あ、ちなみにタイトルのほうに深い意味はありません(^^;)
萩尾先生と竹宮先生の例の件に関して、自分的にある程度整理がついたので……萩尾先生の漫画はもちろんこれからも読んでいこうとは思うんですけど、一度ちょっと軽くまとめておこうかな、なんて
わたし、『残酷な神が支配する』で萩尾先生に嵌まったという人で、読み終わったあと、次はどの本を読もうかな~と探していたところ、たまたま偶然『一度きりの大泉の話』を読んだわけです。それで、盗作問題の元の作品について、わたしまったく何も知らなかったので――まあ、内容を知らなければとにかくそれ以上のことはわからない……そう思って読みました、竹宮先生の『風と木の詩』を
それで、途中まで読んでてこう思ったわけです。「『残酷な神が支配する』によって、そもそも萩尾先生は同じBLというジャンルでストーリーの上でも表現の上でも、その他色々な意味で風木の遥か上を行くことで……すでにもうこの件にはカタがついているという、そうしたことなんだろうなあ」と。
前にも書いたとおり、そうすることで『風と木の詩』という漫画を象が足の裏で踏み潰すが如くぺしゃんこ☆にしたのだろうと、読者的にはどうもそうとしか思えなかったわけです(^^;)
ただ、これはあくまで一読者としてわたしが勝手にそう思ってるというだけでのことで――萩尾先生にはそうした意図はないということなんだろうなって思うんですよね。何故かというと、萩尾先生は竹宮先生のことではものすごおおく気を遣ってるというのが、インタビューを読んでもわかりますし、そもそも『一度きりの大泉の話』という本自体が、<とても優しい作りの本>ということから見ても、そのことが伝わります
わたし自身は一ファンとして「そんな盗作疑惑をかけた人に、なんでそんなに気を遣わねばならないか」みたいに思ったりもするわけですけど……竹宮先生が山本順也さんという小学館の編集者の方を紹介してくださり、それまで描いていた原稿を買い取ってくださったということや、そこから『ポーの一族』による漫画家としての大ブレイクということがあったことから――たぶん、萩尾先生にとって竹宮先生というのは、そうした意味でも大きな<恩人>ということだったのだと思います。
そのですね、『一度きりの大泉の話』や『少年の名はジルベール』を読んでも、わたしがわからなかった1970年代当時の状況について……その頃萩尾先生や竹宮先生の大ファンだったという方の感想を読み、自分的に「こういうことだったのかなあ」と想像したのが『ポーの一族』による萩尾先生の大ブレイクというのは――竹宮先生が先にそれを果たしたかったという、そうしたことだったような気がするんですよね。
そしてそのあと、萩尾先生が『ポーの一族』によって一大ブレイクを果たしたというのであれば、例の盗作疑惑をかけるといった件はおそらくなかったのだろう、という。まあ、前から書いてることの重複となりますが、竹宮先生→『風と木の詩』で大ブレイク、萩尾先生→『ポーの一族』によって、そこからほんの少し遅れて大ブレイク――といった感じであったとすれば、例の盗作疑惑はおそらく持ち上がらなかったのだろう、と。
また、これであれば「そろそろわたしたち、それぞれで仕事場を構えたほうがいいわよね。ここも手狭だし……」という感じで、大泉は円満解消、お互い対等に肩を並べる漫画家同士として、萩尾先生と竹宮先生はその後も交流を続けた、一緒に旅行へ行くこともあった――さらには、竹宮先生が増山法恵さんと一緒に暮らしていても、萩尾先生はそちらへ時々遊びにいき、三人で漫画のことや映画のことなど、普通にお友達としてそんなことで大いに仲良く盛り上がった……そんな関係性が続いたということなのではないでしょうか。
もちろん、こんなタラレバ話をしても仕方ないかもしれないのですが、結局、例の盗作疑惑という件は起きてしまったのですし、その結果、正確な理由がわからず傷ついた萩尾先生のほうが――嫉妬によって傷ついた竹宮先生よりも、その傷を長く引きずることになったのではないかと思います
そして、体調が悪くなったり原因不明の眼病になったという以外に、心の傷として悲しみがあったり、その傷が快復するまで時間がかかったということの他に……「怒り」ということも当然あったのではないか、という気がします。
