さて、前回から軽~くBL色が出てきている気がしますが(笑)、それとはまた別に、ゲイといえば男性同士の場合と女性同士の関係の場合があるわけで……海ドラ見てると大体、ひとりもゲイの方が出てこないという場合のほうが少ないんじゃないかなという気がしたり(^^;)
それで、わたし今、なんかまあこれも「おまえ、今ごろ……」という話ではあるのですが、『Lの世界』を絶賛視聴中だったりして、『Lの世界』のみならず、他のドラマの傾向も含めて思うに――「これからの時代はヘテロ、ノーマル、ストレートはダサいっ!」みたいに今後なってくるのではないか……ということだったんですよね。
今割と浸透している言葉として、LGBTQっていう言葉があると思うわけですけど(でも、実際はさらにもっと細分化されるそうです^^;)、これはレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、そして最後のQ(クエスチョニング)というのが、「まだ自分がヘテロなのか、この4つのうちのどれかもわからない」という状態のことだと思うんですよね。
それで、さらに最近はあんまり「ヘテロ」とか「ストレート」とも言わず(そもそもノーマルという言い方は論外・笑)、シスジェンダーと言ったりするようで……もちろん、「そんなわかりきってること、いちいち説明すんなよ」ということを承知の上で、ちょっとウィキさんより引用。。。
>>シスジェンダー(cisgender)とは、生まれたときに割り当てられた性別と性同一性が一致し、それに従って生きる人のことをさす。
この逆が言うまでもなく、トランスジェンダーの方ということなわけで、全体の比率としてはトランスジェンダーが少数派(マイノリティ)で、こちらのシスジェンダーのほうが今も多数派(マジョリティ)とは思うわけです。
でも、映画やドラマなどの影響その他、社会的状況として色々あるとは思うものの……「ヘテロセクシュアル(シスジェンダー)ってなんかダサくね?」っていう風潮が生まれつつあり、今後は「ゲイのほうがなんとなくカッコいい」といった理由によって、同性愛やバイになる子たちの数が、成長の過程で多くなるのではないか……という話だったと思います。
いえ、わたしはそれがいいとか悪いとか、そんなことが言いたいわけではなく、単にここでは語の説明がしたいだけだったり(つか、「そんなんそもそもみんな知っとるよ」的な話ですけどね・笑)。
たとえば、『SATC』の続編、『AND JUST LIKE THAT...』のもっとも印象深いとさえ言える登場人物チェ・ディアズさんが、「わたしはクィアでノンバイナリー」みたいに何度も言ってた気がするわけですけど……このクィアっていうのは、LGBTQのQのもうひとつの意味でもあり、もともとはあまりいい意味ではないそうです。「奇妙な」とか「風変わりな」とか、「ヘンタイ」とか……たとえば、ドラァグ・クイーンの方をさして「男なのか女なのか、性の状態がよくわからない人」に対し、侮蔑的な言い方として使われたりしたとか。
でも、それがもっとこう、個性的で素晴らしいと言いますか、「そういう価値観もアリだよね!」、「むしろカッコいい!!」みたいに、だんだんいい意味に変わってきた――ということだったと思うのですが、その他にクィアもノンバイナリーも、「性のカテゴリーにとらわれない」という意味があるということでした(ノンバイナリー=性自認が男性でも女性でもない人。あるいは男性と女性が混ざりあっている人のこと)。
つまり、サラ・ラミレスさん演じるチェ・ディアズさんで言えば、彼女はバリバリのレズビアンで、男性との恋愛関係は一切考えられないという意味でいえば、「わたしはレズビアンよ」で話すみそうなものですよね。でも、そうではなく、これは男性のゲイの方の場合でも、わざわざ自分は「ゲイだ」と答えるのではなく、「オレはクィアのノンバイナリーだ」(あるいは単に「ノンバイナリーだ」)という言い方をしてもいいわけです。その意味のほうは、「オレはな、そんなくだらん性のカテゴリーに入れられて振り分けられたくなんかないね」ということなんだと思います(=「いちいちそんな自分の性を世間に表明したりする義務も義理もないね」ということでもあると思う)。
