21世紀の戦争テクノロジー 科学が変える未来の戦争
著:エヴァレット・カール・ドルマン
訳:桃井緑美子
河出書房新社
日本人が書いたSFとしてセンセーションを巻き起こした伊藤計劃「虐殺器官」では、テクノロジーの発達した兵器が次々と現れる。それはいかにも科学知識や化学知識を備えた、いかにももっともらしいものだらけで、その冷酷な最新兵器には思わず戦慄が走ったものだった。
本書を読んだら、「虐殺器官」に出てくるような、そんな兵器の数々が、実は空想の産物ではなく、実はもう実現化されていたり、すでにプロトタイプはできていたりすることが書かれてあって呆然とした。光学や音響を駆使して敵の神経発作を誘導させる兵器だったり、高周波のミリ波で敵の皮膚を瞬間的に焼いて進攻を止めさせたり、どんな金属でも腐食させる薬剤だったり、無人で動き回るライフル付の遠隔操作型偵察カメラだったり。また、味方に対しても神経系に作用させて筋力を倍増させる方法だったり、3Dバイオプリンターで兵站なしに戦地で食糧や武器を生産したり。
科学技術の発達と戦争は切っても切れない関係だ。インターネットーーワールドワイドウェブは、アメリカ軍のARPAネットがその母体であることは有名な話である。
また、戦争技術は、平時中よりも戦争中においてより発達することは、先の二つの大戦でわかっている。第一次世界大戦がはじまったときは騎兵だったのが、戦争が終わるときは、毒ガスと戦車と飛行機と潜水艦になっていた。
第2次世界大戦では、驚異的な航空機の生産力増強やレーダーや暗号読技術や、そして大陸間弾道ミサイルや原発が誕生した。
これは、戦争中は、科学技術による兵器開発に莫大な資源が投入されるからである。アメリカが開発にこぎつけた原爆ーマンハッタン計画は、アメリカの戦時予算の4分の1と12万5000人以上の科学者と技術者が動員されたことも、最近判明している。
ということは、少なくともいまの国際社会は局所的な戦闘や内戦はおいといて、大局的には無戦争状態であるが、ここで中・大規模な戦争となれば、今では想像がつかないくらいな兵器や戦争技術が急成長する可能性もあるということだ。「虐殺器官」をしのぐ世界も、無いとは言えない。
というわけで、本書は恐ろしい未来を示唆しているようだが、実は本書のテーマは「科学は戦争を止められるか」である。これは人類の戦争の歴史が、科学技術発達の歴史であったことに対する反省からきたアジェンダだ。
もっとも、本書で示されるその答えは、限定的だし、楽観的なものでもない。むしろ、科学は戦争の遂行に抗しえないことを認めている。いたずらに非戦闘員を負傷させたり、戦闘委員を殺めないために、「非致死性兵器」という方針の兵器が次々と試みられているが、非致死性兵器が横行するほど、戦争そのものはむしろ始めやすく、そして長引きやすくなる、というジレンマも本書では指摘している。
本書がそれでもこの先の未来に科学が戦争を止められるとすれば、それは「宇宙」ではないかと指摘する。
それは、宇宙空間上に地球を見下ろすように配列させる兵器が抑止力になるということでもあるが、それとはべつに、宇宙の資源エネルギー(太陽光など)は無尽蔵であり、これの採掘採取技術を地球上の国家がシェアすれば、そもそもの戦争の原因がなくなるのである。
また宇宙開発こそは人類共通の夢として人間性の信望を取り戻すもの、とする。
つまり、21世紀の戦争テクノロジーは極限までクールになっていきそうだが、そもそもの戦争の迂回策は宇宙が握っているということだ。
でも、宇宙への船出が人類の夢であり、国際協調であることは、かなり古典的なSFのテーマでもあった。「虐殺器官」には酔わされたが、宇宙こそが人類の平和の道という希求のテーマも信じたいところである。