ええとですね、萩尾ファンとしては、「萩尾先生は120%被害者だ!」みたいに、わたしもひたすらそこのみを主張したいとは思うのですが、『十年目の鞠絵』の収録されている『10月の少女たち』の文庫本には、『精霊狩り』シリーズも収録されていて――この『精霊狩り』シリーズは、主人公のダーナが萩尾先生、カチュカが竹宮先生、リッピが増山さん……という登場人物の配役だということなんですよね。ところが、わたしが思うには、萩尾先生が2作目の『ドアの中のわたしの息子』を描いてる時、すでに竹宮先生は『11月のギムナジウム』のことで実は内心怒っていたか、すでに心に嫉妬という感情が育っていたのではいないかと思われ……さらにはシリーズ3作目の『みんなでお茶を』の時はもう、例の盗作問題が持ち上がったあと、だったわけですよね(^^;)
そしてこの3作目の最初の1ページ2コマ目には、「MOKUSITEKATARAZU.BAKANITUKERUKUSURIWANAI」とあるのです。わたし、最初にここ読んだ時、正直「竹宮先生のことなんじゃないかなあ」と、そう思いました。もちろん、本当はなんのことなのかはわかりません。でも、この時からすでに「盗作ですって!?でもそう本当に思い込んでる人に何を言っても無意味よね」=「馬鹿につける薬はない」と、萩尾先生的にはそうとしか思えないことだったのではないでしょうか。
あと、カチュカはテレパシストで――この『みんなでお茶を』の中で、そのESPを使ってる時に、色々な人の思念が乱れ飛んでいるコマの中に>>「クク……メメがいたい。メメが……メメが……」と書いてあって……これ、どうもファンの方の間では有名なことのようです(^^;)
また、『一度きりの大泉の話』の中には、>>「あの頃、漫画を見ててわかったわよ。モーサマの絵柄が変わったから。登場人物の目が怒ってたの」と、漫画家の岸裕子先生がおっしゃっている箇所がありますが(巻末の城章子さんの文章より)、「どうしてこんなことになってしまったんだろう」……という悲しみの他に、人間としてあまりに当たり前な感情として、萩尾先生には「怒り」ということもきっとあったと思うのです。
一方、『少年の名はジルベール』を読むと、「竹宮先生が嫉妬で苦しんだ気持ちもわかる」というのがあって、竹宮先生は加害者の悪者ということではなく、竹宮先生の立場に立ってみると「その気持ちもすごくよくわかる」といったようなことなわけですよね。
そしてわたし、『一度きりの大泉の話』は竹宮先生に宛てて書いた50年分の分厚い手紙とはまったく思ってなく、これは本当に「竹宮先生と対談してください」、「大泉時代をドラマ化しましょう!」的な方に向けた、「事情を察してください」という、あくまでそちらの方向けの本と思うわけです(^^;)
『少年の名はジルベール』は、ある意味萩尾先生に対する善意の詫び状といった部分もある本と思うのですが、あれから約50年経って萩尾先生にも「やっと本当のことがわかった」ということが読者にもわかるというのが、本当に驚きと思うんですよね
『一度きりの大泉の話』の中には、>>「そのうちに、だんだん、こういうことだろうか?と気がつきました」という萩尾先生の推測、それと最終的な答えとして>>「竹宮先生は苦しんでいた。私が苦しめていた。無自覚に。無神経に」、「だから、思い出したくないのです。忘れて封印しておきたいのです」……といった文章がでてきます。
『少年の名はジルベール』を読んでなかったとすれぱ、この答えに到達することは不可能なはずですが、萩尾先生は竹宮先生の本は盗作疑惑をかけられて以降読んでないと言いますし、この本も読めないと本には書いてあります。けれど、マネージャーの城章子さんに、大体の内容を聞いたことによって、初めて「こういうことだったのではないだろうか」と推測することが可能になった、そうして考えていくうちに、最終的に本の最後のほうに「竹宮先生は苦しんでいた。だから、今度はそうした意味でももう思い出したくない」という、そうした結論が書いてあるという、そうしたことなのだと思います。