「なんか、ややこしいなあ……」と、日本人としては思ったりもするわけですが、ええと、わたしがここで何を言いたいかというとですね、↓は一応舞台が未来設定のSF小説です。ということは、人類が宇宙に飛び出して相当経過したあとって――なんかもうあんまり「オレは男だぞう!パオーン!!」といった価値観や、女性にだけ家事や子育てを押しつける価値観って、少しくらいは残っていても、だんだんに撲滅されて、男女は性差もなくみな平等、同性愛などに対する性差別も完全ナッスィング……人類は、何かそんなふうになれているものなのかどうか。
ええと、やっぱりSF小説って昔のものは特に男性の書き手さんが多くて、男性や少年が活躍する冒険活劇に、可愛い女の子、美人な女性、あるいは個性的な女性などが登場して結ばれるとか……まあ、設定として技術者などにも男性が圧倒的に多いのではないかと思うわけです(たぶん)。でも、わたしはそこらへん特に不満とか持ってるわけではないとはいえ――そのあたりについて、実は人類はもっとそうした縛りから自由になってるのではないか、解放されているのではないか……と、まあそう思ったりしたというか。
そんで、他にもLGBTIQという言い方があったりもして、このIというのはインターセックス、つまり、生まれつき「男性」とも「女性」にも分類できない生殖構造や染色体のパターンを持つ方のことで、クィアの他にもジェンダーフリュイド(フルイド)という名称があったりもして、こちらは性自認が一定ではなく、液体のように流動的に変わるという、その時々によってLGBTQの間を行ったり来たりするという、そうした性に関してより自由な考え方の人のことをさすとか……いえ、ノンバイナリーやバイとどう違うのかという気もしなくもありませんが、微妙なニュアンスの違いというか、そのあたりのことはよくわかります(^^;)
で、↓の小説の主人公のゼンディラさんの性は、カテゴリー(?)としてはたぶん、アセクシャルということなのかなと思ったり。このアセクシャルっていうのは、性というものにあまり興味のない人……ということらしいのですが、基本的にたぶん、「君はシス?それともゲイだったりするのかい?」なんて、軽い感じで聞かれたとして……「あ、わたしはアセクシャルです」なんて答える人はいなさそうwwとか、自分的には思ったり(笑)
いえ、本当の意味で迫害されるのは……「自分は実はこういう変態性欲隠し持ってます」なんていう方ではなく、ゼンディラ氏のように去勢しているとか、幼い頃に性的虐待を受けて、そのあたりの感覚がおかしくなってセックス自体あまり興味がない――といった、ある程度理解できる理由でもない限り、「オレ、性とかそういうことにあんまし興味ねえんだわ」とか言う人がいたら、フルボッコにされて総スカンを食いそうだと思いませんか?(^^;)
なんにしても、いつか人類が本当に宇宙へ旅立ち、別の惑星に移住するような頃には、そうした性差に関する問題や同性愛に対する偏見その他、解決されているといいなあ……なんて、ぼんやり思った次第であります。。。
それではまた~!!
惑星パルミラ。-【4】-
ゾシマ長老の葬儀後も、ゼンディラは変わらぬ日々を淡々と過ごしていた。長老の、『実は自分は高位惑星系エフェメラの出身で……』ということにはじまる例の話よりも、彼はむしろゾシマ長老が小さい頃から自分に目をかけてくれたこと、またその時々でしてくれた信仰者としての印象深い話についてのほうが、その後たびたび思い出されていたかもしれない。
『アスラ神のことを本当に信じているわけではない(=彼は本星から送られてきた特殊工作員だったのだろうから)』のだとしても、曲がりなりにも大僧院長としての任に二十数年もあったのだ。ゼンディラにはむしろ、こう思われた。ゾシマ長老はゾシマ長老で(ゼンディラは彼の死の前日に本名を明かされていたが、それでもやはり彼にとって長老はその後もゾシマ長老でしかなかった)、本星での若い頃からの苦労、さらには特殊工作員というのがどんな仕事なのかゼンディラには詳しくわからなかったものの――命の危険すら伴うものであったらしいのは容易に想像できる――そうした任務の大変さといったことに加え、親友の裏切りといったことまで経験していたことから、宗教的に深い理解を備えると同時、他の多くの信仰者の心をも支え続けることが出来たのではないかと、そのように思われるばかりだったのである。
