こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

アンドロメダ・ストーリーズ。-【1】-

2021年08月30日 | 日記

(※竹宮惠子先生の漫画『アンドロメダ・ストーリーズ』のネタばれ☆がありますので、くれぐれも御注意くださいませm(_ _)m)

 

 さて、今回は竹宮惠子先生の『アンドロメダ・ストーリーズ』です♪

 

 読んだ理由は、小学生くらいの頃『ドラえもん』を読んでいて、確かジャイ子ちゃんが出てくるお話だったと思うのですが、ジャイ子ちゃんって漫画家を目指してるじゃないですか(ちなみにペンネームはクリスチーネ剛田。投稿してる雑誌は『コミック少女』)。その漫画の中に『あんころもちストーリーズ』っていう、宇宙であんころもちを食べる話……ではたぶんないはずですが(笑)、そんな漫画がチラと出てきたのを覚えてたことと、あとはもちろん例の萩尾先生と竹宮先生の問題に関連して、です(^^;)

 

『一度きりの大泉の話』に、>>「1977年に光瀬龍先生の『百億の昼と千億の夜』の連載を始めた時は、どこからか、OSマンションの方も光瀬先生の大ファンだと風の噂が流れてきて、これも排他的独占欲領域にひっかかったかな?と青くなりました。光瀬先生は気さくな良い方でしたが、そうと知って以来、連載が終わった後は光瀬先生から何かのお誘いがあってもお断りして逃げました。すみません」と書いてあって――正直、一読者的には「ええと、そんなに気を遣わなくちゃいけないのかなあ。むしろ萩尾先生は被害者なのに……」と、最初は例の思考法によって思ったわけです(萩尾先生=何ひとつとして悪くない被害者・竹宮先生=絶対悪☆みたいな・笑)。

 

 ええと、まあ例によってそういった不純な(?)動機によって読みはじめたもので、普通の感想書けるかどうかわかりませんが、とにかく一言で言ったとすれば、すごく面白かったです!光瀬龍先生が原作なので、ストーリーの面白さについて言えば光瀬先生を褒め称えるべきなのかな……と思ったりもしますが、何より竹宮先生の漫画家としての技量が最大限炸裂しているという意味でも、読んでみて決して損はない傑作と思うんですよね(おお!何やらエラそうだな^^;)

 

 そのですね、わたしが同じ光瀬先生原作で、『百億の昼と千億の夜』と『アンドロメダ・ストーリーズ』を続けて読んだことには、ある理由がありました。萩尾先生が先に『百億の昼と千億の夜』を描かれているので――そのあたりのことを竹宮先生がまったく気にしなかったのかどうかとか、そういったことです。また、「そんなこと漫画だけ読んだってわからんがな」と最初は思ったのですが、『アンドロメダ・ストーリーズ』の第1巻の巻末に書いてあったんですよね。

 

 萩尾先生が『百億の昼と千億の夜』を漫画化するにあたっての経緯と言いますか、そのあたりについては手塚治虫先生との対談の中に書いてあるのを読みました

 

 

 >>手塚先生:「光瀬さんの作品をとりあげたその原因というのはなんなの?」

 

 萩尾先生:「それはたまたま『週間少年チャンピオン』の編集部に光瀬さんのファンがいて、体系的に読んだことがないといいましたら、本を全部貸してくれたんです。借りたからには読まなくては……。で、『百億の昼と千億の夜』がよかったという話をしましたら、もし描くんだったら光瀬さんに頼んであげますよってわけです」

 

 手塚先生:「ぼくはね、なんでブラッドベリから光瀬龍に転換したのかなと思って。そこらへんにひとつの見解の転換があって、ファンタジー的なものから、どちらかというとシリアスなSFへ移行するのかなと思って……」

 

(『手塚治虫対談集』第4巻/講談社より)

 

 

 ですから、萩尾先生の場合は編集の方を介して『百億の昼と千億の夜』を漫画化することになったらしい、とわかります

 

 一方、竹宮先生の場合は、竹宮先生が光瀬先生のファンで、お手紙を出されたことが、出会いのきっかけ――といったように書いてありましたそしてその後、『決闘2108年』という光瀬先生のお話を漫画化させてくださいとお願いし、さらに『地球へ……』の連載終了後、月刊マンガ少年編集部から「光瀬先生に原作を書き下ろしていただけるのであれば描けるんじゃないか」とそそのかされて、『アンドロメダ・ストーリーズ』が誕生することになった……といった、そうした経緯のようです(※詳しくは『アンドロメダ・ストーリーズ』の第1巻をお読みください……といったところかも^^;)。

 