けれど、萩尾先生が>>「なぜなら原因は双方にあって、双方とも傷ついたからです」と本当の意味でわかるまでの間――竹宮先生と増山さんから受けた心の傷が完全に癒えるまでには結構時間がかかったのだろう……自分的にはそのように推測しますし、その心の傷というのはそもそも、「竹宮先生の嫉妬が原因だった」ということが最初からわかっていれば、「原因がわからないからこそ、悲しんだり苦しんだり怒ったりもした」という経験はなくて済んだということなわけですよね(^^;)
これもわたしの、一読者的勝手な推測ではあるんですけど、竹宮先生と増山さんのことに関して、萩尾先生が呑み込まなければならなかったことというのは……おそらくすべて作品内で消化されているということなのだろうと思っています。ゆえに、『一度きりの大泉の話』の中に、>>「竹宮先生が何をなさろうとも、私とは関係ないし、関わりたくないと思ったからです」とあるように――全部そうした形+長い歳月によって消化したあとで『少年の名はジルベール』を送ってこられても、「今後とも一切お互い関係ない」という交わらない平行状態にあったほうが、萩尾先生的には心乱されず平安でいることが出来る……きっとそうしたことなんだろうなあと思うわけです。
ただ、増山さんお薦めの映画を見て、『トーマの心臓』という素晴らしい作品が誕生しなかったとしたら……その後も萩尾先生の漫画の中にBLという要素があんなにもいくつもの作品で描かれることがあったのだろうか――という疑問が、自分的にちょっとあったりもするんですよね(^^;)
また、『一度きりの大泉の話』に多くの方が惹きつけられる理由として――この場合は少女漫画界の黎明期を支えた大御所中の大御所ふたりにそのような確執があったということの他に、その部分を抜いたとしたら、「今でも誰もが人間関係で経験すること」というところが、メッセージとして強く伝わることだったのだろうという気がします。
つまり、わたしもそうですけど、黒マジックで消したいような傷ついた過去というのは、当然誰にでもある。「あれはなるべくなら起きて欲しくないことだった」けれど、そこから受けた心の傷やストレスによって得たことが、結果として人生の物凄い財産になったということはありえますよね。何より、人に対して謙虚に優しくなったり、「どうしてわたしがこんな目に遭わなきゃならなかったんだろう」ということって、大抵の人が何かひとつくらいは持ってるものだと思うので……。
いえ、起きたのは50年昔でも、今だってSNSを介して好きな漫画やアニメを通して大親友になった3人が、その後オフ会で大盛り上がり……ところが、そのうちふたりがジャンルとしてBLを愛好していたことから、残り1人はその後同人誌作りに励む2人の話にはついていけなくなった――とか、似たようなことならいくらでもありえそうな気がします。
なんにしても、わたし自身は読者として『一度きりの大泉の話』と『少年の名はジルベール』には、一読者としてものすごーくものすごおおく感謝していて。何故かというと、『残酷な神が支配する』で萩尾先生の漫画に嵌まったのですが、それでも、「萩尾先生の漫画をここから、絶対全部読もう!」とまではきっとならなかったでしょうし、竹宮先生との漫画比較その他で(あ、その時期萩尾先生はどういった作品を描いておられたかといった意味です^^;)、ひとつ作品を読むごとに「このあたりのことは、こっちの漫画にヒントがありそうだ」とか、そうした連鎖があってこそ、『メッシュ』や『マージナル』といった漫画との出会いがあったというのは――長年の少女漫画愛好家としては、本当にほんとうに幸福なことでした
竹宮先生の漫画も今後、きっと読んでいくと思うのですが、自分的に今パッと思い浮かぶことで結構衝撃だったのが……『アンドロメダ・ストーリーズ』のアフルはたぶん、『聖闘士星矢』のアンドロメダ瞬のモデルっぽい――ということだったかもしれません(^^;)
いえ、わたしがBL漫画を読むきっかけになったのが『聖闘士星矢』だったので……瞬くん受けのものを中学時代からいくつも読んできた身としては、「よもやそんな繋がりが!」、「しかも、あれからこんなに時が過ぎてから、今そうと知ることになろうとは!」という結構な驚きがありました(笑)。
萩尾先生と竹宮先生の漫画検証(?)については、ちょっと暫く時間を割けないかもしれませんが、ゆっくりのんびり、今後ともやっていこうかな~と思っています
それではまた~!!