『私の名前は、本当はネイト・アストロナージェというんだ。ゼンディラ、私の家族については以前話したとおりだが……あと他に、母のことだけ、君に話しておきたいように思う。兄のネイサンが姉のネリーを殺し、結局のところ私が父の全財産を受け継ぐということになった時、私は隣の惑星(隣の惑星なんて言っても、軽く1億5千万キロは離れてるんだがね)ローゼリアまで、母のことを初めて訪ねていくことにした。そこで私が一体何を見たと思うね?母のローリアはすでに再婚して、子供が三人もいた。しかも、元いた自分の家族と同じ名前をつけていたんだ。上から兄のネイサン、妹のネリー、それからまだ年の小さいネイトと……赤ん坊の頃に別れたきりなんだから、彼女が私の顔を見てもわからないのは仕方のないことだ。だが、ローゼリアの首都ロゼリアで、大きな屋敷に住む彼らのことを庭先から見た時――ハッとしたよ。『自分は一体今、何をしようとしていたんだろう?』とね。私も、お互い泣きながらの再会だなんて、期待してはいなかったよ。おそらく、声をかけることも出来ず、その顔をちらとでも見ることが出来れば十分だと……何かそんなふうに思っていた。でも、一番下の子に自分と同じ名がつけられていると気づいた瞬間――わかったんだ。このまま何も言わず、黙って帰るというのが私に出来る母に対する唯一の親孝行なのだということがね。なんとも悲しい話じゃないかね、ええ?』
この話を自身の寝床でしてくれた時、ゾシマ長老のまなじりからは一筋の涙が流れていた。まるで、その時その瞬間のことを、今も鮮明に思いだせるかのような物言いだった。
『ゼンディラよ、だから覚えておいてくれたまえ。私のように親が金持ちで、これ以上も望めないほど高度な教育を受けたにも関わらず……自分にとって本当に欲しいもののことは諦めねばならぬという、そんな惨めな人間も存在するのだということを。他に、私が恋する女性はいつでも、他に誰か好きな男がいたということもあったな……ゼンディラよ、こんな私を是非とも憐れみたまえ。君は、自分には両親もなく、他になんの選択肢もなく、こんな男ばかりの僧院で朽ち果てるのかと思うことがあるかもしれない。だが、そうではないのだ、ゼンディラよ。ある意味、君よりも遥かに罪にまみれ、それゆえに惨め極まりない人間がここにいる。これからもし君が、自分の身の上を悲観することがあったとすれば――どうかこの私の気の毒な身の上話のことでも思いだして、せめてもの慰めにしておくれ』
このあと、ゾシマ長老はゼンディラの僧服の袖を掴んでこうも言った。
『我が子よ。おそらくこれから、身を切るような災厄が汝を襲うであろう。だが、決して諦めてはいけない。神というものは、ただ降り注ぐだけの光のためでなく、むしろ闇多き歳月にこそ、我々に強い力を与えてくれるのだから……』
それが、ゾシマ長老の、ゼンディラに語った最後の言葉だった。そしてゼンディラはその日の夜、不思議な夢を見た。彼はいつものように、祈りと瞑想の間――どんなに目を凝らしても闇しか見えぬ空間で、アスラ神に祈りを捧げているところだった。だがそこへ、一体どこから差し込んできたものか、一筋の目も眩むような黄金の光が闇を照らしていた。いや、違う。そのどこからとも知れぬ光は、あまりにも細すぎて、周囲の闇に対してなんの影響力も与えてはいない。闇というものは、どこまでいっても結局は暗黒の深い闇でしかない。だが、その直径5ミリもないのではないかと思われる光は、黄金の密度が濃くてあまりにも美しかった。ゼンディラは思わず夢の中でじっとその光に見惚れてしまったほどだ。
(なんと、美しい……周囲の闇が深ければ深いほど、ただのほんの小さな光でもこんなにも素晴らしく輝けるという、そうしたことなのか)
ゼンディラがそう思い、その細くはあるが、しっかりとした光の線をもっとよく見極めようと、立ち上がった時のことだった。周囲の闇が突然、宇宙空間に変わったのだ。もっとも、ゼンディラ自身はそれを『宇宙空間である』とは認識できなかった(何故なら、この時点の彼はまだ宇宙空間というものがいかなるものか、まったく理解していなかったから)。だが、それがただの闇ではないということ、闇そのものが急に変化した気配のようものを彼は感じていた。そして、光はその宇宙空間を貫くようにして、今もはっきりと存在し続けている。『ゼンディラよ。ゼンディラよ……』その声音を、ゼンディラは最初、ゾシマ長老のものとして認識した。そしてそのあと、全然知らない男の声にそれは変わり――最後、美しい女性が自分の名前を呼ぶ声を彼は聴いたのだった。『ゼンディラ、ゼンディラ……!』