 それで、この巻末の竹宮先生の文章の中で、自分的に一番重要だったのが――>>「中でも気に入っているのは性格も含めて、イル。光瀬先生の作品、『百億の昼と千億の夜』に登場する〃阿修羅〃が描きたくてあの形になりました」……いえ、増山法恵さんの『永遠の少年』を読んでる時にも思いましたが、ここを読んでわたし的には一気に脱力しました。昔、薬屋さんがくれた風船……あれを口で膨らませて、最後手で縛らずに放すとぷしゅううう!って空中に飛んでいくという、ちょうどあんな感じです。。。

 

 もちろん、文章に「萩尾先生」のお名前は萩尾のハの字も、望都のモの字も出てきません。ただ、この短い一行だけ読んで、自分的にはこう理解しました……というか、想像しました。ちなみに、イルというのはアンドロメダ・ストーリーズに出てくる、中性的な容姿をしているように見えて(特に何も言われなかったら、男の人にも見える)実は女性の、源義経をなんとなく彷彿とさせる容姿の登場人物です。『百億の昼と千億の夜』の阿修羅も、容姿が男っぽく見えて少女なので、竹宮先生にとっても、萩尾先生の描いた阿修羅はとても魅力的だった――そういうことなのではないでしょうか。

 

 まあ、傷つけた側にはありがちなことかもしれませんが、『風と木の詩』によって本懐を遂げられた竹宮先生にとっては、『地球へ……』も大ヒットしたし、この頃はもうすでに萩尾先生に対する嫉妬からはとっくの昔に脱皮した――という、そうした段階になられてさらに時が随分経過されておられたのではないかと想像します。

 

 また、「だからこそ」という部分もあったのではないかと思うんですよね。簡単にいえば、健全で対等な漫画家のライバルとして、是非とも挑戦してみたい……という、そうした部分もあったのではないでしょうか(もちろん一番は、光瀬先生に原作を書き下ろしていただけるという何にも代え難い魅力であるにしても)。

 

 実をいうとわたしが思うに、『百億の昼と千億の夜』と『アンドロメダ・ストーリーズ』って、全然関係ないように見えて、姉妹編のような物語と思うんですよね。つまり、漫画の『百億の昼と千億の夜』では、〃シ〃が何者かとか、「惑星委員会」とは結局なんだったのか……という謎が解かれていません。

 

 一方、『アンドロメダ・ストーリーズ』をある程度まで読むと、途中でこの〃シ〃というのが、老師という人物ではないかと想像されてきます。これはあくまでこのふたつの物語を続けて読んだわたしの推察なのですが、〃シ〃とは老師の「師」のことだと思うんですよ(わたしが最初に『百億の昼と千億の夜』を読んだ時には、これも一読者の想像として、〃シ〃とは「死」や「始」を指していると仮定して読んでました。でも、〃シ〃とは、この老師と呼ばれる人物のことだと考えると、色々なことがわかってくるわけです^^;)。

 

『百億の昼と千億の夜』を読むと、萩尾先生のSF作品にも大きな影響を与えたのだろうと汲み取れることから――光瀬先生の作品が萩尾先生に与えたインパクト、打撃といったものは相当大きいものだったのだろうと想像されます。また、竹宮先生が萩尾先生が漫画化した『百億の昼と千億の夜』を読んだことがきっかけで、その後光瀬先生の小説をお読みになってファンになられたのか、それとは関係なく前からお好きだったのかどうかはわかりません。ただ、萩尾先生が光瀬先生の作品から大きな影響を受けたように、それは竹宮先生もまったく同じように強く惹きつけられるものがあったに違いないと、その点は共通して凄くよくわかるわけです。

 

 ところが、萩尾先生は例の盗作疑惑事件と手紙の件があるゆえに、その後は竹宮先生に気を遣って、>>光瀬先生から何かのお誘いがあってもお断りして逃げた……いえ、最初は一読者的には「そこまで気を遣わなくても、萩尾先生……」なんて思いましたが、「わたしはあの人に嫌われている」と感じてる人には、普段誰でも実はそのくらい気を遣うことはあるよなあ、なんて、あとから気づきました。また、同じ漫画業界という場所にいて、ニアミスする機会も多いとなったら(同じ雑誌で連載してるとなったら尚更)、そうならざるをえないようにも思うんですよね

 

 それはさておき、わたしが『百億の昼と千億の夜』と『アンドロメダ・ストーリーズ』を姉妹編のようだと感じることの理由ですが、まず第一が〃シ〃=老師の「師」ではないかと思うこと、そして「惑星委員会」が何者かというと、それは「コンピューターシステム」だったのではないかということなんですよね。もちろん今のわたしたちの世界においては、コンピューターっていうのは基本的に人が使役するものです。ところが、それが究極的に進化・発達した世界では――「人間を幸福にするため」に造られたはずのコンピューターが逆に人間を支配するようになる、という。そして、老師と呼ばれる人がこの巨大コンピューターシステムをプログラムした人物であり、老師は「人間にとっての理想郷建設」のために、このコンピューターシステムにそのような命を下したわけです。

