしてランディの場合はそれでもいいのだと、ロンはよく知っていた。何故といって、兄には宿題を忘れたら見せてくれる友達もいれば、予習なんて何もしなくても「わっかりませ~ん!」などと言ってまわりを笑わせる度胸もあるからだ。
(ぼくも、痩せてなくって兄さんみたいに太っててもいいから……ああいう天真爛漫な性格だったら良かったんだけど)
次におねえさんがミミを連れて自分の部屋へやって来るとわかっているので、ロンは途中まで描いた漫画絵を隠して、その上に教科書とノートを置いた。宿題オッケー、予習もオッケー、おねえさんから注意されるようなことは、何もないはずだ。
「あんまり夕ごはん食べてないみたいだったけど、大丈夫?」
マリーが部屋に入ってくるなり想像してなかったことを聞いたので、ロンは少しだけ驚いた。
「なんだか、顔色もあまり良くないし……何か心配ごとでもあるの?」
そう言って、手のひらをロンの額において熱をはかるような振りをする。
「ロン兄たん、おねつあるのー?」と、ミミがヌメア先生の額に手をあてながら聞く。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだし、明日は土曜日で、学校も休みだしね」
「そう?だったらいいんだけど……」
マリーはロンに対しては、消灯時間についてほとんどうるさく言わない。彼が兄と同じように仮にこっそり夜中まで漫画を読んだり自分でも描いたりしてたとわかっても、おそらくそんなには叱らないだろう。そのこともロンにはよくわかっていた。
この時もマリーには自分から何かを聞きだそうとするような気配があると感じていながらも、ロンはやはり何も言わなかった。大好きなおねえさん。でも、学校で自分がどんなに惨めな思いを味わっているかを知ったら……そう知ったところで何も出来ないのに、心配だけかけても仕方がないじゃないか。それがロンが最終的に出した結論だった。
>>続く。