この翌朝、夜明けの少し前くらいの時刻にゾシマ長老が身罷ったということを、鐘を鳴らすのに階段を上っていた時、ゼンディラは長老のひとりより聞かされたのである。その後、あの夢はゾシマ長老が亡くなる前に見せてくださったものに違いないと思い……ゼンディラは涙が止まらなかったものだった。
とはいえ、アストラシェス僧院の僧たちは、ゾシマ長老の死を悲しんでばかりもいられなかった。何故といえば、大僧院長の葬儀へは首都メセシュナの王侯貴族も参列するというのが慣例であったから、毎年の年末近くと同じく、首都の貴賓を迎えるための準備が、その翌日から即はじめられることになっていたからである。
さらに、ゾシマ長老が亡くなったのが十月であったことから――今年はその約二か月後には再び、女王陛下御一行を迎えるべく、王宮のやんごとなき方々に粗相のないよう、すぐにもその準備に取りかからねばならなかった。実際のところゼンディラにせよ、他の僧たちにせよ、ゾシマ長老の葬儀の時には緊張のあまり、悲しみのほうは一時的に後方のほうへ遠ざかっていたほどである。食事の品や寝る場所については、前もって王宮のほうから専任担当官がやって来て準備万端整えていってくれる。また、女王が読み上げるゾシマ長老に対する弔辞の文面などは、こちらも王宮の儀式典礼官が作成し、さらには葬儀の進行についても彼らと細かなところまで打ち合わせなくてはならないのだった。
こうした一切について、長老たちがすべて極めて実務的かつ有能に取り仕切るのを見て――ゼンディラは、自分もよく見て覚えておかなくてはと肝に命じていた。次に大僧院長になる人物が誰であれ、第七至高僧院の長老のいずれかが選ばれるということは、高齢であるがゆえにまたすぐ葬式ということになるかもしれない……などと思っていたわけではない。ただ、長老たちの指令通りに香炉の香の準備や、葬儀の時のみ使われる各種の特別な聖具について、聖具室で教わるたびごとに――自然と敬虔な気持ちの高まりを覚え、そのひとつひとつの手順をしっかり記憶しておきたいように感じたのである。
正直、ゼンディラ自身は控え目ながらも美しく装った、喪服ドレスを着たメディナ=メディアラ・アストラナーダ女王陛下のことは覚えていたが、彼女の背後に何人も顔を揃えた貴族たちのことはあまり記憶にない。その女王陛下にしても、ただ形式的な理由からわざわざこの田舎の僧院までやって来たのだろうとは思われたが、そのゾシマ長老に対する「我が国のために日夜祈ってくださるあなたがたがおられればこそ、わたくしたちもまたこのように平和な世にあって繁栄を謳歌できるということ、わたくしたちも首都にあって忘れたことは片時もございません……」といった弔辞、それはなかなかに感動的なものであったし(メディナ=メディアラは、儀式典礼官より、声の調子に至るまで、こうした時の演技指導を受けている。また、彼女自身大の演劇好きで、もし女王にならなくていいのだったら女優になりたかったと周囲の者に洩らしていたほどである)、立派な貴族たちの葬儀の礼儀にかなった立ち居振るまいも、実に見事なものだったと、僧たちを妙に感心させるところがあったものである。
このゾシマ長老の葬儀の時、ゼンディラが長老らより仰せつかったのは、コリエス長老指揮の元、ゾシマ長老の魂を送る悲歌を聖歌隊の一員として歌うということ、他には長老の棺を担ぎ、アストラシェス僧院の僧たちが眠る、隣の山頂まで登っていくということだった。ゾシマ長老の棺を担ぐのに、他に五人の僧たちも同じ任に当たったが、何分、標高二千メートル以上もある山の頂きである。ゼンディラは何度か仲間たちと交替することになったが、同じく棺を担いでいた僧たちの中には三人、一度も交替してもらうことなく山を登りきった僧たちがおり……ゼンディラは日頃の自分の修行不足を恥かしく思ったものだった。