 

 

 >>『老師クフ……ワガ創造主ヨ。ナゼ、オマエハ私ニ抵抗スル。モウ、何年、何世代――イヤ、何世紀ニモ渡ッテ……ナゼ私ノスルコトニ抵抗スルノカ?私ニソレヲ命令(プログラム)シタノハ他ナラヌオマエダ』

 

「おまえに命令(プログラム)したのは過去のわしだ。あれは間違いだった。もっと早くおまえの魔性に気づいていれば、これほどのたくさんの星を犠牲にせずにすんだものを」

 

『間違イナドナイ。命令(プログラム)は完璧ダ。ソレガ証拠ニ何ノ支障モナク動イテイル』

 

「わしは『全ての人間の理想郷建設を』と考えた……それが間違いだった。全ての人間に同じ理想などあてはまるわけがない。それは即ち夢想の中にしかないものじゃった!ダイオーで、ケンタウロス5で、ロドリヤンで――グローヴという星もあった。粉々に砕け散っておまえの支配から逃れた星もある。あるいは全て機械におおわれて――支配を享受した国もある。おまえは生命の気配のある星という星へ移住し、自分のコピーを送りこみ……次々と人間を滅亡へとかりたてた。わしは流れ流れてミュラトの星へ着いた。そこにはまだ原始的な民族しか住んでなかったが、わしは二度とおまえの手に落とすまいと、文明の発展を遅らせる努力さえした。だが人は文明にとりつかれると、狂気のように滅亡へと向かうのだ」

 

『滅亡デハナイ。狂気デモナイ。ソレハオマエノ勝手ナ考エダ。人ハ便利ヲ欲シガルモノ。優雅ヲ欲シガルモノ。ソシテ私ハソレヲ与エルモノダカラ』

 

「求めれば与えられる。そんな中に幸福はない!間違いだ。はじめから間違いだったのだ!わしはだからおまえを壊すため、ここまで生きのびた!」

 

『ドウヤッテ?私ハ私ノ目的ヲ達スルタメニ、抵抗スルモノハ抹殺セヨト命令(プログラム)サレテイル』

 

「そうするがいい!わしはおまえを壊す以外に、幸福は得られないのだ!」

 

『ワカッタ。私ハ命令(プログラム)ドオリ、理想郷建設ニ反対スルオマエタチヲ抹殺スル――抹殺……殺!!!キュピルン (`ФωФ')(´。✪ω✪。`) カッ!!!』 

 

 

 結果、このコンピューターシステムは、人間という生命の確認された惑星に取り憑くと、その惑星の隅々までを自然に至るまで機械生命化し、人間の住めない星へと造り変えていく……ということになるというか。「え?それがなんで人間にとっての理想郷?」となると思うのですが、『アンドロメダ・ストーリーズ』においては、アンドロメダ星雲にある星のひとつが主な舞台となっており、このコンピューターシステムにコスモラリア帝国という国が乗っ取られるというところから悲劇が始まります。

 

 やがて、多くの人間が機械昆虫に体内へ侵入され、機械生命体へと変えられてゆくわけですが、それらの人々の「魂」、「心」がどうなったかというと――肉体と分離された状態で保存されているわけです。そして、その魂というか、心だけの世界では、人々はなんの恐怖も不安もなく、とにかく喜び楽しみ、天国のような世界を謳歌している……と言いますか。

 

 ただ、映画の『マトリックス』と同じく、「そんなものを本当の幸福と呼べるか?」という問題があるとはいえ、この巨大コンピューターシステムは「それが生命体の確認された惑星における最良の状態、理想郷である」とプログラムされていて、とにかくそのプログラムに従い、この計画を邪魔する者は何者であれ徹底的に抹殺・排除してゆきます。

 

 老師と呼ばれる人物が、この怪物コンピューターをもっと早い段階でどうにか出来なかったのか……とも思いますが、わたし個人の勝手な想像としては、おそらくこの怪物コンピューター、最初は惑星委員会と呼ばれる人間たちが運営する組織によってコントロールされていたんじゃないかな、なんて思うわけです。ところが、人間を機械生命体へと造り変えていくところまでコンピューターが進化した時――この人間の支配とコンピューターによる支配が逆転してしまったのかもしれません。そしてこののちは、誰にもどうにも手のつけられない状態にまでなってしまい、それは彼らをプログラムした老師にでさえもどうにも出来ないことだった。

 

 こうして、老師が元いたミュラトという惑星も滅びます。また、先ほど名前のでたイルも、人間自らがサイボーグ戦士となってまでこのシステムと戦いましたが、彼女がいた惑星も彼らに負けて滅んでしまったわけです(彼女はその星、ロドリヤンの生き残りです)。

 

