フェイクニュースの生態系
藤代裕之
青弓社
トランプ大統領の登場以降「フェイクニュース」という言葉は一般に認知された。その後、世界中がコロナに侵され、様々な噂やデマが飛び交うようになってフェイクニュースは再び注目された。
フェイクニュースといっても、その実態はいろいろあるようだ。情報発信者が確信的に嘘八百を創作したものが極北だが、その手前のちょっとした曲解、マスコミの報道でもよくある意図的な編集やトリミング、あえての情報隠し、大げさな見出しなど、これすべてフェイクニュースの一端を踏んでいる。
そして、本書がとくに明らかにしたことは、「フェイクニュース」とは決して匿名の情報の発信者および受け取った情報をリツィートなどでまき散らす拡散者だけのメカニズムではない、ということである。個人のSNSアカウントから大手マスメディア、大手ポータルサイト、そして中間の有象無象のキュレーションメディアが相互に反応しあってフェイクニュースは変容しながら流通しているのだ。まさに生態系。
原因は以下に求められる。
①Yahooなどのポータルサイトのニュースが、報道協会に属していないミドルメディアの記事までをピックアップと配信の対象にしているということ
②サイトの価値はあくまでどれだけ見られていたかというビュー数で決まり、それによって広告単価などが決定されるということ
③パイプラインと呼ばれる様々なステークホルダー(サイト運営会社・報道機関・広告スポンサー・プラットフォーム運営会社・ジャーナリスト・個人の情報発信者・リツイートやいいね!をする人・ビュー数を担うユーザー・コンテンツ企画者・テレビのコメンテーターなど)からなる情報流が仕組みとしてできあがっていて個人的一単位の責任に帰せないこと
④検証記事や現場取材記事は手間暇がかかるわりにビュー数を稼げず、ビジネスとして割に合わないこと
⑤TVや新聞のマスメディアもネットから情報を拾える時代だということ(製作費や取材費の削減もあるだろう)
⑥「ネットで話題になっている」という耳目の集め方が報道のフォーマットの一つとしてあること(話題になってなくてもこう言ってしまう事例もある。なんとコロナ初期のトイレットペーパー不足はこれに端を発した)
⑦プロのジャーナリストでもフェイクニュースは見抜けないということ(つまり誰も見抜けない)
⑧読み手は真実の情報を探そうとすれば探すほどフェイクニュースにより頻度高く接するというインターネット上のパラドックスがあること
⑨報道において完全な中立というものは極めて難しいこと(フェイクニュースの告発はだれかの政治的有利を誘導することにもなる)
⑩けっきょく人は見たいもの信じたいものを見たがるということ
ということで、言ってしまえばあなたもわたしもフェイクニュースの流通になんらか加担しているということになる。Post Truthとはよくぞ言ったりだ。
結論としては生半可な情報リテラシーをつけようとすればむしろフェイクニュースの餌食になる。むしろ「情報とは適度に距離をとっておく」という態度のほうが正しいわけだ。一番危ないのは「オレは情報の真偽を見分ける自信がある」というタイプだ。オレオレ詐欺に引っかかるタイプと同様と言えよう。