なんにせよ、ゾシマ長老の葬儀と埋葬が済み、女王陛下以下の王侯貴族たちが去っていきほっとしたのも束の間、今度はアストラシェス僧院では、大斎戒期に向けての準備に追われることとなった。ある意味、ゾシマ長老が畑の収穫期に亡くなったというのも、間の悪いことだったに違いない。麓の村の人々も、それで冬が越せるかどうかが決まるため、そわそわと落ち着かなかったし、僧院の畑を管理している 長老といった僧たちも、随分急いで刈り取り作業に当たっていたものである。ゼンディラ自身は知らなかったが、アストラシェス僧院はもし仮にその年の小麦といった収穫物が全滅したとしても――飢えて困るということだけは決してなかったろう。何故といえば、首都メセシュナからは毎年冬になる前に、そうした食糧の備蓄のために必ず結構な量の献品が行われていたし、その他僧服を整えるための布、それを裁断するための鋏や針といった道具類を買うための金も何もかも……首都の王宮から流れてくる献金によって賄われていたからである。そうした意味で、決してアストラシェス僧院は寄る辺のない貧しい僧たちの集まりということはなかったし、ゼンディラ自身の視点から見たとすれば――いつでも僧服を仕立てるための布や糸などがたっぷりあり、僧たちは倹しい暮らしをしていたとはいえ、食事のほうは三食どころか、果物やパンやチーズなど、自分の部屋に誰しもが常備しているのが普通であったというそのことを……当たり前すぎて実は「他の僧院に比べ本院は贅沢である」などとは考えてみたことすらなかったのである。
そして、そうした王宮と僧院との密接な繋がりについてゼンディラが深く思いを至らせることになるのは、その年の大斎戒期の終わった、さらにのちのことということになる。
* * * * * * *
メディナ=メディアラ・アストラナーダ女王陛下が、病気の穢れのため、今年は大斎戒期へは来られないと聞き……誰も口に出して言う者はなかったが、長老たちは誰しも胸を撫で下ろしていたといえる。もっとも、女王の代理としてやって来るダリオスティン=アースティルナーダ・メセスシュトゥックは、父親の宰相の地位をいずれは継ぐであろうと言われている大人物であり、女王陛下の妹婿であるという関係からも、当然メディナ=メディアラ女王に引けをとらぬ対応を心がけねばならぬのは間違いないところではあった。
とはいえ、やはり毎年末の慣例行事として首都から女王陛下をお迎えせねばならぬというのは――王宮から受けている恩恵がいかに大きいものであるかを考えると、このような愚痴はアスラ神に申し訳なくはあるだろうが――アストラシェス僧院の僧たちにとって、結構な精神的負担ではあるのである。何より、麓の尼僧院の尼僧たちさえ、僧院の奥深くまでは入って来れないというのに、そこへもっとも身を慎まねばならぬ期間である大斎戒期に女王陛下や、彼女たちの引き連れる侍女といった美しい女性たちを迎えねばならないというのは……ある意味、なんとも奇妙なことでもあった。
ゆえにその年の年末は、女王陛下の代理として、男性である女王陛下の妹婿がやって来るのみならず、彼が女性はひとりも連れて来ないと前もって儀式典礼官のひとりを通して伝えてくると――長老たちは誰しもほっと胸を撫で下ろしていたというわけなのだった。
もちろん僧たちの中には、毎年遠目からでも女王陛下の姿を見られることを楽しみにしている者もあれば、彼女が連れてくる身分の高い女性たち、あるいはその侍女の姿を見るのを心密かに喜びとしている者もあったことだろう。ゆえに、逆に今年の大斎戒期は野郎の貴族どもしか……いや、男性たちしかやって来ないと伝え聞き、内心意気消沈した者も少なからずいたに違いない。
だが、王宮の儀式典礼官の使者が、「なんでもこちらに、大層お美しい、女性のようなお姿の僧がいらっしゃるとか……?」と聞かれた時、アストラシェス僧院における年間行事のすべてを取り仕切る最高責任者、カリーリャ老は、胸騒ぎを覚えたものだった。その使者はさらに、「銀の長い髪にエメラルドのような緑の瞳……」といったように、具体的に容姿の特徴を述べた。(間違いない。ゼンディラだ……)というように、長老は内心で溜息が洩れたほどである。
もちろん、その使者にしても――「ダリオスティンさまがそのお若く美しい僧侶さまをお見初めになったのです」などとは当然言わなかった。ただ、「メセスシュトゥック宰相さまのご子息であるダリオスティンさまが、信仰上のことでお悩みがあるらしく……その僧侶さまに是非ともご相談なさりたいとか。まあ、簡単にいえばダリオスさまは、お年の近い信仰上のお友達が欲しいということなのですよ」と、あらかじめ指示されていた通り話したという、それだけである。