『アンドロメダ・ストーリーズ』の物語の中核は、これまでにいくつもの惑星をその<システム>によって滅ぼしてきたこの怪物コンピューターと戦い、今度こそ滅ぼせるか否か……ということだと思うんですよね。そして言うまでもなくそこに、色々な人々の命と心のドラマがあるわけです。

 

 あ、ちなみにわたし、『アンドロメダ・ストーリーズ』はラストの3巻に至るまで、面白かったので一気に読みました。ただ、最初に読んだ時、軽く欲求不満を覚えたというのがありまして……それは何もストーリーに何か不満があったとか、竹宮先生の漫画の表現に関して文句があったということではなく、ただ、物語のシミュレーションとして、「本当に他に道はなかったのだろうか」と、やっぱり考えざるをえなかったというか。

 

 ええとですね、次回、具体的な物語の内容について書こうと思ってるのに、先にラストに関することを書くのはなんですが(汗)、『地球へ……』が、人類vsコンピューターシステムにおける、最終的な人間の勝利というラストであったとすると、『アンドロメダ・ストーリーズ』は、人類がコンピューターシステムに負けてしまうという物語だと思うんですよね。もちろん、これで人間が勝利してしまうと、『地球へ……』となんとなく似た感じになってしまいますし、最終的にその後ウィキを見て、自分がよくわからなかったところがわかってくると、「嗚呼、あのラストで良かったんだな……」と納得することが出来ました(^^;)

 

 そして、今一度物語のほうを回想しますと(あ、ちなみに漫画における竹宮先生の表現力は120%完璧と思います!)、人間がコンピューターシステムに負けていくという徹底的なまでの悲壮感があって、これはこれで容赦ない感じのするところが今はむしろ作品として高く評価できるポイントのような気がします(なんだか漫画評論家のやう・笑)。

 

 まあ、例の萩尾先生と竹宮先生の問題に話を戻すとしますと……わたし自身は盗作疑惑についての件は、「漫画家・竹宮惠子の人生上の汚点」といったようにはまったく思ってないとはいえ、その「汚点」とか、大袈裟に「黒歴史」と言われることの評価というのが――関わりのあった萩尾先生・竹宮先生・増山法恵さん、そしてそのことを知った読者さんたちの間で、物凄く大きく異なるわけですよね。

 

『一度きりの大泉の話』の中で、竹宮先生が自分を本の中で褒めていると知り、萩尾先生はすごく驚いているわけですが、そこを読むだけでも――萩尾先生は竹宮先生が「人間として自分のことを嫌っている」とずっとそう思ってらしたのだと思います。でも、竹宮先生・増山さん双方ではまったくそんなことはなく、竹宮先生のほうではむしろ、「萩尾先生と肩を並べ続けられるような漫画家でありたい」といったリスペクトさえ感じられます(あ、これは漫画を読んでて、ということですけど^^;)。

 

 竹宮先生・増山さんサイドでは、「過去にそんなことも確かにあった」という、汚点とも呼べないような過去の小さなシミが、傷つけられた萩尾先生のほうでは顕微鏡で拡大したかのように大きく見えている……でもそれは決して「たったそれだけのことで?」ということではなく、まったく同じ状況や環境を与えられたとすれば、「それはつらいわ。ようかなわんわ」といった感じのことなわけです(そしてそれがこの問題の切ないところ……と、自分的に感じる点だったり)。

 

 あと、わたし『百億の昼と千億の夜』と『アンドロメダ・ストーリーズ』について姉妹篇と書きましたが、これはあくまでこのふたつの作品を続けて読んだわたしの印象です。もしかしたら、光瀬先生の他の小説のほうで〃シ〃の正体や「惑星委員会」について、彼らが何者なのかが明かされているのかもしれません。

 

 でもとにかく……竹宮先生の『アンドロメダ・ストーリーズ』は、漫画としての表現がズバ抜けて素晴らしく、賞賛の言葉しかないと感じる一方、そうしたこと云々ではなく、萩尾先生的には「光瀬先生とはもう二度とお仕事できない」と感じるという、そうしたことだったと思うんですよねそして、そのあたりの受けとめに関しても、まったく悪気のない竹宮先生との間では、そのくらい考え方に落差があったのだろうということ――この食い違いは、ほんのちょっとでも話す機会さえあれば解ける程度のことなのに、この時点で7年以上口も聞いてこなかったことから、その誤解による落差はどんどん広がる一方だったのだろうなあ……と思うと、何か切ないです(竹宮先生を悪く言おうとは思わないのですが、ファンとしては「う゛う゛っ。萩尾先生、大好きです……」と、そうつぶやかずにはいられないほど^^;)。

 

 ではでは、次回はもう少しまとも(?)な感想について、それなりに真面目に書きたいと思っていますm(_ _)m

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


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