宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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短 信(十九)

2011-02-13 10:44:32 | 祈り
 祈りについてのおたずねですが、祈りというものは、かたち
ではないのです。本当のところはかたちではない。
 じゃあなぜ、手を合わせたり、如来印を組んだり、目を
閉じたり、そういうことをして祈るのかと申しますと、
そういうかたちをとることで、本心本体、本来の自分、いのち
そのものの自分のなかにかえってゆきやすいからなのです。
 こころをあつめて、おもいをすまして、神をおもい、神様の
なかに入ってゆく方法として、我々はみな、かたちを持って
いるということなのです。ですから、このかたち、つまり、
目を閉じて合掌したり、印を組むということは、単なる形式
ではないのであります。魂というものが、心というものが、
神をたずねてゆくその準備運動なのであります。
 そこで、こういう風にして、みんな祈ってゆくわけですが、
実は、もうからだ中で、年がら年中祈っているというのが、
本当のところなのでして、人間というものは真実は自在に、
神様の愛のなかに溶け込んでいる存在なのであります。
 で、このかたちから入って、段々に、素直に神様を呼び、
世界平和の祈りをかさねてまいりますうちに、自在な、
ほがらかないのちを持った自分自身があらわれてくるので
あります。
 印を組み、祈りながら、さながらの、光そのままの、
自分自身というものに出会ってゆく。真実の自分と対面する。
 これを、私は、自分自身のいのちを宣り出すと申し上げた
のであります。ですから、多少の迷いや、これでいいのかしら
というおもいが出たら、消えてゆく姿として、祈りのなかに
放り込んで、ただただ祈ってごらんなさい。そうしているうちに、
心もからだも朗らかになって参ります。ただ、心のなかに、
世界人類が平和でありますようにとおもいうかべるだけで
いいのです。私を呼んで下さるだけでいいのであります。
 どうぞ、そのままのおもいを祈りのなかにお預け下さい。

         昭和62年2月19日
                      昌 久