カリーリャ老のほうでも、王宮との無理難題含めた折衝は毎度のことであったから、この時もただ曖昧に頷くに留めておいた。無論、「信仰上のことでお悩みがあるのであれば、我々長老のうちの誰かが是非ともご相談に乗って差し上げましょう」といったように、やんわりかわすという手もあったに違いない。だが、そんなことは賢明な選択でないと、世間知に長けたカリーリャ老にはわかっていた。もちろん、メセスシュトゥック宰相の子息の要求をそれとなく退けたところで、突然王宮からの献金や食糧や衣料の献品が露骨に減らされる……といったことは決してないに違いない。だが、こうした毒というのはゆっくりと時間をかけて回ってくるものなのだ。おそらく、ダリオスティン=アースティルナーダ・メセスシュトゥックが父親の地位を継いで宰相になった頃にでも――何か、アストラシェス僧院のほうでは理解できない措置を取られて困らされるなど、ちょっとした事件が起きはじめるに相違なかった。
(これは、ゼンディラのほうによく言って聞かせるしかないようじゃな……)
カリーリャ老はそう思った。そしてこの場合の「よく言って聞かせる」というのは、メセスシュトゥック家の跡取り息子の言うなりになって夜の供をせよ」といった意味ではない。カリーリャ老の予測というのは次のようなものであった。おそらく、ゾシマ長老の葬儀の時にでもゼンディラのことを見かけて興味を持ったのであろうから、「美しくどこかそそられるところのある僧侶」に酒の相手をさせたいであるとか、そうしたことであればいいのだ。その場合は、向こうが「どうしても」と勧めてきたのであれば、禁じられている酒を飲んでも良心の咎めを感じる必要はない。だが、もし酔った勢いで服を脱がされるようなことがあったとすれば――断固として拒み、相手に恥をかかせるというのではなく……出来るだけうまくかわすようにと、そのあたりの説明を前もってしておかねばなるまい――そう思い、カリーリャ老は溜息が洩れたというわけなのだった。
実際、そんな話を聞かされた時、ゼンディラはカリーリャ老の話を笑い飛ばしていたものだった。「長老、わたしは女じゃないんですよ?それに、性的には不具者でもある。そんな者を一体誰が好きこのんで……」と、ゼンディラはカリーリャ老が予想していた通り、まったく事の重大さを理解していなかった。
「いいから、黙ってわしの話を聞くのじゃ、ゼンディラよ。ダリオスティンさまはな、王宮のメセスシュトゥック宰相さまの一人息子で、それはそれは大切な跡取りとして育てられた方。なんでも、あらゆる学問をおさめて、諸先生方のほうで『もはや我々に教えられることは何もございませぬ』と口々におっしゃったくらいの方らしい。実際のところ、女王陛下の妹君と御結婚してもおられる……が、頭の良すぎる方にはままあることじゃがな、あの方もまた、賢すぎるがゆえに、おそらくは自身の好奇心や探究心を抑えられないタイプの御仁なのであろう。また、王族という特権階級にあるというのは一見恵まれているように見えて、世間体がどうだ、礼儀がなんだと窮屈な思いをされることも多かろう。そこで、自分が是が非でも欲しいと思うもののことは、人でも物でも我慢がきかないものなのかもしれぬ。せめてもそのくらいの自由は欲しいというわけだ……」
「その……カリーリャ老。先ほどの長老のお話では、そのダリオスティンさまは信仰上のお悩みがあるということでしたが……」
ゼンディラはこの時、カリーリャ老の個室のほうへ呼ばれていた。部屋の造りのほうは、ゾシマ長老のそれとさほど違いはない。ただ、アストラシェス僧院の僧たちが眠る霊廟が見られないというだけで――窓からはアストラス連山の峰々が遠くまで見晴るかせる広い窓があり、暖炉では薪が赤々と燃え、他には彼らの座る椅子やテーブル、アスラ神の神像を安置した小さな祭壇が設置されているという、そんなところである。
「ゼンディラよ、わしがこれから話すことをよく聞いておくれ。もしダリオスティンさまのお望みが、将来有望な僧に人生上の悩みを聞いて欲しいとか、あるいは本当に信仰上の悩みがあるといった、そんな話で終われば良いのだ。じゃが、わしはおそらくそんなことはみな建前で……ゼンディラよ、この場合はおまえの男心をも惑わす女のような容貌が問題だということなのだろう。これはわしの想像の域を出んことではあるが、ゾシマ長老の葬儀の際にでも、おまえのことをどこかで見かけたに違いない。とはいえ、そんな葬式の時にあの美貌の僧を自分のところへ連れて来いとまでは流石に命じられなかったのではないかな?他の時であればいざ知らず……そこで、今回の大斎戒期の女王陛下の代理という任が回ってきた――まあ、普通では考えられんことではある。我々僧のみならず、メトシェラ全土がもっとも信仰深くなるこの期間において、割礼済みの僧侶に欲情するなどということはな。だが、ゼンディラよ、おまえは知らぬことであろうが、第二僧院のクリオラあたりではこれまでに、そうしたことが問題となって破門にされた僧が実際に何人かおるのだよ」
