宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

私は一滴の水

2023-09-25 10:42:28 | 祈り
私は一滴の水
小さな流れの中に入り
土をしめらせて
いつか一筋の河岸から
海へと雪(そそ)ぐ

生命という
永遠へつながる
大河にむかって
人はみな歩みをやめることなく
日々瞬々の光を受ける

人間というものは
本来 円光のように
やさしく
辺りを調和させているものなのだ

自分でそれと気付かずに光を
ふりまいている
それが本来の人間の相(すがた)

一筋の光も
一滴の水も
真理に照らされて
存在する

自由自在な
私のこころのなかに
一滴の水となり
一筋の光となる
よろこびが
あふれてくる

友への短信

2023-09-24 06:38:01 | 祈り
神への道は
遠い道ではありません
ただ 心を素直に
悲しい時は悲しいままに
神を呼べば
神様はあなたの涙の中に
いるのです

流れる涙の一滴一滴に想いを入れて
それを生命(いのち)の河に流す・・・
だれも気付かない内に
ちゃんと道は備えられている
その人にふさわしい道を
神様はご存知です

涙の中で私を呼びなさいという
ささやきに心を留めて
道を歩く時
いつか 青空が自分に
ほほえみを投げている
ことに気付くでしょう

悲しみも
悲しみをいやす暖かな陽の光も
どれほど私たちの心と魂に
必要であるかを
神様は御存知です
なぜなら
すべてのものは
愛から生まれ出たものだから

悲しみだけを与えるなどという
不公平なことを神はしない
悲しみはその人が次に登るべき階段を
目の前にして実は上がりやすいように
備えられたものなのです
悲しみ 悩むことで人間は
次に進むための覚悟を与えられます
たとえその覚悟がふらついても
人間の弱さを神は御存知なのだから
全ては 完く計画されて
しかも一人一人をいつくしんでいる
愛なる神に私たちは
目をむけるべきなのです

不公平のように見えて
実は誰に対しても公平なのが
神の世界です
神界はすべて完成されている所だから
あなたが神界に来れば
このことがわかるはずですが
まずは 霊体をいろいろな場において
その進化のために修行させる
その中に
その想いも迷いも出てくるのだ
ということを
心にとめて
安心して
道を歩いていきたまえ

神のこころ 序

2023-09-23 08:00:00 | 祈り
          序文
人間というものはやっ介なもので、一日の内
にでもさまざまな感情の波にとらわれます。
寂しい、切ない、かなしい、うれしい・・・。
うれしさはまだしも、切なさや寂しさの
波(想念波動)の中に入り切ってしまうと、
なかなか明るいことを思えないが、何百生、
何千生と過ごす内に、人間の心(本来心)の
中に喰い込み、いつの間にか主人の椅子に
すわってしまうのが、業想念波動のもと
であります。

それでは、さまざまな感情は意味なく
与えられているのかというと、これは実は、
(個々の)魂の発展のために与えられたもの
なのであります。
神の愛を証するこの書の序として、
まずこれだけのことを述べておきましょう。
          五井 昌久

想いと言葉(14)

2023-09-22 08:43:50 | 祈り
     (前日からの続き)
もう私どもの生きているこの時代は、
私が良ければ、私たちさえ良ければいい
という時代ではない。
たとえ白光真宏会に入っていない人たち
の中でも、この本心開発がなされて
いかなければ、この地球の浄化あるいは
大きく言えば宇宙全体の調和というものは
在り得ないんだと。
だから、白光に入れる入れないではなくて、
その本心開発の芽を我々がどれ程無になって、
それぞれの持ち場持ち場、立場立場でやって
いけるか、そのために自分をむなしくして
祈る。
祈って、そうして今かかえている課題や
悩みや嘆き、そういうものを全部私に預けて
下さる。
そういうことが今一番必要なのだと思います。
         昭和63年5月5日
            五井 昌久

想いと言葉(13)

2023-09-21 17:51:00 | 祈り
          (前日からの続き)
祈りというものは、強制できるものでは
ございません。
それは、その国の人々の民族性や信条や、
あるいは宗教や習慣や風土、その違いが
ございますので、これは何も強制できる
ものではない。
ただ我々は、その人々の中に眠っている、
あるいは気付いてはいても弱い気付き方
である、世界人類が平和でありますように
という、元々の根元の祈りの芽を、あるいは
ピースポールによって、あるいはステッカー
によって、あるいは白光誌を手渡すこと
によって、それを呼び醒(さ)ます。
その役割りをするのであります。
ですから、その手渡すということは、すでに
私がそこで働いて、その人を通して一番いい、
その人が生き易いやり易い方法で、
この祈り言がその人の生命の中に生活の中に
生き方の中に入っていくように、守護霊守護神
さんと倶(とも)に私が働いていくという
ことでありまして、その点で皆さんは、
本当の意味において繋(つな)ぎの役を、
後は五井先生がしてくれるから大丈夫だ
というそのくらいの軽い気持ちで、しかし、
本心開発のためにこの祈り言が絶対に
人類のために必要なんだという、そういう
自信と覚悟をもってこの運動を広めていって
いただきたい。

そうすることによって実は、想いとか言葉
とかいうものが、その想念の汚れという
ものが浄められていくのであります。
想いとか言葉とかいうものがどうしようも
ないやり切れない暗いものだという歴史が、
そこで段々段々縮められていくのであります。
実は、言葉の光明化、想いの光明化という
ことをやっていかなければ、我々本心本体の
一体化というのは出来ないのでありまして、
この身さながらに神様の生命である、
神様から流れ来たっている真理、愛と一体
なんであるという、その遠大な目的という
ものを達成するためには、やはり、この
世界人類が平和でありますように、日本が
平和でありますように、私達の天命が完う
されますように、守護霊様守護神様
ありがとうございます。
というこの完全な愛と平和のお祈りを唱える
ことによって、我も他人(ひと)も一体に
なる。
そうして、神様の生命とすこやかに一つになる。
ということを信じていくことによって、我々
個人の想いも苦しみも、また救いとられていく
訳であります。
            (つづく)