「そうしたことって……」
ゼンディラは、流石にコウノトリが赤ちゃんを運んでくるとまでは信じてなかったが、それでも女性との性行為について具体的に何をするのか、よく知ってはいなかった。ましてや、男色行為のことなど、尚のこと何もわかってなかったと言ってよい。
カリーリャ老は本当に心からの、深い溜息を着いていた。
「前に、わしの過去のことについては語ったことがあったな……わしは、兄弟が九人もいる一番下の子で……まあ、父親にしてみればいらない子だったわけさ。体もひ弱で、すぐ風邪をひいただなんだと言っては寝込んでいることが多かった。それでも、ただひとり、母親には愛されてはいたのじゃ。ある時、わしは兄たちに連れられていった学校の集まりで、上級生らに悪戯をされた。今にして思うと、性とやらに目覚めつつあった若造どもが、女性たちとそうなる前に少し練習しておきたかったというのか、何かそんな理由だったのかもしれん。じゃが、そうしたことが何度か続くうち……母親がわしの様子がおかしいと気づいた。その後、ただ黙って見ていた兄たちは、泣き叫ぶ母に容赦なく頬をピシャピシャぶたれたものじゃ。何故弟を助けなかったかと、そう言ってな。父親は前から母に、口減らしのために一番下の子を僧院へやろう、そうすればわしらにも神のお恵みがあるといったことを口にしておったが、母はまったく聞く耳を持たなかった。じゃが、とうとうその時、わしにそういう道もあることを口にしたわけさ。わしは、一も二もなく僧院へ入ることを望んだ。第三僧院へ上がる前に受ける割礼の儀式も、少しも恐ろしくなどなかったよ。何故といってあいつらが獣じみた振るまいをするのも……股の間にこんな生殖器官があるせいだというように、そう理解しとったもんでな」
カリーリャ老はそう言って笑い、シェイラ茶を飲んだ。十二月に入ると僧院では、シェイラ茶の中に甘味である砂糖菓子やジャムなどを一切入れないようになる。これは、他のメトシェラの一般家庭でも、特にアスラ神に叶えてもらいたい願い事がある時、そのように甘味を一切絶ち、一年の終わりまでを過ごすということがよくある。
「ダリオスティンさまのように高邁な精神をお持ちの方に、こんなことは口が裂けても言えぬことじゃがな……まあ、ゼンディラよ。あの方の目的はそんなところだろうと、わしはそう思っておる。最初のうちはおそらく、信仰上の悩みだなんだ、それなりにまともなことを口されるだろうが……もし、酒を勧められて断れなさそうだと思ったら、それは飲んでもよい。一切、なんの良心の呵責を覚える必要もないぞ、ゼンディラよ。ただ、そのうちダリオスティンさまの御様子が何やらおかしいようだと感じた場合――なんとか逃げることじゃ。あの方の寝屋から逃げだすことさえ出来れば……酔っておかしな振るまいをしてすまなかったと、そんな程度の話で済むじゃろう。肝要なのは何より、ああしたプライドの高い方に恥をかかせたりせぬことじゃ。何分おぬしは賢いからな、ゼンディラ。前もってその用心だけしておくよう言っておけば……あとは機転を利かせて切り抜けられるじゃろう」
「そうでしょうか、カリーリャ老。わたしにはどうもそうは思えませぬ。いえ、そのダリオスティンさまという方が、自分に何かそうした乱暴狼藉を働いたらどうしようというより――いえ、わたしとしてはおそらく本当に信仰上のお悩みがあるのではないかという気持ちが九割の予想を占めます。けれどもし、万一そんなことがあった場合……相手に恥をかかせずに退出するなど、本当に可能なものでしょうか?」
「うむ。まあ、難しいところだの。が、まあ、最悪の場合ダリオスティンさまが怪我をされるというのもやむをえぬことじゃて。あの方々が夜休まれるのは、ここ第七僧院と第六僧院の間にある寝所でのことじゃからな……ゼンディラよ、おまえも知ってのとおり、女王陛下や王侯貴族の方々を迎えるための専用の部屋がそこにはある。掃除のために入ったことが、おまえもあるじゃろう?」
「はい……」
確かにそこには、他の僧の部屋には決してないものが随分たくさん置いてあった。たとえば、十二種類もの鳥の羽毛が詰まったふかふかの枕や、素晴らしい触り心地のシーツ、ベルベットのベッドカバー、その他複雑な模様の織り込まれた絨毯や、高級な家具・調度品類など……ゼンディラはそうした部屋のひとつひとつを隅々まで丁寧に掃除しながら、(王宮の人々の暮らしというのは、いかなるものなのだろう。これほどの贅沢品に囲まれていても、もしまだ全然十分と言えないのだとしたら……)と、時折ふとそんなふうに思わぬでもなかった。また、もしかしたら他の僧たちの中には、もっとも高位の僧たちですらこの場所は使用禁止なのだとしたら、なんたのための第七至高僧院であろうか――そのように感じる者がいたとて、なんら不思議でなかったに違いない。
「まあ、あの高貴な方々のための部屋の前には、必ず衛兵が立つだろうから、まずは叫び声でも上げるのが一番かもしれん。そのような事情だからおのおのの部屋で休めとまでは、あの方も申し伝えたりはすまい。あとは……一応念のための護身具を僧服のどこかに忍ばせておくことじゃな。たとえば、果物ナイフか何かを」
「そんな……そんなこと、とてもではありませんが出来ませんよ、カリーリャ老。それに、あのような高貴な身分の方を髪一筋でも傷つけたとすれば、あとから一体どんなことになるか……」
「いや、あくまでもナイフのほうは脅しのためじゃよ、ゼンディラ。それに、それは万一のための用心であって、ダリオスティンさまの用件が本当に信仰上の悩みか何かで終わる可能性というのも――まあ、10%くらいの可能性としてなくもないじゃろう。あとは単に本当にお友達になりたいだけとか、そういうこともな」
「お友達ですか……」
ゼンディラが苦笑すると、カリーリャ老のほうでも微かに笑っていた。なんにしても、カリーリャ老がこのことをゼンディラに話したのは十二月に入ってからのことであったが、彼は大斎戒期に入り、ダリオスティン=アースティルナーダ・メセスシュトゥックの王族御一行が馬に乗ってやって来るという当日も、もう一度しつこくゼンディラに念押ししておいた。だが、毎年冬至とともに大斎戒期ははじまるのだったが、その後幾日が過ぎても特に何も起きはしなかった。ただ、ゼンディラのほうではダリオスティンのことを遠くから見てではあるが、驚いていた。何故といって、彼は容貌のほうがゼンディラの幼馴染みのヴィランによく似ていたからである。
とはいえ、ゼンディラが周囲の僧たちにそのことを聞いても――誰からも特に賛同のほうは得られなかった。もしかしたらそれは、ヴィランが第二僧院のクリオラを出たのが十五歳の時であり、それからすでに十年もの時が過ぎていたという、そのせいもあったに違いない。
だが、そのせいでゼンディラが大斎戒期の間中、嫌な予感に包まれていたというのは確かである。彼はなんとなく直感的に(あの顔の人間と、おそらくわたしは運命の巡り合わせが悪いに違いない)と思い、このままなんの声もかからずして宰相の子息が王宮へ帰ってくれればいいと、毎日そのことばかりを願っていた。
また、ゼンディラには大斎戒期において――去年から引き続き、アスラ神を演じるという大役が与えられてもいたから、彼はそのことでも少し神経質になっていたに違いない。それは年末の、その年の冬至から数えて七日目に行われる僧院の伝統劇であり、アスラ神が悟りを開いてのち、当時メトシェラ大陸に大小四十九もあった国々を統一するよう全宇宙の神ソステヌから命を受け、戦争に勝利していくのみならず、最終的にバスラ=ギリヤークにも打ち勝って劇のほうは終幕となる。セリフのほうはないに等しいので、そうした種類の気負いもなければ、<神>としての化粧も分厚くなされるため、顔のほうは無表情を保つということが実は非常に重要であると言われる。ゆえに、ゼンディラのほうで何を注意しなければならないかといえば、それは舞台の後ろで歌われる僧たちの歌唱に合わせてアスラ神らしく振るまうということであった。そうしたひとつひとつの動きには<型>があったから、その動きをとにかく間違わぬよう気をつける必要があるのである(また、よほど大きく場違いに転倒したのでもない限り、多少間違えたとしても気づくのは第七僧院や第六僧院の一握りの高僧くらいのものであったろう)。
だが、これはカリーリャ老の予想を越えた出来事であったに違いないが、実はダリオスティンはこの僧院の伝統劇にいたく感動したがゆえに……その日の夜、ゼンディラのことをやはり自分の部屋へ呼ぼうと、そのように心に強く決意を固めるに至るのであった。
>>続く。